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あかり

20話 より糸

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 あかり君の身長は一回り小さくなり、顔も幼くなっていた。さらに今着ている制服は中学生のときのものだという。

「JC……」
「小森さんの小さな子供を想う気持ちが届いてしまったのですね!」
「えぇ……」

 俺は等身大のあかり君をイメージしていたはずなんだが。

「ともかく、本当に本当にありがとうございました!」
「あかり君が戻ってきてくれて良かったよ。ところで……結局、何をしに向こうに行こうと思ったんだ?」

 あかり君の目的は最後まで判然としなかった。
 話を聞く限りでは、向こうへ行ってすぐにこちら側に帰りたがってたみたいだし。

「――それはお金のためです! 貯金をくずして全部こちらに持ち込もうと思いまして……ああっ」

 制服をまさぐったあと、顔面を蒼白にするJCあかり君。見てて飽きない、いつもの百面相だ。

「ないです……おさいふすら……」
「良いんだよ、もう。お金の事は気にしないでくれ。もしやばくなりそうだったら、そこから考えればいい」

 まあ、さすがに三人分も養えるほど社長から金が引き出せるとは思っていない。
 それでもあの人、顔は広いようだから仕事の紹介くらいはしてもらえるだろう。
 子供が真っ当な賃金を得られるかは甚だ疑問だが……とりあえず、今は考えなくてもいいかな。

「あ……」

 気づけば、手があかり君の頭の上に伸びていた。
 ヌーにやりすぎて癖になったのかもしれない。
 手を引っ込めようとしたら、あかり君は両目を閉じて受け入れる気満々になっていた。

 ……仕方なくそのまま撫でることにする。まあ、相手は前よりもっと子供の姿になっているので、別に変な絵面ではない……。ないと思いたい。

「んっ……」

 ヌーと違ってサラサラの髪は手のひらをすべるように流れていく。
 これはこれでいいものだ。

「はい、おわり。帰るぞ」
「んふふふっ! ナデナデいただきましたっ。ヌーさんの前ではわたしにやっちゃダメですよ?」

 ぱぁっと満面の笑みを咲かせるあかり君。
 その顔は朝日に照らされてきれいな朱色に染まっている。
 無人の廃駅に2つの影が伸びていた。
 それで、ふと気付く。

「あれ、ヌーは?」
「わたしが来たときには、もういませんでしたけど」
「あー……先に帰ったかな」

 何となく、居づらかったのかもしれない。
 ヌーはあかり君のことが好きだと言っていた。
 でも声が届くことはなくて、半ば諦めていたところを後から来た俺が成功させてしまったわけだから。
 一人になりたいと思ってしまうのも分かる気がする。

「私達も帰りましょう! またお世話になりますね、小森さんっ」
「おう。俺たち君が出ていってからまだ何も食べてないからな」
「ええっ! そんな何ヶ月もの間……」
「いや……だから、こっちでは一日も経っていなくてだな──」

 二人並んでの帰り道。
 来る時は忌々しかった泥の道は、雨上がりのにおいと小鳥のさえずりに祝福されていた

「ただいま」
「ただいま戻りました!」
「おかえり。お風呂入ったほうがいいよ。」

 すっきりした顔のヌーが玄関に出迎えてくれた。
 その髪の毛は濡れていて、首にタオルをかけている。

「皆お風呂入りたがると思ったから。混まないように先に帰った。」
「そうか。ヌー、ありがとな」

 手を伸ばすと大げさに後じさりして避けられてしまった。

「ぬぅ。さわんな。」

 なんてこった。さっきは結構自由に触らせてくれたのに。
 へそを曲げてるのか、ヌー。

「お風呂、小森さんからどうぞ! 雨に濡れて大変だったと思いますしっ」
「ん、ああ、助かる」

 ありがたい申し出だった。
 あかり君の手前だから我慢していたが、身体に震えがきていたのだ。
 真夏でも大雨に晒され続ければすごく寒い、というのがよく分かる体験だった。

 風呂の湯はまだ新鮮で、誰かが入ったような痕跡は見当たらなかった。
 おそらくヌーはシャワーだけを浴びたに違いない。
 俺たちに気をつかっているのか、単にネコ属性だから湯浴みが嫌いなのか……。
 後者だと信じたいが、ヌーはあかり君以上に隠し事をするやつなのだ。

 風呂からあがり、リビングで眠そうにしているヌーの隣に座った。
 ちらっと俺を見たが、そのままパソコンをいじっている。

「また寝ないのか、ヌー」
「ごはん食べてから。このまま寝たら腹ペコで死ぬ。」

 あかり君は今は風呂に入っている。あがってから夕食(……いや、朝食か?) を作るとなればもう少し先の話だ。
 俺は慣れたもんだが、連日の夜ふかしはヌーには辛いだろう。

 そんな眠たげなヌーには少し悪いが、ちょっと確かめたいことがあった。

「どうして先に帰ったんだ?」
「……お風呂先に入るため。さっきも言った。」
「他にも理由があるんだろ?」
「ぬ……ぬぅ。」

 ヌーは巻毛を指でなぞりながらうつむいている。
 何か溜め込んでいるように思う。
 俺やあかり君がそうだったように、ヌーは何かを我慢しているように感じる。
 大方見当はついているが……俺はそれを開放してやりたいと思った。

「あかり君はな、ヌーのこと好きだと思うぞ」
「……ボクのは届かなかった。小森の想いは共鳴して。あかり君と繋がった。それは……つまり……。」
「違うな」
「ぬ……?」

 何が違うんだと顔をあげたヌーを正面から見つめ返してやる。
 金色の瞳はどこか遠くを見ているようだった。
 純粋なものほど、ちょっとしたことで濁ってしまう。それは俺の数少ない人生経験で学んできたことだ。
 そして、濁ってしまってもそれで終わりじゃない。誰かが洗い流してくれるものなのだ。

「ヌーはな、諦めなかったんだよ。希望の糸を握り続けた。そしてそれを俺に託して、最後は全員でその糸を手繰ったんだ。意味がわかるか? 俺だけの想いが通じたんじゃない。ヌーと俺とあかり君の三人がいなければ成し得なかった奇跡なんだよ」

 この場合は希望の糸ってのはスマホのことな、と補足をしておく。蛇足とも言うが、闇属性の俺にとってはこっ恥ずかしい比喩なので仕方なし。

「でもボクは……。」
「うるせえ! そこを動くなよヌー。ちょっと撫でられろ」
「んぬぅ!?」

 無理やり膝の上にのせてがっちりホールドしてやった。
 ヌーは抜け出そうとするが、身体の小さな子供が大人のフルパワーに勝てるわけがないのだ。

「うわははははは」
「んっぬぅ~~。頭がぁ~~~。」

 まだ少し濡れている髪をわちゃわちゃと揉み込む。

「ご褒美だぞヌー! よぉーしよしよしよしよし」
「……んぬぅ。」

 ヌーが抵抗をやめても俺の愛撫はとまらない。

「お前は頑張りすぎなんだよ。もっと素直に生きろ。しんどいことがあったら俺に言え。できることなら何でも助けてやるからな。もっと甘えてもいいんだ」
「……じゃあ。じゃあ。」
「お? あるのか?」

 少し気を許した瞬間に、ホールドを振りほどかれた。
 しまった、逃げられる──と思ったが、こちらに向きを変えただけだった。
 目と目があう。
 金色の瞳はさっきよりもさらに澄んでいて、まるで満月をうつした水面のように揺らめいて──

「もう少し。……優しく撫でてくれ。」
「おう、任せろ」

 ヌーの方からホールドされるとは思わなかった。
 俺の背中に手をまわして――胸へ頭突きをかましてきた。

「ぐはっ……しょうがないやつめ」

 注文通りに優しく撫でてやると、小さく震えだした。

「ぬ……ぅ……ぅぅ。」

 声を我慢しているようだが、泣いているのがバレバレだぞヌー。

「我慢すんなっつったろ。言いたいこと全部言え」
「……んぬわあああぁああぁぁぁんっ」

 うおっ。うるさっ。

「へんたい小森っ。ロリコン小森っ。ケモナーっ。ぬわぁああぁぁあああんッッ」
「……えぇ」

 全部罵倒じゃねーか。
 ケモナーは別にいいけど。

 それから、あかり君が来るまでの間、俺はずっと暴言のサンドバッグにされ続けた。

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