いつか思い出して泣いてしまうのなら

キズキ七星

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そう、初めの頃の君は星でしかなかった

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 僕がこれまでに保存した二つの記憶の値段は、総額三千円だった。個人にとっては大切な記憶でも、他人にとっちゃそれだけの価値しかないのだと思い知った。僕の記憶はたった三千円の価値しかないのだと。
「ごめんなぁ、兄ちゃん。俺が思ってたより随分と安くなっちまった」
「いえ、こんなもんかと納得しました」
「ん、そうかい。そんで、売るか?」
 僕は少し迷った。記憶を消したいと思って保存したのは良いが、いざ手放すとなると決心がつかないものだ。
「少し考えさせてください」
 僕はそう言い放った。しかし、男の顔は怪訝そうであった。
「なぁ、兄ちゃん。あんたの記憶を売るためにここまで来たんだろう。俺も相手の人と交渉までしてやったんだぜ。ここで売らねぇってなると、俺の株も下がるってもんよ」
 男の顔は怒りを少し覚えていた。
「すみません。分かりました、売ります」
 そう言った僕はカプセルを手放した。


 二十五年六月十一日。交際を始めてから最初のデートの日。ファッションに興味のなかった僕は目に付いた服を纏い、大学へ向かった。無事、講義を受け終え、美咲に連絡をする。
「終わったよ。今から向かうね」
 この日、彼女は講義が無く、自宅から来るとのことで駅を集合場所にした。早めに到着した僕は二人分の水を買って彼女を待つことにした。
「もう着きます」
 美咲から連絡が来て、人生初めてのデートであるかのように徐々に緊張を感じた。
 一つ歳下の彼女は、三つ編みのツインテールに黒と白の水玉の柄が付いたTシャツ、ベージュのズボンを着ていた。可愛くて仕方がなかった。僕は平然を装い、可愛いね、と言ってから二人でバス停へ向かった。
 大型ショッピングモールには夕方の五時に到着した。彼女が「プリクラを撮りたい」と言うのでやって来たのだ。まずはブラブラ適当に歩き、服や鞄を見て、ゲームセンターへ向かった。プリクラなんて久しぶりにも程があったし、彼女と狭い部屋ってだけで心臓が飛び出しそうだった。
 慣れてますよ、みたいな顔をしながらプリクラを撮り終え、落書き部屋に入り写真に写る自分の顔を見ると、どう見ても緊張しているのが分かった。
「緊張しました」そう彼女は呟いた。
「そうだね。僕もめっちゃ緊張した」
 まだ交際して間もない僕たちは、話題を探すのに必死だった。
 まだ時間に余裕があったので、フードコートのタピオカを飲むことになり、先輩兼彼氏面をしたかった僕は、「奢るよ」と言った。たった数百円だが、格好つけたかったのだ。いざ会計の時になり、一人分しかお金がないことに気が付き、ダサい状況に置かれている自分を恥じた。自分の分のタピオカはキャンセルし、彼女の分だけを買った。テーブルで待つ彼女の写真を一枚撮ってから、タピオカを渡す。
「あれ、先輩の分は?」
きょとんとした顔の彼女が尋ねた。
「ダサいことに一人分しかお金を持ってなくて」
 そう正直に言うと、彼女は立ち上がり「買ってきます」と言った。「大丈夫だよ」と言う僕を横目に彼女は店へ向かい、注文をし、会計を済ませ帰ってきた。
「はいどうぞ。奢りです」
 その時の彼女の笑顔は忘れられない。こんなにも可愛い生き物がいるのかと思った。しかし、そう思っただけであった。好きだなぁ、とはならなかったのだ。つい三ヶ月程前まで、友人に「死んだ魚みたいな目をしてる」「幸が薄いぞ」と言われるまでに黒いオーラを放っていた僕は、自分が人を心から好きになれるとは思っていなかったのだ。この時の僕は、[彼女]という肩書きを持つ存在の隣にいる[彼氏]でしかなかった。幾千万ある星の中を彷徨う、実態のない何かでしかなかったのだ。


 こめかみからコードを抜き、日付の書かれたカプセルをテーブルの上に置いた。涼しい秋風が部屋のカーテンを靡かせ、僕に優しく語りかけているようだった。

「泣かないで」
 僕の頬には一粒の雫が滴っていた。


 残業で疲れていた僕は、家に帰ると夕飯を食べるのを忘れ、すぐに布団に潜った。間もなく、夢に沈んだ。
 睡眠を激しく遮るインターホンの音で、僕は目を覚ました。モニターを見ると、警察官らしき男が二人立っていた。
 ドアを開けると、「すみません」と背の高い方の男が言った。
「何の用ですか」
「早朝に申し訳ありません。単刀直入に言うと、あなた、記憶を売りましたか」
 一般化した行為では無いと思っていたが、警察は知っていたようだ。
「それが何か」
「あなたが売った記憶はいくらでしたか」
「三千円です」
「それは確かですか」
 何か良くないことでもあったのか。それとも、僕の行為自体が良くないことであったのか。
「確かです。手渡しで受け取りました。領収書なんてものは無いですが」
「そうですか。いやぁ、あなたが記憶を売る際に膨大な額が発生した情報が入ってきたので」
「知りませんが。それはダメなことなんですか」
「まず第一に、記憶を売る行為自体が良い事とは言えませんね。実際、記憶の売買に関わっていた人物たちは逮捕されている状況です」
「では、僕を逮捕するんですか」
「いえ、あなたは逮捕しません。訳あって、私には逮捕することができません。理由は言えませんが」
「そうですか。聞きたいところではありますが」
 すると、背の低い仏頂面の方の男が、背の高い男に話しかけた。
「角田さん。俺はこいつを逮捕するべきだと思います」
 角田?今この人の事を角田と言ったか?
 ありふれた名前ではないその名字を聞けば、可能性を考えないことなど出来なかった。角田という男は、見覚えのある横目で僕を見た。
                      続
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