第三皇子の嫁入り

白霧雪。

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第二章

《 四 》

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 呪符を見つけた三番弟子・皓思ハオス―の案内で件の呪符が埋まっている御神木の元まで最短距離で来ることができた。

 森の奥深くに御神木はあり、正しい道順で行かなければ辿り着けない迷いの陣が張られている。

 近くに村があるが、ここら一帯に人の気配は感じられなかった。虫や動物の声すら聞こえない。風に揺り動かされる緑のささめきくらいだ。

「君のおかげで早く来ることができました。ありがとうございます」
「い、いえっ! 未熟な僕に、できることは少ないですから……」

 白い頬は赤くした皓思ハオス―だったが、すぐに気を取り直して、御神木のある方向を指差した。

「僕が案内できるのは此処までです。美仙様に、近寄ったらいけないと言われてしまったので」

 その近寄ったらいけない場所に、今から私たちは赴くのだけど。憶測だが、美神仙は弟子たちを危険な目に合わせたくなかったのだろう。だから楼閣から五里以内――美神仙の目と力が届く範囲しか捜索をしなかった。

 皓思ハオス―は、蓮雨リェンユーたちが追い出された後、こっそりと声をかけてきたのだ。案内をしてくれたのも、皓思ハオス―の独断だろう。頭を下げ、立ち去って行った少年が楼閣に帰った後、美神仙に怒られなければいいが。

「ふふ、禍々しい瘴気だな」
「……私には、何も感じませんが」

 首を傾げて、目を凝らすが蓮雨リェンユーには至って普通の森にしか見えなかった。花仙の目には、別のモノが視えているのだろうか。

 見えないどころか、悪い気すら感じない。本当に瘴気が漂っているのか? 花仙が私を怖がらせようとしているのでは?

 疑惑の目で花仙を見るも、むしろ心配の色を乗せた瞳で顔を覗きこまれてしまう。両頬を大きなごつごつした手で挟まれて、グイッと無理やり上を向かされる。気がかりでもあるのか、鼻先が触れ合う距離で蒼い瞳を覗き込まれた。蜂蜜色と、蒼色が混ざると緑色になるのだと気づく。

 もし、皓思ハオス―がまだここに居たら、見たらいけないものを見てしまったと顔を両手で覆っていた。

「正常だな。邪鬼が目に隠れているわけでもないし、霊力も巡っている。むしろ潤沢なくらいだ」
「あの、」
「瘴気だけ視えないのか?」
「……至って普通の森にしか私には見えません」

 豊かな緑が生い茂る普通の森だ。生きているものたちの声が聞こえないからか、寂しい印象を与えている。

 邪鬼や怨霊の類は、厳重な護りと浄化の結界が敷かれた後宮に入ってくることは出来ない。結界陣の穴をついて入ってきたとしても、すぐに城お抱えの道士に見つかって祓除されてしまう。

 この華蝶国で最も清浄な場で生まれ育ち、目が邪気や瘴気に慣れていないのだろうとひとり納得した花仙は、蒼い瞳を目蓋の上から柔く撫でた。できることなら、こんな悍ましいものなど見ないで過ごしてほしいと思いながら。ささやかな加護をかける。



 かすかに、目蓋の裏が熱くなった。

「あの、何を?」
「加護を与えただけさ。瀕死の重傷くらいなら一度は救ってくれる。視えないとは言っても影響を受けないわけじゃない。下手をしたら、触れただけで皮膚や肉が溶けるものもある。……見えなくて正解だったかもしれないな」

 花神仙の加護!

 思わずパッと目を見開くと、思いのほか近い距離に花仙の顔があった。驚きの声を上げそうになるのを寸でのところで飲みこんで、眉頭に力を入れる。

 この男、いちいち距離が近くないだろうか。神仙とはみんなこうなのだろうか。思い返せば美神仙もやたら距離が近かった気がする。人と触れ合わなさ過ぎて距離感が可笑しくなっているのだろう。人が嫌い、と言うわりには友好的だし、いまいち花神仙のことがわからなかった。

 ――人と関わりを持ってこなかったのは、蓮雨リェンユーにも言えることだった。狭い毒花の箱庭で、母と、母の側付きと、自身の専属の侍従だけ。とてもとても狭くて、小さな世界だった。ちっぽけな箱庭で蓮雨リェンユーは満足していたのに。急に外に放り出されたってどうしたらいいかわからない。母の元へ帰るために、蓮雨リェンユーは花仙に縋るしかできないんだ。

 仙道や仙術に関してだって、母が教えてくれたこと以外は全て独学で、基礎は分からないし、邪気というのもわからない。あの、楼閣で襲ってきた邪鬼憑きの獣くらいわかりやすかったら見分けがつくのに、それ以外は生者なのか死者なのかすらわからなかった。

「さて、そろそろ呪符の浄化に行こうか」
「村のほうは?」
「そちらは美仙アイツがなんとかするだろ。自分の管轄なんだから、それくらいするさ。それに、他所の縄張りであまり目立つ行動も良くない」

 華蝶国は紫州王都皇陽こうようを中心に、五つの州に分かれている。黒州、黄州、紅州、白州、藍州は、それぞれの州と同じ色の名を冠する貴族が治めており、彼らを五大彩家と呼んだ。――というのも数十年前で、現在は白州・白家と黒州・黒家は衰退の一途をたどっており、三大彩家となってしまっている。

 白家と黒家の変わりに州を治めているのが、五大彩家と同等の権力を持つ、五大仙家のうちの金仙家と華仙家である。

 朝廷を悩ませるのは、いつだって貴族と仙家の小競り合いだった。仙家は力がありながら救済をしない貴族たちを厭うており、逆に貴族たちはまるで力を誇示して見せびらかす大道芸人のようだと仙家を見下していた。つまるところ、貴族と仙家の仲は非常に悪い。

 年に一度行われる有力権者たちで行われるは、大体いつも殴り合いの喧嘩になってお開きだ。お食事会に皇帝はもちろん、その妻と子供たちも参加する。しかし、たったの一度しか、母と蓮雨リェンユーは参加をしたことがなかった。否、正妃と他の妃たちによって、参加させてもらえなかったのだ。成人する年に参加をしたが、とても言葉で表せないほど酷い有様だったのを今でも覚えている。盆が飛んで、料理が飛んで、酒は宙を舞い頭からかぶり、見目麗しい貴人たちが髪を衣を引っ張り合って罵り殴り合っているのだ。人とはこうも無様な醜態をさらせるのかとドン引きした。

 仲の良い一族同士は穏やかに話をしているのだが、一歩席順を間違えると大惨事だ。どうして毎年毎年ああして喧嘩をするのに開催するんだろうか。

 御神木は、ここら一帯の護樹であったようで、周囲の木々よりも頭一つ分、それ以上に大きな背だった。一年中花を咲かす、狂い咲きの花木だったが、いつの頃からか花を減らし、今では葉が数枚しか残っていない。四方八方へ伸びた枝は表面がひび割れて潤いがない。まるで死を待つ老人のようだった。

「――可哀想に。随分と蝕まれているな」
「呪符に、ですか?」
「嗚呼。どれだけの呪詛を詰め込んだのか、これだけ大きな霊樹をここまで追い込むなんて並大抵の術氏じゃあできないことだぜ」

 花仙の目には、きっと違う景色が映っている。痛ましい表情で朽ち枯れる直前の大樹を見上げていた。

「どうにかできるんですか?」
「あたりまえだろう。この俺を誰だと思ってる?」
「…………花咲かせの花神仙様」
「その通り。ま、こんだけ大きな霊樹だと、しばらくは回復するための時間を置かなくちゃいけないけど、また満開の花を咲かせられるようになるさ。自然な老いじゃなく、病を患ったってんなら、それを治してやればいいんだから」

 大樹の周りをぐるりと一周した花仙は、そこらへんに落ちていた木の棒を拾うと蓮雨リェンユーに手渡してきた。「ここを掘れ」と出された指示に大人しく従う。至極当たり前に手渡されたそれで石ころをどかして地面を掘り起こしながら、目当ての物が出てきた頃に「なんで私が掘らなきゃいけないんだ?」と首を傾げた。 

 掘った穴は、手首まで埋まってしまうくらいの深さになった。大樹と蓮雨リェンユーの影で穴の中は不思議と真っ暗だった。じっと穴の中を覗いて、なんとなしにそっと穴の中に手を差し伸べた。触れただけで皮膚や肉が溶けてしまう、と言った花仙の言葉を忘れたわけじゃない。ただなんとなく、手を入れたくなったのだ。

小花シャオファ? 呪符はあったか?」

 その瞬間。全身を冷たい何かに包まれる。

「――っ!!」

 絶望。悲鳴。悲哀。懺悔。後悔。恐怖――悪意溢れる感情が全身を通り抜け、ざぁっと、血の気が下がり、ふらりと体が傾げた。

小花シャオファ!?」
「ぁ、いえ、なんでもありません。呪符……ありました。これですよね」

 大樹に手をついて体を支え、慌てた様子で駆け寄ってくる花仙に気づかれる前に穴から手を抜いた。土埃で汚れた手を払い、立ち上がる。場所を譲れば、小さな穴を覗く花仙。

 茶色に変色した札が半分ほど土に埋まった状態で姿を見せていた。書かれている文字は到底理解できない。蓮雨リェンユーには子供の落書きにしか見えなかったが、花仙はしっかりと書かれている呪文の意味を理解した。元々は真っ白だっただろうお札は劣化と土埃で汚れており、呪文は朱墨で書かれている。――否、ドス黒く変色した文字からは禍々しい瘴気が放たれており、それは朱墨などではなく人の血で描かれていた。

 気軽に手を伸ばし、汚いモノに触れるかのように爪先で呪符を抓み上げた。触れると危ないと言ったのは自分なのに、触って大丈夫なのか!? ギョッとして手を伸ばしかけたが、札を持ち上げる爪先からシュウシュウと煙が上がっていた。目を凝らして見るが、怪我をしている様子はない。花仙の指先ではなく、清廉な仙気に触れた呪符が邪気を浄化されているのだ。

「……純粋な悪意だな」
「なんと書いてあるのですか?」

「え、たった、それだけ?」
「至極単純明快だろう。複雑な術よりもずっと強力で凶悪だ」

 なんとなくわかる気がした。端的な話、「バレないように暗殺をして、全てを隠蔽しろ」よりも「殺せ」と言った方がずっとわかりやすい。

 言霊とは、短ければ短いほど、そして目的がはっきりしているほどしゅとしての効果を発揮する。

 呪符の製作者はよほど強い恨みを抱いているのだろう。それは花に対してなのか、国に対してなのかは今の段階では謎だった。

「この呪符をきちんと処分して、場を清め浄化すればまた花は咲くようになる」

 花が咲く、と聞いて安堵の息を漏らす。
 たった一枚の呪符を破ったところで、国全体の花が咲くとは思えなかった。

「さっさと済ませてしまおう。小花シャオファ、浄化の術はやったことはある?」
「いえ」
「では、できる?」

 首を横に振り、できないと答える。浄化をするには、対象物の邪気や瘴気を上回る仙気や霊力がなければならない。蓮雨リェンユーは仙術を使えるが、基礎を学び、修士や道士たちのように修行をしたわけではないので霊力はそれほど高くないと自負していた。ただ術を使えることだけでも十分に凄いことなのに、蓮雨リェンユーは決して自身の力を驕らなかった。

 母はとても優しかったが、他の皇子たちに負けることを決して許さなかった。力で敵わないのならば、その美しさで他を圧倒し、その賢さで言い包めてやりなさい。八面玲瓏とし、十善十美であることを求められた。戦うための剣ではなく、舞うための剣。雉を狩るための弓ではなく、扇を射るための弓。花を愛で歌を詠み、楽を奏でる。皇子と言うよりも皇女のようだったが、母が嬉しそうに笑うから全部どうでもよかった。

 霊力が高まり、仙人へと近づくと、人は体の老いを止め、美しさにいっそう磨きがかかる。体からあふれ出る仙気が、全てを磨いてくれるからだ。蓮雨リェンユーは母譲りの美貌であるのだろうが、自身で気づいていないがその霊力によって容姿に磨きがかかっている。

 手順や知識をきちんと学べば、この呪符だって簡単に浄化できるだろう。呪符どころか、この瘴気に侵食された土地だって浄化できる、というのが花仙の見立てだった。ただ手元に置いておくだけではもったいない宝石の原石だ。研磨し、整え学びを授けてやる。弟子は取らない主義だったが、手ほどきくらいならしてやってもいい。

「しっかり見ていること。仙気の流れを目で見て覚えろ」

 しっとりと浮かべられた花の笑みにドキリ、と心臓が嫌な音を立てる。
 見て、覚えて、それでどうしろと。

「――リェンユー」

 ぐ、と喉奥で息が詰まった。今の今まで「小花シャオファ」とかふざけたあだ名でしか呼んで来なかったのに、今になってどうして名前を呼ぶんだ。目を反らすことを咎めるように、目の前に一振りの剣が翳される。

恋雨リェンユーは、この剣の名前だ。いい名だろう?」

 細やかな装飾の施された美しい剣。鞘から抜かれた剣の刀身は穢れを知らない純白で、とても細身で華奢、まるで鍼のようにも見える。柄の先からは赤い飾り紐がひらひらと風とともに流れ、唯一の鮮明な色につい目で追ってしまう。繊細な美術品のようなな剣で邪気が斬れるとは思えない。むしろ、舞などのほうが映えそうな剣だった。

 口元にゆったりと笑みを携えたまま、右手で恋雨リェンユーを胸元に構え、左手で呪符を放り投げる。はらり、と宙を飛んだ呪符から、突如黒い風が溢れ、花仙へと襲いかかった!

花宴招来かえんしょうらい

 ぶわり、と。花仙の仙気があたり一面に広がって、黒い風を押し返す。

 高い木々によって光の遮られた森の中に、眩い炎の光が広がった。頬を撫でていく炎は暖かく、柔らかい。衣の裾や袖がはためきき、風と炎に巻かれて流れていく。不思議と熱くなかった。白炎は呪符を焼き尽くし、天へと昇っていく。

 森に火が燃え移ってしまう!

 ハッとして慌てたが、周囲は白炎によって照らされているだけで、火が燃え広がる様子はない。チリヂリ、ジリジリと白い火の粉が散っては空を舞い、飛んでいく。――美しい、花の宴を見ているようだった。風が吹くたび白い花びらが散って、儚く溶けて消えていく。炎の熱さなんて感じない。ただ柔らかく、優しい、そして清らかな香り。

 桁違いだった。城に仕えていた道士たちとも、自分とも。洗練された仙気に、美しい術。神業といっても過言ではない。見て覚えろ、と花仙は言った。無理だ、こんなの。できるわけがない。大規模なこの美しい術を展開するには霊力も経験もなにも足りていない。何十年修練を積んだら、彼の人の境地に達することができるだろう。

 花宴招来。まさに花の宴だった。白炎の花は全てを浄化し、瘴気に侵された大樹を、大地を清めていく。

「師は、花のようでありなさい、と俺に言った。桃花流水とうかりゅうすい杳然ようぜんとして去り、別に天地の人閒じんかんあらざる有り」
「李白の山中問答ですか」
「その通り。師は、俺に桃の花のようでありなさい、といつも仰っていた。俗世と離れ、人里離れた遥か遠いところで過ごし修練をしていれば、自ずと自身の世界が拓き見えてくる、と。――どうだ、俺の術は、美しいだろう?」

 白い炎を背に、悠然と微笑む男が美しかった。瑕一つない珠の白い肌。粗雑な口調だが、親しみやすさを感じさせる声と、柔らかな花の笑みを湛える薄い唇。良家の公子や、腹違いの兄皇子と言われても信じてしまうかもしれない端麗な容姿は、人里に住んでいれば美男子として子女たちから熱い視線を送られていただろう。

「私にも、そのようになれ、と?」
「なれるかどうかはお前しだいさ。知識を学び、技術を身に着ける。お前の母も、道士ではなかったのだろう」
「……私に、できるとは思えません」
「いいや、できるさ。この俺ができたのだから。お前は俺よりもずっと真面目で誠実だから、基礎さえ学べばすぐに上達する。過信しないのは良いことだが、極度の謙遜は嫌味になるぞ」

 それ以上何か言えることもなく、口を噤んだ蓮雨リェンユーは流れていく白炎の花をぼぅっと見つめた。

 白色は嫌いだ。むりやり、純白の婚礼衣装を着せられたのもあるが、――この世の何よりも、誰よりも嫌いな男を思い出させる。とても優秀で、見目も華やかであり、口ではなんとでも言える。心の中では人々を見下していた、あの男。顔も、声も、全て忘れてしまいたいのに、蓮雨リェンユーの心に深く傷をつけて、決して忘れることを許さない、と呪詛を吐き続けている。

「さぁ、手を出して」

 思い出したくもない記憶に頭を振って、サッと左手を出した。いつの間にか白炎は消えており、来た時とは比べ物にならない清涼な空気が漂っていた。

「そっちじゃなくて、反対の手だ」

 差し出した左手が不意に揺れる。バツが悪いのを隠さずに、ギュッと眉頭に皺を寄せた。

 あくまでも無理強いをするつもりはない、と言った態度だが、緩やかな表情をしているのに花仙は有無を言わせない雰囲気をしているのだ。兄のように慕っていた侍従の青年に、悪戯がバレてしまった時のような気まずさに下唇を噛んでしまう。

「こら、噛んだら傷ができるだろう」
「……私に傷ができても、花仙には関係ないじゃあないですか」
「そうだね。関係ないさ。でも、傷から瘴気や邪気が入り込んだらどうするの。大変だろう。いい子だから、手を見せて」

 幼い子を嗜める、まるで母のような優しい声。そっと伏し目がちに花仙を伺うと、いつもの花の笑みを浮かべて首を傾げていた。

 花仙はとっくに、穴の中に手を入れた時にできた怪我に気づいていた。

 そっと、袖をめくり上げると、だらり、と力なく地面に向かって垂れる右手は、手のひらから手首を辿り、肘の手前あたりまで真っ黒い痣に侵されていた。痺れる痛みが治まることなく続いた右手は、ぴくぴくと小さく痙攣を繰り返している。

 呪の根源であった呪符が消滅しても、呪符から人の体に移ってしまった邪痕は別だ。手のひらから伸びる邪痕は、じりじりと白い肌を焼き、触手のように腕をゆっくりと登っている。これは、心臓を目指して動いているのだ。蚯蚓みみずや蛇を思わせる動きに、一瞬だけこめかみを引き攣らせた花仙は、躊躇わずに軽痙攣する手を取ると、いつぞやのように唇を寄せた。

「ヒッ……!」
「黙って。静かに動かないで」

 すぐに手を引き抜こうとしたが、がっしりと掴まれてしまって無駄な抵抗に終わった。気まずさと羞恥に、手のひらに口付ける花仙を直視できずにいた蓮雨リェンユーだったが、花仙が触れるそこから、爽やかで清涼、けれどどこか甘い気が体の中に入り込んでくるのを感じた。

 蒼い瞳を白黒とさせて、訝しげに男を見る。ただの神仙と、一国の皇子であればもちろん皇子のほうが立場は偉いが、花神仙は国お輿の神仙で、蓮雨リェンユーは厄介者の第三皇子。こうして他人の誰かに心配されて、傅かれるなんてされたことがなかった。それ以前に、花神仙のような誰からも敬われ、崇められる男にこんな浅ましいことをさせている事実にドクドクと心臓が早鐘を打つ。

 感じたことのない胸の高まりだった。

 邪まを祓うには、それを上回る清浄な気で祓ってしまえばいい。花神仙ともなれば、祓えない邪気などないに等しい。それこそ神代の仙人や神で無い限り、彼に祓えないものなどないだろう。触れた手のひらから流れ込んでくるのは、花仙の仙気で、心臓に向かってくる邪痕は徐々に動きを鈍くしていった。そうして、どれほどの時間が過ぎただろう。

 花炎の舞う風で乱れた髪が一房、花仙の白い頬に落ちてくる。なんとなく、それを耳にかけてやった。

「ふふ、小花シャオファの手は、剣よりも扇子の方が似合いそうだ」

 ス――と水面に墨が溶けていくように、邪痕は跡形もなく消えて行った。

 ぼんやりとそれを眺めて、ハッとして肘上までまくり上げていた袖を治そうと手を伸ばす。

「他に、怪我は?」
「し、してないです」

 なぜか、その手を掴まれてグッと花仙が距離を詰めてきた。鼻先が触れ合うほど近く、狼狽する蒼い瞳を見つめられる。

 手のひらを握っていた手が、跡形もない邪痕の影を追うように手首から腕を辿り、肘の裏が掠めて行った。ぞわぞわと背筋に鳥肌が立って、もしかしてを抱いていたことに気づかれたのだろうか。

 繊細な硝子のかんばせを赤、青、白と変え、花仙からどうにかして距離を取ろうと四苦八苦した。

 純粋な心配で、大きな手のひらが肌の上を滑り、他に怪我がないかを確認しているが、蓮雨リェンユーは心臓の高鳴りが聞こえてしまうんじゃないかと気が気じゃなかった。

「本当に?」
「――もう! してないって言ってるだろう!!」

 真っ赤な顔で、涼やかさとはかけ離れた大声を出す。

 森のざわめきが風に流れ、シン、と静まり返った。

 ハッとして、咳払いをして誤魔化そうとするが目の前の男はにやりと口角を上げて嗤った。

「それだけ大きな声が出せるなら大丈夫そうだな。梦見楼閣へ帰ろうか」

 羞恥で口を開いたら語彙力のない罵倒が飛び出しそうだったので、ギュッと唇を引き締めて小さく頷いた。




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