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戸口にあらわれたもの
1話 脱水少女
しおりを挟むよくある怖い話のひとつに『メリーさん』というのがある。
知らない番号から電話がかかってきて、一方的に居場所を告げてくる。それを繰り返し少しずつ近づいてくるというものだ。
例えば「私メリーさん。今、○○駅にいるの」から始まって、「私メリーさん。今、○○通りにいるの」みたいな感じでいちいち現在地を報告してくる。
遠くにいる内は、ただの悪戯かなという程度で適当にあしらうが、近づいてくるにつれてほんの豆粒程度だった恐怖心は雪だるま式に膨れ上がり、最終的に被害者はパニック状態に陥ってしまう。
「ピンポーン」
そしてまさに俺自身がパニックに陥ろうとしている。
そのメリーさんが玄関まで来ているからだ。
「ピンポーン」
なぜこれがメリーさんだと分かるかって?
それは俺がさっきまで2ちゃんねるをやっていたからで――
「ピンポーン」
……匿名掲示板である2ちゃんねるでは様々な情報が飛び交っている。やれ昨日の事件がどうとか、明日の天気がどうとか、今日はすごい快便だったとか。もう本当にピンキリだ。
そんなピンキリの中から偶然見つけたスレで、迷子の女の子(という設定のスレ主)の相手をしていた。それはもう面白おかしく。
異世界からやってきたJKなんて設定、放っておかるわけがなかった。実際スレはかなり伸びて、勢いも板の中ではトップクラスだった。
そんなあからさまな設定に対して、釣りだと分かっていながらも匿名の仲間同士で盛り上がっていた。
しかしその結果はどうだろうか。話が進んでいけばいくほど、迷子の>>1が俺の家に近付いてくるではないか。
「ピンポーン」
最後は全力で拒絶したが、もう遅かった。
玄関まで到達したという書き込みをみて、俺は恐怖のあまりPCをシャットダウンした。
俺が書き込むからこいつは近付いてくるのではないか。
俺がレスを追うからこいつは近付いてくるのではないか。
そんな根拠のない恐怖は、自然と都市伝説の『メリーさん』を思い起こさせたのだ。
「ぴんぽんぴんぽーん!」
……ちなみにこの「ピンポーン」はいつの間にか女性の声にかわっている。
「ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴ──」
「うわああああやめてくれえええええええ!」
俺は頭を振って大声をあげた。
冷静に分析することでかろうじて保っていた正気度は、しつこい女の声で吹き飛んでしまった。
「くるなくるな……メリーさんこっちくんな……」
……。
目をつむって頭を抱え込み、つぶやき続けること数分。
俺は少しずつ冷静さを取り戻していった。
人間とはよく出来たもので、どんな環境にも少しずつ順応するように作られているのだ。たぶん。
恐怖の波が引いていくと、いつの間にかインターホンの音が鳴り止んでいる事に気付いた。
静まりかえった室内。
まるで、俺一人で狂乱してたのが馬鹿らしいと指摘されているように感じるほどの静けさだ。
「幻覚……いや、幻聴だった……?」
もしかしたら部屋にこもりすぎて少しおかしくなっていたのかもしれない。
最後に人と喋ったのは三日以上前だし、普段からすごい偏食だし、そろそろ体のどっかに異常が出るかもしれないなとは感じていた。
でもまあ、こういう冷静な自己分析が出来るうちはまだ取り返しがつく。
身体は貧弱だが俺のメンタルは常人よりはるかに強いのだ。掲示板バトルだって負けたことがない。
俺は……俺が狂っていることを自覚しながら冷静に振る舞える自信がある!
というわけで、とにかく玄関を確認しようと思った。
万に一つでもメリーさんがいたら、それは俺がおかしくなっている可能性が高い。
それならそれでいい。今後はアマゾンで栄養のつくサプリかなんかを頼んで、2日に1回くらいはインターネットでボイスチャットでもして気分転換をはかればいい。
今やメリーさんは俺の健康診断の道具に成り下がった。
どんな状況でも俺の追い風になる精神武装。
引きこもり道を極めし者のみがたどり着ける境地。
名付けるならばそう……絶対楽観。
……とにかく俺は俺を動かすためのあらゆるエンジンをフル稼働させて玄関ののぞき穴、いわゆるドアスコープを覗いた。
もちろん、しっかり目を開いて覗いた。
「んん?」
高架下の薄暗い地面。いくつか光が差し込んでいる中に、猫が一匹あくびをしている。
何のへんてつもない、いつもの木漏れ日通りがそこにあった。
「なんだ! 誰もいないじゃないか!」
メリーさんに打ち勝ったと思った。
勝利の余韻をさらに深めたいと思った。
普段は怯えながらドアを開けているのに、この瞬間、ドアを開ける理由はたったそれだけで足りてしまった。
ガチャ……ゴン。
「やっぱり外は暑いな……あれ? 扉が重──」
「み……水ゥ……」
足元にメリーさんがいた。
「ギャアアアアアアア!!」
即座に扉をしめようとしたが、メリーさんは蛇のごとくニュルリと俺の聖域に入り込む。
「メリーさんくんな! こないで! やめて!」
「私メリーさんじゃないですぅ……お水ください……ひとくちでいいので……」
はいずるように俺の服をつかんで立ち上がろうとしてくるメリーさん。
見ようによっては格闘マンガの根性がすごいやつが相手を使って立ち上がる名シーンに見えなくもないが、俺はずり落ちそうなズボンと恐怖心を抑えるのに必死だった。
「イヤアアアア!」
「おちついて……私、人間です……まだ生きてます……」
そうは言ってもメリーさん、俺をクリンチしたまま離す気がないらしい。
「どうどう……」
でもなんだか天日干し的な太陽の匂いがする。お化けがあんまり出さないようないい匂いだ。
「に……ニンゲン……?」
「はい……こわくないですよ……なのでお水ください」
よく見たら小柄な女性で、この辺であまりみないような制服を着ている。
くりっとした目は喋り終わると力なく半開きになり、口で浅い呼吸を繰り返していた。
メリーさんかどうかはともかく、あのスレをたてた異世界JKであることは明白だった。
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