ボーダー・エクリプス

Ni

文字の大きさ
1 / 8

プロローグ

しおりを挟む

 今日もまた、日が沈もうとしている。

 街の喧騒から少し離れ、山に少し差し掛かる場所にある物静かで寂しいような印象を覚える墓地。地平を蝕むように広がる紅の水平線がよく見える場所。
 少年は一つの墓石の前で手を合わせた後、立ち上がって街並みを見下ろすと共に、今にも地平線の向こうに隠れてしまいそうな太陽をぼうっとした様子で見つめる。
 少年はこの景色が好きだった。昼と夜が移り変わり、すっかり姿を見せなくなった星に代わって地上に光が灯り始める。この墓地からはそれがよく見える。学校帰りに毎日のようにここに来る彼にとってこの景色を見ることは日常の一部だった。
 ……だからだろうか。いつものように見てきたその景色に彼が違和感を持ったのは。

 ほんの少し、何かがズレるような感覚。一瞬、陽光が曲がる。目の錯覚かと思い注視してみると、ズキリと脳の奥が揺れるような痛みを感じた。

「ぐっ……」

 痛みに耐えきれず少年はその場に崩れ落ちる。立ち上がろうとするも、視界が揺れているせいで上手くいかない。
明らかな異常事態だ。立ち眩み、とは少し違う。ならば熱中症?……いやまだ五月に差し掛かったばかりだ。快適な気温そのものである。そもそも自分の体はほんの少し日の下に出ただけで倒れるような軟弱な体ではない。
 例えるなら、そう、酔っているというべきだろうか。酒によって得られる酩酊感とはまるで違う。ジェットコースターに乗った後の三半規管が正常に機能していない時のような不快感だけが体を襲っていた。

 理由はわからないものの、今自分に起こっている体の異常を認識し、冷静さを取り戻した少年は立ち上がることを諦め、その場にうつ伏せに寝転がる。自力では立ち上がれないと感じた彼は助けを待つことにしたのだ。
 とはいえ、こんな時間に街はずれの墓地を訪れる人は早々いないだろう。少年はスマ―トフォンを操作し、119番を掛ける。少し大げさだと思うが動けない以上仕方ない。

「……え?圏外?」

 震える指で何とか電源を入れた少年は画面を見て、電波が届いてないことに気づき怪訝な声を上げた。いつもはこの場所でも普通に使えるはずなのに、だ。
 ここで流石に何かが可笑しいと少年は気づく。自分の体だけならともかく電子機器まで異常を訴えているのだ。偶然とは思えない。

「いったい、何が起こって……」

 電話もつながらないからには助けを呼ぶこともできない。異変を感じながらも何もできないもどかしさを胸に押し込め、回復を待つ少年。その体にざっという足音とともに影が重なる。どうやら人が来てくれたみたいだ。
 運がいい。そう思い助けを求めるために顔を上げようとして、ふと疑問が浮かんだ。

 今、俺が立っているのは高台の端、目の前には夕日が広がっている。いい景色が見える場所だが後ろからの道しかなく、わざわざ遠回りしなければならないのが残念なところだと常日頃から思っていた。重要なのは前の方からこの場所に来る方法がないということだ。
 太陽が目の前にある以上、俺と太陽の間に人が来ない限りは自分に影など掛かりようがないがそんな事は普通ではありえない。

 ―――何故、俺に影が重なっている?

 まるで突然そこに現れた、いや最初からいたのかもしれない。だが、それは重要じゃない。直観的にわかった。目の前にいるものは、きっとそこにあってはならないものだ。
 今更、そんな事に気づいたところで何の意味もなかった。

 見るべきではない。そう思いながらも少年は顔を上げ。

 ―――視界が闇に染まった。


◇◆◇◆◇


「……なさい。起きなさい」

 ―――微睡の中、声が響く。
 染み込むようにその声が脳に届く。 
 が、謎の気怠さを感じたために思考が上手くまとまらない。
 体が覚醒することを拒否している。これはもう仕方ないから二度寝しよう。そんな脆弱な精神から再び意識を闇に落とそうとして……

「起きろって、言ってるでしょ!」
『……ったあああ⁉』

 強い衝撃を受けて強制的に目覚めさせられた。
 机の脚に小指をぶつけたようなジーンとする痛みが体中を巡り、素っ頓狂な声を上げる。
 視界がやたら下にある。まだ覚醒しきってはないが、恐らく今自分は無様に地面を寝転がっているのだろう。目線の先には足があった。
 目の前の人物が自分を叩き起こしたのだろうと思い、文句の一つでも言ってやろうと目線を上げる。

『いきなり何しやが……』

 その姿を見て、思わず彼は口を噤んだ。
 胸のあたりまで伸びるダークトーンのストレートロングヘア。健康的な肢体を包む制服と若葉色のローブ。そして何よりも目に留まったのは燃えるような紅《あか》の双眸だった。
 まるで物語から抜け出してきたかのようだ。そんなありふれた言葉がよく似合う美少女を見て彼は立ち上がるのを忘れ、ただ見惚れていた。
 彼女は一つ深呼吸し、こちらを見下ろす。

「ようやく起きたわね。おはよう。気分はいい?」
『あ、ああ……』
「……そう、それは良かった」

 声を掛けられ、戸惑いながらもそう返す。
 君は誰なんだ?ここはどこなんだ?もしかして君が助けてくれたのか?様々な質問が頭に浮かんだ彼だったが、ひとまずそれを押し込めて立ち上がろうとする。
 そこでようやく彼は、手足の感覚がないことに気がついた。
 あるはずのものがない。その喪失感で一気に彼の思考が覚醒する。
 寝惚けてなんていられない。なにせ手足の感覚どころかどれだけ体を動かそうとしても身じろぎ一つできないのだから。
 事は既に彼の理解の範疇を超えていた。まともな考えも浮かばず、ただ茫然としていると、目の前の少女が手を伸ばし……自分を持ち上げた。

『え、はぁ……?』

 多少、細身だとよく言われるが40kgはあるだろう自分の体を、大して体を鍛えてなさそうな女の子の片腕で持ち上げられた。もう脳が理解することを拒んでいる。考えることもできぬまま、流されるままに、彼は、視界が上に行ったことで眼前に広がる彼女の端正な顔を見つめた。きっと彼女が自分の望む答えを知っていると信じて。
 ……彼女の言葉が聞いていて、頭が痛くなるような、荒唐無稽で訳の分からない話だとは、思いもしなかったが。

「私の名前は四條しじょう 彩香あやか魔術・・の名門、三百年の歴史を持つ四條家の長女。そしてゆくゆくは世界にその名を轟かせる魔法使い・・・・よ。……喜びなさい。あなたは今日から私のになるのよ!」
『…………はい?』

 わずか三秒。それだけの時間、沈黙しながらも結局、何を言っているのかわからないと結論づけた彼だったが、恐る恐るといった様子で、今まで意識して見ないようにしていた自分の体を見た。

 ……棒だった。銀色で金属質の1m程の細長い棒。頭には装飾のつもりなのか赤の宝珠が煌いている。部屋の姿見に写るファンタジー系のRPGに出てきそうな魔法のマジックロッド。それが今の彼の体だった。

『……はああああああ⁉⁉⁉』

 彼は目の前の少女がどうやら本当の事を言っているらしいと理解して。それでもなお、訳が分からないぶっ飛んだ現状に何度目かわからない困惑の声を上げた。



 世界の裏側。常人には立ち入ることのできない世界―――異庭領域。そこは魔法使いたちが住む異世界だ。彼らは自身の体を巡る魔力を用いて超常の力を発現させる力を持ち、表の世界の住人とは異なる目的と理をもっている。
 目的とは表も裏も平等に侵す異形の怪物“ロスト”の討伐。そして理とは―――より討伐を円滑に行う為に、自己の研鑽の為であるならば、たとえ表の世界で違法であろうとも異庭領域に、魔法使いの所有物に手を出さない限りは何を使おうと構わない、というものだ。それが人の体、命、魂であろうとも。

 魔法の黎明期こそ様々な用途で、時には無為な行為として人の魂が使われていたが、現代では人を媒介とした魔法道具《マジックアイテム》の技術の発展は、ほぼ完結していた。
 万能魔術補佐礼装、魔法使いが持つべきものとして“ロッド”と名付けられたそれは生きた人をそのまま材料にして作られる破格の魔法道具だ。
 元来、魔法を扱うためには個々人の生まれ持った魔法適正が重要なのだが、杖はその魔法適正を贄となった人の分だけ底上げする力を持つ。それだけでなく、魔法の行使において、本来なら全てを自身の体内の魔力で補わなければならないところを、大気中に漂う魔力を集め、取り込むことによって負担を少なくする力も持つのだ。

 魔法使いなら、あえて持たない理由はないとまで言われるこの礼装の素体に、たまたま人気の少ない墓地にいた彼が選ばれた。これが彩香のした説明の要約だった。

「……つまり、あなたは私をマスターとして尊重し、命をゴミクズのように消費する義務があるの。お分かり?」

 十数分、彩香は目の前の杖となった少年の質問に答え、事情を説明し終えた後に続けてそう言った。
 それを聞いた彼は、時間もあったこともあり、起きたときよりは冷静に彼女の言葉を受け入れ、そしてハッキリとした口調で返事をした。

「断る。アンタみたいな奴に命を使う理由も、力を貸す理由もないね」
「あら、面白い事を言うのね。返事なんて求めてないのよ?……もしかして自分に選択権があるとでも思っていたのかしら。だったらとんだお笑い種ね。私があなたに許すのはいつ、どこで死ぬかぐらいよ」

 表の世界の人間をすきなように使っていい。それはあくまでもこの異庭領域だけの話だ。ずっと表の世界で魔法などとは関係を持たずに生きてきた彼にとって、目の前の彼女の話を受け入れはすれど、それに従う理由はどこにもなかった。
 ただそんな彼の言葉を予想していたかのように彩香は微笑を浮かべて平然とした様子でそう答える。その姿はまるで……

『……この性悪魔女め』
「ええ、そうよ。私は魔女。人の命なんてどうだっていいロクデナシの魔道の探究者。恨むのなら、逢魔が時に魅入られたあなたの不運を呪いなさい」

 すがすがしいまでの開き直りにそれ以上、何も言えず、彼はただ押し黙った。

「それにしてもこんなに可愛い私に性悪だなんて、少し失礼じゃないかしら、あなた。
……そういえばまだ聞いてなかったわね。いつまでも“あなた”じゃ締まらないし、良かったら名前、教えてくれないかしら」
『どうせ断ったらなんか言うんだろ。ほんと顔だけ……』
「……なにか、言ったかしら?」
『いえいえ、何にも言ってませんよ魔女様。……ソラ、上泉かみいずみ 奏良そらだ。』
「そう、ソラね。いい名前だわ!」
『……はあ』

 彩香の屈託のない笑みを見て、ほんと、こんな状況じゃなかったらなあと思いながらも彼―――奏良はこれからどうなるのかと先行きの見えない状況にただ嘆息するのだった。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません

藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。 ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。 「君は分かってくれると思っていた」 その一言で、リーシェは気づいてしまう。 私は、最初から選ばれていなかったのだと。 これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。 後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、 そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

真実の愛は水晶の中に

立木
恋愛
学園の卒業を祝うパーティーの最中、レイシア・マレーニ侯爵令嬢は第三王子とピンク髪の女、その取り巻きたちによって断罪されようとしていた。 しかし断罪劇は思わぬ方向へ進んでいく。 ※AIイラスト使用 ※「なろう」にも重複投稿しています。

うまくやった、つもりだった

ひがん さく
恋愛
四大貴族、バルディストン公爵家の分家に生まれたオスカーは、ここまでうまくやってきた。 本家の一人娘シルヴィアが王太子の婚約者に選ばれ、オスカーは本家の後継ぎとして養子になった。 シルヴィアを姉と慕い、養父に気に入られ、王太子の側近になり、王太子が子爵令嬢と愛を深めるのを人目につかぬよう手助けをし、シルヴィアとの婚約破棄の準備も整えた。 誠実と王家への忠義を重んじるこの国では、シルヴィアの冷徹さは瑕疵であり、不誠実だと示せば十分だった。 かつてシルヴィアはオスカーが養子になることに反対した。 その姉が後妻か商家の平民に落ちる時が来た。 王太子の権威や素晴らしさを示すという一族の教えすら忘れた姉をオスカーは断罪する。 だが、シルヴィアは絶望もせずに呟いた。 「これだから、分家の者を家に入れるのは嫌だったのよ……」  

予言姫は最後に微笑む

あんど もあ
ファンタジー
ラズロ伯爵家の娘リリアは、幼い頃に伯爵家の危機を次々と予言し『ラズロの予言姫』と呼ばれているが、実は一度殺されて死に戻りをしていた。 二度目の人生では無事に家の危機を避けて、リリアも16歳。今宵はデビュタントなのだが、そこには……。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...