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プロローグ
しおりを挟む今日もまた、日が沈もうとしている。
街の喧騒から少し離れ、山に少し差し掛かる場所にある物静かで寂しいような印象を覚える墓地。地平を蝕むように広がる紅の水平線がよく見える場所。
少年は一つの墓石の前で手を合わせた後、立ち上がって街並みを見下ろすと共に、今にも地平線の向こうに隠れてしまいそうな太陽をぼうっとした様子で見つめる。
少年はこの景色が好きだった。昼と夜が移り変わり、すっかり姿を見せなくなった星に代わって地上に光が灯り始める。この墓地からはそれがよく見える。学校帰りに毎日のようにここに来る彼にとってこの景色を見ることは日常の一部だった。
……だからだろうか。いつものように見てきたその景色に彼が違和感を持ったのは。
ほんの少し、何かがズレるような感覚。一瞬、陽光が曲がる。目の錯覚かと思い注視してみると、ズキリと脳の奥が揺れるような痛みを感じた。
「ぐっ……」
痛みに耐えきれず少年はその場に崩れ落ちる。立ち上がろうとするも、視界が揺れているせいで上手くいかない。
明らかな異常事態だ。立ち眩み、とは少し違う。ならば熱中症?……いやまだ五月に差し掛かったばかりだ。快適な気温そのものである。そもそも自分の体はほんの少し日の下に出ただけで倒れるような軟弱な体ではない。
例えるなら、そう、酔っているというべきだろうか。酒によって得られる酩酊感とはまるで違う。ジェットコースターに乗った後の三半規管が正常に機能していない時のような不快感だけが体を襲っていた。
理由はわからないものの、今自分に起こっている体の異常を認識し、冷静さを取り戻した少年は立ち上がることを諦め、その場にうつ伏せに寝転がる。自力では立ち上がれないと感じた彼は助けを待つことにしたのだ。
とはいえ、こんな時間に街はずれの墓地を訪れる人は早々いないだろう。少年はスマ―トフォンを操作し、119番を掛ける。少し大げさだと思うが動けない以上仕方ない。
「……え?圏外?」
震える指で何とか電源を入れた少年は画面を見て、電波が届いてないことに気づき怪訝な声を上げた。いつもはこの場所でも普通に使えるはずなのに、だ。
ここで流石に何かが可笑しいと少年は気づく。自分の体だけならともかく電子機器まで異常を訴えているのだ。偶然とは思えない。
「いったい、何が起こって……」
電話もつながらないからには助けを呼ぶこともできない。異変を感じながらも何もできないもどかしさを胸に押し込め、回復を待つ少年。その体にざっという足音とともに影が重なる。どうやら人が来てくれたみたいだ。
運がいい。そう思い助けを求めるために顔を上げようとして、ふと疑問が浮かんだ。
今、俺が立っているのは高台の端、目の前には夕日が広がっている。いい景色が見える場所だが後ろからの道しかなく、わざわざ遠回りしなければならないのが残念なところだと常日頃から思っていた。重要なのは前の方からこの場所に来る方法がないということだ。
太陽が目の前にある以上、俺と太陽の間に人が来ない限りは自分に影など掛かりようがないがそんな事は普通ではありえない。
―――何故、俺に影が重なっている?
まるで突然そこに現れた、いや最初からいたのかもしれない。だが、それは重要じゃない。直観的にわかった。目の前にいるものは、きっとそこにあってはならないものだ。
今更、そんな事に気づいたところで何の意味もなかった。
見るべきではない。そう思いながらも少年は顔を上げ。
―――視界が闇に染まった。
◇◆◇◆◇
「……なさい。起きなさい」
―――微睡の中、声が響く。
染み込むようにその声が脳に届く。
が、謎の気怠さを感じたために思考が上手くまとまらない。
体が覚醒することを拒否している。これはもう仕方ないから二度寝しよう。そんな脆弱な精神から再び意識を闇に落とそうとして……
「起きろって、言ってるでしょ!」
『……ったあああ⁉』
強い衝撃を受けて強制的に目覚めさせられた。
机の脚に小指をぶつけたようなジーンとする痛みが体中を巡り、素っ頓狂な声を上げる。
視界がやたら下にある。まだ覚醒しきってはないが、恐らく今自分は無様に地面を寝転がっているのだろう。目線の先には足があった。
目の前の人物が自分を叩き起こしたのだろうと思い、文句の一つでも言ってやろうと目線を上げる。
『いきなり何しやが……』
その姿を見て、思わず彼は口を噤んだ。
胸のあたりまで伸びるダークトーンのストレートロングヘア。健康的な肢体を包む制服と若葉色のローブ。そして何よりも目に留まったのは燃えるような紅《あか》の双眸だった。
まるで物語から抜け出してきたかのようだ。そんなありふれた言葉がよく似合う美少女を見て彼は立ち上がるのを忘れ、ただ見惚れていた。
彼女は一つ深呼吸し、こちらを見下ろす。
「ようやく起きたわね。おはよう。気分はいい?」
『あ、ああ……』
「……そう、それは良かった」
声を掛けられ、戸惑いながらもそう返す。
君は誰なんだ?ここはどこなんだ?もしかして君が助けてくれたのか?様々な質問が頭に浮かんだ彼だったが、ひとまずそれを押し込めて立ち上がろうとする。
そこでようやく彼は、手足の感覚がないことに気がついた。
あるはずのものがない。その喪失感で一気に彼の思考が覚醒する。
寝惚けてなんていられない。なにせ手足の感覚どころかどれだけ体を動かそうとしても身じろぎ一つできないのだから。
事は既に彼の理解の範疇を超えていた。まともな考えも浮かばず、ただ茫然としていると、目の前の少女が手を伸ばし……自分を持ち上げた。
『え、はぁ……?』
多少、細身だとよく言われるが40kgはあるだろう自分の体を、大して体を鍛えてなさそうな女の子の片腕で持ち上げられた。もう脳が理解することを拒んでいる。考えることもできぬまま、流されるままに、彼は、視界が上に行ったことで眼前に広がる彼女の端正な顔を見つめた。きっと彼女が自分の望む答えを知っていると信じて。
……彼女の言葉が聞いていて、頭が痛くなるような、荒唐無稽で訳の分からない話だとは、思いもしなかったが。
「私の名前は四條 彩香。魔術の名門、三百年の歴史を持つ四條家の長女。そしてゆくゆくは世界にその名を轟かせる魔法使いよ。……喜びなさい。あなたは今日から私の杖になるのよ!」
『…………はい?』
わずか三秒。それだけの時間、沈黙しながらも結局、何を言っているのかわからないと結論づけた彼だったが、恐る恐るといった様子で、今まで意識して見ないようにしていた自分の体を見た。
……棒だった。銀色で金属質の1m程の細長い棒。頭には装飾のつもりなのか赤の宝珠が煌いている。部屋の姿見に写るファンタジー系のRPGに出てきそうな魔法の杖。それが今の彼の体だった。
『……はああああああ⁉⁉⁉』
彼は目の前の少女がどうやら本当の事を言っているらしいと理解して。それでもなお、訳が分からないぶっ飛んだ現状に何度目かわからない困惑の声を上げた。
世界の裏側。常人には立ち入ることのできない世界―――異庭領域。そこは魔法使いたちが住む異世界だ。彼らは自身の体を巡る魔力を用いて超常の力を発現させる力を持ち、表の世界の住人とは異なる目的と理をもっている。
目的とは表も裏も平等に侵す異形の怪物“ロスト”の討伐。そして理とは―――より討伐を円滑に行う為に、自己の研鑽の為であるならば、たとえ表の世界で違法であろうとも異庭領域に、魔法使いの所有物に手を出さない限りは何を使おうと構わない、というものだ。それが人の体、命、魂であろうとも。
魔法の黎明期こそ様々な用途で、時には無為な行為として人の魂が使われていたが、現代では人を媒介とした魔法道具《マジックアイテム》の技術の発展は、ほぼ完結していた。
万能魔術補佐礼装、魔法使いが持つべきものとして“杖”と名付けられたそれは生きた人をそのまま材料にして作られる破格の魔法道具だ。
元来、魔法を扱うためには個々人の生まれ持った魔法適正が重要なのだが、杖はその魔法適正を贄となった人の分だけ底上げする力を持つ。それだけでなく、魔法の行使において、本来なら全てを自身の体内の魔力で補わなければならないところを、大気中に漂う魔力を集め、取り込むことによって負担を少なくする力も持つのだ。
魔法使いなら、あえて持たない理由はないとまで言われるこの礼装の素体に、たまたま人気の少ない墓地にいた彼が選ばれた。これが彩香のした説明の要約だった。
「……つまり、あなたは私をマスターとして尊重し、命をゴミクズのように消費する義務があるの。お分かり?」
十数分、彩香は目の前の杖となった少年の質問に答え、事情を説明し終えた後に続けてそう言った。
それを聞いた彼は、時間もあったこともあり、起きたときよりは冷静に彼女の言葉を受け入れ、そしてハッキリとした口調で返事をした。
「断る。アンタみたいな奴に命を使う理由も、力を貸す理由もないね」
「あら、面白い事を言うのね。返事なんて求めてないのよ?……もしかして自分に選択権があるとでも思っていたのかしら。だったらとんだお笑い種ね。私があなたに許すのはいつ、どこで死ぬかぐらいよ」
表の世界の人間をすきなように使っていい。それはあくまでもこの異庭領域だけの話だ。ずっと表の世界で魔法などとは関係を持たずに生きてきた彼にとって、目の前の彼女の話を受け入れはすれど、それに従う理由はどこにもなかった。
ただそんな彼の言葉を予想していたかのように彩香は微笑を浮かべて平然とした様子でそう答える。その姿はまるで……
『……この性悪魔女め』
「ええ、そうよ。私は魔女。人の命なんてどうだっていいロクデナシの魔道の探究者。恨むのなら、逢魔が時に魅入られたあなたの不運を呪いなさい」
すがすがしいまでの開き直りにそれ以上、何も言えず、彼はただ押し黙った。
「それにしてもこんなに可愛い私に性悪だなんて、少し失礼じゃないかしら、あなた。
……そういえばまだ聞いてなかったわね。いつまでも“あなた”じゃ締まらないし、良かったら名前、教えてくれないかしら」
『どうせ断ったらなんか言うんだろ。ほんと顔だけ……』
「……なにか、言ったかしら?」
『いえいえ、何にも言ってませんよ魔女様。……ソラ、上泉 奏良だ。』
「そう、ソラね。いい名前だわ!」
『……はあ』
彩香の屈託のない笑みを見て、ほんと、こんな状況じゃなかったらなあと思いながらも彼―――奏良はこれからどうなるのかと先行きの見えない状況にただ嘆息するのだった。
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