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動き出した歯車
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久遠が三年二組にあるイジメを目撃してから、さらに一週間が経過した。
この頃になると、久遠にも三年二組の序列――クラス内カーストが概ね把握できてきた。
カーストの最下位は、言うまでもなく三崎綾乃。
あれからも、久遠はしばしば彼女に対する嫌がらせを目の当たりにしてきた。だが、それに対して助けに入るクラスメイトは皆無。唯一、優子だけが目の届く範囲で綾乃に手を差し伸べていた。
対して、カーストの最上位は各一名ずつの男女。
女子の名前は、相馬玲菜(そうまれな)。明るい茶髪が特徴的なとにかく派手な女子生徒だ。耳にはピアス。制服の着方もルーズで、スカート丈は他の女子生徒に比べ随分と短い。スレンダーな体型で、顔も間違いなく『美人』と評される部類なのだが、一重で釣り上がった目が見る者にキツイ印象を与えていた。
久遠は転校してから今日まで、一度たりとも彼女が独りでいるところ見たことがない。何時でも何処でも、最低一人は取り巻きと思しき生徒が彼女にくっついていた。女子特有の群れを形成し、その頂点に君臨するタイプ。先日、綾乃に消臭スプレーを吹きかけたのも彼女であり、イジメグループの中でもリーダー的存在であることが窺えた。
男子の名前は、瀬戸一弥(せとかずや)。長身でガタイも良く、髪は金髪に染めている。見るからに不良だが、教室内ではあまり喋らず、退屈そうに窓の外を眺めていることが多い生徒だ。聞いた話では、見た目通り腕っぷしは無類の強さを誇るが、成績の方もかなり優秀らしい。そんな背景があるため、彼に付き従う男子生徒は多かった。
見た目不良な優等生……なら良かったのだが、彼の正体は自分の手を絶対に汚さない支配者タイプだ。彼自身が綾乃に対して何かしたところを久遠は一度も見たことがない。だが、彼に忠誠を誓う手下たちが、彼女に嫌がらせをする場面は幾度となく見てきた(一弥自身は、綾乃がイジメを受けている姿を見ても、何とも思っていない様子だったが)。男子のリーダー的存在なのは間違いないがイマイチ何を考えているのか掴めない生徒、というのが久遠の彼に対する印象だった。
自ら先頭に立ちイジメを行う相馬玲菜と、裏で手を回す瀬戸一弥。
立ち位置は対照的だが、この二人が綾乃イジメの首謀者であることは間違いなかった。
そして、久遠にもついに、三年二組の洗礼を受ける時がやってくる。
それは、ある日の休み時間のことだった。
「ねえ、皆月君」
移動教室の帰りに声を掛けてきたのは、相馬玲菜だった。
彼女の両サイドには、取り巻きの女子生徒が一人ずつ。
彼女が近づいてくると、香水の匂いが鼻をついた。
「何かな? 相馬さん」
久遠はつとめて平静に対応する。
「皆月君さあ、スマホ持ってる?」
玲菜は自分のスマートフォンを見せながら、久遠に尋ねてきた。
「いや、持ってないけど」
「え~、マジで? 今時スマホ持ってないってヤバくない?」
「ハハ、僕も欲しいとは思っているんだけど、親がそういうのに厳しくてさ」
久遠は適当に言い訳をして、玲菜の出方を窺う。
久遠が転校してきて、もう二週間余り。今更スマートフォンの所持を訊いてくる辺り、何か違う目的がありそうな気がした。
「ふ~ん、そっか。でも、残念だな~。スマホ持ってたら、面白いモノを送ってあげようと思ったのに」
言葉とは裏腹に、玲菜の顔に「残念」という気持ちは全く表れていない。むしろ、何かを企み、次の久遠の反応を心待ちにしているような表情だ。
少し迷ったが、久遠は敢えてその誘いに乗ることにした。
「面白いモノって?」
久遠が尋ねた瞬間、玲菜の唇が歪んだ。
「ちょっと来て」
「え――!?」
玲菜は突然久遠の手を掴んで駆け出した。
予想外の行動に、久遠は為す術もなく引っ張られる。
彼女(ら)に連れて行かれたのは、階段下の死角。取り巻きの二人が壁になる形で、久遠は一番奥に押し込まれた。
「どうしてこんなところに?」
「ごめんね~、ちょっと人目のあるところじゃ見せられないものだからさ。でも、ほんっとうに面白いから!」
言いながら玲菜はスマートフォンを操作する。
そして、悪魔のような笑みを浮かべて久遠の前にスマホの画面を晒した。
「――――!?」
久遠は言葉を失う。
玲菜のスマホに映っていたのは、女性の裸。
あまり鮮明な画像ではなかったが、その女性が三崎綾乃であることはすぐに分かった。
画面の中の綾乃は例の如く俯いているが、その顔が涙に濡れ、屈辱に歪んでいることは、荒い画質でも十分に伝わってくる。
久遠が固まっていると、玲菜はすっと久遠に顔を近づけ、
「もう気付いてるんでしょ?」
と、耳元で囁いてきた。
その言葉で我に返った久遠は、ぱっと彼女に視線を向ける。
間近で見る玲菜の顔は確かに綺麗だったが、その奥には明確な悪意が覗いていた。
「変な気は起こさないで、私たち側に付きなよ」
更にそう囁いてくる玲菜の声には、先ほどまではなかった鋭さがある。これは勧誘ではなく脅迫。そんな彼女の意思が込められているような気がした。
突然のことで頭が上手く回らず、久遠は返事ができない。
そんな久遠に、玲菜は悪女のような笑みを浮かべて身体を寄せてくる。吐息がかかり、彼女の胸と久遠の腕が触れ合う距離まで。歴戦の娼婦に迫られているような緊張で、久遠は動けなくなる。
「そうすれば、もっとスゴイのも見せてあげるよ。なんだったら直接――」
「ちょっと、そこで何をしているの!?」
その時、別の女子生徒の声が割って入ってきた。
声のした方へ顔を向けると、そこには委員長である優子の姿。
「チッ……」
玲菜は忌々しそうに舌打ちをすると、スマートフォンを素早くポケットに仕舞い、ぱっと久遠から離れた。
それから何食わぬ顔で優子に相対する。
「こんなところで何をしていたの? 相馬さん」
「何って、皆月君にスマホの番号を聞こうとしただけだよ。残念ながら持ってないみたいだったけど」
流暢に嘘を並びたてる玲菜を、優子は訝しそうに見つめる。
「それだけなら、どうしてわざわざこんな人目のつかない所で?」
「それくらい同じ女子なら察してよ、委員長~。女の方からアプローチを掛けてるんだよ。誰にも見られたくないって思うのは普通じゃん。勉強ばっかしてるから、そっち方面に疎くなってんじゃないの?」
「なっ――」
玲菜に突っ込まれた優子は返答に窮したようで、すぐに次の言葉が出てこない。
その隙を玲菜は見逃さなかった。
「じゃあ、そういうわけだから。皆月君、興味があったらいつでも言ってね」
意味深な笑みを久遠に残し、玲菜は優子の横を通り抜けて、取り巻きの二人と共に階段を上がっていった。
久遠にしてみれば、優子のおかげで助かった形。
固まっていた身体から力が抜ける。
「何かあったの?」
そんな久遠に対し優子は心配そうに尋ねてくる。
「あ、いや……」
「彼女たちあまり評判が良くないの。何かされたのなら黙っているのはダメだよ」
そうは言っても、女性の、それもクラスメイトの裸画像を見せられていたとは流石に言えない。
「だ、大丈夫だよ。本当にスマホを持ってないのか訊かれただけだから」
「そう、それならいいんだけど。でも、もし嫌な目に遭ったら遠慮なく相談してね」
「うん。ありがとう」
「それじゃあ、次の授業ももうすぐ始まるし教室に戻りましょう」
優子も階段を上っていき、そこでようやく久遠は「ふう」と息を吐く。
脳裏には先ほど見た綾乃の裸が焼き付いていた。
あの画像を撮られた時、彼女は一体どんな気持ちだったのか。
それを考えるだけで久遠の胸中に、言いようのないモヤモヤが募っていく。
(ある程度予想も覚悟もしていたけど、やっぱり気分が悪いな。でも、これくらいで滅入っていたら、また凜音さんに笑われる……)
久遠は一つ気合いを入れて、階段を上る。
だが、この時まだ久遠は知らなかった。
今の一件は、単なる序章。
本当の洗礼――三年二組が抱える真の闇を目の当たりにするのは、これからだということを。
この頃になると、久遠にも三年二組の序列――クラス内カーストが概ね把握できてきた。
カーストの最下位は、言うまでもなく三崎綾乃。
あれからも、久遠はしばしば彼女に対する嫌がらせを目の当たりにしてきた。だが、それに対して助けに入るクラスメイトは皆無。唯一、優子だけが目の届く範囲で綾乃に手を差し伸べていた。
対して、カーストの最上位は各一名ずつの男女。
女子の名前は、相馬玲菜(そうまれな)。明るい茶髪が特徴的なとにかく派手な女子生徒だ。耳にはピアス。制服の着方もルーズで、スカート丈は他の女子生徒に比べ随分と短い。スレンダーな体型で、顔も間違いなく『美人』と評される部類なのだが、一重で釣り上がった目が見る者にキツイ印象を与えていた。
久遠は転校してから今日まで、一度たりとも彼女が独りでいるところ見たことがない。何時でも何処でも、最低一人は取り巻きと思しき生徒が彼女にくっついていた。女子特有の群れを形成し、その頂点に君臨するタイプ。先日、綾乃に消臭スプレーを吹きかけたのも彼女であり、イジメグループの中でもリーダー的存在であることが窺えた。
男子の名前は、瀬戸一弥(せとかずや)。長身でガタイも良く、髪は金髪に染めている。見るからに不良だが、教室内ではあまり喋らず、退屈そうに窓の外を眺めていることが多い生徒だ。聞いた話では、見た目通り腕っぷしは無類の強さを誇るが、成績の方もかなり優秀らしい。そんな背景があるため、彼に付き従う男子生徒は多かった。
見た目不良な優等生……なら良かったのだが、彼の正体は自分の手を絶対に汚さない支配者タイプだ。彼自身が綾乃に対して何かしたところを久遠は一度も見たことがない。だが、彼に忠誠を誓う手下たちが、彼女に嫌がらせをする場面は幾度となく見てきた(一弥自身は、綾乃がイジメを受けている姿を見ても、何とも思っていない様子だったが)。男子のリーダー的存在なのは間違いないがイマイチ何を考えているのか掴めない生徒、というのが久遠の彼に対する印象だった。
自ら先頭に立ちイジメを行う相馬玲菜と、裏で手を回す瀬戸一弥。
立ち位置は対照的だが、この二人が綾乃イジメの首謀者であることは間違いなかった。
そして、久遠にもついに、三年二組の洗礼を受ける時がやってくる。
それは、ある日の休み時間のことだった。
「ねえ、皆月君」
移動教室の帰りに声を掛けてきたのは、相馬玲菜だった。
彼女の両サイドには、取り巻きの女子生徒が一人ずつ。
彼女が近づいてくると、香水の匂いが鼻をついた。
「何かな? 相馬さん」
久遠はつとめて平静に対応する。
「皆月君さあ、スマホ持ってる?」
玲菜は自分のスマートフォンを見せながら、久遠に尋ねてきた。
「いや、持ってないけど」
「え~、マジで? 今時スマホ持ってないってヤバくない?」
「ハハ、僕も欲しいとは思っているんだけど、親がそういうのに厳しくてさ」
久遠は適当に言い訳をして、玲菜の出方を窺う。
久遠が転校してきて、もう二週間余り。今更スマートフォンの所持を訊いてくる辺り、何か違う目的がありそうな気がした。
「ふ~ん、そっか。でも、残念だな~。スマホ持ってたら、面白いモノを送ってあげようと思ったのに」
言葉とは裏腹に、玲菜の顔に「残念」という気持ちは全く表れていない。むしろ、何かを企み、次の久遠の反応を心待ちにしているような表情だ。
少し迷ったが、久遠は敢えてその誘いに乗ることにした。
「面白いモノって?」
久遠が尋ねた瞬間、玲菜の唇が歪んだ。
「ちょっと来て」
「え――!?」
玲菜は突然久遠の手を掴んで駆け出した。
予想外の行動に、久遠は為す術もなく引っ張られる。
彼女(ら)に連れて行かれたのは、階段下の死角。取り巻きの二人が壁になる形で、久遠は一番奥に押し込まれた。
「どうしてこんなところに?」
「ごめんね~、ちょっと人目のあるところじゃ見せられないものだからさ。でも、ほんっとうに面白いから!」
言いながら玲菜はスマートフォンを操作する。
そして、悪魔のような笑みを浮かべて久遠の前にスマホの画面を晒した。
「――――!?」
久遠は言葉を失う。
玲菜のスマホに映っていたのは、女性の裸。
あまり鮮明な画像ではなかったが、その女性が三崎綾乃であることはすぐに分かった。
画面の中の綾乃は例の如く俯いているが、その顔が涙に濡れ、屈辱に歪んでいることは、荒い画質でも十分に伝わってくる。
久遠が固まっていると、玲菜はすっと久遠に顔を近づけ、
「もう気付いてるんでしょ?」
と、耳元で囁いてきた。
その言葉で我に返った久遠は、ぱっと彼女に視線を向ける。
間近で見る玲菜の顔は確かに綺麗だったが、その奥には明確な悪意が覗いていた。
「変な気は起こさないで、私たち側に付きなよ」
更にそう囁いてくる玲菜の声には、先ほどまではなかった鋭さがある。これは勧誘ではなく脅迫。そんな彼女の意思が込められているような気がした。
突然のことで頭が上手く回らず、久遠は返事ができない。
そんな久遠に、玲菜は悪女のような笑みを浮かべて身体を寄せてくる。吐息がかかり、彼女の胸と久遠の腕が触れ合う距離まで。歴戦の娼婦に迫られているような緊張で、久遠は動けなくなる。
「そうすれば、もっとスゴイのも見せてあげるよ。なんだったら直接――」
「ちょっと、そこで何をしているの!?」
その時、別の女子生徒の声が割って入ってきた。
声のした方へ顔を向けると、そこには委員長である優子の姿。
「チッ……」
玲菜は忌々しそうに舌打ちをすると、スマートフォンを素早くポケットに仕舞い、ぱっと久遠から離れた。
それから何食わぬ顔で優子に相対する。
「こんなところで何をしていたの? 相馬さん」
「何って、皆月君にスマホの番号を聞こうとしただけだよ。残念ながら持ってないみたいだったけど」
流暢に嘘を並びたてる玲菜を、優子は訝しそうに見つめる。
「それだけなら、どうしてわざわざこんな人目のつかない所で?」
「それくらい同じ女子なら察してよ、委員長~。女の方からアプローチを掛けてるんだよ。誰にも見られたくないって思うのは普通じゃん。勉強ばっかしてるから、そっち方面に疎くなってんじゃないの?」
「なっ――」
玲菜に突っ込まれた優子は返答に窮したようで、すぐに次の言葉が出てこない。
その隙を玲菜は見逃さなかった。
「じゃあ、そういうわけだから。皆月君、興味があったらいつでも言ってね」
意味深な笑みを久遠に残し、玲菜は優子の横を通り抜けて、取り巻きの二人と共に階段を上がっていった。
久遠にしてみれば、優子のおかげで助かった形。
固まっていた身体から力が抜ける。
「何かあったの?」
そんな久遠に対し優子は心配そうに尋ねてくる。
「あ、いや……」
「彼女たちあまり評判が良くないの。何かされたのなら黙っているのはダメだよ」
そうは言っても、女性の、それもクラスメイトの裸画像を見せられていたとは流石に言えない。
「だ、大丈夫だよ。本当にスマホを持ってないのか訊かれただけだから」
「そう、それならいいんだけど。でも、もし嫌な目に遭ったら遠慮なく相談してね」
「うん。ありがとう」
「それじゃあ、次の授業ももうすぐ始まるし教室に戻りましょう」
優子も階段を上っていき、そこでようやく久遠は「ふう」と息を吐く。
脳裏には先ほど見た綾乃の裸が焼き付いていた。
あの画像を撮られた時、彼女は一体どんな気持ちだったのか。
それを考えるだけで久遠の胸中に、言いようのないモヤモヤが募っていく。
(ある程度予想も覚悟もしていたけど、やっぱり気分が悪いな。でも、これくらいで滅入っていたら、また凜音さんに笑われる……)
久遠は一つ気合いを入れて、階段を上る。
だが、この時まだ久遠は知らなかった。
今の一件は、単なる序章。
本当の洗礼――三年二組が抱える真の闇を目の当たりにするのは、これからだということを。
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