ピアノの地縛霊は今日も間違っている

青によし

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第6章①

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 当たり前に続くと思っていた日常が、当たり前に続くとは限らない。形あるものは時間と共に有りようを変えていくのだ。奏子さんが変わらない存在だからといって、奏子さんが縛られているピアノが変わらないなんて保証はないのに。

「珠樹、連絡ありがとう」

 俺はピアノのある大学の最寄駅ではなく、ターミナル駅で珠樹と会っていた。珠樹には何でわざわざこの駅なんだと不思議がられたが、まだ奏子さんに会う勇気が出なかったから別の駅にしたのだ。

「ありがとうって文晶が言うってことは、なんだかんだであのストピのこと気にしてるってことだよな。良かった、安心したよ。てっきり本気でもう興味がなくなったのかと思った」

 珠樹がほっとしたように笑った。頼んでないとはいえ心配してくれていたのだなと、ちょっとだけ申し訳なく思う。それに珠樹が連絡してくれなかったら、気付かぬうちにピアノは撤去されていたかもしれない。

「撤去はもう決定なのか? それともそういう話が出てるってだけ?」
「決定だって。貼り紙がしてあった」

 ほら、とスマホで撮った画像を見せてきた。確かに『撤去のお知らせ』とあって、一ヶ月後の日付が書かれている。

「なんで撤去することになったのか理由は知ってるか?」
「んーそこまでは分からない。でもまぁ最近こそ弾きに来る人が増えたとはいえ、多くの人はこのターミナル駅のストピの方に来るし。弾く人が少ないなら管理費もかかるし撤去しようってところかもな」

 確かに動画がアップされる前は、俺以外弾いている人をほぼ見たことがなかった。そんな状態のピアノに対して当番で鍵の開け閉めや清掃をさせ、定期的にピアノのメンテもして……と考えると、無駄だと切り捨てられても仕方ない状態かもしれない。

 だが、そうだと分かっていても簡単に飲み込めることじゃない。だって、奏子さんはどうなるのだ。ピアノから離れられない奏子さんは、撤去されたら駅からいなくなってしまうのだ。俺以外とは交流できないとはいえ、それでも弾きに来てくれる人達のことを楽しそうに彼女は見ていた。それを奪うのか? 独りぼっちにさせるのか?

「なんとか撤去を回避できないかな」

 俺はぽつりと願いをこぼしていた。

「お、急に前向きになったじゃん」
「こっちにもいろいろあるんだよ。やっぱり撤去は駄目だと思う」
「そうだよな。せっかく人が集まりだして良い感じになってきたって時だし。もう少し様子見てくれって頼んだら、ワンチャン回避できるかも」

 珠樹が身を乗り出した。

「じゃあ、管理会社に言いに行けばいいのかな」
「んーよく分からないけど、そうじゃね。ただ俺たち二人だけで言いに行っても相手にされないだろうから、嘆願の署名をある程度集めた方がいいな。これだけの人がこのピアノを必要だと思ってるって伝わるだろ?」

 珠樹がすらすらと提案してくる。

「珠樹、お前以外と頭良いな」
「はぁ? これくらい普通に考えれば分かるだろ。思いつかない文晶がバカなだけ」

 珠樹の言い様にカチンも来るも何も言い返す言葉が浮かばない。悔しいがこの件に関しては認めるしかなさそうだ。

「はいはい、バカは俺ですよ。でも確かにただ撤去は止めてくれって駄々をこねられても、管理会社の方も困るだろうしな」
「じゃあ、俺はSNSを使って署名を呼びかけてみるよ。WEB上で集めると同時に現地でも集めよう。明日は学校終わったらストピ集合な」

 珠樹はあっという間にやるべきことを決めると、俺に向かってニカッと笑った。この行動力は素直にすごいと思う。認めるのは悔しい気もするが…… 自分には出来ないことなのでちょっと憧れてしまう。




 ピアノには行かない方が良いのではと迷っていたし、どんな顔して奏子さんにあって良いのか分からないと日和っていた。だけど、もうそんな場合じゃない。俺の些細な葛藤などどうでもいいのだ。

「久しぶりです、奏子さん」

 ピアノの側面にもたれかかっていた奏子さんに声をかけた。ピクリと動いたが、顔はこちらを見てくれない。まだ怒っているのだろうか。

「この前は、酷いことを言ってすみませんでした。傷つけましたよね」
「違う!」

 奏子さんがキッと睨みあげてきたかと思うと、つかつかと近寄ってきた。

「なんでずっと来なかった。寂しかったじゃないか」
「……寂しかった…………の?」

 え、なにそれ。ちょっと可愛いって思ってしまった。

「あんなのただの口喧嘩だろ。それなのに本当に来ないなんて。ふみ君のくせに生意気だ」

 つまり奏子さんが問題にしているのは俺の発言ではなく、俺が来なかったってことらしい。

「ご、ごめんなさい」
「反省してるか?」
「はい、してます」
「本当に?」
「本当です」
「…………なら許す」
「あ、ありがとうございます」

 何だろう。久しぶりに会った奏子さんは怒っているんじゃなくて、拗ねていただけだったようだ。

 怒っていたらどうしよう、祟られるかもとか心配もしていたのだけれど。そんな心配は無用すぎたし、拗ねている奏子さんを見て、もっと早く会いに来るべきだったと思った。ごちゃごちゃと心配しすぎるのは俺の悪い癖だ。

「奏子さん、このピアノのこと聞きました」

 奏子さんはすっと寂しそうな目線をピアノに投げかけた。

「うん。撤去されるんだってな」
「俺、ここにくれば奏子さんとはいつでも会えるって思ってて、その状況に甘えてました。奏子さんに謝らなきゃって思いつつもぐだぐだと言い訳して後回しにして……」
「そういうものだ。無くなって初めて気がつく。私だって……もっと、もっといろんな曲を弾いていけるんだと思っていた。でも、私の時はもう止まってしまったから」

 奏子さんがどんな風に命を終えたのかは知らない。でも、この姿のまま時が止まっているのだから若くして亡くなったのは確かだ。やりたいこともたくさんあっただろう。

 奏子さんが新しく弾けるようになれなくても、ピアノを弾くに来る人達と一緒に弾いたことのない曲を一緒に楽しめたら良い。そう思うのだ。だからこそ、ピアノはこの場所にあるべきだ。

「俺、珠樹と一緒にこのストリートピアノを存続してくれるように管理会社に掛け合ってみようと思ってるんです」
「そうか。だが、恐らく無理だと思う」
「なんで諦めちゃうんですか。このピアノが撤去後にどう扱われるか分からないですけど、少なくともこの駅で会うことは出来なくなっちゃうんですよ。例え奏子さんの姿が見えていなくても、奏子さんはみんなが来てくれて嬉しいって言ってたじゃないですか」
「えぇ……ふみ君どうしたんだ? 急に血気盛んになってしまって」

 奏子さんが目を丸くしている。自分でもちょっと熱くなっている自覚はあるが、いざ指摘されると妙に恥ずかしくなってきた。

「……たまには、そういうときもあるってだけです」

 俺はよほどの未練が発生しない限りいずれ死んでいなくなる。じゃあ永遠を過ごす奏子さんは取り残されて孤独な時を過ごすのか。ならば、見えていなくても人々に囲まれていて欲しいって思ったのだ。せめて孤独であって欲しくない。

「ふうん。まぁいいや。せっかくだしピアノを弾こう」

 奏子さんに手を引かれる。相変わらず温かみはない手だけれど、彼女に触れられることはちょっとした奇跡なのかもしれないと思ってしまった。

「今日は俺が奏子さんにリクエストしていいですか」
「え、珍しい」
「たまには奏子さんの本気を聞いてみたいなと思って。前に英ポロ弾いてくれたじゃないですか。別のも聞いてみたいなって」
「確かにふみ君の前であまり他の曲って弾いてないな。久しぶりだし弾けるかなぁ」

 いや、良くも悪くも時がとまってるんだから絶対に弾けると思うけど。ただ余計なことは言わないが吉だ。

「じゃあ、私が弾きたくて一番練習した曲を弾こうかな」

 奏子さんは椅子に座ると、背筋を伸ばしてピアノの鍵盤をそっと撫でた。まるでピアノが恋人のように見えた。その優しい愛撫が止まると、奏子さんは改めて鍵盤の上に指を置く。

 すっと息を吸う微かな音、刹那、ピアニッシモでピアノが語り出す。もの悲しげな旋律がすうっと染みこんでくるようだ。

 リストの代表曲ともいえる『ラ・カンパネラ』だ。オクターブで上下する音に手の小さな人は届かない場合もある難曲。テクニックが必要な超絶技巧の曲と言われるが、それだけではない。乱高下する音に心が乱される、不安定で寂しげな雰囲気が漂う。でもそれ故に美しいのだ。悲しさ寂しさの中にピンと張った糸が、儚い旋律を醸し出す。その美しさを奏子さんは惜しげもなく奏で上げていた。


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