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06.患者の家族

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 十月三十一日、世の中はどうやらハロウィンらしい。
 真っ昼間だというのに、コスプレした若者達をチラホラと見かける。楽しそうだな。
 俺の患者レシピエントも、この雰囲気を楽しめてたらいいんだが。まぁ、病院にいるんじゃ無理か。

 そんな事を考えながら、俺はいつもの病院に入った。
 今日は 採取前健康診断だ。徹底的な健康チェックが行われる。
 採血と採尿、それに心電図。胸のレントゲンも撮って、肺活量も調べられた。
 肺活量とか何でだ? って思ったけど、全身麻酔で骨髄液を採られるから、人工呼吸器を着ける時のために必要なデータなんだとか。
 一つでも引っかかるとアウトだから、俺は思いっきり息を吹き込んだ。他のは頑張りようがないから、これくらいはな。

 結果、採取前健康診断はどの検査も問題なくクリア出来た。これで名実ともに提供者ドナーとなったわけだ。

 俺はそれから風邪や怪我に気を付けながら日々を過ごした。
 十一月の二十二日と二十六日には、自己輸血用の採血を行った。
 ここまで来ると、いよいよって感じがする。どうか天災なんかに見舞われないようにと願うばかりだ。
 絶対無事に俺の骨髄液を患者レシピエントに届けたい。

 十一月の月末には、患者レシピエントの放射線治療が終わったはずだ。ここからは絶対にキャンセルは出来なくなった。
 患者レシピエントの移植日は十二月七日で、俺は六日に採取日になっている。前日の五日から三泊四日の入院予定だ。熱が出たり、何かあれば一週間くらい入院が延びる事もあるらしい。
 なるべく予定通りに退院したいものだが、一応の心づもりはしておいた方がいいだろう。会社にはその旨もちゃんと伝えてある。
 ドナー休暇制度のある会社だと気分的にも休みやすいから、導入する会社がもっと増えると良いんだが。

 そしていよいよ入院の日。
 別にどこかが悪くて入院するわけじゃなく、むしろ健康だから大丈夫だと言ったのに、美乃梨が心配だからと着いてきた。今日から毎日通ってくれるつもりらしい。
 病人でも子供でもないんだから大丈夫なんだが、美乃梨がそれで安心できるなら良いか。
 初日にコーディネーターの坂下さんがやってきて、入院準備金として五千円をくれた。それで冷蔵庫を使ったり、テレビを見たりするカードを買っておく。
 病室は個室に案内されてしまって驚いた。大部屋になると思っていたけど、驚きのVIP待遇。
 個室って、別途料金がかかるんだよな? 俺には負担はないけど、患者レシピエントの方に請求が行くはず。
 大部屋で構わないと言ったけど、血液内科は割と重篤な患者が多いため、提供者ドナーに精神的な負担が掛かるかもしれないという配慮から、個室になる事が多いんだとか。
 移植に関してはとにかく提供者ドナー優先思考のようだ。ボランティアで提供する人に何かがあっては、困るからだろう。
 俺は結局個室でゆったりさせてもらう事にした。
 医師と看護師が入れ替わり立ち代わり来て、簡単な話や検査や書類を書き終えると、あとは暇になってしまった。
 提供者ドナーの感想に、暇だったという人が結構いるらしいが、確かにそうかもしれない。入院なんて初めてだし、何をしたもんだろうかと美乃梨と坂下さんを見る。

「今日はもうこれで終わりですか?」
「そうですね。何か困った事があれば、いつでもお電話くださいね。私はこれで失礼します。また明日、手術前に伺いますね」
「はい。坂下さん、ありがとうございました」

 俺や美乃梨が頭を下げると、坂下さんは出て行った。
 どうやら今日やる事は、これで終わりらしい。

「美乃梨も帰るか?」
「何かして欲しい事ないの?」
「つっても俺、病人じゃないから何でも出来るし、今んとこないな」

 そんな話をしていると、看護師さんが入って来た。まだ何かあるのかな。

「進藤さん、もしよろしければ、当病院の無菌室を見学なさいますか?」
「え、良いんですか?」

 無菌室の見学なんて、そんな簡単に出来るもんなんだろうか。提供者ドナーだから、特別にかな。

「すみませんが、奥様は手前の所でお待ち頂く事になりますが」
「あ、はい、分かりました」

 美乃梨がそれを承諾する。俺は徹底的な検査で何も病原菌を持っていない事が確認されているから、出来る事なんだろうな。
 廊下に出てずっと奥の方に行くと、ガラスの扉の前に来た。
 そこで体に風を当てられて埃やなんかを落とし、手を消毒して使い捨てのキャップとエプロンを装着する。
 美乃梨はそこで待機する事になり、俺と同じようにキャップやらエプロンやらをした看護師さんだけがガラスの扉の中に入る。
 そこから更にもうひとつ扉があって、更に入念に風を当てられた後、次の扉に入った。
 中に入ると、いくつかの部屋に分かれている。そのうちの一つに入ると、そこは乳児専用の部屋だったみたいだ。保育器のような小さなアクリルの中に寝かせれらている赤ちゃんが数人入っている。

「この子達も……無菌室にいなきゃいけないような、重篤な病気なんですか?」
「ええ、今ドナー待ちなんですよ」

 こんな小さな子にも、提供者ドナーが必要なのか。
 家の近くというだけで選んだけど、ここは県内屈指の病院だから、沢山の患者が集まってくるんだろう。
 外から見ている分には病気だなんて思えないけど、こんな状態じゃあ親も触れ合えないに違いない。寂しいだろうな……親も子も。
 次に案内されたのは、透明なガラスで仕切られて、中と外に電話が置かれていた。電話で会話出来るようになっている部屋だ。更に中は透明のカーテンで仕切られていて、どれだけ厳重なのかが分かる。
 流石に中には入らせて貰えず、外から覗き見るだけだった。中では俺と同い年くらいの男性が横たわって寝ている。

「俺の患者レシピエントも、こんな風にして過ごしているんですよね……」
「病院の施設や病状によって違いはありますが、大体このような感じだと思います」

 勿論、医師や看護師はこの中に入れるんだろうけど、基本的にずっと一人だ。抗がん剤の影響で、気分の悪い日もあるだろう。
 大人でもキツイであろうこの状況に、十代の少年が一人っきり。
 駄目だ、想像しただけで胸が詰まりそうになる。

 見学を終えて美乃梨の待つ外へ向かうと、美乃梨は見知らぬ女の人と話をしていた。ナース服でもないし部屋着でもないから、付き添いかお見舞いに来た女性だろう。

「あ、晃」

 扉を開けると俺に気付いた美乃梨が声を上げた。俺はキャップとエプロンを外してゴミ箱に入れながら話しかける。

「美乃梨、この方は?」
「今ここの無菌室に入ってる方の、奥様なんですって」

 俺たちと同い年くらいの女性だった。さっき見学させて貰った人の奥さんかな? 他にも居たようだから違うかもしれないが。
 美乃梨がその女性に向かって俺の事を主人だと紹介してくれている。すると女性はキラキラとした目を俺に向けてくれた。

「奥様から聞きました。ドナーとなって、骨髄液を採るために入院なさってるんですよね?」
「ええ、俺……僕にはこんな事しか出来ませんので」
「本当に、ありがとうございます!」

 何故かこの女性に頭を下げられてしまった。
 え? 俺の骨髄液は、この人の旦那さんじゃなくって、十代の少年に行くんだよな?

「あの……?」
「あ、すみません! 言わずには居られなくなってしまって……」

 女性は顔を上げると、目を少し潤ませながら微笑んでいる。

「実は先日、主人も骨髄の提供を受けたばかりなんです。ドナーさんの善意が本当に有り難くて……ありがとうございます」
「いえ、僕はあなたの主人に提供をしたわけではないので」
「私達はドナーさんに直接お礼を言う事は出来ないので、あなたが提供する患者さんの気持ちとして受け取ってください」

 ニッコリと微笑む女性。
 骨髄液を提供すると、こんなにも喜んでくれる人がいるのか。
 患者だけでなく、その家族も。こんなに喜んでくれる人がいるなら、やりがいがある。
 俺はその気持ちを受け取り、「手術頑張ってください」の言葉に「頑張ります」と答える。
 提供者ドナーが頑張るのは手術までと手術後だけど、その気持ちが嬉しかった。
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