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冒険者編
捕まっちまったぜ!
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ひっ捕らえられた一行。
メルは皇女なのでかつての自室に軟禁され、一方ハディとケルトは地下の牢屋へご招待されていた。
「俺、帝都の牢屋に入れられたのって初めてだよ」
「奇遇ですね、私もです」
『むしろ経験があったら恐ろしいわ』
切羽詰まった状況ではあるのだが、プラス思考の怪物なハディは、いつもどおりの気楽な様子で牢屋の石ベッドに寝っ転がっている。同じく場馴れしてきたケルトも、寝心地の悪そうなベッドに何度も座り直しながら、薄汚れた牢屋を観察している。
石造りで地下を掘り起こしたそこは、おそらく帰化ドワーフの作品なのだろう。かなりしっかりとした作りのようで、石彫の一部は繊細な模様が彫り込まれている…牢屋に装飾があるというのも、なんだか奇妙な話だが。窓一つなく、通気孔らしき穴が通路の中央にあいているのが見える程度。うっすらとしか見えない灯火では、牢の隅々まで見渡すことは出来ないだろう。
向かいの牢屋には誰も居らず、右の牢から人の気配が感じられた。おそらく囚人だろう。
物珍しげに観察していれば、お隣さんから声がかかる。
「おいおい、新入りが来たって聞いたわりにゃ、ガキの声じゃねえか。なんだお前ら、何して重犯罪者用の牢に入れられたんだ?」
「なんかさ、皇帝の爺さんが突然捕まえろーって言ってきたんだよ。俺たち何にも悪いことしてないんだぞ?」
「ひゃっひゃっひゃ!なんだそりゃ!?あの皇帝、遂にボケちまったのかよ!?」
濁声の囚人、どうやら重犯罪者らしい男とハディが、緊張感の無い会話をしている。
ケルトはさて、どうしようか…と悩んでいたのだが、良案が浮かばないのでハディと男の気の抜けた会話を気晴らしに聞いてみる。
「そんでさ、カロン爺さんは帰っちゃうし、メル姉は別のところに捕まえられるし…八方塞がりなんだよなぁ」
「へぇ、虚公、ねぇ…んなバケモンが現れたなんざ、遂に世界の終わりにでもなっちまうのかもなぁ」
縁起でもない、と言いたいところだが、現物が外に居るらしいので冗談にもならない。
(…しかし、なぜ虚公は姿を表したのに、帝都を襲わないのでしょうか)
脳裏に過ぎる、樹木のような肉腫の異形。帝都のすぐ傍に居るらしいのだが、攻撃されている様子はない。皇帝の言う通りの状況なので、まだパニックにはなっていない様子だが…城下の不安げな様子が目に見えるようだ。
「あ、でもネセレは別行動なんだった。フェスベスタを起こしに行ってるらしいから、そのうちに帰ってくるとは思うけど」
「…なんだと?」
ふと、ハディと話していた男の口調が低くなる。
何事かと意識を向ければ、しばしの無言の後に、男は尋ねてきた。
「お前ら、ネセレの知り合いなのか?」
「ん?ああ、ネセレは俺の剣の師匠なんだよ」
「師匠ぉ!?」
素っ頓狂な声の後、男は爆笑し始めた。
なんなんだ、とハディと顔を見合わせれば、男はひーひー言いながら続ける。
「マジかよ!あのチビが、師匠…!?ひゃっひゃっひゃ!!こりゃぁ随分な冗談だぜ!」
「いやいや、本当だって。爺さんに言われて、ネセレが稽古をつけてくれてさ」
ハディは語る。カロンとネセレの関係と、ハディ達との出会いについて。
男はふんふんと聞いてたが、聞き終わってから、やはり楽しげに言う。
「なぁるほど、あのチビにも頭が上がらねえ奴が出たか」
「驚かないのか?」
「いんや、驚いたぜ?でもま、世の中は広いんだ。絶対だと思ってた親を出し抜く5才児もいりゃあ、その頭を押さえつける人外もいるんだろうよ。なんでも起こるから、世の中はおもしれぇのさ」
「ふぅん。…そういや、おっちゃんは何でそこに入ってんだ?いったい何して重犯罪者の牢屋に?」
「ああ、盗みをな」
「盗み?」
「皇帝の冠を盗ろうとした」
その一言に、ケルトは眉を上げる。
皇帝の冠は、ネセレが盗み出していたはずだ。ならばこの男は、その前に盗もうとした賊だったのだろうか。
「最後の最後でヘマしてな。宝物庫のそれに手をかけたら、錬金術の罠にかかって御用さ」
メルの作り出した錬金術は、どんな腕前の盗賊であっても対応がしづらく、また突破できるほどの解除パターンが構築されていない。まさに盗賊にとっての鬼門でもある。
「他の魔法陣を解除するとこまでは上手くいってたんだがなぁ…ま、ともあれ、俺はここで終身刑ってわけだ。本当は縛り首だったんだがな?祝祭日だったってことで幸運にも減刑されてよ。まったく、ありがたすぎて涙が出るぜ」
「おっちゃんも運が良かったんだな」
「そりゃ普段の行いがいいからな。義賊としてそこそこに名は通ってたんだが…ま、もう忘れ去られてるだろうが」
男が入って、かなり経っているのだろう。義賊というのが本当なら、終身刑という温情が適用されたのも、わからなくはないが。
「そうだな、坊主。暇つぶしにもっとお前らの話を聞きてぇな」
「ん、別にいいけど、そんな楽しいことなんて無いぞ?」
「いーんだよ。ネセレとその弟子の話が聞けるなら俺も満足だ。なんたって…」
一拍置いて、男は自慢げにこう言った。
「俺の妹分の話なんだからな」
兄貴分冥利に尽きるだろ?と言ってから、男は嬉しそうに声だけで笑った。
※※※
…帝都の西に広がったそれは、大樹となって後に悍ましい咆哮を上げてから、徐々に漆黒の闇に包まれて沈黙した。それはまるで、黒い繭にも見えただろうか。
そんな主人を見上げ、アーメリーンは虚無的な笑みを浮かべていた。
「…人々の感情は集っているようだな。実に美味だ」
「つまみ食いをするでない!!我が主のエネルギーであるぞ!?」
怒れるクレイビーは、肩を竦めるアーメリーンを睨みつけてから、再び地面に目を向ける。大鎌の柄で地面を掻いて、何か大きな魔法陣を描いていたのだ。
一心不乱に行うそれを横目に、アーメリーンは最後になるであろう空気を吸って吐く。
「神は人の信仰心を糧にする。我らとは逆にな。だから、我らのこの作戦が達成されれば…その信仰はどれほど失せるのだろうね?」
「ゲンニ大陸が滅ぶだけでも、我らにとっては僥倖。神の手を退ける我らという存在が、人の魂に恐怖を刻みつける。たとえ神であろうとも、虚無を退けることは敵わぬのだと人間どもに知らしめる。さすれば、いつかは神も我らに敗北しようぞ」
「気の長い話だがね」
力を蓄えていた虚公は、負の感情を糧に、羽化しようとしていた。それは、虚公という存在が一段と巨大になることに他ならない。かつての本体、腫瘍とは規模が小さすぎるが…それでも、世界にとっては脅威だろう。
だかしかし、彼らは問題と見なしていない。
「これが失敗しても、問題はない。次の虚無のために舞台を整えるのが、我らの役目。…そう、別にゲンニ大陸が滅ばなくても、問題はないのだ。我らという脅威、恐怖、その存在を知らしめることが出来るのならば、それでいい」
「…そのためにも、神の手を退けねばならぬ。リーン、準備は良いな?」
「無論のこと」
リーンは立ち上がり、赤い髪を翻して魔法陣へと向かう。
完成させた陣の上でクレイビーが手を掲げれば、陣は暗く、黒く輝き始める。
「…なあ、我が同輩。彼らは来るだろうか?」
不意に尋ねられた言葉に、クレイビーは鼻で笑って答える。
「あのゲームで、我輩は負けるつもりはなかった。だが実際には無様にも敗北した…人は時に、我らの予想外の力を発揮する。それが感情の力であるという……ならば、来るであろうよ。この我輩を倒したのだからな、来ないはずがない」
それは確信を持って断言されていた。
言葉に頷き、リーンは目を伏せて、天を仰ぐ。
「ならば、最後を願いながら、役目を終えようか」
リーンは手を掲げ、クレイビーは詠唱を開始する。
途端、魔法陣は眩ゆかんばかりに輝きを強くし、周囲に黒紫の光を漂わせる。陣の周囲に置かれたヴァルタイトが怪しく輝き、ぱきんっ!と次々に壊れて散っていく。
「あの青二才は、あの子供と協力して魔法の効果を高めた。魔法を剣技と合体させたのである。あれままさしく見事であった…故に!」
クレイビーは詠唱を完了させ、恍惚の笑みを浮かべる。
「故に我輩もまた、その手法を真似るであるぞ…!そう、ゲンニ大陸全てを、神の手から隔離するのであるっ!!」
『『我ら、虚無の実行者にて招致を命ず!』』
周囲のヴァルが吸い取られ、2人の力へと還元されていく。
そして同様に、二人の姿が徐々に変化していく。
クレイビーは、額に瞳を持つ、白い角を生やしたかつての姿に。
そして、リーンは…。
『赤月の始祖たる我が命ず
赤き血の楔よ 呪いとなって空へと穿ち
天を盲いたベールとなって覆うがよい』
ザアァァァ……!と、リーンの体から烟るような赤い霧が湧き出してくる。それはリーンの全身の血を用いて霧となり、まるで狼煙のごとく天へと向かって伸びていく。地面の魔法陣が輝き、リーンの力を何倍にも増幅させていくが…それにリーンは抵抗することもなく、力のすべてをそれに注ぎ込んだ。
どんどんと赤い血が抜かれ、同時に霧の中のリーンも目を伏せる。頬が痩け、目が落ちくぼみ、ミイラのようにやせ細っていき…そして。
バキリ、と嫌な音が響く。
それは、霧中のリーンの体から、発されていた。
リーンの背から黒い皮膜の翼が現れ、体の全身が黒い硬膜で覆われていく。骨格すら変えるようなそれと同じく、両腕は巨大な爪を帯びた怪腕へ。頭部には黒い二本の角。そして…硬膜は遂に顔にすら及び、彼女の風貌を完全に隠し去ってしまう。
もはや原型すら失われた黒い異形は、唸り声を上げながら天へと遠く咆哮をあげた。
同時に、天へと登った赤い霧が、文字通りゲンニ大陸全ての空をも覆っていた。リーンの霧を、クレイビーが引き出した虚無魔法によって増幅し、大陸中へ満ちるほどの容量へと変えていたのだ。
真っ赤に色づいた空はまるで夜のように淡く暗く、陽光をも隠し、天の中央には血が凝縮されてできた赤く輝く月が、仄かな輝きを帯びて存在していたのだ。
そして、咆哮と同時に周囲の血霧を吹き飛ばしたリーン。
そこにいたのは、紛うことなき、黒き化け物であった。
「…赤月の吸血鬼、であるか」
赤い月、この世には有りえぬ月を生み出し、神を阻害する術を持つ血喰らいの鬼。病魔として虚無の尖兵を無尽蔵に作り出す、対神界への最終兵器といっても過言ではない、人をベースに作り出された特別製の眷属。
それが、アーメリーンという鬼だ。
クレイビーは、そんな同輩の姿に、歪んだ笑みを向ける。
「せいぜい、あの小童と最後のダンスを踊るがよかろう、アーメリーン」
その呟きは小さく、正気を失っている相手へ聞こえることはなかっただろう。
クレイビーは帝都へと向き直り、朗々と叫んだ。
「では、最後の決戦を行うであるぞ!ルドラ神よ、我らが虚無の前に、世界を守ることが出来るであるか!?」
そして、クレイビーは再び詠唱を開始した。
※※※
その日、帝都全土を覆った赤月の夜は、そこに住まう人々の心に、拭えない恐怖を植え付けた。昼にも関わらず陽光が陰り、代わりに現れた赤い月が禍々しく照らし出し、見ている者へゾワゾワとした根源的な恐怖を植え付けていた。
『全ての定命の者に告ぐ!我らは虚無、世界を滅ぼす魔物が主。お主ら神の下僕たる人種を滅ぼすもの!今日この時より、ゲンニ大陸は世界より消え失せるであろう!』
その荒唐無稽な内容に、人々は顔を見合わせた。眉唾な内容であろうとも、目の前で起きた現実から目を逸らすことは出来ない。
そんな人々の不安感を掻き立てるように、声は続ける。
『お前たちに未来はない。お前たちに死すらない。全ては虚無へと帰し、神の手の届かぬ場所へと還るのだ。これは、お前たちの神への宣戦布告である。惑い、恐れ、絶望の淵にて消え失せるがよかろう』
赤い月は怪しく輝き、おぞましい光を天地に投げかけ、そこに鎮座している。
『おっと?それよりも先に…お前たちには思う存分、恐怖を味わってもらわねば困るのである。そう、我が主へ捧ぐ、手向けとしてな』
…その時、大陸中で赤い光を見た者の中で、一斉に動いた者たちが居た。
突如、戦いていた隣人が身を翻し、近場の武器を持って無差別に人を襲ったのだ。
あまりのことに呆然としていた人々も、その凶行に一瞬の後に恐慌へと陥る。
『まあ、出来るだけ頑張って踊り続けるがよかろう。それはそれとして、魔物もまた活性化するのであるがな』
同じく、各地より数多の魔物が、地の底から現出する。
かつて戦場であった場所からは、その場に残る無念の感情を糧にゾンビーやレヴァナントが。伐採された森林からはトラント、糧として乱獲された生物としてトロール、絶滅した種の無念の感情からワスプが。迫害された存在が残した暗い感情が魔物となり、恐るべき驚異となって各地の人々を襲い始めたのだ。
…同時に、ヴェシレアでも。
「がぁっ!?」
「ヴァリル王!?」
「なんとカシウス…!貴様、乱心したか!?」
王宮にて、突如としてカシウスが剣を抜き、ヴァリル王を刺し貫いていた。崩れ落ちる王を守るように武器を持つも、カシウスは微動だにせず、ただ涎を垂らしながら恍惚の笑みでぶつぶつと何かを呟いている。
「…我が虚無、我が主、赤き月にて約束の時は来たれり。全ての定命の者へ、等しき死を!」
「カシウス…お前、いったい…」
「王!もはや正気とは思えませぬぞ!」
「くっ…!!」
無差別に剣を振るうカシウスに、ヴァリスは苦悶に顔を歪める。
「何が起こってやがる!これは、いったい…!?」
…同時に、王国周辺から湧いた魔物が都市を襲う轟音を聞きながら、ヴァリス王は歯をかみ鳴らした。
…人々の声が聞こえる。
それは空を巡って世界を覆い、精霊を震わせてクレイビーの元まで届いてくる。
虚公の出現に巻き込まれたのか、無辜の民のその断末魔がまでが、耳元の事のように聞こえるのだ。
子の名を呼んで潰れる音
親を呼んで瓦礫に埋もれる音
神の名を叫んで頭が砕ける音
意味のない言葉の羅列を並べ立てて自死する音
人が、男が、女が、大人が、子供が、すべての生きとし生けるもの達が、そのおぞましい虚無の腕に囚われながら、この世の終わりの如き絶望に浴して死にゆくのだ。
その声を、まるで耳心地の良いオーケストラでも聞くように、クレイビーは恍惚の笑みで聞いている。
「くっくくく…ひょっひょっひょ!感じるであるぞ!定命の者たちの恐れが、惑いが!そして恐怖が!!あぁ、なんという美味か!!これぞまさに至福の味!我輩らが好む絶望という甘露であるぞ!!」
高笑いしながらも、クレイビーは大地から魔物を生み出し続けている。許す限りの虚無としての力を振るい続け、戦力を拡充し続ける。
ボコボコと大地から死者が溢れ、天には魔物が湧き、地の底からワームが飛び出し、一目散に主の周囲を散開していく。
万が一にも、蛹となっている主の羽化を邪魔する者が居ないように、入念に布陣を敷いていく。その包囲網に引っかかった哀れで不運な人間は、一切の躊躇もなく魔物たちに屠られ、食い尽くされていくのだ。
それすら美味と啜りながら、クレイビーは恍惚の笑みで天を仰ぐ。
「終末の時は来たれり!さぁ神の尖兵よ!己が生存欲求を果たすために足掻くがよかろう!その全てを討ち滅し、神の威光を末代まで穢してやろうぞっ!!」
上空では、高く笑うその声に反応すらなく、異形の鬼が静かに佇む。
まるで、何かを待っているかのように…。
※※※
虚無の異形が動き出したのを、メルサディールは自室にてそれを察知した。
大地が震え、空は陰り、神も精霊もその声を届けはせず、代わりに人々の悲鳴が世界を震わせている。
窓の外には、赤い世界。
もはや面影もないそれを見つめながら、メルは静かに口を開く。
「世界が、終わろうとしていますわね」
それに返答はなく、背後の男は黙したまま。
目線をやることもなく、メルは静かな口調のままに続ける。
「それで、貴方はこんな状況でも、アタクシの邪魔をなさいますの?勇者の仕事の邪魔を?」
「…」
「答えなさい、ラーツェル。貴方、このままデグゼラスは勿論、この大陸全ての命ある者たちを滅ぼしても、よろしいと仰るのね?今なお、人々はアタクシの、勇者の出現を願っているのに。それを一皇帝ごときの命で邪魔をなさると?それが、貴方の本心?」
「…」
「…答えなさい!!」
遂には振り返り、メルは鬼気迫る形相でラーツェルの胸ぐらを掴む。騎士の男は、静かな眼差しだったが、しかし避けるように目を伏せた。
「貴方、どうしてそこまで皇帝に忠義を尽くしますの?貴方の何がそこまでさせますの?事の重大さは、貴方だって理解しているはずでしょう?ましてや、バカみたいに愚直な貴方が、こんな場所で燻っているはずがありませんもの」
「…姫」
「答えなさい。貴方、いったい皇帝に何をされましたの?あの旅以降、貴方がやけに皇家への忠義厚い騎士になったのも、理由があるのでしょう?」
「………」
ラーツェルは初めてその無表情に亀裂を生じさせ、顔を歪ませて首を振った。
「言えません」
苦渋の滲んだ一言。
それに、メルは全てを察する。
「…それは、言わないのではなく、言えないのですわね?」
「…」
「…口外できぬように、何か魔法的な制約を課されているのですわね。文字も不可能?なら、首を振るだけで十分でしょう。ラーツェル、貴方…お父様を裏切れないように、なにか枷を嵌められてますわね?」
…ラーツェルは、ゆっくりと首を縦に振った。
それに、メルはこれ以上になく顔を歪め、嘆息した。
言葉どころか文字にすら制約を課す呪法は、デグゼラスの秘匿された非人道的な魔法の中に存在している。メルは見ることは出来なかったが、おそらくあるだろうという確信はあった。かつて異民族を武力で統合したこの帝国の歴史は、血塗られているのだから。
それに、元老院も不安だったのだろう。英雄とまで呼ばれる男が、半獣の血を引くことに。ヴェシレアへ寝返らないように、首輪を欲したのだ。
おそらく、制約を破ると同時に死する呪いか…。
それに、義に厚いこの男が、ここまで何も出来ないとなると…。
「ラーツェル、貴方が制約を破れば…貴方のお母様にも、危害が加えられるようになってますのね?」
…これにも、ゆっくりとイエスと答える。
ラーツェルの実母は、体の弱い女性だ。屋敷でゆっくりと過ごしているが、そんな彼女にも制約を課してたというのならば…なんという非道か。
「では、貴方が今まで皇帝に従っていたのも、アタクシを袖にしたのも…それが原因?」
これには答えず、ラーツェルは目を逸らす。
どこまでも、自身が半獣のハーフであることと、身分違いであることを気にして…否、メルを慮っての拒否なのだと察していた。
それに、メルは嘆息しか出ない。
「…本当に、貴方っておバカですわね。他人のことばかりで、自分の身はまったく考えない。アタクシを助けるときだってそうでしたわ。我が身を省みず、向こう見ずな行動ばっかりで…本当に、貴方って…」
一人で抱え込んで、一人で耐え忍んで…偏見も差別も、幾度もその身を刻んだろう。それでも前を向ける男に、メルは真っ直ぐな視線を返す。
「…ラーツェル。ならば貴方は、皇帝の命でアタクシを選べと言われれば、構いませんわね?」
予想外な言葉に、目を瞬かせるラーツェル。
それに勢い込むように、メルは続ける。
「ラーツェル、答えて。もし、皇帝が貴方とアタクシの関係を良しとするのならば…貴方は、アタクシを…選んでくださいますの?」
小さな、どこか不安げなそれ。
かすかに震えながらも、しかししっかりとこちらを見つめるメルを目にして、ラーツェルは…ゆっくりと、頷く。
「…それが、皇帝の」
「命令だから、ではありませんわ。貴方の本当の言葉を聞きたいの」
「…私は」
ラーツェルは葛藤したように口を開閉してから、しかしメルの下から覗き込むような強い視線に、遂には諦めたように、ため息をつく。
そして、その黒髪を一房、手にとって、口付ける。
「いつでも、貴方をお慕い申しておりました。メルサディール姫」
「…それだけですの?と、いつもなら言ってやるところですけども…そうですわね、続きはすべてが終わってから、聞くことにしますわ」
メルは、華が綻ぶように、ふわりと微笑む。
優美なその笑みは、まさに大輪の薔薇のように、誰もが見惚れる美しさを讃えていた。
ラーツェルは、その笑みに目を細めて、メルの頬に手を伸ばし…、
コンコン、とノック音が響いて、両者は思わず振り返る。
「歓談中、すまないのだがね。メルサディール」
「あら、お兄様」
ごほん、と咳払いを一つ、ラングディールがそこに佇んでいた。
何事もなかったかのように離れた両者を一瞥してから、ラングディールはため息交じりにメルへ言う。
「なかなか茨の道を歩みそうだな、メルサディール」
「あら?ご不満かしら?」
「為政者として首は縦には振れないが、まあお前ならば構わないとも思う。とはいえ、勝ち取るのはお前の努力次第だ」
頑張りたまえ、という無感動ながらも後押しする言葉に、メルは勝ち気な笑みを浮かべて頷く。兄の了承を取ったのだ。もはやメルにとっては恐れるものなど何もない。
そんな妹へ、ラングディールは現状を説明する。
「準備は整った。それに予想外の支援もあったからな…異様なほどのスピードで状況が変わった。私に皇帝になれと、執務室までやってくる元老院議員が居るくらいには混迷している」
「あら、上等ですわ。それならどさくさに紛れて、事が起こしやすくなりますもの。古い根腐れを起こしている物の除去も、ね」
「覚悟はよかろうね?メルサディール」
「覚悟でしたら、とうの昔に出来てますわよ、お兄様」
兄妹は互いに睨み合うように対峙し、ニヤッと笑い合う。
どうにも、腹違いなのによく似ている2人だな、とラーツェルは内心でぼやく。
そしてメルはバサリと髪を掻き上げ、振り返った。
「ここからは、こちらの反撃でしてよ」
と、そう呟き、勇者は不敵に微笑んだ。
メルは皇女なのでかつての自室に軟禁され、一方ハディとケルトは地下の牢屋へご招待されていた。
「俺、帝都の牢屋に入れられたのって初めてだよ」
「奇遇ですね、私もです」
『むしろ経験があったら恐ろしいわ』
切羽詰まった状況ではあるのだが、プラス思考の怪物なハディは、いつもどおりの気楽な様子で牢屋の石ベッドに寝っ転がっている。同じく場馴れしてきたケルトも、寝心地の悪そうなベッドに何度も座り直しながら、薄汚れた牢屋を観察している。
石造りで地下を掘り起こしたそこは、おそらく帰化ドワーフの作品なのだろう。かなりしっかりとした作りのようで、石彫の一部は繊細な模様が彫り込まれている…牢屋に装飾があるというのも、なんだか奇妙な話だが。窓一つなく、通気孔らしき穴が通路の中央にあいているのが見える程度。うっすらとしか見えない灯火では、牢の隅々まで見渡すことは出来ないだろう。
向かいの牢屋には誰も居らず、右の牢から人の気配が感じられた。おそらく囚人だろう。
物珍しげに観察していれば、お隣さんから声がかかる。
「おいおい、新入りが来たって聞いたわりにゃ、ガキの声じゃねえか。なんだお前ら、何して重犯罪者用の牢に入れられたんだ?」
「なんかさ、皇帝の爺さんが突然捕まえろーって言ってきたんだよ。俺たち何にも悪いことしてないんだぞ?」
「ひゃっひゃっひゃ!なんだそりゃ!?あの皇帝、遂にボケちまったのかよ!?」
濁声の囚人、どうやら重犯罪者らしい男とハディが、緊張感の無い会話をしている。
ケルトはさて、どうしようか…と悩んでいたのだが、良案が浮かばないのでハディと男の気の抜けた会話を気晴らしに聞いてみる。
「そんでさ、カロン爺さんは帰っちゃうし、メル姉は別のところに捕まえられるし…八方塞がりなんだよなぁ」
「へぇ、虚公、ねぇ…んなバケモンが現れたなんざ、遂に世界の終わりにでもなっちまうのかもなぁ」
縁起でもない、と言いたいところだが、現物が外に居るらしいので冗談にもならない。
(…しかし、なぜ虚公は姿を表したのに、帝都を襲わないのでしょうか)
脳裏に過ぎる、樹木のような肉腫の異形。帝都のすぐ傍に居るらしいのだが、攻撃されている様子はない。皇帝の言う通りの状況なので、まだパニックにはなっていない様子だが…城下の不安げな様子が目に見えるようだ。
「あ、でもネセレは別行動なんだった。フェスベスタを起こしに行ってるらしいから、そのうちに帰ってくるとは思うけど」
「…なんだと?」
ふと、ハディと話していた男の口調が低くなる。
何事かと意識を向ければ、しばしの無言の後に、男は尋ねてきた。
「お前ら、ネセレの知り合いなのか?」
「ん?ああ、ネセレは俺の剣の師匠なんだよ」
「師匠ぉ!?」
素っ頓狂な声の後、男は爆笑し始めた。
なんなんだ、とハディと顔を見合わせれば、男はひーひー言いながら続ける。
「マジかよ!あのチビが、師匠…!?ひゃっひゃっひゃ!!こりゃぁ随分な冗談だぜ!」
「いやいや、本当だって。爺さんに言われて、ネセレが稽古をつけてくれてさ」
ハディは語る。カロンとネセレの関係と、ハディ達との出会いについて。
男はふんふんと聞いてたが、聞き終わってから、やはり楽しげに言う。
「なぁるほど、あのチビにも頭が上がらねえ奴が出たか」
「驚かないのか?」
「いんや、驚いたぜ?でもま、世の中は広いんだ。絶対だと思ってた親を出し抜く5才児もいりゃあ、その頭を押さえつける人外もいるんだろうよ。なんでも起こるから、世の中はおもしれぇのさ」
「ふぅん。…そういや、おっちゃんは何でそこに入ってんだ?いったい何して重犯罪者の牢屋に?」
「ああ、盗みをな」
「盗み?」
「皇帝の冠を盗ろうとした」
その一言に、ケルトは眉を上げる。
皇帝の冠は、ネセレが盗み出していたはずだ。ならばこの男は、その前に盗もうとした賊だったのだろうか。
「最後の最後でヘマしてな。宝物庫のそれに手をかけたら、錬金術の罠にかかって御用さ」
メルの作り出した錬金術は、どんな腕前の盗賊であっても対応がしづらく、また突破できるほどの解除パターンが構築されていない。まさに盗賊にとっての鬼門でもある。
「他の魔法陣を解除するとこまでは上手くいってたんだがなぁ…ま、ともあれ、俺はここで終身刑ってわけだ。本当は縛り首だったんだがな?祝祭日だったってことで幸運にも減刑されてよ。まったく、ありがたすぎて涙が出るぜ」
「おっちゃんも運が良かったんだな」
「そりゃ普段の行いがいいからな。義賊としてそこそこに名は通ってたんだが…ま、もう忘れ去られてるだろうが」
男が入って、かなり経っているのだろう。義賊というのが本当なら、終身刑という温情が適用されたのも、わからなくはないが。
「そうだな、坊主。暇つぶしにもっとお前らの話を聞きてぇな」
「ん、別にいいけど、そんな楽しいことなんて無いぞ?」
「いーんだよ。ネセレとその弟子の話が聞けるなら俺も満足だ。なんたって…」
一拍置いて、男は自慢げにこう言った。
「俺の妹分の話なんだからな」
兄貴分冥利に尽きるだろ?と言ってから、男は嬉しそうに声だけで笑った。
※※※
…帝都の西に広がったそれは、大樹となって後に悍ましい咆哮を上げてから、徐々に漆黒の闇に包まれて沈黙した。それはまるで、黒い繭にも見えただろうか。
そんな主人を見上げ、アーメリーンは虚無的な笑みを浮かべていた。
「…人々の感情は集っているようだな。実に美味だ」
「つまみ食いをするでない!!我が主のエネルギーであるぞ!?」
怒れるクレイビーは、肩を竦めるアーメリーンを睨みつけてから、再び地面に目を向ける。大鎌の柄で地面を掻いて、何か大きな魔法陣を描いていたのだ。
一心不乱に行うそれを横目に、アーメリーンは最後になるであろう空気を吸って吐く。
「神は人の信仰心を糧にする。我らとは逆にな。だから、我らのこの作戦が達成されれば…その信仰はどれほど失せるのだろうね?」
「ゲンニ大陸が滅ぶだけでも、我らにとっては僥倖。神の手を退ける我らという存在が、人の魂に恐怖を刻みつける。たとえ神であろうとも、虚無を退けることは敵わぬのだと人間どもに知らしめる。さすれば、いつかは神も我らに敗北しようぞ」
「気の長い話だがね」
力を蓄えていた虚公は、負の感情を糧に、羽化しようとしていた。それは、虚公という存在が一段と巨大になることに他ならない。かつての本体、腫瘍とは規模が小さすぎるが…それでも、世界にとっては脅威だろう。
だかしかし、彼らは問題と見なしていない。
「これが失敗しても、問題はない。次の虚無のために舞台を整えるのが、我らの役目。…そう、別にゲンニ大陸が滅ばなくても、問題はないのだ。我らという脅威、恐怖、その存在を知らしめることが出来るのならば、それでいい」
「…そのためにも、神の手を退けねばならぬ。リーン、準備は良いな?」
「無論のこと」
リーンは立ち上がり、赤い髪を翻して魔法陣へと向かう。
完成させた陣の上でクレイビーが手を掲げれば、陣は暗く、黒く輝き始める。
「…なあ、我が同輩。彼らは来るだろうか?」
不意に尋ねられた言葉に、クレイビーは鼻で笑って答える。
「あのゲームで、我輩は負けるつもりはなかった。だが実際には無様にも敗北した…人は時に、我らの予想外の力を発揮する。それが感情の力であるという……ならば、来るであろうよ。この我輩を倒したのだからな、来ないはずがない」
それは確信を持って断言されていた。
言葉に頷き、リーンは目を伏せて、天を仰ぐ。
「ならば、最後を願いながら、役目を終えようか」
リーンは手を掲げ、クレイビーは詠唱を開始する。
途端、魔法陣は眩ゆかんばかりに輝きを強くし、周囲に黒紫の光を漂わせる。陣の周囲に置かれたヴァルタイトが怪しく輝き、ぱきんっ!と次々に壊れて散っていく。
「あの青二才は、あの子供と協力して魔法の効果を高めた。魔法を剣技と合体させたのである。あれままさしく見事であった…故に!」
クレイビーは詠唱を完了させ、恍惚の笑みを浮かべる。
「故に我輩もまた、その手法を真似るであるぞ…!そう、ゲンニ大陸全てを、神の手から隔離するのであるっ!!」
『『我ら、虚無の実行者にて招致を命ず!』』
周囲のヴァルが吸い取られ、2人の力へと還元されていく。
そして同様に、二人の姿が徐々に変化していく。
クレイビーは、額に瞳を持つ、白い角を生やしたかつての姿に。
そして、リーンは…。
『赤月の始祖たる我が命ず
赤き血の楔よ 呪いとなって空へと穿ち
天を盲いたベールとなって覆うがよい』
ザアァァァ……!と、リーンの体から烟るような赤い霧が湧き出してくる。それはリーンの全身の血を用いて霧となり、まるで狼煙のごとく天へと向かって伸びていく。地面の魔法陣が輝き、リーンの力を何倍にも増幅させていくが…それにリーンは抵抗することもなく、力のすべてをそれに注ぎ込んだ。
どんどんと赤い血が抜かれ、同時に霧の中のリーンも目を伏せる。頬が痩け、目が落ちくぼみ、ミイラのようにやせ細っていき…そして。
バキリ、と嫌な音が響く。
それは、霧中のリーンの体から、発されていた。
リーンの背から黒い皮膜の翼が現れ、体の全身が黒い硬膜で覆われていく。骨格すら変えるようなそれと同じく、両腕は巨大な爪を帯びた怪腕へ。頭部には黒い二本の角。そして…硬膜は遂に顔にすら及び、彼女の風貌を完全に隠し去ってしまう。
もはや原型すら失われた黒い異形は、唸り声を上げながら天へと遠く咆哮をあげた。
同時に、天へと登った赤い霧が、文字通りゲンニ大陸全ての空をも覆っていた。リーンの霧を、クレイビーが引き出した虚無魔法によって増幅し、大陸中へ満ちるほどの容量へと変えていたのだ。
真っ赤に色づいた空はまるで夜のように淡く暗く、陽光をも隠し、天の中央には血が凝縮されてできた赤く輝く月が、仄かな輝きを帯びて存在していたのだ。
そして、咆哮と同時に周囲の血霧を吹き飛ばしたリーン。
そこにいたのは、紛うことなき、黒き化け物であった。
「…赤月の吸血鬼、であるか」
赤い月、この世には有りえぬ月を生み出し、神を阻害する術を持つ血喰らいの鬼。病魔として虚無の尖兵を無尽蔵に作り出す、対神界への最終兵器といっても過言ではない、人をベースに作り出された特別製の眷属。
それが、アーメリーンという鬼だ。
クレイビーは、そんな同輩の姿に、歪んだ笑みを向ける。
「せいぜい、あの小童と最後のダンスを踊るがよかろう、アーメリーン」
その呟きは小さく、正気を失っている相手へ聞こえることはなかっただろう。
クレイビーは帝都へと向き直り、朗々と叫んだ。
「では、最後の決戦を行うであるぞ!ルドラ神よ、我らが虚無の前に、世界を守ることが出来るであるか!?」
そして、クレイビーは再び詠唱を開始した。
※※※
その日、帝都全土を覆った赤月の夜は、そこに住まう人々の心に、拭えない恐怖を植え付けた。昼にも関わらず陽光が陰り、代わりに現れた赤い月が禍々しく照らし出し、見ている者へゾワゾワとした根源的な恐怖を植え付けていた。
『全ての定命の者に告ぐ!我らは虚無、世界を滅ぼす魔物が主。お主ら神の下僕たる人種を滅ぼすもの!今日この時より、ゲンニ大陸は世界より消え失せるであろう!』
その荒唐無稽な内容に、人々は顔を見合わせた。眉唾な内容であろうとも、目の前で起きた現実から目を逸らすことは出来ない。
そんな人々の不安感を掻き立てるように、声は続ける。
『お前たちに未来はない。お前たちに死すらない。全ては虚無へと帰し、神の手の届かぬ場所へと還るのだ。これは、お前たちの神への宣戦布告である。惑い、恐れ、絶望の淵にて消え失せるがよかろう』
赤い月は怪しく輝き、おぞましい光を天地に投げかけ、そこに鎮座している。
『おっと?それよりも先に…お前たちには思う存分、恐怖を味わってもらわねば困るのである。そう、我が主へ捧ぐ、手向けとしてな』
…その時、大陸中で赤い光を見た者の中で、一斉に動いた者たちが居た。
突如、戦いていた隣人が身を翻し、近場の武器を持って無差別に人を襲ったのだ。
あまりのことに呆然としていた人々も、その凶行に一瞬の後に恐慌へと陥る。
『まあ、出来るだけ頑張って踊り続けるがよかろう。それはそれとして、魔物もまた活性化するのであるがな』
同じく、各地より数多の魔物が、地の底から現出する。
かつて戦場であった場所からは、その場に残る無念の感情を糧にゾンビーやレヴァナントが。伐採された森林からはトラント、糧として乱獲された生物としてトロール、絶滅した種の無念の感情からワスプが。迫害された存在が残した暗い感情が魔物となり、恐るべき驚異となって各地の人々を襲い始めたのだ。
…同時に、ヴェシレアでも。
「がぁっ!?」
「ヴァリル王!?」
「なんとカシウス…!貴様、乱心したか!?」
王宮にて、突如としてカシウスが剣を抜き、ヴァリル王を刺し貫いていた。崩れ落ちる王を守るように武器を持つも、カシウスは微動だにせず、ただ涎を垂らしながら恍惚の笑みでぶつぶつと何かを呟いている。
「…我が虚無、我が主、赤き月にて約束の時は来たれり。全ての定命の者へ、等しき死を!」
「カシウス…お前、いったい…」
「王!もはや正気とは思えませぬぞ!」
「くっ…!!」
無差別に剣を振るうカシウスに、ヴァリスは苦悶に顔を歪める。
「何が起こってやがる!これは、いったい…!?」
…同時に、王国周辺から湧いた魔物が都市を襲う轟音を聞きながら、ヴァリス王は歯をかみ鳴らした。
…人々の声が聞こえる。
それは空を巡って世界を覆い、精霊を震わせてクレイビーの元まで届いてくる。
虚公の出現に巻き込まれたのか、無辜の民のその断末魔がまでが、耳元の事のように聞こえるのだ。
子の名を呼んで潰れる音
親を呼んで瓦礫に埋もれる音
神の名を叫んで頭が砕ける音
意味のない言葉の羅列を並べ立てて自死する音
人が、男が、女が、大人が、子供が、すべての生きとし生けるもの達が、そのおぞましい虚無の腕に囚われながら、この世の終わりの如き絶望に浴して死にゆくのだ。
その声を、まるで耳心地の良いオーケストラでも聞くように、クレイビーは恍惚の笑みで聞いている。
「くっくくく…ひょっひょっひょ!感じるであるぞ!定命の者たちの恐れが、惑いが!そして恐怖が!!あぁ、なんという美味か!!これぞまさに至福の味!我輩らが好む絶望という甘露であるぞ!!」
高笑いしながらも、クレイビーは大地から魔物を生み出し続けている。許す限りの虚無としての力を振るい続け、戦力を拡充し続ける。
ボコボコと大地から死者が溢れ、天には魔物が湧き、地の底からワームが飛び出し、一目散に主の周囲を散開していく。
万が一にも、蛹となっている主の羽化を邪魔する者が居ないように、入念に布陣を敷いていく。その包囲網に引っかかった哀れで不運な人間は、一切の躊躇もなく魔物たちに屠られ、食い尽くされていくのだ。
それすら美味と啜りながら、クレイビーは恍惚の笑みで天を仰ぐ。
「終末の時は来たれり!さぁ神の尖兵よ!己が生存欲求を果たすために足掻くがよかろう!その全てを討ち滅し、神の威光を末代まで穢してやろうぞっ!!」
上空では、高く笑うその声に反応すらなく、異形の鬼が静かに佇む。
まるで、何かを待っているかのように…。
※※※
虚無の異形が動き出したのを、メルサディールは自室にてそれを察知した。
大地が震え、空は陰り、神も精霊もその声を届けはせず、代わりに人々の悲鳴が世界を震わせている。
窓の外には、赤い世界。
もはや面影もないそれを見つめながら、メルは静かに口を開く。
「世界が、終わろうとしていますわね」
それに返答はなく、背後の男は黙したまま。
目線をやることもなく、メルは静かな口調のままに続ける。
「それで、貴方はこんな状況でも、アタクシの邪魔をなさいますの?勇者の仕事の邪魔を?」
「…」
「答えなさい、ラーツェル。貴方、このままデグゼラスは勿論、この大陸全ての命ある者たちを滅ぼしても、よろしいと仰るのね?今なお、人々はアタクシの、勇者の出現を願っているのに。それを一皇帝ごときの命で邪魔をなさると?それが、貴方の本心?」
「…」
「…答えなさい!!」
遂には振り返り、メルは鬼気迫る形相でラーツェルの胸ぐらを掴む。騎士の男は、静かな眼差しだったが、しかし避けるように目を伏せた。
「貴方、どうしてそこまで皇帝に忠義を尽くしますの?貴方の何がそこまでさせますの?事の重大さは、貴方だって理解しているはずでしょう?ましてや、バカみたいに愚直な貴方が、こんな場所で燻っているはずがありませんもの」
「…姫」
「答えなさい。貴方、いったい皇帝に何をされましたの?あの旅以降、貴方がやけに皇家への忠義厚い騎士になったのも、理由があるのでしょう?」
「………」
ラーツェルは初めてその無表情に亀裂を生じさせ、顔を歪ませて首を振った。
「言えません」
苦渋の滲んだ一言。
それに、メルは全てを察する。
「…それは、言わないのではなく、言えないのですわね?」
「…」
「…口外できぬように、何か魔法的な制約を課されているのですわね。文字も不可能?なら、首を振るだけで十分でしょう。ラーツェル、貴方…お父様を裏切れないように、なにか枷を嵌められてますわね?」
…ラーツェルは、ゆっくりと首を縦に振った。
それに、メルはこれ以上になく顔を歪め、嘆息した。
言葉どころか文字にすら制約を課す呪法は、デグゼラスの秘匿された非人道的な魔法の中に存在している。メルは見ることは出来なかったが、おそらくあるだろうという確信はあった。かつて異民族を武力で統合したこの帝国の歴史は、血塗られているのだから。
それに、元老院も不安だったのだろう。英雄とまで呼ばれる男が、半獣の血を引くことに。ヴェシレアへ寝返らないように、首輪を欲したのだ。
おそらく、制約を破ると同時に死する呪いか…。
それに、義に厚いこの男が、ここまで何も出来ないとなると…。
「ラーツェル、貴方が制約を破れば…貴方のお母様にも、危害が加えられるようになってますのね?」
…これにも、ゆっくりとイエスと答える。
ラーツェルの実母は、体の弱い女性だ。屋敷でゆっくりと過ごしているが、そんな彼女にも制約を課してたというのならば…なんという非道か。
「では、貴方が今まで皇帝に従っていたのも、アタクシを袖にしたのも…それが原因?」
これには答えず、ラーツェルは目を逸らす。
どこまでも、自身が半獣のハーフであることと、身分違いであることを気にして…否、メルを慮っての拒否なのだと察していた。
それに、メルは嘆息しか出ない。
「…本当に、貴方っておバカですわね。他人のことばかりで、自分の身はまったく考えない。アタクシを助けるときだってそうでしたわ。我が身を省みず、向こう見ずな行動ばっかりで…本当に、貴方って…」
一人で抱え込んで、一人で耐え忍んで…偏見も差別も、幾度もその身を刻んだろう。それでも前を向ける男に、メルは真っ直ぐな視線を返す。
「…ラーツェル。ならば貴方は、皇帝の命でアタクシを選べと言われれば、構いませんわね?」
予想外な言葉に、目を瞬かせるラーツェル。
それに勢い込むように、メルは続ける。
「ラーツェル、答えて。もし、皇帝が貴方とアタクシの関係を良しとするのならば…貴方は、アタクシを…選んでくださいますの?」
小さな、どこか不安げなそれ。
かすかに震えながらも、しかししっかりとこちらを見つめるメルを目にして、ラーツェルは…ゆっくりと、頷く。
「…それが、皇帝の」
「命令だから、ではありませんわ。貴方の本当の言葉を聞きたいの」
「…私は」
ラーツェルは葛藤したように口を開閉してから、しかしメルの下から覗き込むような強い視線に、遂には諦めたように、ため息をつく。
そして、その黒髪を一房、手にとって、口付ける。
「いつでも、貴方をお慕い申しておりました。メルサディール姫」
「…それだけですの?と、いつもなら言ってやるところですけども…そうですわね、続きはすべてが終わってから、聞くことにしますわ」
メルは、華が綻ぶように、ふわりと微笑む。
優美なその笑みは、まさに大輪の薔薇のように、誰もが見惚れる美しさを讃えていた。
ラーツェルは、その笑みに目を細めて、メルの頬に手を伸ばし…、
コンコン、とノック音が響いて、両者は思わず振り返る。
「歓談中、すまないのだがね。メルサディール」
「あら、お兄様」
ごほん、と咳払いを一つ、ラングディールがそこに佇んでいた。
何事もなかったかのように離れた両者を一瞥してから、ラングディールはため息交じりにメルへ言う。
「なかなか茨の道を歩みそうだな、メルサディール」
「あら?ご不満かしら?」
「為政者として首は縦には振れないが、まあお前ならば構わないとも思う。とはいえ、勝ち取るのはお前の努力次第だ」
頑張りたまえ、という無感動ながらも後押しする言葉に、メルは勝ち気な笑みを浮かべて頷く。兄の了承を取ったのだ。もはやメルにとっては恐れるものなど何もない。
そんな妹へ、ラングディールは現状を説明する。
「準備は整った。それに予想外の支援もあったからな…異様なほどのスピードで状況が変わった。私に皇帝になれと、執務室までやってくる元老院議員が居るくらいには混迷している」
「あら、上等ですわ。それならどさくさに紛れて、事が起こしやすくなりますもの。古い根腐れを起こしている物の除去も、ね」
「覚悟はよかろうね?メルサディール」
「覚悟でしたら、とうの昔に出来てますわよ、お兄様」
兄妹は互いに睨み合うように対峙し、ニヤッと笑い合う。
どうにも、腹違いなのによく似ている2人だな、とラーツェルは内心でぼやく。
そしてメルはバサリと髪を掻き上げ、振り返った。
「ここからは、こちらの反撃でしてよ」
と、そう呟き、勇者は不敵に微笑んだ。
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