いつか思い出して泣いてしまうのなら

キズキ七星

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愛を貫く時、そこに嘘がある場合もある

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 リビングのテーブルの上に一枚の紙切れが置いてあった。

——幸せだよ。

 たった一言、それだけ書いてあった。僕は何も聞いていないのに、彼女は答えをくれていた。僕はその紙切れを手に取り、何度も読んだ。たった四文字の最後の言葉を僕は忘れまいと読んだ。しかし、僕は泣くことが出来なかった。愛している、と言えば嘘にはなるが、愛していない、と言えば嘘になる。そんな曖昧な気持ちのまま彼女を殺してしまった。僕が殺したも当然だった。過去の幸せに囚われるが故に、目の前の幸せを疎かにした結果だった。僕は何も言葉に出来ず、ただ、目の前でぶら下がっている皐月を見つめていることしか出来なかった。

 ゆっくりと皐月を降ろしてやり、ソファに寝かせてやった。僕が殺した。生きているか死んでいるかも分からない、これから先会うことがあるかどうかも分からない元恋人との記憶に囚われ、僕は婚約者を苦しめていた。そんなことに気づけない僕は、さらに自分のことが嫌いになった。特に恐れてもいなかったことが突然発生すると、こんなにも恐ろしいものなのだ。
 僕は思い出したように、皐月の息を返す方法を調べ、実行した。意味はないかもしれないが、出来る限りのことをした。それから救急車を呼び、待つ間に色々試した。十分後に救急隊が到着し、彼女を病院へ運んでいった。救急隊の質問には何も答えることが出来ず、僕は皐月の顔を見つめていただけだった。もっと愛してあげれば良かった、とは思わないが、もっと愛しているふりくらいは出来たのではないか。素っ気ない態度ばかりの僕を、静かに受け入れてくれていた皐月が今更ながらに恋しくなってしまっていた。


 二十五年七月十五日。美咲が行きたいと言った名古屋の花火大会の日。祝日なのに講義がある僕は、四限が終わると急いで帰宅し、バスに乗り込み、美咲が待つ名古屋駅へ向かった。待ち合わせ場所で先に待っていた彼女は、いつもは白か黒の服が多いのだが、ピンクの服を着ていた。
「珍しいね、ピンクの服なんて。可愛い」
「ちょっといつもと違う服着てみた」
「うん、可愛い」
 珍しくイヤリングもしていて、髪は団子結びをしていた。さぞ楽しみだったのだろう。会場に着くと、やはり人の量がすごかった。僕は祭り事が好きではなかったが、彼女の嬉しそうな顔を見ていたら、そんなことはどうでも良くなった。
 蜜柑の缶詰を買った彼女は、美味しさが溢れんばかりの顔をしていた。どこかに座ろう、と開けた場所へ向かい、池の近くに腰を降ろした。彼女の服が汚れないようにハンカチを敷いてあげ、丈の短いスカートを履いていたため、自分が着ていた羽織りを彼女の膝にかけてあげた。過保護すぎ、と言われたが、恋人は甘やかすものだ。
 はぐれないように手を繋ぎ、人混みの中を進んだ。屋台が目に入り、少しメニューを見ている間に彼女が姿を消していた。僕は血の気が引き、必死に探したが見つからない。電話をしても出ない。全く生きた心地がしなかったが、考えすぎだろうとも思った。しかし、冷静になろうとすればするほど、逆に彼女に何かあったのではないかという気持ちが強まって鳥肌が立った。彼女も移動しているかもしれないと思い、近くの屋台の辺りを何周も何周も走った。電話は一向に応答する気配がない。ふと、ピンクの服の女の子が視界に入った。全力で近くに行ったが、彼女ではなかった。僕は涙目になりながら探し続け、はぐれたことに気付いた場所へと戻った。心を落ち着かせ、ゆっくりと辺りを見回した。すると、フライドポテトの屋台の行列に、メニューを真剣に見つめる彼女を見つけた。僕は汗を拭いてから彼女の元へ向かった。
「何かあったのかと思っただろ」
「何が?」
「急にいなくなったら心配するだろ。連絡くらいしなさい」
「そんな事ないって。心配しすぎ」
「しないわけないだろ。いい加減にしろ」
 少し言い過ぎたかもしれない。しかし、暗い中探すのは本当に困難であった。
「ごめん、気をつける」
 彼女がシュンとしてしまった。
「えと、それで?何を買うの?」
 僕たちは辛そうなフライドポテトとねじれたフライドポテトの二つを購入し、無事彼女が「おいしい」と嬉しそうな顔をしてくれたので一安心した。
 花火が打ち上がり、僕たちはさほど混雑しない場所で見ることが出来た。終了する少し前に駅の近くに移動し、誰もいない駐車場で二人きりで花火を見ることも出来た。あいにく雨が降ってきていたのだが、彼女はそれでも楽しそうで、僕はとても幸せだった。
 帰り道、物凄い人混みの中で僕の腕にしがみついていた彼女の胸が当たっていて嬉しかったことは、彼女には悟られないようにしていた。

 【メモリア】を抜き取り、カプセルをしまう。徐々に僕の中から記憶が減っていっていた。これで三つの記憶を取り出した。全部を取り出すとなると、まだまだ時間がかかりそうだ。何せ一つ記憶を取り出す度に、あまりに辛いからだ。記憶を消したくない気持ちと、消さなければ前に進めない気持ちがぶつかり合い、何とも言い切れぬ思いにボコボコにされる。
 突然電話が鳴った。病院からだった。
「遠島皐月さんの彼氏さんですか」
「はい」
「奇跡的に意識を取り戻しました。遠島さんがあなたを呼んでいます。来てくださいますか?」
「分かりました」

 今度こそ、愛しているふりを貫かなければ。
                      続
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