第三皇子の嫁入り

白霧雪。

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第二章

《 五 》

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 外出だけでなく他所の人と会い、遠出までした蓮雨リェンユーは梦見楼閣に帰ってくると、早々に床に就いてしまった。翌日、空腹で目覚めた蓮雨リェンユーは寝ぼけた頭をふらふらと揺らし、ふと、ここが与えられた自室ではないことに気が付く。

 天井には雅やかな天女たちが舞う画が描かれており、物は少ないながらも整然とした、風流な室内。赤い紗がいくつも垂れて、風が吹くたび揺れている。煙の上がる香炉が卓子に置かれており、ささやかな香りのそれは蓮雨リェンユーの心を落ち着かせ、頭をすっきりとさせてくれた。

 手触りの良すぎる掛布を手慰みに触れながら、視線をうろつかせていると、不意に手が、体温を持った何かに触れる。

(何だ?)

 猫でも入り込んでいたのか? しかしそれにしてはやけにつるりとした肌触り――そうまるで人の肌のような。

 視線をすっとずらして、背後に胡瓜を置かれた猫のように飛び上がり、声にならない悲鳴を上げた。襟元が着乱れた花仙が、すやすやと寝息を立てて眠っていたのだ。

 なんで!?

 言葉は声にならず、パクパクと口を開いたり閉じたりする様は鯉が餌をねだっているようだ。

 ハッとして、自身の体を見下ろす。きちんと着つけられた寝巻に乱れた様子はなく、恐る恐る衣の中を覗くが、も見当たらなかった。止まっていた息を深く深く吐き出して、全身で脱力する。けれど、はた、と気付いてしまった。蓮雨リェンユーには昨日、帰ってきてからの記憶がなかった。花仙に抱きかかえられたまま飛翔して、梦見楼閣まで帰ってきて、それから、それから……?

 酒に溺れて二日酔いに苦しむ酔っ払いのように頭を抱えて顔を青くする。複雑に編み込まれた髪を解いた記憶も、寝間着に着替えた記憶もない。湯浴みをした記憶だってないのに、汗ばんでいたはずの身体はやけにすっきりとしていた。

「――ん、ぅ」

 その時、腕を枕に、隣で横になっていた花仙の長い睫毛が震え、ゆっくりと目蓋が持ち上がる。

 突然の意識の覚醒に、慌てふためいた結果、花仙に背中を向けて枕に頭を沈め、ギュッと目を瞑った。――狸寝入りである。どんどん大きくなる心音が少しでも聞こえないように、と体を小さく丸くした。

 背後で花仙が起き上がると寝台がかすかに軋む音を立てて、いけないことをしている気分になってくる。欠伸をする声、腕を伸ばす気配、頭を掻く音、そのすべてに内心でビクビクしてしまう。

 ふ、と動きを止めた花仙に、蓮雨リェンユーまで呼吸を止めてしまう。目を閉じているから様子を伺うこともできないし、閉じた目蓋の裏で目玉を忙しなくきょろきょろと動かした。。

「おはよう、蒼霖ツァンリン

 うわぁぁぁぁあっ!?

 甘い声音にドキリと鼓動が跳ねる。親が子に向けるそれとも、幼児が大好きな母に向けるそれとも違う。もっと、ずっと深い愛情を煮詰めて、砂糖と蜜を足して足して、歯が溶けてしまうんじゃないかと思うほどに甘い声。例えるなら、唯一無二の愛しい者へ向ける焦がれる声だった。気付かなければいいのに、それに気づいてしまった蓮雨リェンユーは全身から汗が噴き出るのを感じた。

 蜂蜜の瞳はとろりととろけ、それを直視していたならきっと蓮雨リェンユーは今度こそ羞恥で叫んでいただろう。

 もはや驚きすぎて、いつものあだ名でも字でもなく、名前で呼ばれていることにすら気づいていない。

 頬を、手の甲が滑っていく。乱れた黒髪を手櫛で直されて、柔らかな吐息が額を掠めて行った。それから花仙は蓮雨リェンユーの寝顔を眺め、満足気にひとり頷くと寝台から立ち上がり、寝室を出ていく足音がした。

「…………………………は?」

 しばらくして、訳も分からぬ顔で起き上がった蓮雨リェンユーは、頭がさっぱりしてもやっぱり何が起こったのか訳が分からなかった。



 すっかり身形を整えた花仙は、年がら年中花盛りの庭園が一望できる香李庵こうりあんで茶を嗜んでいた。

「俺の小花シャオファは御寝坊さんだね」

 どんな顔をしたらいいのか、結局考えても分からなかったので下唇を噛んで対面に座った。すると、彼の式神が茶を入れて、軽食を運んできてくれる。一口大の蒸し饅頭だ。

 式神は仙道を学ぶ者ならば誰でも扱える簡単な術で、花仙の式神は皆美しい容貌をしており、花精と呼ぶのが相応しい。名前は付けておらず、適当に呼びかけると何処からともなく現れる。

「自分のへやに戻れたんだ」
「花精が案内をしてくれたので。ところで、昨日の一件は美神仙に報告をいたしましたので?」
「あぁ。昨夜のうちに手紙を出した。御神木の呪符は浄化したのだから、村で起こった怪事件の後始末は自分で行え、とな」

 ふふん、と得意げに鼻を鳴らして、蓮雨リェンユーの前に置かれた小鉢の中からひとつ饅頭を手に取り口の中に放り込んだ。

「これで、花が咲くようになるだろうな」

 花仙の言葉に、杯を持った手を止めて、口を付けずにそのまま卓子に戻す。

「やはり、他の州にも呪符があるとお考えですか」
「それしかないだろう。国全体の花が咲いていないんだ。たった一枚の呪符を浄化したとて、それはひとつの国に影響を及ぼすものか?」
「……あるとするなら、やはり、その土地を護る御神木に呪符があるのでしょう」
「そうと決まれば、まずは我が黒州から解決しようじゃないか。御神木と、その周辺で起こる怪事件や不審死を探ればすぐに見つかるさ」




 
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