恋する聖パトリック

牧場のばら

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 青空亭に着くとすでにエレンは店の前で待っていた。
 黒布にカラフルな色糸でこの国の伝統的な刺繍を施したスカートに編み上げブーツ、ブラウスはスモッキングと刺繍で飾られていた。寒さしのぎに厚手の羊毛のストールを肩からかけている。いつも一纏めの髪は下ろして、エレンの肩先でくるくると緩やかなカールを作っていた。

「やあ、エレン!よく似合ってるよ」

「おかみさんが用意してくださったんです」

 アレックスはエレンが眩しくて気恥ずかしさもあって、照れ隠しにさっと手を出した。
「離れないように手を繋いでいこう」

 差し出された手に、エレンはおずおずと小さな手を重ねた。アレックスはにっこり笑った。
「今日は俺に全部任せて。今日のためにちゃんと下調べしてきたから!」


……………


(やべぇ、かわいい。胸の動悸が止まらない。この地方の独特の衣装をまとったエレンは、いつもより数倍、いや100倍くらい可愛いぞ)

 はぐれないように繋いだ手からお互いの熱が伝わってくる。
 街はお祭りにやってきた人たちでごった返していた。うっかり手を離すと、エレンがそのままどこかへ―例えば祖父母の家だろうか、飛んで行ってしまいそうでアレックスはエレンの手をぎゅっと握り直した。

 アレックスは広場に並んだ屋台から、果物水と肉炒めを詰めた揚げパン、串焼きを買ってきた。誰も座っていないベンチを見つけて座り買ってきたものを分けながら食べる。

「美味しい…!」
「そうだろ。青空亭も旨いけどこうやって外で食べると、ちょっと違うんだ。
 外の空気もせいもあるし、それから誰と一緒に食べるかで旨さが変わってくるんだ。
 俺は今、生まれてきて一番美味しいもんを食べてる」

 揚げパンを脇に置いて、アレックスはエレンと向き合った。
 

「エレン、俺の話を聞いてもらえますか?」

…………………

 実家の伯爵家は兄と俺の2人兄弟なんだ。
 兄は勉強が出来る上にすごく綺麗な顔をしていて、だから子どもの頃からお兄さんとちっとも似てないって言われ続けてた。俺は体がでかくてこんな赤毛をしてるし、顔だって怖い。
 実際、母親が違うんだ。兄は正妻の息子で、俺の母は屋敷のメイド。つまり愛人の子ってことさ。
 母のことは知らない。出産後すぐに亡くなったんだ。

 そんな顔しないで。虐められたりしてないから。 
 俺の義母上は優しい人で、俺を次男として愛して育ててくれたんだ。兄とも仲良しだよ。だから子どもの頃は、本当の母親だと思ってた。
 でもやっぱり学校へ行くと貴族ってやつは嫌らしくて、愛人の息子のくせに、とかいう奴がいて、家族のことまで笑って貶めようとするんだ。そいつらと喧嘩もした。だから、俺は誰にも負けないくらい強くなって家族を守りたくて、剣術に打ち込んできたんだ。

「マーロン部隊に配属されて、この街にやってきてエレンに出会った。生まれて初めてこの人を大切にしたいと思ったんだ。
あー、だめだ、花火と一緒にこの気持ちをパーッと打ち上げようと思ってたけど待てない」

「アレックスさん、待って。わたしはこの祭りが終わったら叔父が迎えに来て祖父母の家に引き取られるんです。
 祖父母は従兄弟と結婚させるつもりなんです。
 だから……」

「待たないよ。エレン、好きだ。初めて会った時からずっと。でも君はいつも見えない壁をまとってて、近づこうとするとやんわり拒まれた。だからこれは俺の片思いだってわかってる。
 今日は、花火と一緒にパーッと打ち上げて気持ちの整理をつけたかったんだ」

 言葉を被せたアレックスは一気に想いを告げた。

………………

 母が亡くなってから一か月後、青空亭を尋ねてきた紳士がいた。エレンの叔父だと言う。
「妹にそっくりだよ」とその人は言った。
 
 さらにその二ヶ月後、長い手紙がエレンの元に届いた。
 エレンの母の実家は隣国の由緒正しい伯爵家。母の兄が跡を継いでいるが残念ながら子どもには恵まれなかった。
 家の存続のために叔父は養子を迎えていたが、最近になってエレンの母の忘れ形見の存在を知った。
 どうか養子と一緒になって伯爵家を継いで欲しい、聖パトリック祭の日に迎えに行くと、手紙にはそう記されてあった。
 身寄りのないエレンには断る術はなかった。

「アレックスさん、だから貴方のお気持ちを受け取れません、ごめんなさい」

「そっか。エレンには何か事情があるってわかってた。
 悔しいな。俺、もっと早くこっちに来たかった。そしたらそんな話が出る前にプロポーズして、エレンを幸せにしてやれたのに」

 エレンの翡翠色の瞳がみるみる間に涙でいっぱいになった。
 アレックスはハンカチを出そうとポケットを探ったら手製の首飾りに触れた。

「これ。迷惑かもしれないけど、エレンを想って作った。こんなもの要らないかな。これから貴族となるエレンにふさわしくないな」
 自嘲気味に捨てようとするアレックスをエレンは止めた。

「今日はまだ、アレックスさんと一緒に祭りを楽しんでいる青空亭のエレンです。この街で過ごしてアレックスさんと出会えたこと忘れたくない。離れたくないです。」
 そう言ってアレックスの手から翡翠の首飾りをひったくるように奪って首から下げた。
 そしておずおずと差し出したものをアレックスに握らせた。

「これは?」
 アレックスの黒い瞳に似た黒曜石とエレンの瞳の翡翠を編み込んだ剣の房飾りだった。

「アレックスさんが怪我をしないようお守りです。いつも親切にしてくださるお礼です。」
 エレンは恥ずかしいから早口で告げる。身につけるものではないが必ず手に取るものだ。

「ありがとう」
 時が止まればいいのに、そう思った。

 あと少しで花火があがる。聖パトリックを祀った教会には人だかりが出来ている。
 アレックスとエレンもその場にいた。二人はただお互いの幸せを願っていた。

(聖パトリック様、どうかエレンが幸せに過ごせるようお願いします。彼女を幸せにするのは俺でありたかった。俺のこれから先の一生分の幸運を全部エレンにあげます。
 だから、結婚する相手の男から愛されて、、、エレンの母上の身内からも愛されて、そしてエレンにそっくりな子どもを産んで、、、、)

「アレックスさん?」

 アレックスは涙腺が緩んできたのを誤魔化すように笑った、その時。
 教会の周りで大きな悲鳴があがった。

「花火が暴発して引火してる!!」

 火事だー!逃げろー!叫び声と悲鳴が上がった。

 
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