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第15話 好きになれない
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自室に籠もっていると、兄二人のうるさい声と共に、扉がドンドンと叩かれた。
扉の向こう側では、ケイティを罵倒するような言葉が飛び交っていたが、とにかくケイティは無視した。もう決めたのだ。カミルと結婚をすると。
しばらくして静かになると、今度は姉の声が響いてきた。ご丁寧にグレイスを呼んで来て、事情を話したらしい。
「ケイティ、私よ。入れてちょうだい」
「グレイス姉様でも、嫌よ。どうせ姉様も、スティーグと結婚しろって言うんでしょ!」
「言わないわ。でも、どうして急にスティーグちゃんのことを諦めたのか、教えて欲しいだけ。ね? それならいいでしょう?」
「……グレイス姉様にだけなら、いいわ」
「ありがとう」
扉の外ではグレイスがギルバートとアルバートに、部屋に戻るよう促している。人気ひとけがなくなったところで、ケイティは扉の鍵を開けた。
「グレイス姉様……」
「ふふ、二人で話すのも久しぶりね」
グレイスは中に入ると自分から鍵をかけてくれた。この時分、主婦は夕飯の準備で忙しいはずなのに、嫌な顔ひとつしていない。
「ケイティ、お誕生日おめでとう」
姉はまず、ケイティの誕生日を祝ってくれた。恐らく他の家族は、誰一人として覚えてくれていなかったであろう。今日、初めて言われた言葉だ。
「ありがとう」
「スティーグちゃんから、何か貰った?」
「何もないわ」
「あら、珍しいわね。スティーグちゃんはなんだかんだ言って、いつもプレゼントを用意してくれたじゃない。この騒ぎで渡しそびれちゃってるのかしらね。後で聞いてみるといいわ」
グレイスの言葉に、ケイティは無言を貫いた。確かに、今年は何を用意してくれていたのか気になる。しかしこんな事があった後で、『プレゼントちょうだい』とは、流石に言い出せない。
「カミル君と、結婚するの?」
黙ってしまったケイティに、グレイスは話題を変えた。何の脈絡もなく話題を変えるのは、クーオール女子の専売特許だ。
グレイスの問いに、ケイティはわずかに頷く。
「そう。私の好きだった人って、知ってる?」
また話が飛んだ。自分が話す分には気にならないが、人の話はぽんぽんと飛ばれると少し気になる。
「お義兄様でしょ?」
「ふふ、今はね。私、昔はスティーグちゃんが好きだったのよ」
「え!?」
「でも、諦めたの。ケイティとスティーグちゃんはとっても仲が良いし、私の入り込める余地なんてなかったもの。ケイティがスティーグちゃんの事を好きなのは、周知の事実だったし」
「…………」
グレイスがスティーグの事を好きだったなんて、ちっとも知らなかった。そういえば、スティーグと二人で遊んでいた所を邪魔された事が何度もある。その時、グレイスを邪険に扱っていた事が申し訳なくなった。
「ケイティは私の事を、好きな人と結婚出来たって思ってるかもしれないけど、違うの。今のケイティと同じよ。クーオール家と縁を結んで利のある家に嫁がされただけ。お互いに全然愛情なんてなくて、最初のうちはスティーグちゃんを思って泣いて暮らしたわ」
「……」
泣いて暮らしたと言う割に、グレイスの顔は笑みで満たされている。それはグレイスが今の生活に満足していることに他ならないからだろう。グレイスとその夫は、近所でもおしどり夫婦で有名だ。
「だからそんなスティーグちゃんに求婚されたケイティが、羨ましくって仕方ない。相思相愛じゃないの。なのにどうしてカミル君と結婚する事にしたの?」
「相思相愛なんかじゃないわよ。スティーグは私の処女を奪った責任を取るために、形式的に求婚したに過ぎないもの。きっと今頃、断られて万歳してるんじゃないかしら」
「まさか、そんな」
「それに、私もスティーグの事が好きじゃなくなっちゃったの」
「どうしていきなり?」
何と言おうか迷ったが、ケイティは自分がスティーグを騙した事は黙っておくことにした。
「スティーグが、犯すように私の体を奪ったからよ。最悪の処女喪失だったわ」
ケイティの言葉を聞いて、グレイスの顔付きが変わった。
「そんなはずないわ!! スティーグちゃんは優しくしてくれたもの!」
「……え?」
「ケイティ、あなたがスティーグちゃんの機嫌を損ねるような事、したんじゃないの?!」
「待ってよグレイス姉様!!」
確かにスティーグの機嫌を損ねるような事をしたのは事実だ。でも今の問題はそこじゃない。今彼女は何と言ったか。
「グレイス姉様……まさか、姉様の初めては……」
グレイスは自身の失言に今気付いたのか、ハッとしてケイティから目を逸らしている。
「スティーグ、なのね……」
「……そうよ、悪い?」
若干切れ気味に開き直られて、今度はケイティの方が視線を外した。
「諦めの悪いのは、血筋かしらね。結婚が決まっても、やっぱりスティーグちゃんの事が忘れられなかった。一度だけって泣いてお願いしたのよ」
舌打ちなどしたこと無いケイティだったが、したい気分だ。あの男はどうしてこうも涙に弱いのか。姉に手を出していた事が許せない。自分も同じ手口を使っていた事を棚に上げて、ケイティはグレイスを睨む。
「……好きだったんだもの。仕方ないじゃない」
「酷いわ、姉様!! 私がスティーグの事を好きなのを知ってて、そんな事っ!」
「あなたはいいじゃないの! スティーグちゃんに求婚されたんでしょ!? 私の時は何も無かったわ!!」
グレイスに涙目で睨まれて、ケイティは次の言葉を失った。
「ケイティはいつもそう。自分が恵まれてる事に、何ひとつ気付いていないじゃないの。カミル君にしたって、あなたを愛してくれているじゃない。ずるいわよ。私には何にも無かった。ゼロからのスタートだったのよ? スティーグちゃんを忘れてここまで来るのに、どれだけ努力したと思ってるの!? 私がケイティなら、喜んで求婚を受けるところよ!!」
「グレイス姉様……」
「ケイティ知ってた? あなた、いつもスティーグちゃんから特別扱いを受けてたのよ! 何をするにもケイティ優先で、いつもケイティばかり守ってたわ!」
「そんな事ないわよ!」
「あるわよ! あなたが気付いていないだけで! スティーグちゃんも、無意識にそうしてたんだろうけど……っ」
グレイスはグスリと鼻をすすり、涙を拭った。
「まぁ、もうケイティには関係のない話だったわね……カミル君と結婚するんでしょう? きっと、彼の元でも幸せになれるわよ」
「幸せに、なるわよ……」
グレイスはプイとケイティに背を向け、扉に手を掛ける。そしてチラリと視線だけをケイティに寄越した。
「ひとつだけ教えておいてあげる。幸せには二種類あるわ。後悔のない幸せと、後悔のある幸せ。あなたには選択権があるってだけで、幸せ者ね」
「どう言う意味よ?」
「じゃあ、帰るわ。皆がお腹を空かせて私を待ってるもの」
グレイスはケイティの問いには答えず、最後には笑顔を見せて部屋を出て行った。愛のない結婚をしたはずの、家族の元へと。
「スティーグが、グレイス姉様と……」
言い様のない屈辱感があった。スティーグが幾人かの女性と付き合っていたのを知ってはいたが、こんな屈辱を感じた事はない。姉も姉だが、スティーグもスティーグだ。グレイスに手を出しておきながら、まるで何事も無かったかのように振舞っている。
許せない。一言文句を言わねば気が済まない。
ケイティは部屋を飛び出して、クラインベック家に向かった。
「おばさま! スティーグはどこ!?」
扉を開けたエルルは、ケイティの形相に驚きながらも、二階を指差した。ケイティは彼女の横をすり抜けて二階へと駆け上がって行く。
「スティーグ、入るわよ!!」
部屋の主の了承を得る前に、ケイティは扉を開けた。中ではスティーグが武器の手入れをしている。
「何だ、いきなり」
「何だじゃないわよ! 人の姉を抱いておいて、よくも平気でいられたわねっ!」
「おい、声がでかい!」
スティーグは立ち上がると、開けっ放しだった扉をパタンと閉じた。
「姉様には、随分と優しくしたらしいじゃないの!」
「だったら何だ」
「どうしてよ! どうして、姉様には優しくして、私にはあんな……っ」
「すまん」
あっさりと謝られてしまい、ケイティは拍子抜けしてしまう。謝られてしまうと次に何を言えばいいか分からず、口籠もった。
「お前が処女だと分かっていたなら、あんな抱き方はしなかった。そうで無くても、あれは酷かったな……許してくれ」
「な、何よ……」
流れる沈黙。息苦しい。スティーグと一緒にいて、息苦しいなんて感じるのは初めてだ。
ケイティが俯いていると、スティーグは一歩近付いて来た。
「次は、あんな事はせん」
「次? ふざけないでよ、次なんてもうないわ」
「結婚すれば、いくらだって機会はあるだろうが」
「ロストバージンは一度きりよ。ねえ、グレイス姉様とはキスしたの?」
また軽く話が飛んだが気にしない。ケイティの問いに、スティーグは顔を渋くしたまま答える。
「……した」
ドスンッとケイティは右手でスティーグの胸を殴った。ケイティの望む事を、あの姉は簡単にやってのけている。その協力者への怒りが溢れ出す。
「私には、どれだけ頼んでもしてくれなかったくせにっ!!」
またドスンとスティーグの胸を打った。彼はその程度では身じろぎもしなかったが。
「聞いてくれ、ケイティ。オレはあの時の事を後悔しているんだ」
「……グレイス姉様との事?」
「ああ。後悔というと、少し差異があるんだが……過ちを犯した事を、反省している」
ケイティはスティーグに椅子に座るよう促され、仕方無くそれに従った。すると今の今まで怒りに駆られていた脳が、少し落ち着いてくる。
「グレイスとしたのは事実だ。一度きりと言う約束だった。オレも承諾した。それでグレイスがオレを諦められるなら、それでいいと思ったんだ。でも、グレイスは違った。結婚してからも、オレを忘れられないと言って苦しんでいた」
「……」
「こう言うのは卑怯かもしれんが、オレも苦しんだんだ。あの時、抱きさえしなければ、グレイスがこんなにも苦しむ事は無かったのかもしれん、と。好きになれない女を抱くのは、もう二度としないと思った。それがお前の為だと思ったんだ、ケイティ」
「……そう」
スティーグにとってケイティは『好きになれない女』なのだと聞いて、視線を落とす。今更傷つく事ではないはずだ。もうスティーグの事など、どうでもいい……はずなのだから。
「スティーグの言ってた意味が分かったわ。姉様を抱いて私を抱かないのは、スティーグには不公平に感じたって事ね」
「ああ。だが我ながら、言っていることとやっている事が矛盾していたな。……すまん」
「ねぇ、どうして私には求婚して、姉様にはしなかったの?」
「グレイスが結婚する時、俺はまだ十七で士官学校に通ってたんだぞ。どうにもならんかった」
「どうにかなったら、どうにかしてたってわけ?」
「さあな、わからん。昔の話だ」
そうは言いつつ、恐らくスティーグは何もしなかっただろう。好いた女ならともかく、恋愛感情は無かったのだから。
「ねぇ、じゃあどうして私と結婚しようなんて言い出したのよ。グレイス姉様にはそんなこと言わなかったんでしょう」
「オレも年だから、そう良い縁談があるわけじゃない。お前となら気心も知れているから、一から関係を作るよりは楽だ。あんな奪い方をした責任もあるしな」
全く喜べない理由を聞かされ、やっぱりかと息を吐き出す。一言でいい、スティーグの口から好きだという言葉を聞いてみたい。
「ねぇ、スティーグは、グレイス姉様より私の方が好き?」
「どうだろうな」
「嘘でも良いから好きだって言いなさいよ」
「……そうだな、まぁな」
「…………」
ケイティは再度息を吐いて、腰を上げた。
扉の向こう側では、ケイティを罵倒するような言葉が飛び交っていたが、とにかくケイティは無視した。もう決めたのだ。カミルと結婚をすると。
しばらくして静かになると、今度は姉の声が響いてきた。ご丁寧にグレイスを呼んで来て、事情を話したらしい。
「ケイティ、私よ。入れてちょうだい」
「グレイス姉様でも、嫌よ。どうせ姉様も、スティーグと結婚しろって言うんでしょ!」
「言わないわ。でも、どうして急にスティーグちゃんのことを諦めたのか、教えて欲しいだけ。ね? それならいいでしょう?」
「……グレイス姉様にだけなら、いいわ」
「ありがとう」
扉の外ではグレイスがギルバートとアルバートに、部屋に戻るよう促している。人気ひとけがなくなったところで、ケイティは扉の鍵を開けた。
「グレイス姉様……」
「ふふ、二人で話すのも久しぶりね」
グレイスは中に入ると自分から鍵をかけてくれた。この時分、主婦は夕飯の準備で忙しいはずなのに、嫌な顔ひとつしていない。
「ケイティ、お誕生日おめでとう」
姉はまず、ケイティの誕生日を祝ってくれた。恐らく他の家族は、誰一人として覚えてくれていなかったであろう。今日、初めて言われた言葉だ。
「ありがとう」
「スティーグちゃんから、何か貰った?」
「何もないわ」
「あら、珍しいわね。スティーグちゃんはなんだかんだ言って、いつもプレゼントを用意してくれたじゃない。この騒ぎで渡しそびれちゃってるのかしらね。後で聞いてみるといいわ」
グレイスの言葉に、ケイティは無言を貫いた。確かに、今年は何を用意してくれていたのか気になる。しかしこんな事があった後で、『プレゼントちょうだい』とは、流石に言い出せない。
「カミル君と、結婚するの?」
黙ってしまったケイティに、グレイスは話題を変えた。何の脈絡もなく話題を変えるのは、クーオール女子の専売特許だ。
グレイスの問いに、ケイティはわずかに頷く。
「そう。私の好きだった人って、知ってる?」
また話が飛んだ。自分が話す分には気にならないが、人の話はぽんぽんと飛ばれると少し気になる。
「お義兄様でしょ?」
「ふふ、今はね。私、昔はスティーグちゃんが好きだったのよ」
「え!?」
「でも、諦めたの。ケイティとスティーグちゃんはとっても仲が良いし、私の入り込める余地なんてなかったもの。ケイティがスティーグちゃんの事を好きなのは、周知の事実だったし」
「…………」
グレイスがスティーグの事を好きだったなんて、ちっとも知らなかった。そういえば、スティーグと二人で遊んでいた所を邪魔された事が何度もある。その時、グレイスを邪険に扱っていた事が申し訳なくなった。
「ケイティは私の事を、好きな人と結婚出来たって思ってるかもしれないけど、違うの。今のケイティと同じよ。クーオール家と縁を結んで利のある家に嫁がされただけ。お互いに全然愛情なんてなくて、最初のうちはスティーグちゃんを思って泣いて暮らしたわ」
「……」
泣いて暮らしたと言う割に、グレイスの顔は笑みで満たされている。それはグレイスが今の生活に満足していることに他ならないからだろう。グレイスとその夫は、近所でもおしどり夫婦で有名だ。
「だからそんなスティーグちゃんに求婚されたケイティが、羨ましくって仕方ない。相思相愛じゃないの。なのにどうしてカミル君と結婚する事にしたの?」
「相思相愛なんかじゃないわよ。スティーグは私の処女を奪った責任を取るために、形式的に求婚したに過ぎないもの。きっと今頃、断られて万歳してるんじゃないかしら」
「まさか、そんな」
「それに、私もスティーグの事が好きじゃなくなっちゃったの」
「どうしていきなり?」
何と言おうか迷ったが、ケイティは自分がスティーグを騙した事は黙っておくことにした。
「スティーグが、犯すように私の体を奪ったからよ。最悪の処女喪失だったわ」
ケイティの言葉を聞いて、グレイスの顔付きが変わった。
「そんなはずないわ!! スティーグちゃんは優しくしてくれたもの!」
「……え?」
「ケイティ、あなたがスティーグちゃんの機嫌を損ねるような事、したんじゃないの?!」
「待ってよグレイス姉様!!」
確かにスティーグの機嫌を損ねるような事をしたのは事実だ。でも今の問題はそこじゃない。今彼女は何と言ったか。
「グレイス姉様……まさか、姉様の初めては……」
グレイスは自身の失言に今気付いたのか、ハッとしてケイティから目を逸らしている。
「スティーグ、なのね……」
「……そうよ、悪い?」
若干切れ気味に開き直られて、今度はケイティの方が視線を外した。
「諦めの悪いのは、血筋かしらね。結婚が決まっても、やっぱりスティーグちゃんの事が忘れられなかった。一度だけって泣いてお願いしたのよ」
舌打ちなどしたこと無いケイティだったが、したい気分だ。あの男はどうしてこうも涙に弱いのか。姉に手を出していた事が許せない。自分も同じ手口を使っていた事を棚に上げて、ケイティはグレイスを睨む。
「……好きだったんだもの。仕方ないじゃない」
「酷いわ、姉様!! 私がスティーグの事を好きなのを知ってて、そんな事っ!」
「あなたはいいじゃないの! スティーグちゃんに求婚されたんでしょ!? 私の時は何も無かったわ!!」
グレイスに涙目で睨まれて、ケイティは次の言葉を失った。
「ケイティはいつもそう。自分が恵まれてる事に、何ひとつ気付いていないじゃないの。カミル君にしたって、あなたを愛してくれているじゃない。ずるいわよ。私には何にも無かった。ゼロからのスタートだったのよ? スティーグちゃんを忘れてここまで来るのに、どれだけ努力したと思ってるの!? 私がケイティなら、喜んで求婚を受けるところよ!!」
「グレイス姉様……」
「ケイティ知ってた? あなた、いつもスティーグちゃんから特別扱いを受けてたのよ! 何をするにもケイティ優先で、いつもケイティばかり守ってたわ!」
「そんな事ないわよ!」
「あるわよ! あなたが気付いていないだけで! スティーグちゃんも、無意識にそうしてたんだろうけど……っ」
グレイスはグスリと鼻をすすり、涙を拭った。
「まぁ、もうケイティには関係のない話だったわね……カミル君と結婚するんでしょう? きっと、彼の元でも幸せになれるわよ」
「幸せに、なるわよ……」
グレイスはプイとケイティに背を向け、扉に手を掛ける。そしてチラリと視線だけをケイティに寄越した。
「ひとつだけ教えておいてあげる。幸せには二種類あるわ。後悔のない幸せと、後悔のある幸せ。あなたには選択権があるってだけで、幸せ者ね」
「どう言う意味よ?」
「じゃあ、帰るわ。皆がお腹を空かせて私を待ってるもの」
グレイスはケイティの問いには答えず、最後には笑顔を見せて部屋を出て行った。愛のない結婚をしたはずの、家族の元へと。
「スティーグが、グレイス姉様と……」
言い様のない屈辱感があった。スティーグが幾人かの女性と付き合っていたのを知ってはいたが、こんな屈辱を感じた事はない。姉も姉だが、スティーグもスティーグだ。グレイスに手を出しておきながら、まるで何事も無かったかのように振舞っている。
許せない。一言文句を言わねば気が済まない。
ケイティは部屋を飛び出して、クラインベック家に向かった。
「おばさま! スティーグはどこ!?」
扉を開けたエルルは、ケイティの形相に驚きながらも、二階を指差した。ケイティは彼女の横をすり抜けて二階へと駆け上がって行く。
「スティーグ、入るわよ!!」
部屋の主の了承を得る前に、ケイティは扉を開けた。中ではスティーグが武器の手入れをしている。
「何だ、いきなり」
「何だじゃないわよ! 人の姉を抱いておいて、よくも平気でいられたわねっ!」
「おい、声がでかい!」
スティーグは立ち上がると、開けっ放しだった扉をパタンと閉じた。
「姉様には、随分と優しくしたらしいじゃないの!」
「だったら何だ」
「どうしてよ! どうして、姉様には優しくして、私にはあんな……っ」
「すまん」
あっさりと謝られてしまい、ケイティは拍子抜けしてしまう。謝られてしまうと次に何を言えばいいか分からず、口籠もった。
「お前が処女だと分かっていたなら、あんな抱き方はしなかった。そうで無くても、あれは酷かったな……許してくれ」
「な、何よ……」
流れる沈黙。息苦しい。スティーグと一緒にいて、息苦しいなんて感じるのは初めてだ。
ケイティが俯いていると、スティーグは一歩近付いて来た。
「次は、あんな事はせん」
「次? ふざけないでよ、次なんてもうないわ」
「結婚すれば、いくらだって機会はあるだろうが」
「ロストバージンは一度きりよ。ねえ、グレイス姉様とはキスしたの?」
また軽く話が飛んだが気にしない。ケイティの問いに、スティーグは顔を渋くしたまま答える。
「……した」
ドスンッとケイティは右手でスティーグの胸を殴った。ケイティの望む事を、あの姉は簡単にやってのけている。その協力者への怒りが溢れ出す。
「私には、どれだけ頼んでもしてくれなかったくせにっ!!」
またドスンとスティーグの胸を打った。彼はその程度では身じろぎもしなかったが。
「聞いてくれ、ケイティ。オレはあの時の事を後悔しているんだ」
「……グレイス姉様との事?」
「ああ。後悔というと、少し差異があるんだが……過ちを犯した事を、反省している」
ケイティはスティーグに椅子に座るよう促され、仕方無くそれに従った。すると今の今まで怒りに駆られていた脳が、少し落ち着いてくる。
「グレイスとしたのは事実だ。一度きりと言う約束だった。オレも承諾した。それでグレイスがオレを諦められるなら、それでいいと思ったんだ。でも、グレイスは違った。結婚してからも、オレを忘れられないと言って苦しんでいた」
「……」
「こう言うのは卑怯かもしれんが、オレも苦しんだんだ。あの時、抱きさえしなければ、グレイスがこんなにも苦しむ事は無かったのかもしれん、と。好きになれない女を抱くのは、もう二度としないと思った。それがお前の為だと思ったんだ、ケイティ」
「……そう」
スティーグにとってケイティは『好きになれない女』なのだと聞いて、視線を落とす。今更傷つく事ではないはずだ。もうスティーグの事など、どうでもいい……はずなのだから。
「スティーグの言ってた意味が分かったわ。姉様を抱いて私を抱かないのは、スティーグには不公平に感じたって事ね」
「ああ。だが我ながら、言っていることとやっている事が矛盾していたな。……すまん」
「ねぇ、どうして私には求婚して、姉様にはしなかったの?」
「グレイスが結婚する時、俺はまだ十七で士官学校に通ってたんだぞ。どうにもならんかった」
「どうにかなったら、どうにかしてたってわけ?」
「さあな、わからん。昔の話だ」
そうは言いつつ、恐らくスティーグは何もしなかっただろう。好いた女ならともかく、恋愛感情は無かったのだから。
「ねぇ、じゃあどうして私と結婚しようなんて言い出したのよ。グレイス姉様にはそんなこと言わなかったんでしょう」
「オレも年だから、そう良い縁談があるわけじゃない。お前となら気心も知れているから、一から関係を作るよりは楽だ。あんな奪い方をした責任もあるしな」
全く喜べない理由を聞かされ、やっぱりかと息を吐き出す。一言でいい、スティーグの口から好きだという言葉を聞いてみたい。
「ねぇ、スティーグは、グレイス姉様より私の方が好き?」
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