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第8章④
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ピアノへの未練がキーとなって奏子さんと俺は縁づいた。十和は俺が奏子さんに連れて行かれると忠告してくる。それは怖いと俺は単純に思っていたけれど、それは逆も言えるのではないだろうか。俺が前向きに取り組めば、もし奏子さんが怨霊化の方に傾きそうだったとしてもこちらに引き寄せられると思うのだ。
「さぁ、次がラストの曲となります。このピアノを有名にした立役者、文晶です!」
珠樹からの紹介をうけて、俺は一礼をした。奏子さんも一緒になって頭を軽く下げる。
温かい拍手を背に受けながら俺は椅子の左側に、奏子さんは右側に座った。奏子さんの腕が軽く当たる。
俺は弾き始める前に、奏子さんに伝えたかったことを話し始める。
「俺は奏子さんに出会ったおかげで自分の未練に気がつくことが出来ました。すごく感謝してます。でも、俺は奏子さんの未練がなんなのか具体的には分かりません。これかなって思うことはあっても、本当のところは奏子さんにしか分からないんです。だから、俺には奏子さんの未練を無くすことは出来ません。その代わり、感謝を込めて奏子さんに楽しいピアノの時間をプレゼントしたいと思います」
俺に出来ることはピアノを弾くことしかないから。
「ふみ君……うん、楽しもう」
奏子さんの嬉しそうな声に頷くと、一緒に鍵盤に指を置く。そして、すっと息を吸いイントロを奏で始めた。
俺は左手でコードを、右手でメロディーを弾く。そこに奏子さんがアルペジオを単音で入れる。シンプルだった曲が装飾されて賑やかになっていく。あぁ、これが俺だけしか聞こえないなんてもったいない。そう思っていると、視界の端に珠樹の姿が入り込む。何故か鍵盤を凝視しているではないか。そしてしきりに首をひねっていた。あいつ、何してんだよ。ラストの曲なんだ、ちゃんと聞いてくれ。
「ふみ君、もっと派手にしてしまおうか。手が当たるかもしれないけど、そのまま弾き続けてくれよ」
奏子さんが俺の耳元で喋る。くすぐったさを紛らわすように、俺は激しく二回頷いた。
奏子さんのアルペジオが重音になり、メロディーのハモり旋律も入れ始めた。一人では奏でることが出来ない、たくさんの音が重なっていく。あぁ、なんて心地よいのだろうか。
そのとき、また頭の中に映像が流れ込んできた。これは、きっと奏子さんの記憶。見たら絶対怒るに違いない。そう分かっていても勝手に見えてしまうので俺にはどうすることも出来ない。それに、怒られたとしても見たいと思ってしまった。奏子さんのことを、俺はもっと知りたいんだ。
『結婚式でお祝いに一曲弾いても良いかな』
奏子さんの声が聞こえた。相手は妹の松永さんだ。松永さんはなんとも言えない、微妙な表情をしている。きっと奏子さんの申し出をどう受け取るべきかはかりかねているのだろう。
『ゆきちゃんの好きな、あの映画の曲にしようと思うんだが』
少し困ったような声で奏子さんが続ける。
『……姉さんがいいなら、その、お願いします』
松永さんは断るのも角が立つと思ったようで、表情は硬いが了承していた。
そうか、奏子さんがずっと弾いていたあの洋楽は、妹の結婚式で弾こうとしていた曲なんだ。でも、きっと弾く前に奏子さんは死んでしまった。
映像の中で奏子さんはあの洋楽を練習していた。でも手を止めて考え込む時間が多い。
『私って最低だ。みんなに気を遣わせてる……』
ぽつりとつぶやく声が聞こえた。
『ピアノを弾いている方が楽しいのだから仕方ない……か。婚約がなくなって当然だ』
奏子さんはピアノの白鍵をポーンと鳴らす。
『ゆきちゃんと健司さんが好き合って結婚するなら、強がりではなく、心の底から祝いたいって思っているのに』
切なそうに奏子さんは窓の外を見る。そこには妹と元婚約者が庭を散策していた。
松永さんは奏子さんに恨まれていると思っていて、ずっと苦しんでいた。でも、奏子さんはどうやら恨んでなどいない。それどころか、妹に気を遣わせていることを申し訳なく思っていたみたいだ。見事にすれ違っている。
もどかしいなと俺は思った。
場面が急に変わる。大きなホテルから公道に出て行く奏子さんと松永さん。他にも数人いるけれど、二人の先を歩いている。姉妹がなんとなく最後尾で並んでいた。
『姉さん、今更だけど本当に良かったの?』
『良いに決まってるじゃないか。好きな人同士が結婚するんだぞ』
『でも、本音では私のことをうら――――』
『危ないっ』
轟音と共に車が迫ってきた瞬間、奏子さんが松永さんの腕を掴んで強く引っ張った。その反動で奏子さんは逆に車道側へと飛び出てしまう。
奏子さんが最後に何かを言ったが、クラクショがけたたましく鳴り響いて、その声をかき消してしまう。でも、奏子さんを通してこれを見ている俺には聞こえた。
『ゆきちゃん、苦しませてごめん』
まさにトラックにぶつかる瞬間、奏子さんは微笑んだ。
『生きて』
それはまさに、姉として妹を守れたことへの安堵の笑みだった。
俺は横にいるはずの奏子さんを見た。奏子さんは泣いていた。
「私、妹を守って死んだんだ」
奏子さんの泣き顔は誇らしげだった。
松永さんが恨まれているなんて言っていたのは全部思い込み。だけど、その誤解を解けないまま今に至っている。もしかして……これが奏子さんの解決すべき未練なのか。
奏子さんはちゃんと二人を祝福してると伝えたかった。そのために結婚式で曲を弾きたいと願ったのだ。だからこそ、そのまえに事故死してしまい中途半端に人生を終えてしまったことに、強い未練が残ってしまったのだ。
曲が進み、もうラストのサビだ。あと少しで曲も終わってしまう。こんな大切な想いを込めた曲だったのだ。最後まで丁寧に大切に弾かなくては。
俺は奏子さんを見る。奏子さんも俺を見た。お互いに小さく頷き、最後のサビを全力で奏でる。夢中になって弾くから手がぶつかってしまった。でも、そんなことすら気にならない。次は奏子さんはこう弾きたいんじゃないかなって思って、あえてオクターブ下に移動すると、予想通りに奏子さんがその場所の鍵盤を綺麗に下がってくる。すごく楽しい。こんな時間がもっと続けば良い――――。
俺は大きな拍手にハッと我に返った。振り向くと拍手しながら涙を浮かべている人すらいるではないか。
「素晴らしい演奏でしたね! ラストを締めるにふさわしい」
珠樹が感極まったように目尻を拭いながら言う。
俺はふとさっきまで触れている感覚があった肩に、何も感じないことに気付く。ひやっとしたものが体を駆け抜ける。奏子さんがいない。
俺は立ち上がり奏子さんの姿を探す。すると、奏子さんの後ろ姿を発見した。ピアノから少し離れて観客の方を見つめていた。安堵のあまり思わず膝に手をつく。すると、それが曲終わりのお辞儀にみえたらしくさらに拍手が大きくなった。
「みなさん、お忙しいなか来ていただき、また足を止めていただいてありがとうございました! これにて演奏会は終了しますが、明日の撤去まではまだこのピアノはあります。良ければみなさん、弾いていってください」
珠樹が締めの言葉を述べて、深々と頭を下げた。俺もならって再び頭を下げる。足を止めていた人達がばらけていき、取り残された二人組を発見した。何とも予想外の二人で、俺は目を見開く。そこには松永さんと若狭さんがいたのだ。
なんで二人がここにいるのだろうか。確かに若狭さんには演奏会の許可の取り次ぎをしてもらったから日時は知っているだろう。だけど、まさか松永さんを連れてくるとは思いもしなかった。だって、松永さんはもうこのピアノに関わりたくないような口ぶりだったから。
若狭さんに珠樹が話しかけに行ったので、松永さんがゆっくりとこちらに歩いてくる。そして、俺の目の前で止まった。
余計なお世話かもしれない。信用されなくて、気味悪がられるかもしれない。頭の片隅ではそう思いつつ、俺は二人の仲をどうにか取り持ちたいと思った。
「聞きに来てくれたんですね」
俺は松永さんに軽く頭を下げる。
「……笑わないでほしいのだけど……姉がいたの」
松永さんは唖然とした表情を浮かべたまま、ピアノの鍵盤を見つめていた。
「見えたんですか?」
俺の言葉に、松永さんはピアノから視線をこちらに向けた。
「見えたって……あなた、もしかして」
「奏子さんはいます。ここにいるんです。あなたのことを心配していたんです」
いつのまにか奏子さんは俺の横に戻っていた。
「ゆきちゃん。ちゃんと伝えられないまま死んで、ごめん」
奏子さんは松永さんに抱きつく。が、すり抜けてしまい、泣きそうな表情を浮かべた。
「さっきの演奏中、不思議なものが見えたわ。まるで夢を見ているようだった。でも、その夢のようなもののなかで、姉が、いてね……私のことを守ってくれてた」
松永さんは顔を覆ってしまう。
「すれ違っていたんですよ。奏子さんは松永さんを恨んでなんかいなかった。だから気に病まないでください。奏子さんはちゃんと二人を祝福していたことを伝えきれずに死んだことを後悔してるんです。今の演奏は、奏子さんの二人への祝福の曲なんですよ」
ちゃんと伝わりました? そんな思いで俺は言葉を紡ぐ。
「卑怯者って、泥棒って、そうなじられるのが怖くて、わざと私の方から遠ざけていた……壁を作って自分だけを守っていた。もっと、もっと早く、姉と腹を割って話せば良かった」
松永さんが涙に濡れた顔を上げた。もう失った時間は戻らない。だけど、少しだけすっきりとしたような、そんな表情だった。
「本当に、このピアノに姉がいたのね」
「はい」
「ありがとう、教えてくれて。可能ならば、健司さんにも聴いてもらいたかったわ」
寂しそうに松永さんは笑った。その微笑みを見て、長年苦しんできた心の葛藤から解き放たれたのだなと思った。
今更かもしれない、だけど、遅すぎることもなかった。だって、松永さんにはちゃんと伝わったのだから。
松永さんは再度感謝の言葉を残し、若狭さんと去って行く。その後ろ姿を奏子さんと一緒に眺めた。
「ふみ君、私も礼を言う。私だけじゃ伝えられなかった。ふみ君がいたから私は心残りだったことを思い出せたし、ゆきちゃんに伝えることが出来た」
「いえ、俺の方こそ奏子さんのおかげでもう一度ピアノと向き合えました」
「そうね、ふみ君のピアノはとっても素敵な音よ。ふみ君はこれからどんなことだってまだ挑戦できる。だから最初から諦めるなんてことしないで欲しい」
奏子さんの体が少しほんのり発光し始めた。これは――――
「……はい」
俺は歯を食いしばって返事をした。
「ふみ君のピアノはふみ君そのもの。私達のために奏でてくれた優しい響きが大好きだよ」
奏子さんは笑った。とても綺麗な笑顔だった。
俺はもう頷くことしか出来なかった。きっと奏子さんは消えてしまう。永遠を過ごすことから解放されるのだ。喜ばしいことなのに、俺は寂しくて消えて欲しくないって思ってしまう。だけど、それを口に出してはいけないから。ぎゅっと口に力を入れて、余計なことを言わないようにする。
「じゃあな、ふみ君」
奏子さんは明るく言うと、松永さんが去った方向へ走って行った。
あぁ、ピアノから離れられない地縛霊だった奏子さんが、どんどん遠くなっていく。駅構内の人混みに紛れ込み、そして見えなくなった。
「安らかに」
俺はそうつぶやくしかない。心の中では寂しくて、未練を昇華しなければまだ一緒にいられたのにと、傲慢な気持ちが渦巻く。でも、怨霊になったり、倉庫で孤独に過ごしたかもしれないことを思えば、やっぱりこれで良かったのだ。
俺は奏子さんから受け取ったことを無駄にしないように、大切に生きていこう。それが奏子さんへ返せる唯一のことだと思うから。
「さぁ、次がラストの曲となります。このピアノを有名にした立役者、文晶です!」
珠樹からの紹介をうけて、俺は一礼をした。奏子さんも一緒になって頭を軽く下げる。
温かい拍手を背に受けながら俺は椅子の左側に、奏子さんは右側に座った。奏子さんの腕が軽く当たる。
俺は弾き始める前に、奏子さんに伝えたかったことを話し始める。
「俺は奏子さんに出会ったおかげで自分の未練に気がつくことが出来ました。すごく感謝してます。でも、俺は奏子さんの未練がなんなのか具体的には分かりません。これかなって思うことはあっても、本当のところは奏子さんにしか分からないんです。だから、俺には奏子さんの未練を無くすことは出来ません。その代わり、感謝を込めて奏子さんに楽しいピアノの時間をプレゼントしたいと思います」
俺に出来ることはピアノを弾くことしかないから。
「ふみ君……うん、楽しもう」
奏子さんの嬉しそうな声に頷くと、一緒に鍵盤に指を置く。そして、すっと息を吸いイントロを奏で始めた。
俺は左手でコードを、右手でメロディーを弾く。そこに奏子さんがアルペジオを単音で入れる。シンプルだった曲が装飾されて賑やかになっていく。あぁ、これが俺だけしか聞こえないなんてもったいない。そう思っていると、視界の端に珠樹の姿が入り込む。何故か鍵盤を凝視しているではないか。そしてしきりに首をひねっていた。あいつ、何してんだよ。ラストの曲なんだ、ちゃんと聞いてくれ。
「ふみ君、もっと派手にしてしまおうか。手が当たるかもしれないけど、そのまま弾き続けてくれよ」
奏子さんが俺の耳元で喋る。くすぐったさを紛らわすように、俺は激しく二回頷いた。
奏子さんのアルペジオが重音になり、メロディーのハモり旋律も入れ始めた。一人では奏でることが出来ない、たくさんの音が重なっていく。あぁ、なんて心地よいのだろうか。
そのとき、また頭の中に映像が流れ込んできた。これは、きっと奏子さんの記憶。見たら絶対怒るに違いない。そう分かっていても勝手に見えてしまうので俺にはどうすることも出来ない。それに、怒られたとしても見たいと思ってしまった。奏子さんのことを、俺はもっと知りたいんだ。
『結婚式でお祝いに一曲弾いても良いかな』
奏子さんの声が聞こえた。相手は妹の松永さんだ。松永さんはなんとも言えない、微妙な表情をしている。きっと奏子さんの申し出をどう受け取るべきかはかりかねているのだろう。
『ゆきちゃんの好きな、あの映画の曲にしようと思うんだが』
少し困ったような声で奏子さんが続ける。
『……姉さんがいいなら、その、お願いします』
松永さんは断るのも角が立つと思ったようで、表情は硬いが了承していた。
そうか、奏子さんがずっと弾いていたあの洋楽は、妹の結婚式で弾こうとしていた曲なんだ。でも、きっと弾く前に奏子さんは死んでしまった。
映像の中で奏子さんはあの洋楽を練習していた。でも手を止めて考え込む時間が多い。
『私って最低だ。みんなに気を遣わせてる……』
ぽつりとつぶやく声が聞こえた。
『ピアノを弾いている方が楽しいのだから仕方ない……か。婚約がなくなって当然だ』
奏子さんはピアノの白鍵をポーンと鳴らす。
『ゆきちゃんと健司さんが好き合って結婚するなら、強がりではなく、心の底から祝いたいって思っているのに』
切なそうに奏子さんは窓の外を見る。そこには妹と元婚約者が庭を散策していた。
松永さんは奏子さんに恨まれていると思っていて、ずっと苦しんでいた。でも、奏子さんはどうやら恨んでなどいない。それどころか、妹に気を遣わせていることを申し訳なく思っていたみたいだ。見事にすれ違っている。
もどかしいなと俺は思った。
場面が急に変わる。大きなホテルから公道に出て行く奏子さんと松永さん。他にも数人いるけれど、二人の先を歩いている。姉妹がなんとなく最後尾で並んでいた。
『姉さん、今更だけど本当に良かったの?』
『良いに決まってるじゃないか。好きな人同士が結婚するんだぞ』
『でも、本音では私のことをうら――――』
『危ないっ』
轟音と共に車が迫ってきた瞬間、奏子さんが松永さんの腕を掴んで強く引っ張った。その反動で奏子さんは逆に車道側へと飛び出てしまう。
奏子さんが最後に何かを言ったが、クラクショがけたたましく鳴り響いて、その声をかき消してしまう。でも、奏子さんを通してこれを見ている俺には聞こえた。
『ゆきちゃん、苦しませてごめん』
まさにトラックにぶつかる瞬間、奏子さんは微笑んだ。
『生きて』
それはまさに、姉として妹を守れたことへの安堵の笑みだった。
俺は横にいるはずの奏子さんを見た。奏子さんは泣いていた。
「私、妹を守って死んだんだ」
奏子さんの泣き顔は誇らしげだった。
松永さんが恨まれているなんて言っていたのは全部思い込み。だけど、その誤解を解けないまま今に至っている。もしかして……これが奏子さんの解決すべき未練なのか。
奏子さんはちゃんと二人を祝福してると伝えたかった。そのために結婚式で曲を弾きたいと願ったのだ。だからこそ、そのまえに事故死してしまい中途半端に人生を終えてしまったことに、強い未練が残ってしまったのだ。
曲が進み、もうラストのサビだ。あと少しで曲も終わってしまう。こんな大切な想いを込めた曲だったのだ。最後まで丁寧に大切に弾かなくては。
俺は奏子さんを見る。奏子さんも俺を見た。お互いに小さく頷き、最後のサビを全力で奏でる。夢中になって弾くから手がぶつかってしまった。でも、そんなことすら気にならない。次は奏子さんはこう弾きたいんじゃないかなって思って、あえてオクターブ下に移動すると、予想通りに奏子さんがその場所の鍵盤を綺麗に下がってくる。すごく楽しい。こんな時間がもっと続けば良い――――。
俺は大きな拍手にハッと我に返った。振り向くと拍手しながら涙を浮かべている人すらいるではないか。
「素晴らしい演奏でしたね! ラストを締めるにふさわしい」
珠樹が感極まったように目尻を拭いながら言う。
俺はふとさっきまで触れている感覚があった肩に、何も感じないことに気付く。ひやっとしたものが体を駆け抜ける。奏子さんがいない。
俺は立ち上がり奏子さんの姿を探す。すると、奏子さんの後ろ姿を発見した。ピアノから少し離れて観客の方を見つめていた。安堵のあまり思わず膝に手をつく。すると、それが曲終わりのお辞儀にみえたらしくさらに拍手が大きくなった。
「みなさん、お忙しいなか来ていただき、また足を止めていただいてありがとうございました! これにて演奏会は終了しますが、明日の撤去まではまだこのピアノはあります。良ければみなさん、弾いていってください」
珠樹が締めの言葉を述べて、深々と頭を下げた。俺もならって再び頭を下げる。足を止めていた人達がばらけていき、取り残された二人組を発見した。何とも予想外の二人で、俺は目を見開く。そこには松永さんと若狭さんがいたのだ。
なんで二人がここにいるのだろうか。確かに若狭さんには演奏会の許可の取り次ぎをしてもらったから日時は知っているだろう。だけど、まさか松永さんを連れてくるとは思いもしなかった。だって、松永さんはもうこのピアノに関わりたくないような口ぶりだったから。
若狭さんに珠樹が話しかけに行ったので、松永さんがゆっくりとこちらに歩いてくる。そして、俺の目の前で止まった。
余計なお世話かもしれない。信用されなくて、気味悪がられるかもしれない。頭の片隅ではそう思いつつ、俺は二人の仲をどうにか取り持ちたいと思った。
「聞きに来てくれたんですね」
俺は松永さんに軽く頭を下げる。
「……笑わないでほしいのだけど……姉がいたの」
松永さんは唖然とした表情を浮かべたまま、ピアノの鍵盤を見つめていた。
「見えたんですか?」
俺の言葉に、松永さんはピアノから視線をこちらに向けた。
「見えたって……あなた、もしかして」
「奏子さんはいます。ここにいるんです。あなたのことを心配していたんです」
いつのまにか奏子さんは俺の横に戻っていた。
「ゆきちゃん。ちゃんと伝えられないまま死んで、ごめん」
奏子さんは松永さんに抱きつく。が、すり抜けてしまい、泣きそうな表情を浮かべた。
「さっきの演奏中、不思議なものが見えたわ。まるで夢を見ているようだった。でも、その夢のようなもののなかで、姉が、いてね……私のことを守ってくれてた」
松永さんは顔を覆ってしまう。
「すれ違っていたんですよ。奏子さんは松永さんを恨んでなんかいなかった。だから気に病まないでください。奏子さんはちゃんと二人を祝福していたことを伝えきれずに死んだことを後悔してるんです。今の演奏は、奏子さんの二人への祝福の曲なんですよ」
ちゃんと伝わりました? そんな思いで俺は言葉を紡ぐ。
「卑怯者って、泥棒って、そうなじられるのが怖くて、わざと私の方から遠ざけていた……壁を作って自分だけを守っていた。もっと、もっと早く、姉と腹を割って話せば良かった」
松永さんが涙に濡れた顔を上げた。もう失った時間は戻らない。だけど、少しだけすっきりとしたような、そんな表情だった。
「本当に、このピアノに姉がいたのね」
「はい」
「ありがとう、教えてくれて。可能ならば、健司さんにも聴いてもらいたかったわ」
寂しそうに松永さんは笑った。その微笑みを見て、長年苦しんできた心の葛藤から解き放たれたのだなと思った。
今更かもしれない、だけど、遅すぎることもなかった。だって、松永さんにはちゃんと伝わったのだから。
松永さんは再度感謝の言葉を残し、若狭さんと去って行く。その後ろ姿を奏子さんと一緒に眺めた。
「ふみ君、私も礼を言う。私だけじゃ伝えられなかった。ふみ君がいたから私は心残りだったことを思い出せたし、ゆきちゃんに伝えることが出来た」
「いえ、俺の方こそ奏子さんのおかげでもう一度ピアノと向き合えました」
「そうね、ふみ君のピアノはとっても素敵な音よ。ふみ君はこれからどんなことだってまだ挑戦できる。だから最初から諦めるなんてことしないで欲しい」
奏子さんの体が少しほんのり発光し始めた。これは――――
「……はい」
俺は歯を食いしばって返事をした。
「ふみ君のピアノはふみ君そのもの。私達のために奏でてくれた優しい響きが大好きだよ」
奏子さんは笑った。とても綺麗な笑顔だった。
俺はもう頷くことしか出来なかった。きっと奏子さんは消えてしまう。永遠を過ごすことから解放されるのだ。喜ばしいことなのに、俺は寂しくて消えて欲しくないって思ってしまう。だけど、それを口に出してはいけないから。ぎゅっと口に力を入れて、余計なことを言わないようにする。
「じゃあな、ふみ君」
奏子さんは明るく言うと、松永さんが去った方向へ走って行った。
あぁ、ピアノから離れられない地縛霊だった奏子さんが、どんどん遠くなっていく。駅構内の人混みに紛れ込み、そして見えなくなった。
「安らかに」
俺はそうつぶやくしかない。心の中では寂しくて、未練を昇華しなければまだ一緒にいられたのにと、傲慢な気持ちが渦巻く。でも、怨霊になったり、倉庫で孤独に過ごしたかもしれないことを思えば、やっぱりこれで良かったのだ。
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