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冒険者編
VS虚無の眷属
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「…ひひひっ!来たであるな…!!」
クレイビーは楽しげに肩を震わせながら、拡声魔法で声を届ける。
『よくぞ来たであるぞ、神に選ばれし者たちよ!』
「…ご丁寧な歓待、どーもって感じかな」
「リーン…あれが…」
ケルトは遠く空中に佇む異形を目にし、思わず眉をひそめる。わずかしか見えぬが、それの形はもはや人とは思えない。
その合間にも、クレイビーは嬉々とした声音で話し続けている。
『よもや、お主らだけがやってくるとは思いもしなかったである。あの勇者がいの一番に駆けつけてくるかも、と思っていたのであるがな?まあ我輩らの策が成ったということで喜ぶべきことかもしれぬが、しかし期待外れもいいところ。所詮はイレギュラーで遣わされた神の人形に過ぎぬということなのであろうなぁ!ひょっひょ!ともあれ、お主ら勇気ある定命の者たちにはその無謀な行動に敬意を表し、この場で華々しく散らせて』
「とりゃぁっ!!!」
『ぬわはぁぁっ!?!?』
眼前すれすれを通り過ぎる剣閃に悲鳴をあげて避けるクレイビー。
それを遠目で見ながら、ハディは唇を尖らせる。
「う~ん、避けられちゃったぞ。やっぱ至近距離じゃないと当たらないか」
「不意打ちは良かったのですがねぇ」
『おおお主らぁ!!人が話をしている時に攻撃するなと言わなかったであるかぁ!?』
「俺言われてないもーん」
「私は忘れました」
相変わらずな物言いに、クレイビーはぬぬぬと拳を握ってから笑う。
『くっくくく…!!あいも変わらずふざけた小童共である…!!良かろう!そんなに死にたいのならばさっさと冥府へ送ってやるであるぞ!!』
クレイビーは大地へ掌を向け、朗々と唱える。
『愚かなる虚無の供物共よ!眷属たる我が声を聞け!彼の怨敵らを、骨の一片も残さず食らいつくすがよい!!』
その声が終わると同時、周囲にいた魔物たちが一斉にこちらを向いた。
ギラリと底冷えする眼光は、紛れもなく2人を敵と認識したのである。
「…数千の魔物か。ネセレも一人で戦った時、こんな気持だったのかな」
「かもしれません。ですが、今は我々も退けない事情があります」
「ああ、後ろの皆のためにも、退くわけにはいかないな」
『ひっひっひ!!よかろう、遊びは無しで全力で殺してやるである!!魂ごと我らが糧となるがよい!!』
クレイビーの高笑いを聞きながら、迫りくる魔物を前に、2人は静かに構えをとった。
「じゃあ、ケルト。後ろは任せたぞ」
「任されました」
ハディは輝ける剣を手に、身を低く鎮める。まるで四足になるように上半身を低く地面へ近づけ、そして、
「…いくぞ、レビ!」
『任せよ!』
瞬間、弾かれたバネのように大地を蹴り壊しながら、小さな鬼が解き放たれた。
目にも留まらぬ速度で荒野を渡り、弾丸の如き黒い疾風は先頭の魔物を一瞬で細切れにした。
「だぁっ!!」
細切れにした肉片を貫いて飛んでくるワスプ、それを膝で蹴り飛ばし、宙に浮かんだそこでレビの腕がハディの足を掴み、更に上空へと投げ飛ばす。バネのように飛んだハディ、そこへ影のようにくっついていくレビの両者は、上空から剣を構えて力を溜めた。
「…いくぞレビ!特大の一撃だ!」
『よかろう、それで口火を切ってやれ!』
白い輝きが剣に宿る。それは禍々しくも、どこか輝く星のように光を灯しながら、振るわれる儘に一陣の閃光となって戦場を切り裂いた。
「虚空斬っ!!」
着弾と同時に大地を抉り、魔物を吹き飛ばしながら虚無へと還していく。虚無を切る剣は、魔物にとっての弱点でもある。
数十体の魔物を消し飛ばしながら、大地に降り立ったハディはピクリと反応する。
『足元だ!』
レビの言葉と同時、地面を蹴ったそこに、地の底から現れたワームが食らいつく。
「へへっ!当たらないよーだ!」
ワームの一撃を躱しながら、ハディは虚無の剣を振るって相手を斬り飛ばす。まるで紙のように、あっさりと両断されたワームは気色の悪い声を上げながら塵となって消えていく。
ハディは止まることを知らず、ただ愚直に真っ直ぐに戦場を疾駆する。
左右から迫る魔物を切り飛ばし、蹴り飛ばし、踏み越えて、先へと進む。
彼の目に写っているのは、巨大な虚公と、その前の眷属のみ。
「…ノ・ラ・シア・ビン・カムル!」
突如、天が輝き、凄まじい量の光の雨が大地を襲った。
ケルトの魔法が広範囲の魔物を容赦なく殲滅していく。威力の増したそれは、どんな魔物であろうとも一片の慈悲もなく無へと還していく。
ゴロゴロと落ちる魔核を尻目に、ハディは楽しげに笑う。
限界まで引き伸ばされた身体能力が、ハディの魂に刻み込まれた技量に反応し、いつもとは比較にならないレベルまで引き上げている。まるで羽でも生えたかのように軽やかに、なんでも無いかのように魔物を屠り、削り、切り払う。
たとえそれを見ている者が居ても、一瞬の剣閃を見切れる者はいないだろう。
それに…ハディは今、戦場を神のごとく俯瞰の視点で見ることが出来ていた。周囲四方、全ての存在を感知し、相手の出方が手にとるようにわかる。そして、まるで達人が極限の集中をする時のように、攻防はゆっくりと時間が流れる。その御蔭で、体のバフに対して、反射神経もついていくことができていた。これらは全て、カロンの仕業だろう。
黒の影だけが戦場を渡り、時として黒い怪腕に叩き潰される。
それはまさに黒い閃光だ。
しかし、それ以上に敵勢は多い。
数千という魔物がわらわらと集まり、壁となって虚公への道を閉ざしていく。敵は攻撃よりも防衛に重きを置いているのだろう。
「…こりゃあちょっと手間がかかりそうだな」
掠った傷が再生するのを感じながら、ハディは思わずごちる。ちらり、とクレイビーを見れば、相手は朗々と何かを詠唱しているのが見て取れた。
「…調子に乗るでないぞ小童共!」
クレイビーが呪文を唱えれば、ハディの周辺に黒い球体が幾つも現れる。黒い地雷だ。
「ひょひょっ!虚無魔法でなくば切れまい!?さぁそのまま魔物に食い潰されよ!!」
「そんなのお断りだね!」
黒い魔法に機動を邪魔され、容易に動くことができなくなる。唐突に頭上へ現れたそれにぶつかれば、バチバチッと黒い衝撃波に晒されて一瞬だけ息が止まる。
しかしそれをフォローするように、レビがハディをひっ掴んで投げれば、敵の薄い場所へ着地する。
「げほっ…面倒だなぁ」
『ふん、伊達に導士は名乗っておらんようだな。…ハディ、どうする?』
「大丈夫、こういう時こそ、ケルトの出番さ」
ハディの信頼に答えるように、後衛で空中に浮かび上がり、七色の輝きを身に纏いながら結界に身を包んだケルトが、詠唱を行っていた。
『来たれ9つの光、我は汝に乞い願う。我は光の同胞なりて、我が思索は汝に望む。光幕は輝ける津波となりて、悪しき者たちを拭い去らん』
不意に、ケルトの頭上に光の粒子が集まった。それはぐるぐると円を描くように集いながら、徐々にその大きさを増していく。
次の瞬間、粒子が膨張したかと思えば、そこから破裂するかのように光が爆発し、津波のように大地を襲った。頭上からの光の津波を避けられる魔物は一匹もおらず、その全てが波に攫われ消滅していく。…クレイビーだけは、宙に浮かぶことで免れたが。
そして流れた波は壁となって四方を覆い、光の結界となって戦場を囲ったのだ。
これで、もはや新たな魔物が入ってくることは叶わない。
「魔物を新たに生み出すにしても、エネルギーが必要でしょう?クレイビー・カルネット」
「…くっ!小癪なことをっ…」
クレイビーが悔しがる傍ら、ケルトは天を仰ぎ、目を細めてそれへ杖を突きつける。
「邪魔者は消しました。さあ、来なさい、リーン!」
その挑発に答えるかのように、今まで沈黙を保っていた異形がゆらりと動き、そして…哄笑したのだ。
まるで臓腑を震わせるかのような、おぞましい声色。
歓喜に滲むそれは、こちらを撫でるかのよう。
その威圧感に一瞬だけ気圧された間際、
「っ!?」
リーンの姿が、掻き消えた。
「ケルト!!」
ハディの声。
咄嗟に背後へ飛べば、鼻先を掠める漆黒の爪。それは結界をいとも容易く削り取りながら、眼前でその猛威を奮ったのだ。
「っ!!」
鋭く息を吐き、ケルトはヒヤリとした物を感じつつも詠唱する。
「ゼケルト・カトゥ!!」
槍の如く鋭い光線が敵を穿つ。されど、その程度の攻撃など歯牙にも掛けていないかのように、リーンはゲタゲタと文字にできない笑いを吐き出してる。
「はぁぁっ!!」
そこへ横からハディが飛び込んで来て、ケルトの間に入ってリーンへ斬りかかる。
ハディの剣は脅威に映ったのか、リーンは受けることなく霞となって回避し、返す爪がハディを襲う。されどハディも慣れたもの、相手の動きよりも先にレビがハディの襟首を引っ掴み、わずかに後退する。髪を数本持っていかれつつ、ハディはそのまま猛攻を続ける。
その間、ケルトは詠唱をするが、それよりも先に相手の方が早かった。
「我、虚無の実行者にて招致を命ず!」
クレイビーが魔法を行使すれば、魔法陣から無数の触手の如き黒い影が、こちらを捕らえようと迫ってくる。大量の束縛魔法をハディは魔眼で消し飛ばしつつ、リーンの攻撃を捌いている。
「猪口才な!!」
クレイビーの二度目の魔法。
それは先程のケルトの魔法の意趣返しなのか、天の魔法陣より黒い光の矢、それも無数の雨の如きそれがハディを襲い来る。
「させませんっ!!」
しかしケルトの魔法が天に障壁を張り、それを通さない。
「虚無魔法は使わないようですね…!!」
「エネルギーの節約は何事も重要あるぞ?若造!」
どうやらクレイビーは虚無魔法を使えないようだ、とケルトは思う。おそらく、背後の虚公がそれを消費し続けているのか…。
更にケルトは短い魔法を放つ。
リーンの足に絡みついた鎖がその動きを一瞬だけ阻害する。
たかが一瞬、されど一秒、硬直したリーンへ、ハディの剣が攻勢を奮う。
キィン!
と澄んだ音が響き、リーンの片腕を切り飛ばしていた。
「よしっ!これなら…」
『逸るなハディ!!下だ!!』
レビの声にはっと目を向ければ、クレイビーの魔法が着弾した大地は、黒々とした沼となっていた。そして沼から腕が何本も伸び、ハディを捕まえようと向かってくる。
それを切り飛ばし、更に翼を広げて上空へと逃れる。
「地面には降りれそうにないな…」
「ひょっひょ!地面だけではないぞ小童!!」
クレイビーの再度の攻勢。その背後に巨大な魔法陣が広がり、それから凄まじい力を感じたのだ。
更にアーメリーンの姿が見えず、代わりにザァァ…と赤い霧が周囲に濃く漂ってきた。
吸血鬼の赤い霧だ。
「くっ…!」
「ハディ、私の背後へ!!」
「ああっ!!」
ケルトの後ろに退避すれば、ケルトも相対するような、巨大な魔法陣を出現させる。
掌を掲げ、鋭い瞳で呪文を放つ。
「ゼケルト・ビエンシェ・ザン・ヴァーベア!!」
「カムル・ノ・マール・ルドア・ヴァートヴェルシュ!!」
両者、同時に放たれた闇と光の魔法が中央で激突し、凄まじい余波を発して拮抗。
しばしの後に中央から爆発を起こし、周囲一体をふっ飛ばした。
「うわっぷ…!」
『くっ…もはや8レベル魔法が普通に放たれるか…!』
どだい、人種の大陸で使われていいレベルではないだろう、とレビが呟く。
噴煙に烟るハディが目を擦っていれば、不意に気配を感じて動く。
カキキキィンッ!!
と連続で金属音が響けば、周囲から飛来していた赤い刃がすべて叩き落されていた。
そこで手を止めず、ハディは目を見開いて見通しの悪い赤い霧の彼方へ身を翻し、鋭い刃を奮う。
そこに居たリーンは、しかしゲタゲタと笑いながら霧となって姿を消す。
「くそっ…!攻撃が当たらない…」
『やはり実体化せねば当たらぬか』
愚痴る間にも、数十もの赤い刃が四方八方から閃き襲う。
されどハディはまたもや全て叩き落とし、返す刃で相手へ斬りかかる。切り飛ばされたはずのリーンの片腕も、既に再生しきっているようだ。
『…させん!』
不意にレビが叫び、腕を掲げて不可視の攻撃を防ぐ。
別次元からの攻撃はすべてレビが受け止め、防いでくれる。故に、ハディは目の前の攻撃だけに集中することが出来た。
ケルトとクレイビーの爆炎魔法の衝突を横目に、ハディは気勢を上げて立ち向かう。
…戦いは既に佳境へと至っていた。
※※※
突如として現れた巨大な怪物の出現に、帝都の人々の心は不安と恐怖によって支配されつつあった。未だに攻撃を仕掛けて来ないとは言え、目と鼻の先に見るも悍ましい化け物が、天に届かんばかりに存在し続けている。
これは世界の終わりである、という奇妙なローブの終末論者が闊歩し、恐慌によるパニックで集った民衆が皇城へと詰めかけて騎士たちと危うい問答を繰り広げ、敬虔で無力な人々は神殿へと駆け込み、神へと祈りを捧げていた。
「………」
人々の泣き声がうっすらと漂う、大地神の神殿にて。
翼種の青年は両手を組んで、長椅子に座っている。大地神ティニマの神殿には、眷属神達の神像も存在しており、その土神ガイゼルムンドの像を前に、彼はひたすら祈りを捧げていた。
「…どうして、こんなことに…」
どれだけ祈ろうとも、主神の声が聞こえない。かつて精霊であったと聞かされ、神と強い繋がりを持っていると実感していた現在、しかしその神の声が聞こえない。届かない。
その状況に、彼は頭を抱えて苦悶の声を漏らす。…最近になって見え始めた精霊が心配そうに寄り添っているが、彼はそれも目に入らない。
「ああ、どうして…何故ですか、ガイゼルムンドよ…!僕は、僕はここでどうすれば…」
何を成すべきか、彼にはわからなかった。
彼は戦う術を持たない、歌で皆を勇気づけることは出来るが、それは彼の心に勇気があれば、という話だ。恐怖に挫けかけている現状、彼は歌を歌えるような精神状態になかった。
歌えない今、彼は何も出来ない。だから、ここでこうして震えている以外に、何も出来ることはないのだ。
そう胸中で呟くも、どこかでそれを否定する自分がいる。
いや、何かが出来るはずだ。
アレをどうにかするために、こんな自分でも何かが…。
(い、いや…!あんな怪物に立ち向かうなんて無理だ!あんなの…勝てるわけがない…神でもなければ、絶対に…!)
震える吟遊詩人は、自らの意気地の無さに失意を抱きながら、祈り続ける。
導き手はおらず、英雄はいない。
来たるべき勇者の影は見えず、世界は赤黒い闇に覆われている。
未来の見えない恐怖に、虚無に、彼は悲痛な嗚咽を漏らした…、
…そこで、隣に誰かが座った。
「探しましたよ、トゥーセルカ」
「…キュレスタ?」
そこには、長い付き合いの友人がいたのだ。
キュレスタはいつもどおりの上品な所作で、笑みを浮かべてこちらを見ている。
それに不可解な思いを抱きつつ、トゥーセルカは視線を逸らして地面を見た。
「……キュレスタ、僕は…」
「いやはや、今まさに世界が、終わろうとしているかのようですね。こんなことになるとは…人生何があるか、わからないものですなぁ」
「…君は、何も言わないのかい?」
「何も、とは?」
こんな状況でも飄々としているキュレスタへ、トゥーセルカは絞り出すように声を発する。
「僕に、何かをしろと…言わないのかい?だって僕は元精霊で…力がある、らしいし」
「私に『なんとかしてくれ』、と言われるのがお望みですか?…いえいえ、それは君自身が決めるべき事のはずです。私が助けてくれと言ったとしても、それは君の勇気を呼び起こしこそすれど、覚悟までには至らない。それでは、些末な脅威で竦んでしまうだけでしょうな」
「…」
長い付き合いのキュレスタには、トゥーセルカの精神的な脆さを知っている。
だからあえてその言葉は言わず、続ける。
「トゥーセルカ。思えば、長い付き合いとなりましたなぁ」
「…?あ、ああ」
「メルディニマ大陸で販路を広げていた頃、貴方の噂を街で聞いて会いに行きました。そして歌う貴方の姿を見て、私は脳天から突き抜けるような驚きに包まれましたよ。これこそ、神が作り給うた音楽という芸術に違いない、と」
「まあ、歌唱法は僕が作った代物じゃなかったけど」
「いえいえ、それを貴方が広めたのが重要なのですよ。啓示を与える者がいて、それを広める者がいる。何かを作るだけでなく、何かを広めるという事も大切です。それに…今の君は、それだけではない」
キュレスタは神像に印を切り、祈りを捧げている。
「私は、君と旅に出る時に、思いましたよ。半ば確信でした。君はきっと歴史に残るような吟遊詩人になれる、と。きっと後世にて、大勢の者が君の歌を再現し、それに感銘を抱くだろう、と」
「買いかぶり過ぎだよ。僕はそんな御大層な存在じゃない…」
「本当にそうでしょうか?私は…君が精霊の申し子だと聞いた時も、得心がいきましたよ。やはり君はそういう星の下に存在する者なのだ、と」
「よしてくれよ!僕は…僕は…」
トゥーセルカは意気萎みながら、ため息をつく。
「僕は、無力だよ。あんな化け物を退けるような手段を持たない。ここでこうして、怯えて震えていることしかできない。優柔不断で、誇大妄想家で…何の役にも立たないんだ」
マイナスな言葉に、キュレスタは否定するでもなく、横目で友を見る。
トゥーセルカは伏し目がちな表情で、地面を見ていた。
「…キュレスタは知っているよね。僕の故郷では、ずっと地族は天族より下だと見られていた。天族の若者が僕らに石を投げることもありふれていて…魔法を持たない役立たずだって、言われてきたんだ」
「…ええ、よく知っています」
翼種は長命ということもあり、その文化は厳しい階級制度の上に成り立っている。トゥーセルカの実家もまた、そんな天族の影響の濃い土地で農夫をやっていたのだ。
「そんな僕でも、歌だけは特別だった。歌うことにかけては、天族にだって負けてはいないと、今でも思っているよ。…まあ、歌唱際では散々だったけど」
「あれは半分以上、出来レースですからねぇ。そこに飛び入り参加して特賞をもぎ取った君の姿を見て、勇気を与えられた地族は多いでしょう」
「そうかもね…そして、僕の歌には力があると教えられた。人にはない心を奮い立たせる魔法…けど、同時に恐ろしくも感じた。それがどれだけ規格外なのかは、カロンさんに教えられて実感したよ」
人の心を操る、魔法という名の奇跡。
ならばそれを用いれば…メルディニマに改革を齎すことも容易いのではないか?と彼は思った。けれど、同時に恐ろしくもなった。
人を、そんな簡単に操れる力など…まるで、神にでもなったかのようだった。
「僕は、卑小な人間だよ。ここで人々を奮い立たせることは出来る。けど、それのせいで…僕の歌で、大勢の人があの怪物に食われてしまったら?殺されてしまったら?…僕はそれが、たまらなく恐ろしい」
かすかに震えるトゥーセルカへ、キュレスタは目を細める。
人を殺めたことのない若者にとって、その死を背負うことほど、恐ろしいものはないのだ。自らのせいで大勢の人の死を背負い、それの重みに潰されてしまうのは、容易に想像できた。…世界には、そのように脆く、優しい人間もいるのだ。
だから、キュレスタは首を振って否定する。
「トゥーセルカ、そう一つの事に縛られる必要はないのですよ」
「…え?」
「確かに、君の魔法で人々の心を一つにし、あの怪物に立ち向かわせることはできるでしょう。…しかし、それはただ、闇雲に犠牲者を増やすだけの悪手でしかない」
戦えぬ者に武器をもたせ、あの怪物に向かわせたところで…結果など、火を見るよりも明らかだ。
だから、キュレスタはきっぱりと否定する。
「トゥーセルカ、君の歌は、人々を勇気づける為にあるもの。決して無駄死にさせるような代物ではありません。君の成すべきことは、戦うことでは無いはずです」
「それは、そうだけど。じゃあ、どうすれば…」
「…これより、帝国が動きます」
驚くトゥーセルカへ、キュレスタは悪戯げに笑みを浮かべて、懐から手紙を取り出して渡した。
それを手に取って読み始めたトゥーセルカは、徐々に驚きから呆れたような表情に変わり、困惑顔でキュレスタを見る。
「…これは、彼女は本気なのかい?」
「そのようです。トンコー氏から送られてきましたので、確実でしょう」
「…でも、すんなりとはいかないだろうね」
「でしょうな。古い方々が、それを認めるには時間が足りません」
「…でも、皆が一丸となって陳情すれば」
「あるいは、手助けになるやもしれません」
しばしの無言。
両者は黙して互いに目を見合わせ、静かに笑いあった。
「…ありがとう、キュレスタ。やっぱり君は最高の親友だよ!」
「ははは、友ならば当然でしょう?…さて、それでは商人ギルドも動かねばなりますまい。こんな状況だからこそ、私達が率先して動かねば」
「ああ、そうだね。やり方がわかったのなら、僕にだって…」
トゥーセルカの胸の内に灯った、小さな光。
勇者が撒き、芽吹いた勇気を抱きながら、彼らは立ち上がった。
「神に祈るよりも、成すべき事を為さなくては」
「ええ、未来を得るためにも、ね」
そして、彼らも動き出す…。
クレイビーは楽しげに肩を震わせながら、拡声魔法で声を届ける。
『よくぞ来たであるぞ、神に選ばれし者たちよ!』
「…ご丁寧な歓待、どーもって感じかな」
「リーン…あれが…」
ケルトは遠く空中に佇む異形を目にし、思わず眉をひそめる。わずかしか見えぬが、それの形はもはや人とは思えない。
その合間にも、クレイビーは嬉々とした声音で話し続けている。
『よもや、お主らだけがやってくるとは思いもしなかったである。あの勇者がいの一番に駆けつけてくるかも、と思っていたのであるがな?まあ我輩らの策が成ったということで喜ぶべきことかもしれぬが、しかし期待外れもいいところ。所詮はイレギュラーで遣わされた神の人形に過ぎぬということなのであろうなぁ!ひょっひょ!ともあれ、お主ら勇気ある定命の者たちにはその無謀な行動に敬意を表し、この場で華々しく散らせて』
「とりゃぁっ!!!」
『ぬわはぁぁっ!?!?』
眼前すれすれを通り過ぎる剣閃に悲鳴をあげて避けるクレイビー。
それを遠目で見ながら、ハディは唇を尖らせる。
「う~ん、避けられちゃったぞ。やっぱ至近距離じゃないと当たらないか」
「不意打ちは良かったのですがねぇ」
『おおお主らぁ!!人が話をしている時に攻撃するなと言わなかったであるかぁ!?』
「俺言われてないもーん」
「私は忘れました」
相変わらずな物言いに、クレイビーはぬぬぬと拳を握ってから笑う。
『くっくくく…!!あいも変わらずふざけた小童共である…!!良かろう!そんなに死にたいのならばさっさと冥府へ送ってやるであるぞ!!』
クレイビーは大地へ掌を向け、朗々と唱える。
『愚かなる虚無の供物共よ!眷属たる我が声を聞け!彼の怨敵らを、骨の一片も残さず食らいつくすがよい!!』
その声が終わると同時、周囲にいた魔物たちが一斉にこちらを向いた。
ギラリと底冷えする眼光は、紛れもなく2人を敵と認識したのである。
「…数千の魔物か。ネセレも一人で戦った時、こんな気持だったのかな」
「かもしれません。ですが、今は我々も退けない事情があります」
「ああ、後ろの皆のためにも、退くわけにはいかないな」
『ひっひっひ!!よかろう、遊びは無しで全力で殺してやるである!!魂ごと我らが糧となるがよい!!』
クレイビーの高笑いを聞きながら、迫りくる魔物を前に、2人は静かに構えをとった。
「じゃあ、ケルト。後ろは任せたぞ」
「任されました」
ハディは輝ける剣を手に、身を低く鎮める。まるで四足になるように上半身を低く地面へ近づけ、そして、
「…いくぞ、レビ!」
『任せよ!』
瞬間、弾かれたバネのように大地を蹴り壊しながら、小さな鬼が解き放たれた。
目にも留まらぬ速度で荒野を渡り、弾丸の如き黒い疾風は先頭の魔物を一瞬で細切れにした。
「だぁっ!!」
細切れにした肉片を貫いて飛んでくるワスプ、それを膝で蹴り飛ばし、宙に浮かんだそこでレビの腕がハディの足を掴み、更に上空へと投げ飛ばす。バネのように飛んだハディ、そこへ影のようにくっついていくレビの両者は、上空から剣を構えて力を溜めた。
「…いくぞレビ!特大の一撃だ!」
『よかろう、それで口火を切ってやれ!』
白い輝きが剣に宿る。それは禍々しくも、どこか輝く星のように光を灯しながら、振るわれる儘に一陣の閃光となって戦場を切り裂いた。
「虚空斬っ!!」
着弾と同時に大地を抉り、魔物を吹き飛ばしながら虚無へと還していく。虚無を切る剣は、魔物にとっての弱点でもある。
数十体の魔物を消し飛ばしながら、大地に降り立ったハディはピクリと反応する。
『足元だ!』
レビの言葉と同時、地面を蹴ったそこに、地の底から現れたワームが食らいつく。
「へへっ!当たらないよーだ!」
ワームの一撃を躱しながら、ハディは虚無の剣を振るって相手を斬り飛ばす。まるで紙のように、あっさりと両断されたワームは気色の悪い声を上げながら塵となって消えていく。
ハディは止まることを知らず、ただ愚直に真っ直ぐに戦場を疾駆する。
左右から迫る魔物を切り飛ばし、蹴り飛ばし、踏み越えて、先へと進む。
彼の目に写っているのは、巨大な虚公と、その前の眷属のみ。
「…ノ・ラ・シア・ビン・カムル!」
突如、天が輝き、凄まじい量の光の雨が大地を襲った。
ケルトの魔法が広範囲の魔物を容赦なく殲滅していく。威力の増したそれは、どんな魔物であろうとも一片の慈悲もなく無へと還していく。
ゴロゴロと落ちる魔核を尻目に、ハディは楽しげに笑う。
限界まで引き伸ばされた身体能力が、ハディの魂に刻み込まれた技量に反応し、いつもとは比較にならないレベルまで引き上げている。まるで羽でも生えたかのように軽やかに、なんでも無いかのように魔物を屠り、削り、切り払う。
たとえそれを見ている者が居ても、一瞬の剣閃を見切れる者はいないだろう。
それに…ハディは今、戦場を神のごとく俯瞰の視点で見ることが出来ていた。周囲四方、全ての存在を感知し、相手の出方が手にとるようにわかる。そして、まるで達人が極限の集中をする時のように、攻防はゆっくりと時間が流れる。その御蔭で、体のバフに対して、反射神経もついていくことができていた。これらは全て、カロンの仕業だろう。
黒の影だけが戦場を渡り、時として黒い怪腕に叩き潰される。
それはまさに黒い閃光だ。
しかし、それ以上に敵勢は多い。
数千という魔物がわらわらと集まり、壁となって虚公への道を閉ざしていく。敵は攻撃よりも防衛に重きを置いているのだろう。
「…こりゃあちょっと手間がかかりそうだな」
掠った傷が再生するのを感じながら、ハディは思わずごちる。ちらり、とクレイビーを見れば、相手は朗々と何かを詠唱しているのが見て取れた。
「…調子に乗るでないぞ小童共!」
クレイビーが呪文を唱えれば、ハディの周辺に黒い球体が幾つも現れる。黒い地雷だ。
「ひょひょっ!虚無魔法でなくば切れまい!?さぁそのまま魔物に食い潰されよ!!」
「そんなのお断りだね!」
黒い魔法に機動を邪魔され、容易に動くことができなくなる。唐突に頭上へ現れたそれにぶつかれば、バチバチッと黒い衝撃波に晒されて一瞬だけ息が止まる。
しかしそれをフォローするように、レビがハディをひっ掴んで投げれば、敵の薄い場所へ着地する。
「げほっ…面倒だなぁ」
『ふん、伊達に導士は名乗っておらんようだな。…ハディ、どうする?』
「大丈夫、こういう時こそ、ケルトの出番さ」
ハディの信頼に答えるように、後衛で空中に浮かび上がり、七色の輝きを身に纏いながら結界に身を包んだケルトが、詠唱を行っていた。
『来たれ9つの光、我は汝に乞い願う。我は光の同胞なりて、我が思索は汝に望む。光幕は輝ける津波となりて、悪しき者たちを拭い去らん』
不意に、ケルトの頭上に光の粒子が集まった。それはぐるぐると円を描くように集いながら、徐々にその大きさを増していく。
次の瞬間、粒子が膨張したかと思えば、そこから破裂するかのように光が爆発し、津波のように大地を襲った。頭上からの光の津波を避けられる魔物は一匹もおらず、その全てが波に攫われ消滅していく。…クレイビーだけは、宙に浮かぶことで免れたが。
そして流れた波は壁となって四方を覆い、光の結界となって戦場を囲ったのだ。
これで、もはや新たな魔物が入ってくることは叶わない。
「魔物を新たに生み出すにしても、エネルギーが必要でしょう?クレイビー・カルネット」
「…くっ!小癪なことをっ…」
クレイビーが悔しがる傍ら、ケルトは天を仰ぎ、目を細めてそれへ杖を突きつける。
「邪魔者は消しました。さあ、来なさい、リーン!」
その挑発に答えるかのように、今まで沈黙を保っていた異形がゆらりと動き、そして…哄笑したのだ。
まるで臓腑を震わせるかのような、おぞましい声色。
歓喜に滲むそれは、こちらを撫でるかのよう。
その威圧感に一瞬だけ気圧された間際、
「っ!?」
リーンの姿が、掻き消えた。
「ケルト!!」
ハディの声。
咄嗟に背後へ飛べば、鼻先を掠める漆黒の爪。それは結界をいとも容易く削り取りながら、眼前でその猛威を奮ったのだ。
「っ!!」
鋭く息を吐き、ケルトはヒヤリとした物を感じつつも詠唱する。
「ゼケルト・カトゥ!!」
槍の如く鋭い光線が敵を穿つ。されど、その程度の攻撃など歯牙にも掛けていないかのように、リーンはゲタゲタと文字にできない笑いを吐き出してる。
「はぁぁっ!!」
そこへ横からハディが飛び込んで来て、ケルトの間に入ってリーンへ斬りかかる。
ハディの剣は脅威に映ったのか、リーンは受けることなく霞となって回避し、返す爪がハディを襲う。されどハディも慣れたもの、相手の動きよりも先にレビがハディの襟首を引っ掴み、わずかに後退する。髪を数本持っていかれつつ、ハディはそのまま猛攻を続ける。
その間、ケルトは詠唱をするが、それよりも先に相手の方が早かった。
「我、虚無の実行者にて招致を命ず!」
クレイビーが魔法を行使すれば、魔法陣から無数の触手の如き黒い影が、こちらを捕らえようと迫ってくる。大量の束縛魔法をハディは魔眼で消し飛ばしつつ、リーンの攻撃を捌いている。
「猪口才な!!」
クレイビーの二度目の魔法。
それは先程のケルトの魔法の意趣返しなのか、天の魔法陣より黒い光の矢、それも無数の雨の如きそれがハディを襲い来る。
「させませんっ!!」
しかしケルトの魔法が天に障壁を張り、それを通さない。
「虚無魔法は使わないようですね…!!」
「エネルギーの節約は何事も重要あるぞ?若造!」
どうやらクレイビーは虚無魔法を使えないようだ、とケルトは思う。おそらく、背後の虚公がそれを消費し続けているのか…。
更にケルトは短い魔法を放つ。
リーンの足に絡みついた鎖がその動きを一瞬だけ阻害する。
たかが一瞬、されど一秒、硬直したリーンへ、ハディの剣が攻勢を奮う。
キィン!
と澄んだ音が響き、リーンの片腕を切り飛ばしていた。
「よしっ!これなら…」
『逸るなハディ!!下だ!!』
レビの声にはっと目を向ければ、クレイビーの魔法が着弾した大地は、黒々とした沼となっていた。そして沼から腕が何本も伸び、ハディを捕まえようと向かってくる。
それを切り飛ばし、更に翼を広げて上空へと逃れる。
「地面には降りれそうにないな…」
「ひょっひょ!地面だけではないぞ小童!!」
クレイビーの再度の攻勢。その背後に巨大な魔法陣が広がり、それから凄まじい力を感じたのだ。
更にアーメリーンの姿が見えず、代わりにザァァ…と赤い霧が周囲に濃く漂ってきた。
吸血鬼の赤い霧だ。
「くっ…!」
「ハディ、私の背後へ!!」
「ああっ!!」
ケルトの後ろに退避すれば、ケルトも相対するような、巨大な魔法陣を出現させる。
掌を掲げ、鋭い瞳で呪文を放つ。
「ゼケルト・ビエンシェ・ザン・ヴァーベア!!」
「カムル・ノ・マール・ルドア・ヴァートヴェルシュ!!」
両者、同時に放たれた闇と光の魔法が中央で激突し、凄まじい余波を発して拮抗。
しばしの後に中央から爆発を起こし、周囲一体をふっ飛ばした。
「うわっぷ…!」
『くっ…もはや8レベル魔法が普通に放たれるか…!』
どだい、人種の大陸で使われていいレベルではないだろう、とレビが呟く。
噴煙に烟るハディが目を擦っていれば、不意に気配を感じて動く。
カキキキィンッ!!
と連続で金属音が響けば、周囲から飛来していた赤い刃がすべて叩き落されていた。
そこで手を止めず、ハディは目を見開いて見通しの悪い赤い霧の彼方へ身を翻し、鋭い刃を奮う。
そこに居たリーンは、しかしゲタゲタと笑いながら霧となって姿を消す。
「くそっ…!攻撃が当たらない…」
『やはり実体化せねば当たらぬか』
愚痴る間にも、数十もの赤い刃が四方八方から閃き襲う。
されどハディはまたもや全て叩き落とし、返す刃で相手へ斬りかかる。切り飛ばされたはずのリーンの片腕も、既に再生しきっているようだ。
『…させん!』
不意にレビが叫び、腕を掲げて不可視の攻撃を防ぐ。
別次元からの攻撃はすべてレビが受け止め、防いでくれる。故に、ハディは目の前の攻撃だけに集中することが出来た。
ケルトとクレイビーの爆炎魔法の衝突を横目に、ハディは気勢を上げて立ち向かう。
…戦いは既に佳境へと至っていた。
※※※
突如として現れた巨大な怪物の出現に、帝都の人々の心は不安と恐怖によって支配されつつあった。未だに攻撃を仕掛けて来ないとは言え、目と鼻の先に見るも悍ましい化け物が、天に届かんばかりに存在し続けている。
これは世界の終わりである、という奇妙なローブの終末論者が闊歩し、恐慌によるパニックで集った民衆が皇城へと詰めかけて騎士たちと危うい問答を繰り広げ、敬虔で無力な人々は神殿へと駆け込み、神へと祈りを捧げていた。
「………」
人々の泣き声がうっすらと漂う、大地神の神殿にて。
翼種の青年は両手を組んで、長椅子に座っている。大地神ティニマの神殿には、眷属神達の神像も存在しており、その土神ガイゼルムンドの像を前に、彼はひたすら祈りを捧げていた。
「…どうして、こんなことに…」
どれだけ祈ろうとも、主神の声が聞こえない。かつて精霊であったと聞かされ、神と強い繋がりを持っていると実感していた現在、しかしその神の声が聞こえない。届かない。
その状況に、彼は頭を抱えて苦悶の声を漏らす。…最近になって見え始めた精霊が心配そうに寄り添っているが、彼はそれも目に入らない。
「ああ、どうして…何故ですか、ガイゼルムンドよ…!僕は、僕はここでどうすれば…」
何を成すべきか、彼にはわからなかった。
彼は戦う術を持たない、歌で皆を勇気づけることは出来るが、それは彼の心に勇気があれば、という話だ。恐怖に挫けかけている現状、彼は歌を歌えるような精神状態になかった。
歌えない今、彼は何も出来ない。だから、ここでこうして震えている以外に、何も出来ることはないのだ。
そう胸中で呟くも、どこかでそれを否定する自分がいる。
いや、何かが出来るはずだ。
アレをどうにかするために、こんな自分でも何かが…。
(い、いや…!あんな怪物に立ち向かうなんて無理だ!あんなの…勝てるわけがない…神でもなければ、絶対に…!)
震える吟遊詩人は、自らの意気地の無さに失意を抱きながら、祈り続ける。
導き手はおらず、英雄はいない。
来たるべき勇者の影は見えず、世界は赤黒い闇に覆われている。
未来の見えない恐怖に、虚無に、彼は悲痛な嗚咽を漏らした…、
…そこで、隣に誰かが座った。
「探しましたよ、トゥーセルカ」
「…キュレスタ?」
そこには、長い付き合いの友人がいたのだ。
キュレスタはいつもどおりの上品な所作で、笑みを浮かべてこちらを見ている。
それに不可解な思いを抱きつつ、トゥーセルカは視線を逸らして地面を見た。
「……キュレスタ、僕は…」
「いやはや、今まさに世界が、終わろうとしているかのようですね。こんなことになるとは…人生何があるか、わからないものですなぁ」
「…君は、何も言わないのかい?」
「何も、とは?」
こんな状況でも飄々としているキュレスタへ、トゥーセルカは絞り出すように声を発する。
「僕に、何かをしろと…言わないのかい?だって僕は元精霊で…力がある、らしいし」
「私に『なんとかしてくれ』、と言われるのがお望みですか?…いえいえ、それは君自身が決めるべき事のはずです。私が助けてくれと言ったとしても、それは君の勇気を呼び起こしこそすれど、覚悟までには至らない。それでは、些末な脅威で竦んでしまうだけでしょうな」
「…」
長い付き合いのキュレスタには、トゥーセルカの精神的な脆さを知っている。
だからあえてその言葉は言わず、続ける。
「トゥーセルカ。思えば、長い付き合いとなりましたなぁ」
「…?あ、ああ」
「メルディニマ大陸で販路を広げていた頃、貴方の噂を街で聞いて会いに行きました。そして歌う貴方の姿を見て、私は脳天から突き抜けるような驚きに包まれましたよ。これこそ、神が作り給うた音楽という芸術に違いない、と」
「まあ、歌唱法は僕が作った代物じゃなかったけど」
「いえいえ、それを貴方が広めたのが重要なのですよ。啓示を与える者がいて、それを広める者がいる。何かを作るだけでなく、何かを広めるという事も大切です。それに…今の君は、それだけではない」
キュレスタは神像に印を切り、祈りを捧げている。
「私は、君と旅に出る時に、思いましたよ。半ば確信でした。君はきっと歴史に残るような吟遊詩人になれる、と。きっと後世にて、大勢の者が君の歌を再現し、それに感銘を抱くだろう、と」
「買いかぶり過ぎだよ。僕はそんな御大層な存在じゃない…」
「本当にそうでしょうか?私は…君が精霊の申し子だと聞いた時も、得心がいきましたよ。やはり君はそういう星の下に存在する者なのだ、と」
「よしてくれよ!僕は…僕は…」
トゥーセルカは意気萎みながら、ため息をつく。
「僕は、無力だよ。あんな化け物を退けるような手段を持たない。ここでこうして、怯えて震えていることしかできない。優柔不断で、誇大妄想家で…何の役にも立たないんだ」
マイナスな言葉に、キュレスタは否定するでもなく、横目で友を見る。
トゥーセルカは伏し目がちな表情で、地面を見ていた。
「…キュレスタは知っているよね。僕の故郷では、ずっと地族は天族より下だと見られていた。天族の若者が僕らに石を投げることもありふれていて…魔法を持たない役立たずだって、言われてきたんだ」
「…ええ、よく知っています」
翼種は長命ということもあり、その文化は厳しい階級制度の上に成り立っている。トゥーセルカの実家もまた、そんな天族の影響の濃い土地で農夫をやっていたのだ。
「そんな僕でも、歌だけは特別だった。歌うことにかけては、天族にだって負けてはいないと、今でも思っているよ。…まあ、歌唱際では散々だったけど」
「あれは半分以上、出来レースですからねぇ。そこに飛び入り参加して特賞をもぎ取った君の姿を見て、勇気を与えられた地族は多いでしょう」
「そうかもね…そして、僕の歌には力があると教えられた。人にはない心を奮い立たせる魔法…けど、同時に恐ろしくも感じた。それがどれだけ規格外なのかは、カロンさんに教えられて実感したよ」
人の心を操る、魔法という名の奇跡。
ならばそれを用いれば…メルディニマに改革を齎すことも容易いのではないか?と彼は思った。けれど、同時に恐ろしくもなった。
人を、そんな簡単に操れる力など…まるで、神にでもなったかのようだった。
「僕は、卑小な人間だよ。ここで人々を奮い立たせることは出来る。けど、それのせいで…僕の歌で、大勢の人があの怪物に食われてしまったら?殺されてしまったら?…僕はそれが、たまらなく恐ろしい」
かすかに震えるトゥーセルカへ、キュレスタは目を細める。
人を殺めたことのない若者にとって、その死を背負うことほど、恐ろしいものはないのだ。自らのせいで大勢の人の死を背負い、それの重みに潰されてしまうのは、容易に想像できた。…世界には、そのように脆く、優しい人間もいるのだ。
だから、キュレスタは首を振って否定する。
「トゥーセルカ、そう一つの事に縛られる必要はないのですよ」
「…え?」
「確かに、君の魔法で人々の心を一つにし、あの怪物に立ち向かわせることはできるでしょう。…しかし、それはただ、闇雲に犠牲者を増やすだけの悪手でしかない」
戦えぬ者に武器をもたせ、あの怪物に向かわせたところで…結果など、火を見るよりも明らかだ。
だから、キュレスタはきっぱりと否定する。
「トゥーセルカ、君の歌は、人々を勇気づける為にあるもの。決して無駄死にさせるような代物ではありません。君の成すべきことは、戦うことでは無いはずです」
「それは、そうだけど。じゃあ、どうすれば…」
「…これより、帝国が動きます」
驚くトゥーセルカへ、キュレスタは悪戯げに笑みを浮かべて、懐から手紙を取り出して渡した。
それを手に取って読み始めたトゥーセルカは、徐々に驚きから呆れたような表情に変わり、困惑顔でキュレスタを見る。
「…これは、彼女は本気なのかい?」
「そのようです。トンコー氏から送られてきましたので、確実でしょう」
「…でも、すんなりとはいかないだろうね」
「でしょうな。古い方々が、それを認めるには時間が足りません」
「…でも、皆が一丸となって陳情すれば」
「あるいは、手助けになるやもしれません」
しばしの無言。
両者は黙して互いに目を見合わせ、静かに笑いあった。
「…ありがとう、キュレスタ。やっぱり君は最高の親友だよ!」
「ははは、友ならば当然でしょう?…さて、それでは商人ギルドも動かねばなりますまい。こんな状況だからこそ、私達が率先して動かねば」
「ああ、そうだね。やり方がわかったのなら、僕にだって…」
トゥーセルカの胸の内に灯った、小さな光。
勇者が撒き、芽吹いた勇気を抱きながら、彼らは立ち上がった。
「神に祈るよりも、成すべき事を為さなくては」
「ええ、未来を得るためにも、ね」
そして、彼らも動き出す…。
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