「僕が望んだのは、あなたではありません」と婚約破棄をされたのに、どうしてそんなに大切にするのでしょう。【短編集】

長岡更紗

文字の大きさ
163 / 173
それ、私じゃなくてあなたが終わりです

03.あとは、すべて私に任せて

しおりを挟む
 数ヶ月の策謀と準備は、すべてこの瞬間のために。
 そしてついに──舞台の幕が、静かに上がった。

「アーティア。──我が婚約者たる資格、今ここで剥奪する!」

 王太子グラントの声が、玉座の間に高く響いた。

 彼の隣には、男爵令嬢、リル・フェリア。
 私は込み上げる笑みを、ぎりぎりのところで抑えた。今はまだ、“主役”を気取らせてあげる時間。

「すべて知っているのだぞ!」
「あら、なにをでしょう」
「惚けるな!」

 グラントは伯爵令嬢・・・・である私を見て、勝ち誇った顔で続けた。

「この俺を貶め、我が国を乗っ取ろうと謀るとは。それだけでは飽き足らず、リルに数々の嫌がらせを──お前はここで終わりだ、アーティア!」

 断罪させる舞台を整えるために、あえてその情報をリルから流させていたことも知らずに。
 私はただ穏やかに微笑んだ。わずかに目を伏せて、口元だけを緩める。

「証人はいる。リルよ。アーティアの悪行の数々を、皆に話すのだ」
「はぁい、喜んでお話ししますわぁ」
「そしてシオン。お前は宰相として、この女の悪事を洗いざらい暴け!」
「仰せのままに、グラント殿下」

 小鳥のように愛らしいリルと、冷静な美貌を湛えた宰相シオン。
 二人は静かに、視線を揃える。
 向けられたのは──私ではなく、王太子、あなたの方。

「な……っ」

 その顔、見たかったの。
 愚かで、自分だけが勝者だと思い込んでいたあなたの、その表情を。

 私は、静かに一歩前へ出た。

「……それ、“私”じゃなくて。──“あなた”が終わりですわ」
「な、なにを言って──!?」

 グラントの顔から、見る間に血の気が引いていく。
 私の隣では、いつも通りぽわぽわと笑う令嬢が、スカートをふわりと揺らしながら一歩踏み出した。

「まず、私がされた意地悪の件ですがぁ……あれ、全部──王太子様のご命令でしたのぉ。意地悪されたフリをしろってぇ。ほんとうは、やりたくなかったんですけれどぉ? 殿下が怖くて、つい……仕方なくぅ……」
「なっ……なにを言ってる、リル!? お前もノリノリで──!」

 グラントの声が裏返る。
 彼は、あり得ないものでも見たように、リルを見つめた。けれどそれ以上に慌てたのは、次に彼が目を向けた男の名を呼んだ時だ。

「シ、シオン! お前も見ただろう、こいつの悪事を!」

 そしてその男──宰相シオンは、優雅に手を胸へと当てた。

「ええ、殿下。余すところなく、見ておりました」

 宰相シオン・カヴァリエ。
 王国の頭脳にして、王太子の右腕だったはずの男が、冷ややかな顔のまま、威圧を強めながらグラントの元へと歩いていく。

「──そして私は、すべてを記録しております。裏金の流れ、妾のための機密費、事故死した少年の処理命令……すべて、あなたの署名入りで」
「シオン……貴様、なにを言って──っ」
「証拠はこちらに。これはごく一部ですがね」

 シオンが懐から紙の束を取り出し、無造作に突き出す。
 グラントは一歩、二歩と後退し、私を見る目が怯えと憎悪に染まっていた。

「……アーティア。お前……!」

 逃げ場など、もうどこにもない。
 私は、冷たく、静かに言い放つ。

「終わりですわね、グラント殿下」

 静寂が落ちる。
 まるで玉座の間そのものが、息を呑んだようだった。

「この場にて、すべての証拠を提示いたします」

 シオンの合図で、控えていた文官たちが木箱を運び入れる。中には、帳簿、書簡、証言の写し──王国を蝕んだ醜聞が、これでもかと詰め込まれていた。

「リル! なぜだ! お前を妃に迎えるとまで言ったのに! アーティアと婚約を破棄してでも、俺はお前を選ぶつもりだったんだぞ! このままでは妃になれないんだ! それでもいいのか!?」

 縋るようにリルへと手を伸ばすグラントに、彼女はひとつ、ため息をついて口元を歪めた。

「お触り、なさらないでいただきたいですわぁ……」

 その声は、氷のように冷ややかだった。
 空色の瞳が見下ろす先は、まるで虫けらを見るまなざし……

 いえ、そんなことを言っては虫けらに失礼ね。

「裏切る気か、リル!? おまえ、俺を──っ」
「この日を……どれだけ待ち望んだことか。これで、弟も……少しは浮かばれましょう」
「なにを……言ってる……?」

 リルの声が、震えていた。怒りと、哀しみと、決意とで。

「殿下の馬車に……弟は殺されたのです。なのに殿下は『捨ておけ』と。謝罪も、調査もない。私が“姉”だということすら──気づいていなかった……」
「弟だと? そんなものはどうでもいい! 今は──」

 その言葉に、リルはキッとグラントを睨みつける。

「触れないでくださいませ!! これまでどれほどおぞましかったことか!!」

 叫んだ瞬間、リルの目から涙が溢れ出した。

 立派よ。立派すぎるわ、リル。
 本当にここまで、よくやってくれた。

 グラントから逃げ出すように駆けてきたリルを、私は優しく抱き止める。

「ありがとう……本当に頑張ってくれたわ……」
「アーティア様……っ」
「あとは、すべて私に任せて」

 その時、玉座の間の空気が決定的に変わった。

 もう誰も、グラントを見ていない。
 人々は私たちに──この国を変えようとする者たちに、視線を向けていた。

「シオン」

 私が名を呼ぶと、シオンは頷き、兵へと視線を送る。

「グラント殿下を拘束せよ。この場での逮捕に、十分な証拠がある。」

 その言葉に、兵たちが即座に動いた。

「ま、待て、俺は王太子だぞ! 父上の許可が──」
「その“父上”を巻き込んだ犯罪の証拠も、すでに確保済みです。国王陛下の判断を仰ぐまでもありませんわ」

 私は静かに前へ進み、口を開く。

「──この国の王族、そして腐敗に加担したすべての貴族たち」

 そして高らかに言い放つ。

「全員、お覚悟なさいませ!!」

 廷臣たちの間に、激震が走る。
 動揺、恐怖、そして……希望。

 これが、私たちの革命の始まりだった。

 あるいは、“乗っ取り”の第一歩だったのか──。


 グラントが拘束されると、王宮の空気は一変した。

 私たちが突きつけた証拠と証言は、あまりに明白。
 廷臣たちは言葉を失い、衛兵たちはもはや王子の命令に従おうとしなかった。

 その夜のうちに、グラントの側近たちは国外逃亡を図り──ある者は罪状を前に、自ら命を絶った。

 国王の寝所は固く閉ざされた。
 “心労により倒れられた”と発表するに留まったけれど、実際にはすでに、政の中枢から排除されていた。

 ルクレイド王国の上層部が機能することは、なかった。



 そして私は、粛清を始めた。

 裏金に手を染めた財務長官。
 貧民を兵として売り払った南部の領主。
 貴族の娘を裏で売り渡していた社交界の重鎮──

 ひとつひとつ証拠を揃え、罪状を明かし、辞任を促す。
 それでも抗えば、ためらわずに断罪した。

 シオンが政務処理を支え、リルは残された良識ある貴族たちの心をつないだ。

「つらい日々は、きっともう過去のことになりますわ。どうか信じてくださいませ。この国には、まだ希望がございます。これからは民の笑顔が咲く国を──皆さまと共に、手を取り合ってまいりましょう」

 リルの涙ながらの演説は、王都の広場で大きな拍手を浴びた。
 ぽわぽわとした愛らしい声が、かえって真実味を帯び、民の心に深く届いたのだ。

 広場に集まった群衆は、改革の意味など知らず、ただ“悪者が裁かれた”という物語を信じた。
 国が新しく生まれ変わるのだと。

 そして、誰も気づかなかった。
 新たに玉座を覆い始めた意志が、どこの国のものであるかを。


 数日後、ルクレイド国王の退位が正式に発表された。
 けれど、それよりも大きな衝撃をもって報じられたのは、王太子グラントの処刑命令だった。

 処刑の決定が下されたのは、公開の場ではなかった。
 けれど、密室の私刑でもない。
 王族として、そして一人の人間として、正しく裁かれた結果だった。

「グラント・べオニス・ルクレイド──王太子の名を、今この場をもって正式に剥奪します。そして、国家反逆・横領・殺人教唆・民草の踏みつけに対し、断罪を行います」

 玉座の間に、重たい沈黙が降りた。

 私の宣告を受けて、彼はまだ、口を開こうとした。
 その目に“自分は王子だ”という自負を、滲ませて。

「ふざけるな……アーティア。俺は、この国の“未来”なんだぞ……。俺を殺せば、この国は終わる……」
「いいえ、違いますわ。あなたがいたから、この国はここまで腐ったのです」

 冷たく言い放つ私に、グラントは睨みを向けた。

「っ……お前ら……リル……! お前だって、俺の傍にいたじゃないか……!」

 怒鳴る声に、リルは眉ひとつ動かさない。
 ただ、その空色の瞳が、ゆっくりとグラントを見た。

 泣きもせず、怒りもせず。
 まるで、これが当然の結末だと告げるように。
 グラントという存在を、ただの失敗として静かに見つめるように。

 その無慈悲なまでのまなざしに、彼の顔が引きつった。
 理解したのだ。そこに、もう自分の居場所などないと。

 まるで溺れる者が縋るように、グラントは視線をシオンへと向ける。

「……シオン、お前は……」

 名を呼ぶ声は、かすれていた。
 救いを求めるような視線を受けて、シオンが口を開く。

「……私があなたに仕えたのは、忠誠心ではありません。国家のためという“義務”でした。ようやく、終わりにできます。あなたという悪夢を」

 その瞳には、凍りつくような嫌悪と、容赦のない軽蔑が宿っていた。
 情けも、憐れみも一片もない。ただ、見限ったものに向ける視線──処分すべき無価値な存在への、それだった。

 グラントは口を開きかけるも、漏れるのは声にならない呻きだけ。
 その言葉を拾おうとする者など、この世のどこにもいなかった。

 そして兵は動き、彼の両腕を縛る。
 その瞬間、彼は最後の抵抗を吐き捨てた。

「俺は……王子なんだぞ……! この国の“血”が流れてるんだ……! お前のような女に、なにがわかる!! 民どもに媚びて、偽りの正義で王座を盗れると思うなよ!!」

 グラントの最後の叫びは、まるで子どもの癇癪のよう。
 その血こそが腐敗の源だったと、あなたは気づく気さえなかったのでしょうけれど。

 私は静かに、けれど凛とした声で答える。

「確かに、私はこの国の血筋ではないわ。隣国ヴァルテアの第一王女、アーティア・レグナスよ」
「……は?」

 グラントの顔が、信じがたいものを見たかのように歪んだ。
 シオンが一歩前に出て、冷静に付け加える。

「あなたの腐敗は、この国だけの問題ではない。ヴァルテア王国の王女が、この国を再建するためにここに来られたのだ」

 真実を突きつけられたグラントの表情は、怒りと嘆きが入り混じっていた。

「お前……! 最初から騙していたのか! これは乗っ取りだ! こいつらを捕らえろ! 俺は、この国の正当な王太子だ!!」

 彼はまだ、自分が失ったものの大きさを理解できていなかった。
 その声に王子の矜持はなく、ただの子どものわがままでしかない。

 私は一歩近づき、静かに告げる。

「……その“王子”という称号は、今、あなた自身の手で地に堕ちたのよ。」

 兵士たちに合図を送ると、彼は無理やり連れ去られていった。
 グラントは顔を引きつらせ、震えながら必死に喚き散らす。

「待ってくれ! 助けてくれ! まだ死にたくないんだ!」

 足をばたつかせ、涙と涎を混ぜて声を震わせるその姿は、哀れみを通り越して滑稽だった。

 私たちは一切表情を崩さず、冷たい視線のまま、彼の醜態を静かに見送った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹に婚約者を奪われた上に断罪されていたのですが、それが公爵様からの溺愛と逆転劇の始まりでした

水上
恋愛
濡れ衣を着せられ婚約破棄を宣言された裁縫好きの地味令嬢ソフィア。 絶望する彼女を救ったのは、偏屈で有名な公爵のアレックスだった。 「君の嘘は、安物のレースのように穴だらけだね」 彼は圧倒的な知識と論理で、ソフィアを陥れた悪役たちの嘘を次々と暴いていく。 これが、彼からの溺愛と逆転劇の始まりだった……。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ
恋愛
王太子フィリオンとの婚約を、 「完璧すぎて可愛げがない」という理不尽な理由で破棄された令嬢・セラフィナ。 代わりに選ばれたのは、 庇護されるだけの“愛される女性”ノエリアだった。 失意の中で王国を去ったセラフィナが向かった先は、 冷徹と噂される公爵カルヴァスが治めるシュタインベルク公国。 そこで提示されたのは―― 愛も期待もしない「白い結婚」。 感情に振り回されず、 責任だけを共有する関係。 それは、誰かに選ばれる人生を終わらせ、 自分で立つための最適解だった。 一方、セラフィナを失った王国は次第に歪み始める。 彼女が支えていた外交、調整、均衡―― すべてが静かに崩れていく中、 元婚約者たちは“失ってから”その価値に気づいていく。 けれど、もう遅い。 セラフィナは、 騒がず、怒らず、振り返らない。 白い結婚の先で手に入れたのは、 溺愛でも復讐でもない、 何も起きない穏やかな日常。 これは、 婚約破棄から始まるざまぁの物語であり、 同時に―― 選ばれる人生をやめ、選び続ける人生を手に入れた女性の物語。 静かで、強くて、揺るがない幸福を、あなたへ。

さようなら、たったひとつの

あんど もあ
ファンタジー
メアリは、10年間婚約したディーゴから婚約解消される。 大人しく身を引いたメアリだが、ディーゴは翌日から寝込んでしまい…。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

P.S. 推し活に夢中ですので、返信は不要ですわ

汐瀬うに
恋愛
アルカナ学院に通う伯爵令嬢クラリスは、幼い頃から婚約者である第一王子アルベルトと共に過ごしてきた。しかし彼は言葉を尽くさず、想いはすれ違っていく。噂、距離、役割に心を閉ざしながらも、クラリスは自分の居場所を見つけて前へ進む。迎えたプロムの夜、ようやく言葉を選び、追いかけてきたアルベルトが告げたのは――遅すぎる本心だった。 ※こちらの作品はカクヨム・アルファポリス・小説家になろうに並行掲載しています。

真実の愛を見つけた婚約者(殿下)を尊敬申し上げます、婚約破棄致しましょう

さこの
恋愛
「真実の愛を見つけた」 殿下にそう告げられる 「応援いたします」 だって真実の愛ですのよ? 見つける方が奇跡です! 婚約破棄の書類ご用意いたします。 わたくしはお先にサインをしました、殿下こちらにフルネームでお書き下さいね。 さぁ早く!わたくしは真実の愛の前では霞んでしまうような存在…身を引きます! なぜ婚約破棄後の元婚約者殿が、こんなに美しく写るのか… 私の真実の愛とは誠の愛であったのか… 気の迷いであったのでは… 葛藤するが、すでに時遅し…

処理中です...