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1 遠い昔
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行く手に矢を放たれた馬が驚いて、いななきながら大きく前脚を上げる。
「きゃあ!」
悲鳴をあげた少女を抱えたまま、女性とも見紛うような顔をした長身の男が馬上からくるりと回転して、難なく大地に着地した。
それはまるで、舞であるかのような優雅さすら感じさせる、流れるような美しい姿だった。
「瑶鈴様、お怪我は?」
容姿端麗な長身の男は腕に抱えていた少女を地面にそっと降ろすと、まずはその無事を確認する。
「だ、大丈夫……」
普段は知的で常に大人びた表情を浮かべる少女は、がたがたと震え青褪めながらも気丈な態度でぐっと目の前を塞ぐ敵を睨みつけた。
「蘭雪、娘をこちらへ引き渡せ」
「それは出来ない相談ですね、雷震」
蘭雪と呼ばれた男は少女を庇うようにして、周囲の気を探る。
罠かもしれないが、矢を放ったと思われる者以外は、目の前の男以外、気配はなかった。
「瑶鈴様を先に。ここは任せてください」
「嫌よ、蘭雪も一緒に……!」
「直ぐに私も合流いたします、瑶鈴様」
蘭雪は優れた気功の遣い手だが、それでも宗師である雷震には劣ることを十分に理解していた。
蘭雪はそれを理解した上で、瑶鈴を安心させるために口角を持ち上げる。
恐らく自分は、ここで雷震に討ち取られる。
それでも全力でぶつかれば、瑶鈴様が逃げ延び仲間と合流する時間くらいは稼げるだろう。
瑶鈴が仲間の馬に乗ってこの場から立ち去る気配を確認すると、蘭雪は雷震と向き合った。
二人の視線が、交差する。
「……なあ、蘭雪。我が宗門へ下る気はないか」
「ありません。我が主人は、瑶鈴様ただおひとりですから」
蘭雪は即答した。
雷震がひとりで姿を現したことと、瑶鈴が逃げても追う気配がなかったことで、誘われるであろうことは予想がついた。
今までも何度も誘われ、そのたびにこうして雷震の提案を一蹴したのだ。
雷震と蘭雪は、元々敵同士ではない。
過去には同じ師のもとで共に気功の基礎を学んだ弟子同士だったこともある。
ただ、選んだ道が違っていただけだ。
しかし、蘭雪の主人である瑶鈴の楚家と、雷震を宗師とする宗門の間に、対立する事件が起きてしまった。
それはここ数年で、修復できないまでに深い亀裂となった。
互いに譲れぬものがある。
ただそれだけで、二人は敵同士になったのだ。
すぅ、とこれからの戦いに向けて臨戦態勢をとる蘭雪に、雷震は辛そうな表情を向けながら首を振る。
「お前に死ぬ気でこられたら、流石に俺でも生け捕りは難しい。俺はお前を、殺したくないんだよ」
「そうですか。ではあなたの希望通り、死ぬ気で参ります」
「お前、なぁ!」
二人の気がぶつかり合い、大地を割る。
風が吹き荒れ、木々がなぎ倒された。
主人を守るため、蘭雪は今まで学んだ全てを注ぎ込んで、目の前の強者に挑む。
そして――一刻が過ぎた頃。
蘭雪はとうとう、膝をついた。
「一炷香しか持ちませんでしたね」
「十分だろ」
ごぼ、と蘭雪の口から吐き出された血が、その身体を支えた雷震の戦袍を濡らす。
「……なあ、蘭雪」
もう返事をすることもできない蘭雪は、それでも視線を雷震に向ける。
雷震の耳には、なんでしょう、と尋ねる蘭雪の美しい声が確かに聞こえた。
「次会った時は、俺に仕えてくれよ」
雷震の懇願に、蘭雪は微笑んだ。
けれどももう、雷震の耳に、蘭雪の声は届かない。
「約束だからな」
蘭雪の美しい瞳と人生が、ゆっくりと閉じられていく。
その長い睫毛の上に、一滴の雫が、ぽたり、と落ちた。
「きゃあ!」
悲鳴をあげた少女を抱えたまま、女性とも見紛うような顔をした長身の男が馬上からくるりと回転して、難なく大地に着地した。
それはまるで、舞であるかのような優雅さすら感じさせる、流れるような美しい姿だった。
「瑶鈴様、お怪我は?」
容姿端麗な長身の男は腕に抱えていた少女を地面にそっと降ろすと、まずはその無事を確認する。
「だ、大丈夫……」
普段は知的で常に大人びた表情を浮かべる少女は、がたがたと震え青褪めながらも気丈な態度でぐっと目の前を塞ぐ敵を睨みつけた。
「蘭雪、娘をこちらへ引き渡せ」
「それは出来ない相談ですね、雷震」
蘭雪と呼ばれた男は少女を庇うようにして、周囲の気を探る。
罠かもしれないが、矢を放ったと思われる者以外は、目の前の男以外、気配はなかった。
「瑶鈴様を先に。ここは任せてください」
「嫌よ、蘭雪も一緒に……!」
「直ぐに私も合流いたします、瑶鈴様」
蘭雪は優れた気功の遣い手だが、それでも宗師である雷震には劣ることを十分に理解していた。
蘭雪はそれを理解した上で、瑶鈴を安心させるために口角を持ち上げる。
恐らく自分は、ここで雷震に討ち取られる。
それでも全力でぶつかれば、瑶鈴様が逃げ延び仲間と合流する時間くらいは稼げるだろう。
瑶鈴が仲間の馬に乗ってこの場から立ち去る気配を確認すると、蘭雪は雷震と向き合った。
二人の視線が、交差する。
「……なあ、蘭雪。我が宗門へ下る気はないか」
「ありません。我が主人は、瑶鈴様ただおひとりですから」
蘭雪は即答した。
雷震がひとりで姿を現したことと、瑶鈴が逃げても追う気配がなかったことで、誘われるであろうことは予想がついた。
今までも何度も誘われ、そのたびにこうして雷震の提案を一蹴したのだ。
雷震と蘭雪は、元々敵同士ではない。
過去には同じ師のもとで共に気功の基礎を学んだ弟子同士だったこともある。
ただ、選んだ道が違っていただけだ。
しかし、蘭雪の主人である瑶鈴の楚家と、雷震を宗師とする宗門の間に、対立する事件が起きてしまった。
それはここ数年で、修復できないまでに深い亀裂となった。
互いに譲れぬものがある。
ただそれだけで、二人は敵同士になったのだ。
すぅ、とこれからの戦いに向けて臨戦態勢をとる蘭雪に、雷震は辛そうな表情を向けながら首を振る。
「お前に死ぬ気でこられたら、流石に俺でも生け捕りは難しい。俺はお前を、殺したくないんだよ」
「そうですか。ではあなたの希望通り、死ぬ気で参ります」
「お前、なぁ!」
二人の気がぶつかり合い、大地を割る。
風が吹き荒れ、木々がなぎ倒された。
主人を守るため、蘭雪は今まで学んだ全てを注ぎ込んで、目の前の強者に挑む。
そして――一刻が過ぎた頃。
蘭雪はとうとう、膝をついた。
「一炷香しか持ちませんでしたね」
「十分だろ」
ごぼ、と蘭雪の口から吐き出された血が、その身体を支えた雷震の戦袍を濡らす。
「……なあ、蘭雪」
もう返事をすることもできない蘭雪は、それでも視線を雷震に向ける。
雷震の耳には、なんでしょう、と尋ねる蘭雪の美しい声が確かに聞こえた。
「次会った時は、俺に仕えてくれよ」
雷震の懇願に、蘭雪は微笑んだ。
けれどももう、雷震の耳に、蘭雪の声は届かない。
「約束だからな」
蘭雪の美しい瞳と人生が、ゆっくりと閉じられていく。
その長い睫毛の上に、一滴の雫が、ぽたり、と落ちた。
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