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第6章④
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「若狭。全然戻ってこないと思ったら、まだ追い返してなかったのか」
突如、恰幅の良い中年の男性がミーティングスペースをのぞき込んできた。
「部長! ええと、もうすぐ戻りますから」
若狭さんが頭をポリポリと掻きながら、困ったように返した。
「まったくお前は使えない奴だな」
吐き捨てるように部長と呼ばれた男性が近寄ってくる。偉い人が出て来たぞと、俺と珠樹は慌てて立ち上がり頭を下げる。
「若狭がハッキリ言わないから居座るんだろうが」
「ははっ、すみません。つい話聞いちゃって」
若狭さんは悪くないのに謝っていた。飄々としていてあまり申し訳なさそうにはしていないけれど。でも、どう考えても俺たちのせいでとばっちりを受けているのは確かだ。
「あの、若狭さんにも無理だと説明はされました。でも俺たちが食い下がっていたんです。どうしてもピアノの設置を続けてもらいたくて」
珠樹が部長をいさめるように、必死に言いつのる。
「君たちは学生だから、こんなお遊びに必死になっているだけだ。社会人になればきっと分かる、もっと優先すべきことがあると」
「遊びじゃないです。文化貢献の――――」
珠樹が口を開くと、言わせないとばかりに部長が被せてくる。
「そういう青臭いことを言っているうちは、こちらが何を言っても無駄だな。もう帰ってくれ。あのピアノを撤去することは決定事項だ。もしこれ以上口を挟むようなら、今すぐ撤去するぞ」
「まぁまぁ部長、落ち着いて。彼らはまだ学生なんですから仕方ありませんよ」
若狭さんが慌てて部長をたしなめる。
これ以上ここにいては部長を刺激するだけだと思った。下手をしたら本当にすぐ撤去されてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。まだ残されているはずの時間さえ取り上げられてしまうなんて……、俺は奏子さんに何も出来ないまま別れたくない。
「珠樹、帰ろう」
「でも、このままじゃ」
「俺たちは問題を起こしに来た訳じゃないだろ」
俺の言葉に、珠樹はぐっと押し黙った。
俺は部長と若狭さんに向き直る。
「すみませんでした。俺たち帰ります。でも、この署名だけでも受け取ってください」
俺は頭を下げて、テーブルの上の署名の束を指し示す。考えを変えてくれたらそれが一番良いけれど、駄目だとしても、せめてこれだけの人があのピアノのことを求めているのだと伝えたかったから。
「分かった、これだけは受け取ろう」
「ありがとうございます。あと、一つだけ聞いても良いですか」
「はぁ何だ。手短にな」
部長は苛立たしげに睨み付けてくる。だが、これだけは確認しておきたかった。
「あのピアノは、撤去された後どうなるんですか?」
「今のところは倉庫に保管と聞いている。まぁそのうち邪魔になって業者にでも売ると思うがな」
「そう……ですか」
「念押ししておくが、もし余計なことをしたら即撤去だからな」
部長の冷たい言葉で締めくくられて追い返される。俺たちは何の成果も得られずに管理会社を出て行くことになったのだった。
***
「門前払いだったな。もう少し話を聞いてくれると思ってた」
珠樹が目の前でしょげていた。俺たちは駅付近のコーヒーショップに来ている。
「そうだな」
今思えば、若狭さんが出てきた時点で相手にされていなかったのだろう。部長とのやりとりから考えるに、俺たちを追い返すように指示をされていたに違いない。
若狭さんはきっと俺たちが必要以上に嫌な気分にならないよう、諭して帰らせようとしてくれていたのだ。部長が出てきてしまったせいで、その思惑は外れてしまったわけだが。
「若狭さん、いい人すぎて申し訳なくなってきた」
俺はぽつりとこぼす。
「だな。部長に怒られたの、完全に俺たちのせいだもん。てかさ、あの部長ちょっと性格悪すぎじゃね?」
珠樹が頬杖をついてむくれている。
「まぁ若狭さんへの態度は酷いと思ったよ。でも……社会っていうのは、こういう夢や希望だけでは動かないんだなって、俺は妙に納得した」
「どういうことだよ」
テレビとかで人の善意が生んだ感動的な出来事が流れてきたりする。でもそれは、実際に感動的なことが少ないからこそ珍しくて特集されるのだ。世の中、みんなが善意で行動していたらそんな特集など組まれるはずがない。
「つまり、部長さんの俺たちへの態度は仕方ないのかなってこと」
俺たちの立場じゃ、管理会社に対して要望を伝えることしか出来ない。そして、その要望を実現するかどうかは管理会社の勝手だ。実現しなかったからと言って、文句を言う権利はないし、むしろ今までのことを感謝しないといけないのかもしれない。
「じゃあ、もうお手上げってこと?」
珠樹が不服そうに俺を睨んでくる。
「諦めたくはないけど、今のところお手上げだなぁ。だって、下手になんかすると即撤去って言われてるんだぞ」
「そこだよなぁ。あぁもう、ままならない!」
珠樹は髪の毛を自らぐしゃぐしゃとかき回してテーブルに突っ伏してしまった。
俺だって、嫌だってわめきたいのだ。スーパーの床に転がり回ってお菓子をねだる子供のように、自分の主張を大人に通させたい。でも駄々をこねたところで何も変わらないことは分かる。そう、分かる程度にはちゃんと俺は大人だ。社会人から見れば子供なのだろうけど。
これからどうしようか。まだ完璧に希望を捨てきれはしないけれど、その希望はとてもわずかだろう。そこにすがりつくよりも、今ある時間を精一杯有効に活用した方が有効なのではないだろうか。
突如、恰幅の良い中年の男性がミーティングスペースをのぞき込んできた。
「部長! ええと、もうすぐ戻りますから」
若狭さんが頭をポリポリと掻きながら、困ったように返した。
「まったくお前は使えない奴だな」
吐き捨てるように部長と呼ばれた男性が近寄ってくる。偉い人が出て来たぞと、俺と珠樹は慌てて立ち上がり頭を下げる。
「若狭がハッキリ言わないから居座るんだろうが」
「ははっ、すみません。つい話聞いちゃって」
若狭さんは悪くないのに謝っていた。飄々としていてあまり申し訳なさそうにはしていないけれど。でも、どう考えても俺たちのせいでとばっちりを受けているのは確かだ。
「あの、若狭さんにも無理だと説明はされました。でも俺たちが食い下がっていたんです。どうしてもピアノの設置を続けてもらいたくて」
珠樹が部長をいさめるように、必死に言いつのる。
「君たちは学生だから、こんなお遊びに必死になっているだけだ。社会人になればきっと分かる、もっと優先すべきことがあると」
「遊びじゃないです。文化貢献の――――」
珠樹が口を開くと、言わせないとばかりに部長が被せてくる。
「そういう青臭いことを言っているうちは、こちらが何を言っても無駄だな。もう帰ってくれ。あのピアノを撤去することは決定事項だ。もしこれ以上口を挟むようなら、今すぐ撤去するぞ」
「まぁまぁ部長、落ち着いて。彼らはまだ学生なんですから仕方ありませんよ」
若狭さんが慌てて部長をたしなめる。
これ以上ここにいては部長を刺激するだけだと思った。下手をしたら本当にすぐ撤去されてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。まだ残されているはずの時間さえ取り上げられてしまうなんて……、俺は奏子さんに何も出来ないまま別れたくない。
「珠樹、帰ろう」
「でも、このままじゃ」
「俺たちは問題を起こしに来た訳じゃないだろ」
俺の言葉に、珠樹はぐっと押し黙った。
俺は部長と若狭さんに向き直る。
「すみませんでした。俺たち帰ります。でも、この署名だけでも受け取ってください」
俺は頭を下げて、テーブルの上の署名の束を指し示す。考えを変えてくれたらそれが一番良いけれど、駄目だとしても、せめてこれだけの人があのピアノのことを求めているのだと伝えたかったから。
「分かった、これだけは受け取ろう」
「ありがとうございます。あと、一つだけ聞いても良いですか」
「はぁ何だ。手短にな」
部長は苛立たしげに睨み付けてくる。だが、これだけは確認しておきたかった。
「あのピアノは、撤去された後どうなるんですか?」
「今のところは倉庫に保管と聞いている。まぁそのうち邪魔になって業者にでも売ると思うがな」
「そう……ですか」
「念押ししておくが、もし余計なことをしたら即撤去だからな」
部長の冷たい言葉で締めくくられて追い返される。俺たちは何の成果も得られずに管理会社を出て行くことになったのだった。
***
「門前払いだったな。もう少し話を聞いてくれると思ってた」
珠樹が目の前でしょげていた。俺たちは駅付近のコーヒーショップに来ている。
「そうだな」
今思えば、若狭さんが出てきた時点で相手にされていなかったのだろう。部長とのやりとりから考えるに、俺たちを追い返すように指示をされていたに違いない。
若狭さんはきっと俺たちが必要以上に嫌な気分にならないよう、諭して帰らせようとしてくれていたのだ。部長が出てきてしまったせいで、その思惑は外れてしまったわけだが。
「若狭さん、いい人すぎて申し訳なくなってきた」
俺はぽつりとこぼす。
「だな。部長に怒られたの、完全に俺たちのせいだもん。てかさ、あの部長ちょっと性格悪すぎじゃね?」
珠樹が頬杖をついてむくれている。
「まぁ若狭さんへの態度は酷いと思ったよ。でも……社会っていうのは、こういう夢や希望だけでは動かないんだなって、俺は妙に納得した」
「どういうことだよ」
テレビとかで人の善意が生んだ感動的な出来事が流れてきたりする。でもそれは、実際に感動的なことが少ないからこそ珍しくて特集されるのだ。世の中、みんなが善意で行動していたらそんな特集など組まれるはずがない。
「つまり、部長さんの俺たちへの態度は仕方ないのかなってこと」
俺たちの立場じゃ、管理会社に対して要望を伝えることしか出来ない。そして、その要望を実現するかどうかは管理会社の勝手だ。実現しなかったからと言って、文句を言う権利はないし、むしろ今までのことを感謝しないといけないのかもしれない。
「じゃあ、もうお手上げってこと?」
珠樹が不服そうに俺を睨んでくる。
「諦めたくはないけど、今のところお手上げだなぁ。だって、下手になんかすると即撤去って言われてるんだぞ」
「そこだよなぁ。あぁもう、ままならない!」
珠樹は髪の毛を自らぐしゃぐしゃとかき回してテーブルに突っ伏してしまった。
俺だって、嫌だってわめきたいのだ。スーパーの床に転がり回ってお菓子をねだる子供のように、自分の主張を大人に通させたい。でも駄々をこねたところで何も変わらないことは分かる。そう、分かる程度にはちゃんと俺は大人だ。社会人から見れば子供なのだろうけど。
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