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「……あの男に、適当な女を何人か見繕って与えておけ」
「は」

男が城から去ると、執事にそう冷たい声で命じた領主は、そのまま自室へと戻った。

彼の自室では、姉であるレナエルが窓の傍に座り、子爵家の男が振り返ることなく去った馬車の跡を、じっと見ている。
馬車の跡は、そんな事実はなかったかのように、あっという間に雪に覆われ、消えてなくなった。


「──あの男の無事を祈るならば、忘れることです、お姉様」
先程の執事に告げた冷たい声と同じ声であるとはわからぬ程に、領主が姉にかける声は酷く優しく、そして媚びるかのように甘い。

「今回は見逃しましたが、次に私の許可なく誰かの求婚に応じるような真似をすれば……今度こそ、相手を殺します」
「……っ」

レナエルは、その美しい朱色の瞳に涙を浮かべて振り返り、弟を見る。
殆ど訪れる者のない中、父親に連れられて偶にやってきた子爵家の男もまた、レナエルの淡い初恋だった。
たった今儚く消えた初恋に、彼女は終止符を打ったのだ。

「そもそも、あの男の何処が良かったのですか?」
弟の問い掛けには答えず、レナエルは質問をする。
「……もし、ルトの許可を貰えたなら、ここから出して貰えるの?」
「……ええ、勿論です」
「誰なら、貴方の目に叶うの?」

レナエルの弟……ルトガルは、口角を上げて笑う。
答えなどない。
「無理ですわ、もう、私には……」
レナエルは肩を落として、首をフルフルと振った。ふわりと舞った、美しい絹糸が煌めく。
社交界から隔離された氷獄で、結婚をしていない年頃の男性と巡り会える可能性など、ないに等しい。

「ええ。ですからずっと、ここにいれば良いのです」
ルトガルは、レナエルの手を優しく引いて、椅子から立ち上がらせた・・・・・・・

レナエルは、普通に歩ける。
しかし、ルトガルに「子爵家の男を事故にあったように見せかけて殺されたくなければ、歩けない振りをして下さい」と脅されて、車椅子に座っていただけなのだ。

だから嘘を付くとき、辛くて胸が痛んだ。

「そんなの……」
「お姉様も見たでしょう?あの男の、豹変した態度を」
「……」

氷獄の大地に住んでいる者は、長い年月をかけて、太陽の光に当たらなくても普通に生活出来るように、身体そのものが進化している。
だから逆に、北方領土から長時間出ると体調を崩すのだ。
よって、車椅子の生活になることも、全くあり得ないことではない。

ルトガルから言わせれば、子爵家の男は第一関門を突破しなかっただけだ。
勿論、仮に突破出来たとしても、その後はクリア出来る筈もない関門が、この後いくつも待ち構えている予定だったが。


「……でも、私……身体が弱くて、ルトの邪魔をするだけで、何も出来ないから……せめて、何処かに嫁ぎたいのに……」
「本当に、僕の幸せを願うなら……お姉様はずっとここにいるべきです」
姉の髪をそっと一房掌にのせて、口付ける。
レナエルは知らないが、この国では求愛の意味を現す仕草で、家族にする行為ではなかった。

「愛しています、レナ」
「私も愛しているわ」
美しい姉弟は、二人の世界で微笑み合った。
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