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好きな人に結婚を申し込まれて舞い上がっていたら、初夜に「君を愛することはない」と言われました。
中編
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「ん、んん……」
朝の光が差し込んでいて、私は目を開けた。
隣のオルター様は私の手を握ったまま、私を見て微笑んでいて。
「おはよう、ミレイ」
ち、ち、ち、近いですっ!
「お、おはようございますっ」
うう、声が裏返っちゃった……
でもオルター様はそんなこと、気にもしない様子で最高の笑みを浮かべてくれる。
「ありがとう、ミレイ。君のおかげでいい夢が見られた」
「それはよかったです」
「最初、魔女の森で迷った俺は蛇に噛まれたんだが、斬ろうとすると大蛇へと変貌して、それから……」
オルター様は、夢の内容を詳細に話し始めた。全部知ってるんだけど、私はうんうんと頷いて聞いてあげる。
夢の中は自分の欲望が出ちゃうから、知られてると思わない方がいいものね。
「それでなんと、バクが猫になったんだ。こんな小さなふわふわの猫で……ミレイにも見せてやりたかった」
「ふふ。喜んでくれるだけで十分です」
「本当にありがとう、ミレイ。これからもよろしく頼む」
「はい」
そうして私は、毎日オルター様の夢に入り続けた。
美味しいものを食べたり、空を飛んだり、一緒に猫になってじゃれあったり。
バクの私を優しく撫でて、ぎゅうっと抱きしめたりもしてくれる。
だけど、それはもちろん夢の中でだけだ。
現実の私たちは、寝る時に手を繋ぐ以上の行為はなにもない。
それも当然、私たちは利害が一致しているだけの白い結婚なのだから。
夢の中でオルター様がバクを大切にしてくれるたび、泣きそうになる。
もちろん、現実でも私を大切に扱ってくれているけれど。必要だから優しくしてくれているだけに過ぎないもの。
私はどんどんオルター様を好きになっていく。だけど返ってくるのは、愛情ではなく感謝の気持ちだけ。
それが悲しくて、つらい。
「ミレイ……最近君は、悲しそうな顔をすることが増えたな」
いつものようにベッドに入ろうとした時、オルター様が凛々しい眉を下げながらそう言った。
「そんなこと……ありませんよ?」
「まだ若いミレイにこんなことを押し付けてしまって、本当に申し訳ないと思っている」
一緒に暮らし始めて一年。私は十七歳になった。
先日祝ってくれた誕生日は本当に嬉しくて。
でも私の機嫌を損ねないよう、義務でしてくれたんだと思うと悲しくて。
オルター様は紳士で、決して私に手を出そうとはしない。
子どもとしか思われていないんだろうと思う。私に、魅力がないから。
「ミレイ……すまない」
オルター様に謝らせてしまった。私のバカ。気を使わせてしまうだなんて。
ちゃんと笑わなくちゃって思うのに、歪んだ変な笑みしか見せられない。
「利害の一致している結婚なんですから、謝る必要なんてありません。さぁ、寝ましょう?」
私が手を差し出すと、いつものように握ってくれる。
ベッドの中で、ただ手を繋ぐだけ。最初はそれだけですごく胸が鳴ったというのに、今は寂しさで悲鳴を上げているよう。
「……おやすみ、ミレイ。君も良い夢を」
「はい、ありがとうございます」
同じ夢を、見ているんですけどね。とても幸せな夢を、毎日。
目を瞑ってしばらくすると、いつものように夢の中へと入ることができた。
まだ寝始めたばかりで、夢の世界は広がっていないようだ。
同時に眠ると、悪夢を食べる手間がないから助かる。
「やあ、バク」
パッとオルター様が現れた。もちろん私はすでにバクの姿。
「オルター様、今日はなんの夢を見るばく?」
「今日は夢はいいんだ」
「……夢は、いい?」
どういう意味だろう。もう夢を見る必要はないってこと? どうして……
私はもう、バクの姿であっても必要ないの?
「ぼくはもう、必要ないばくか……?」
現実の私では言えない言葉も、バクの姿なら心のままに言える。
夢の中だからって言い訳をして。
「いや、俺には君が必要だよ。けど、君のご主人にとって、俺は必要な人間じゃないんだ」
「そんなことは」
「あるんだよ」
私が否定する前に、オルター様は自分で肯定してしまった。
そんな風に言うけど、オルター様だって私を必要としてくれていないじゃない。必要なのはバクであって、私じゃないんでしょう?
「悪夢を見たくないという俺のわがままのせいで、ミレイの前途ある将来を奪ってしまった。彼女の家が借金まみれだったのをいいことに、無理やり結婚させてしまったんだ」
「それは仕方ないばくよ。誰だって悪夢なんか見たくないばく」
「だからと言って、本人に気持ちがないのに無理やり結婚させてしまうのは最低だ。自分でもわかっていたんだが、あの時はとにかく悪夢から解放されたくて……浅慮だったと思っている」
毎夜悪夢に襲われていたなら、どんな手段をとってでも解放されたいと思うのは当然だわ。責める気なんて起こらない。
むしろ私は幸せだった。仮初めとはいえ、夫婦になれたんだから。
バクの姿ではそれを伝えられずにいると、オルター様は難しい顔のまま続けた。
「まだ十六歳になったばかりの少女に無茶はさせられない。だから手は出さないと誓った。彼女がいつか、離婚したいと切り出した時には迷わず送り出せるように。せめて、清い体のままここを出ていけるように……愛することはないと、彼女に告げた」
「……」
私はなにも言えなかった。
まさかそんな考えでいたとは、露ほどにも思っていなかったから。
「だけどミレイは、日に日に美しくなっていってな……十も年の差があるというのに欲情してしまうなんて、情けない話だ」
「よく……じょう……?」
「ああ、バクにはわからんかな」
「わ、わかんないばく」
バクな私は、はわはわと口を動かしながらわからないふりをした。
というか、実際わからないんだけど……欲情って、どういうこと? オルター様が、私に? 全然そんな態度じゃなかったのに!
けど、欲情と愛情は別物だってことは、経験のない私にだってわかる。単純に喜んじゃいけない。
「実は俺は、ミレイのことを昔から知っていてな。弟たちの世話を一生懸命している姿を何度も見かけた。この子には幸せになってほしいと、俺はずっと望んでいたんだ」
オルター様の告白に、私の口は自然と開いた。まさか私のことを知っていたなんて……!
「幸せになってほしいと思っていたくせに、俺自身がミレイを不幸にしてしまっている……もう耐えられない」
「ミレイは不幸だなんて思ってないばくよ」
「いいや、見ていればわかる。日に日に元気がなくなっているんだ。いくら借金がなくなるからと言って、結婚などするのではなかったと、後悔しているんだろう」
「そんなことはな──」
「優しいな、バクは。だがもう決めたんだ。彼女を……ミレイをもう、解放してあげようと思う」
「……かいほう」
「ああ」
オルター様は硬い決意の表情で首肯した。解放って、つまり……
「ミレイは自分から離婚を言い出しにくいだろう。だから俺から離婚を言い渡そうと思う」
「え、ええ!!?」
「起きたら伝えるつもりだ。バク、君には世話になったから、ちゃんと別れを伝えたかった」
オルター様の温かい手が私の頭を優しく往復する。
私の態度がオルター様に決意させてしまったの? そんな……
あんな態度、とるんじゃなかった!!
「イヤばく……別れはイヤばく……!」
「すまない。また誰かの夢を幸せにしてやってくれ」
「ぼくがいないと、オルター様はまた悪夢に悩まされるばくよ!」
「そうはならないんだ」
オルター様に否定され、私はバクのまま首を傾げた。
「どういうことばくか」
「実は一週間前に、とうとうスキルの除去に成功したんだ。バクの力を借りなくても、悪夢は見なくなった」
スキルの除去。確かにオルター様は、教会にスキルの除去を願い出ていると言ってはいたけれど。
でも十年以上も成功していないという話だった。それが成功していたの?
喜ぶべきことなのに、全然喜べなかった。
確かにここ一週間は、同時に寝て同時に起きることが続いていたから、悪夢を食べる手間がないなとは思っていたけれど。
悪夢を見なくなったということはつまり、オルター様に夢喰いは必要ないってことだ。
小娘相手に、本当は欲情なんてしたくないんだろう。私と離婚すれば、オルター様も本来結ばれるべき人と結婚できる。私もバクも、本当に必要なくなったんだ……。
ぎゅっと歯を食い縛っていると、オルター様はやわらかな声を出した。
「最後にひとつだけ、わがままを言っていいか?」
「……なにばくか?」
「君は今まで色んなものに変身してきたが……ミレイには、なれるか?」
私に? なれるというより、戻る、だけど。
どうして、私なんかに。
「なれるばくよ」
「では、ミレイになってもらいたい」
「どうしてばくか?」
この一年、一度も私を出してと言わなかったオルター様が、どうして今になってそんなことを言い出すのか。
不思議に思って彼を見上げると、少し困ったような、悲しそうな顔をしていた。
「伝えたいことがあるんだ。実際には伝えられないから、せめて夢の中で彼女に話しておきたい」
「……わかったばく」
なにを言われるんだろうと不安になりながらも、私は変身を解いた。
私には直接言えない話って……欲情しているという話だったし、まさか現実ではできないからって夢の中で?
「すごいな、ミレイそのままだ」
元の姿の私を見て驚くオルター様。
それもそのはず、イメージじゃなくて私自身なのだから。
「ミレイ……」
オルター様が優しく目を細めて私を見ている。
なにを言われるのか、なにをされてしまうのか。心臓がバクバクして破裂しそう。
口から軽く息を吸い込んだオルター様は、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「俺は、君と結婚できてよかった」
「……え?」
オルター様の言葉を聞いた瞬間、私の心の中に風が吹いた気がした。
その瞬間、イメージは夢の中で再現されて、草原が広がり風が吹き抜けていく。
たなびくオルター様の黒髪が、現れた太陽の光でキラキラと輝きを見せる。
「悪夢を食べるバクのスキル持ちが、いつも健気に頑張っているミレイだとわかった時は、罪悪感しかなかった。十も年上の俺に嫁がせて申し訳ないと。君には幸せになってほしいと思っていたから」
私を利用することに罪悪感を持つオルター様は、やっぱり優しくて正義の人だと思う。
「オルター様は、いい人ばくよ。ミレイもそう思ってるばく」
「ミレイはいい子だからな」
「そ、そんなことは──」
「素敵な女性だよ。一緒に暮らしているうちに、いつの間にかどうしようもなく彼女を愛してしまっていた」
「あ……い……」
周りの景色が、色鮮やかな花で咲き乱れ始めた。
甘い香りが鼻腔をくすぐっていく。
「ああ。愛している、ミレイ。このままずっと、そばにいてほしかったと思うほどに」
オルター様は優しく、でも悲しく微笑んだ。
そばにいてほしかったという過去形の言葉に、私は喜んでいいのか泣いていいのかわからなくなる。
「オルター様……」
「伝えたかったのはこれだけだ。さぁ、これが最後の幸せな夢になる。楽しませてくれるか、ミレイ。いや、バク」
「……わかったばく」
バクだと思われている今、きっとなにを言っても無駄になる。
起きた時には、ちゃんと私の気持ちを伝えなきゃ。
「ミレイと一緒の夢は、今までで最高の夢となるな。俺はこの記憶さえあれば、幸せに生きていける」
夢の中だけで満足しようとしているオルター様を見ていると、その優しさに泣けてきてしまう。
私を手放したくないと思えるくらいに、楽しい夢を見せなくちゃ。
「たくさん、たくさん遊ぶばくー!」
私がそう言うと、たくさんのかわいい動物たちが現れて。
オルター様は『ミレイの姿でその喋り方もかわいいな』と笑っていて。
私たちは何度も顔を合わせて笑い、気のゆくまで遊んだ。
朝の光が差し込んでいて、私は目を開けた。
隣のオルター様は私の手を握ったまま、私を見て微笑んでいて。
「おはよう、ミレイ」
ち、ち、ち、近いですっ!
「お、おはようございますっ」
うう、声が裏返っちゃった……
でもオルター様はそんなこと、気にもしない様子で最高の笑みを浮かべてくれる。
「ありがとう、ミレイ。君のおかげでいい夢が見られた」
「それはよかったです」
「最初、魔女の森で迷った俺は蛇に噛まれたんだが、斬ろうとすると大蛇へと変貌して、それから……」
オルター様は、夢の内容を詳細に話し始めた。全部知ってるんだけど、私はうんうんと頷いて聞いてあげる。
夢の中は自分の欲望が出ちゃうから、知られてると思わない方がいいものね。
「それでなんと、バクが猫になったんだ。こんな小さなふわふわの猫で……ミレイにも見せてやりたかった」
「ふふ。喜んでくれるだけで十分です」
「本当にありがとう、ミレイ。これからもよろしく頼む」
「はい」
そうして私は、毎日オルター様の夢に入り続けた。
美味しいものを食べたり、空を飛んだり、一緒に猫になってじゃれあったり。
バクの私を優しく撫でて、ぎゅうっと抱きしめたりもしてくれる。
だけど、それはもちろん夢の中でだけだ。
現実の私たちは、寝る時に手を繋ぐ以上の行為はなにもない。
それも当然、私たちは利害が一致しているだけの白い結婚なのだから。
夢の中でオルター様がバクを大切にしてくれるたび、泣きそうになる。
もちろん、現実でも私を大切に扱ってくれているけれど。必要だから優しくしてくれているだけに過ぎないもの。
私はどんどんオルター様を好きになっていく。だけど返ってくるのは、愛情ではなく感謝の気持ちだけ。
それが悲しくて、つらい。
「ミレイ……最近君は、悲しそうな顔をすることが増えたな」
いつものようにベッドに入ろうとした時、オルター様が凛々しい眉を下げながらそう言った。
「そんなこと……ありませんよ?」
「まだ若いミレイにこんなことを押し付けてしまって、本当に申し訳ないと思っている」
一緒に暮らし始めて一年。私は十七歳になった。
先日祝ってくれた誕生日は本当に嬉しくて。
でも私の機嫌を損ねないよう、義務でしてくれたんだと思うと悲しくて。
オルター様は紳士で、決して私に手を出そうとはしない。
子どもとしか思われていないんだろうと思う。私に、魅力がないから。
「ミレイ……すまない」
オルター様に謝らせてしまった。私のバカ。気を使わせてしまうだなんて。
ちゃんと笑わなくちゃって思うのに、歪んだ変な笑みしか見せられない。
「利害の一致している結婚なんですから、謝る必要なんてありません。さぁ、寝ましょう?」
私が手を差し出すと、いつものように握ってくれる。
ベッドの中で、ただ手を繋ぐだけ。最初はそれだけですごく胸が鳴ったというのに、今は寂しさで悲鳴を上げているよう。
「……おやすみ、ミレイ。君も良い夢を」
「はい、ありがとうございます」
同じ夢を、見ているんですけどね。とても幸せな夢を、毎日。
目を瞑ってしばらくすると、いつものように夢の中へと入ることができた。
まだ寝始めたばかりで、夢の世界は広がっていないようだ。
同時に眠ると、悪夢を食べる手間がないから助かる。
「やあ、バク」
パッとオルター様が現れた。もちろん私はすでにバクの姿。
「オルター様、今日はなんの夢を見るばく?」
「今日は夢はいいんだ」
「……夢は、いい?」
どういう意味だろう。もう夢を見る必要はないってこと? どうして……
私はもう、バクの姿であっても必要ないの?
「ぼくはもう、必要ないばくか……?」
現実の私では言えない言葉も、バクの姿なら心のままに言える。
夢の中だからって言い訳をして。
「いや、俺には君が必要だよ。けど、君のご主人にとって、俺は必要な人間じゃないんだ」
「そんなことは」
「あるんだよ」
私が否定する前に、オルター様は自分で肯定してしまった。
そんな風に言うけど、オルター様だって私を必要としてくれていないじゃない。必要なのはバクであって、私じゃないんでしょう?
「悪夢を見たくないという俺のわがままのせいで、ミレイの前途ある将来を奪ってしまった。彼女の家が借金まみれだったのをいいことに、無理やり結婚させてしまったんだ」
「それは仕方ないばくよ。誰だって悪夢なんか見たくないばく」
「だからと言って、本人に気持ちがないのに無理やり結婚させてしまうのは最低だ。自分でもわかっていたんだが、あの時はとにかく悪夢から解放されたくて……浅慮だったと思っている」
毎夜悪夢に襲われていたなら、どんな手段をとってでも解放されたいと思うのは当然だわ。責める気なんて起こらない。
むしろ私は幸せだった。仮初めとはいえ、夫婦になれたんだから。
バクの姿ではそれを伝えられずにいると、オルター様は難しい顔のまま続けた。
「まだ十六歳になったばかりの少女に無茶はさせられない。だから手は出さないと誓った。彼女がいつか、離婚したいと切り出した時には迷わず送り出せるように。せめて、清い体のままここを出ていけるように……愛することはないと、彼女に告げた」
「……」
私はなにも言えなかった。
まさかそんな考えでいたとは、露ほどにも思っていなかったから。
「だけどミレイは、日に日に美しくなっていってな……十も年の差があるというのに欲情してしまうなんて、情けない話だ」
「よく……じょう……?」
「ああ、バクにはわからんかな」
「わ、わかんないばく」
バクな私は、はわはわと口を動かしながらわからないふりをした。
というか、実際わからないんだけど……欲情って、どういうこと? オルター様が、私に? 全然そんな態度じゃなかったのに!
けど、欲情と愛情は別物だってことは、経験のない私にだってわかる。単純に喜んじゃいけない。
「実は俺は、ミレイのことを昔から知っていてな。弟たちの世話を一生懸命している姿を何度も見かけた。この子には幸せになってほしいと、俺はずっと望んでいたんだ」
オルター様の告白に、私の口は自然と開いた。まさか私のことを知っていたなんて……!
「幸せになってほしいと思っていたくせに、俺自身がミレイを不幸にしてしまっている……もう耐えられない」
「ミレイは不幸だなんて思ってないばくよ」
「いいや、見ていればわかる。日に日に元気がなくなっているんだ。いくら借金がなくなるからと言って、結婚などするのではなかったと、後悔しているんだろう」
「そんなことはな──」
「優しいな、バクは。だがもう決めたんだ。彼女を……ミレイをもう、解放してあげようと思う」
「……かいほう」
「ああ」
オルター様は硬い決意の表情で首肯した。解放って、つまり……
「ミレイは自分から離婚を言い出しにくいだろう。だから俺から離婚を言い渡そうと思う」
「え、ええ!!?」
「起きたら伝えるつもりだ。バク、君には世話になったから、ちゃんと別れを伝えたかった」
オルター様の温かい手が私の頭を優しく往復する。
私の態度がオルター様に決意させてしまったの? そんな……
あんな態度、とるんじゃなかった!!
「イヤばく……別れはイヤばく……!」
「すまない。また誰かの夢を幸せにしてやってくれ」
「ぼくがいないと、オルター様はまた悪夢に悩まされるばくよ!」
「そうはならないんだ」
オルター様に否定され、私はバクのまま首を傾げた。
「どういうことばくか」
「実は一週間前に、とうとうスキルの除去に成功したんだ。バクの力を借りなくても、悪夢は見なくなった」
スキルの除去。確かにオルター様は、教会にスキルの除去を願い出ていると言ってはいたけれど。
でも十年以上も成功していないという話だった。それが成功していたの?
喜ぶべきことなのに、全然喜べなかった。
確かにここ一週間は、同時に寝て同時に起きることが続いていたから、悪夢を食べる手間がないなとは思っていたけれど。
悪夢を見なくなったということはつまり、オルター様に夢喰いは必要ないってことだ。
小娘相手に、本当は欲情なんてしたくないんだろう。私と離婚すれば、オルター様も本来結ばれるべき人と結婚できる。私もバクも、本当に必要なくなったんだ……。
ぎゅっと歯を食い縛っていると、オルター様はやわらかな声を出した。
「最後にひとつだけ、わがままを言っていいか?」
「……なにばくか?」
「君は今まで色んなものに変身してきたが……ミレイには、なれるか?」
私に? なれるというより、戻る、だけど。
どうして、私なんかに。
「なれるばくよ」
「では、ミレイになってもらいたい」
「どうしてばくか?」
この一年、一度も私を出してと言わなかったオルター様が、どうして今になってそんなことを言い出すのか。
不思議に思って彼を見上げると、少し困ったような、悲しそうな顔をしていた。
「伝えたいことがあるんだ。実際には伝えられないから、せめて夢の中で彼女に話しておきたい」
「……わかったばく」
なにを言われるんだろうと不安になりながらも、私は変身を解いた。
私には直接言えない話って……欲情しているという話だったし、まさか現実ではできないからって夢の中で?
「すごいな、ミレイそのままだ」
元の姿の私を見て驚くオルター様。
それもそのはず、イメージじゃなくて私自身なのだから。
「ミレイ……」
オルター様が優しく目を細めて私を見ている。
なにを言われるのか、なにをされてしまうのか。心臓がバクバクして破裂しそう。
口から軽く息を吸い込んだオルター様は、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「俺は、君と結婚できてよかった」
「……え?」
オルター様の言葉を聞いた瞬間、私の心の中に風が吹いた気がした。
その瞬間、イメージは夢の中で再現されて、草原が広がり風が吹き抜けていく。
たなびくオルター様の黒髪が、現れた太陽の光でキラキラと輝きを見せる。
「悪夢を食べるバクのスキル持ちが、いつも健気に頑張っているミレイだとわかった時は、罪悪感しかなかった。十も年上の俺に嫁がせて申し訳ないと。君には幸せになってほしいと思っていたから」
私を利用することに罪悪感を持つオルター様は、やっぱり優しくて正義の人だと思う。
「オルター様は、いい人ばくよ。ミレイもそう思ってるばく」
「ミレイはいい子だからな」
「そ、そんなことは──」
「素敵な女性だよ。一緒に暮らしているうちに、いつの間にかどうしようもなく彼女を愛してしまっていた」
「あ……い……」
周りの景色が、色鮮やかな花で咲き乱れ始めた。
甘い香りが鼻腔をくすぐっていく。
「ああ。愛している、ミレイ。このままずっと、そばにいてほしかったと思うほどに」
オルター様は優しく、でも悲しく微笑んだ。
そばにいてほしかったという過去形の言葉に、私は喜んでいいのか泣いていいのかわからなくなる。
「オルター様……」
「伝えたかったのはこれだけだ。さぁ、これが最後の幸せな夢になる。楽しませてくれるか、ミレイ。いや、バク」
「……わかったばく」
バクだと思われている今、きっとなにを言っても無駄になる。
起きた時には、ちゃんと私の気持ちを伝えなきゃ。
「ミレイと一緒の夢は、今までで最高の夢となるな。俺はこの記憶さえあれば、幸せに生きていける」
夢の中だけで満足しようとしているオルター様を見ていると、その優しさに泣けてきてしまう。
私を手放したくないと思えるくらいに、楽しい夢を見せなくちゃ。
「たくさん、たくさん遊ぶばくー!」
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