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第24話
しおりを挟む穏やかなヒマワリ畑は、貴族のお屋敷というよりも喉かな農村をイメージさせた。
屋敷の主が穏やかな女主人だからだろうか。優しく、物静かな雰囲気になんとなく落ち着かない。
グウェンデル伯爵邸であれば、ハウスメイド三姉妹の賑やかな声や、双子騎士の喧嘩の声が響き渡っている頃だ。
ティーパーティーの開始時刻より少しばかり遅れてしまったヴィンセントと菊花は、出迎えてくれた壮年の執事によって会場へと案内される。
そよぐ風や、ささめきあう花々の香り、こちらを観察する小動物たちの声音。とても、とても静かなお屋敷だ。
蒼いドレスワンピースに身を包む菊花を一瞥して、マニュアル通りの言葉を紡ぐ執事も余計なことは言わずにただ歩みを進める。
穏やかなガーデンの、東屋に華やかなドレスに身を包んだ女性がふたり、すでにティーパーティーを始めてしまっているようだった。
「遅刻する男は嫌われますわよ」
フン、と鼻を鳴らしたスカーレットのドレスを着た彼女の側に、小さな影を見つけて菊花は目を見開く。
「小猫……!」
「おねーさま!」
下から六番目の皇女・小猫は、ヴィンセントの影に見つけた姉の姿に目を輝かせて駆け寄ろうとする。
「こら、キティ! レディが走るだなんてはしたないわ」
「うわぁん! ロゼさまぁ!」
ピンッと紐が張って、駆けだそうとした小猫を引き留めたのだ。よく見れば、ひらひらふわふわのドレスに隠れてハーネスのようなものが付けられている。まるでペットのような扱いだったが、あの小猫なので怒りよりも納得のほうが大きかった。
「一流のレディは、決して走らないのよ。何度も言っているわよね。急に走りだして転んだりしたらどうするの。あたくしのペットならそれくらいできるようになりなさいな」
「ふぇぇん……おねぇさまぁ」
大粒の涙を浮かべる姿はとても愛らしくて可哀そうだが、菊花にはどうすることもできない。だって、小猫が赤い少女のペットなら、菊花はヴィンセントのペットだった。
「あらあら。ダメよ、ロゼリッタちゃん、小さい子には優しくしないと」
「だって、言うことを聞かないんだもの」
むすっと頬を膨らませたロゼリッタ・ルペウス女公爵。
美しい若き女公爵を嗜めるのは、衰えてなお美貌を保つエリザベス・ぺディート女公爵だ。
「もう、こぉんなに小さいのに十一歳なんですって。あたくしが十一の頃は、テーブルマナーもお茶のお作法も完璧でしたのよ? なのにキティったら、マナーなんてあってないようなもので、好き嫌いが激しいから大きくなれないのよ」
ぷんぷん、と可愛らしく怒っているが、それがエリザベスにだけ見せる顔だと言うのを知っているヴィンセントは苦虫を噛み潰した。
「うふふ、あんまり怒ってはせっかくの可愛いお顔が台無しよ」
「……怒ったあたくしはブサイク?」
「まさか! どんなロゼリッタちゃんも可愛いわ」
エリザベスのたった一言で一喜一憂するロゼリッタ。
ヴィンセントは早くこの地獄のお茶会から脱したかった。せっかくの休日なのだから、菊花とショッピングデートでもしていたほうが有意義な時間の使い方のような気もする。
「遅れて申し訳ありません。ぺディート女公爵、ルペウス女公爵」
「いいのよ。来てくれて嬉しいわ。ヴィンセント君も忙しいのに、こんなおばあちゃんに付き合わせてごめんなさいね」
「いえ、女公爵と共にテーブルを囲めることを光栄に思います」
にっこりと、微笑むエリザベスに進められて席に着く。
――用意された椅子は三つ。エリザベスとロゼリッタ、そしてヴィンセントの分だ。
小猫の分はもちろん、菊花が座る椅子もなければ用意されるティーカップもない。
小猫はロゼリッタの足元にまとわりついているが、菊花もそうするわけにはいかず、大人しくヴィンセントの後ろに控えて立った。
「それじゃあまず、その子たちを紹介してもらってもいいかしら?」
ぱちん、と両手を合わせたエリザベスに嘆息する。今日のお茶会の本題と言っても過言ではなかった。
「ルペウス女公爵、お先にどうぞ」
「キティ、エリザベス様にご挨拶なさい」
「はい!」
ぴょこんっ、と芝生から立ち上がった小猫は、最後に別れたときよりも元気そうに見えた。
頬もふっくらしており、精神も健やかに見える。
「小猫です! ロゼさまのお世話になっています! 十一歳です! 甘い物と、お絵かきが大好きです!」
ふんす、と言い切った異母妹は「誉めて褒めて!」とばかりにロゼリッタを振り返る。
随分と懐いているが、反抗して酷い目に合うよりずっとよかった。ペットでもなんでも、可愛がられているのならそれでいい。
指先で顎下をくすぐられる小猫は本当にペット扱いだった。
「可愛らしい子猫ちゃんね。妹が欲しいと言っていたロゼリッタちゃんにはぴったりだわ」
「ちょっと、いえ、かなりお転婆なんですのよ。目を離したらすぐに木を登ろうとするし、手を離せば走り出していくし」
はぁ、と疲れた溜め息を吐き出したロゼリッタだが、その声音は弾んでいる。ロゼリッタなりに気に入っているのだ。
「甘い物が好きだなのね。あとでケーキを食べさせてあげるわね」
「え、エリザベス様、あんまり甘やかされては困りますわ」
「大丈夫よ、ロゼリッタちゃんもちゃんと甘やかしてあげるから」
「そ、それなら、いいですわ」
それでいいわけないだろうが。
喉先まで出かかった言葉は飲み込んだ。この二人の関係に首を突っ込むほど野暮じゃない。藪をつついて蛇が出てきたら敵わなかった。
「それじゃあ次は――ヴィンセント君の美しい人について教えてくれる?」
理智深いペリドットの瞳に射抜かれる。
「菊花。挨拶を」
「はい。お初にお目にかかります。菊花と申します。そこにおります小猫とは腹違いの姉妹でございます」
思わず、吐息が零れる美しい所作。付け焼き刃とは思えない挨拶に、ロゼリッタは眉根を釣り上げる。
こんな美しい少女が、こんないけ好かない冷徹男のモノだなんて信じられない。
少しでも不満を抱いているようなら、うちに引き取ってしまおうかしら、と口を開こうとしたロゼリッタは、次の瞬間、己の目を疑った。
「――上手だよ、菊花」
あの、あの冷血冷徹無感情男が笑みを浮かべて少女のことを褒めた。扇で顔を隠していなければ間抜け面を晒すことになっていた。
手のひらを伸ばせば、菊花がそれに頬を寄せてすり寄っている。――上手く懐柔したものだ。
さすがのエリザベスも、これには驚いた。
「……可憐で、美しいお嬢さんだわ。その子が噂の『グウェンデル伯爵の蒼い御令嬢』ね。ヴィンセント君が大事にする気持ちもわかるわ」
長い人生で、たくさんの子供たちを見てきた。
亡き夫との間に子は恵まれなかったが、慕ってくれる子供たちがたくさんいる。ヴィンセントが自身を苦手に思っているのには気付いていたけれど、可愛がるのに理由なんてない。
不愛想だけど可愛いこの子が、大切に想える宝物を見つけたのなら素直にその気持ちを応援したかった。
「それじゃあ、わたくしの番ね。お客様が来ると言ったら、あの子たち、恥ずかしがって隠れてしまったのよ。今呼ぶからすこぉし待って頂戴ね」
テーブルに置かれていた呼び鈴を、ゆっくり三回鳴らした。
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