たとえ貴方が地に落ちようと

長岡更紗

文字の大きさ
37 / 116

第37話 水曜日、楽しみだな

しおりを挟む
 サビーナは項垂れていた。
 給湯室の一角は、きっと暗雲が立ち込めたかのように淀んでいる事だろう。
 いつもなら、セヴェリの毎朝のお茶を淹れた後は、騎士の鍛錬所の方に向かっている。午前の早い時間帯は来客がほとんどなく、仕事も少ないからだ。
 だがこの日、サビーナは鍛錬所に行くのを躊躇っていた。
 前日にラティエでデニスと会った時のあの顔が、忘れられなかったからである。
 彼は怒っているに違いなかった。リックバルドにサビーナと食事に行くなと言われたというのに、そのサビーナはセヴェリと二人で食事に現れたのだ。デニスが怒るのも無理からぬ事と言える。
 しかし、デニスを傷付けた詐欺女と同列扱いされるのだけは我慢出来なかった。傷つけてしまったのはサビーナも同じだとは分かっていたが、それでもサビーナの本心は迷惑だったなどとは思ってはいない。
 確かにデニスの方がセヴェリに詳しく、自慢されるたびに悔しい気持ちになる事は確かだが、それ以上に二人で語り合える喜びの方が大きかったのだ。それをどうにかして伝えたいとは思う。

 でも……どうやって?

 リックバルドのいる鍛練所では、そんな言い訳を伝える事も出来ない。そもそも、今更セヴェリへの言い分を違えるわけにはいかないのだ。セヴェリとは、今夜も一緒に出掛ける約束をしてしまっている。彼の事をデニスよりも知るという名目で、どうにか落とす算段をつけられるように。
 なのに、迷惑ではなかったと撤回してしまえば、セヴェリと二人っきりで出掛けられるチャンスなどなくなってしまうだろう。
 謀反賛成派であるデニスに、セヴェリを惚れさせるためにあんな手段を取らざるを得なかった、とは説明出来ない。
 でも、せめて迷惑とは思っていないと伝えたかった。きっとこれを言っても、ただの言い訳としか捉えられないだろうが。
 サビーナは生温く気怠い息を、糸のように細く長く吐き出す。
 デニスにどう言えば良いのだろうか。そもそも、これから二人っきりで会話を出来る事があるのだろうか。考えれば考える程、頭が重くなる。
 そんな風に眉間に皺を寄せながら俯いていると、突如入り口の方から声が上がった。

「おい、茶ァくれ」

 爆破音でも聞いたかのように素早く振り返ると、白銅色の髪を持つ人物がそこに立っていた。驚いて目を剥いて確かめるも、その人物はまごう事なくデニスであった。
 たった今、二人っきりで会話出来ないと思っていた人物がそこにいたのだ。喜びよりも驚きで頭が空っぽになる。

「休憩室にいっから。急いで頼むぜ」
「あ……うんっ」

 返事以外は何も言葉が出て来ず、コクコクと首振り人形のように頷いた。
 湯を沸かし、ティーセットを用意していると、徐々に鼓動が高まってくる。
 サビーナは言われた通りに急いで準備を終えると、給湯室の隣にある休憩室に入った。この屋敷では一番小さな休憩室で、利用する者は滅多にいない。
 中に入ると、そこにはやはりデニスしかいなかった。サビーナは少し気まずく、「お茶持って来ました」と蚊の鳴く程の声で紅茶を差し出す。
 デニスはそれを無言で受け取り、一口飲んだ後、刺すような視線をこちらに向けて来た。

「……納得行かねーんだよ」

 まず最初に、彼は一言そう言った。一口飲んだカップを、無造作にソーサーへと追いやっている。

「俺、そんな迷惑な事したか? 確かにほとんど毎日食事に誘ってたけどよ、それが嫌だったんならそん時断わりゃ良い話じゃねーか」
「それは……」
「俺が班長だから断りにくかったか? だからって、リックバルド殿に言わせる必要はねーだろ。どうせ断られんなら、あんたの口からちゃんと直接聞きてぇよ」

 デニスの言葉に、ふるふると首を小刻みに横に振る。デニスの釣り目はいつもよりキレがなく、どこか哀訴するようにサビーナを見据えていた。
 どう説明すれば良いのだろうか。セヴェリと二人で外出する理由を失わず、リックバルドにも文句を言われず、デニスを納得させる方法があるというなら、誰か教えて欲しい。

「……俺、あんたと居んの、結構楽しかったんだ」

 無言のまま答えられずにいるサビーナに、デニスは独白の如く続ける。

「あんたがセヴェリ様の事を真剣に考えてくれてんのが嬉しかったし、ちょっと感動したんだぜ。真っ直ぐにセヴェリ様を生かすって言ってくれたあの言葉がよ」

 サビーナはハッとして顔を上げる。彼も同じ事を考えてくれていた。
 あの夜、デニスがセヴェリを守ると言った時、サビーナが感動したのと同時に。
 彼もまた、心を揺るがす風が吹き抜けていたのだ。

「最初に食事に誘ったのは、同志がいるって思うと親睦を深めたくなったからだ。次はまぁ、怒鳴っちまった詫びに……だったけどよ。でもそうして何度もメシに行って話してるうちに」

 デニスは唐突にそこで言葉を切り、真っ直ぐにサビーナに目を向けた。

「なんつーか……好きになりかけてたんだと思う」

 彼は照れもせず、手垢一つ付いていない窓ガラスの様な瞳で、サビーナにそう告白する。
 最初、何を言われたのか分からなかった。
 しかしサビーナの胸は、トクトクと注がれる水のように徐々に細かく波打ち始める。

「えと……あの……」
「悪ぃ、まだハッキリとは言えねぇんだ。俺自身、この気持ちをちゃんと見極めてぇって思ってた。だからあんたを毎日メシに誘った」
「……うん」
「まだちゃんと答えを出せてねぇのに、俺をシャットアウトすんなよ。頼むから」

 美形に哀願の瞳を向けられるとクラクラする。それでなくとも告白もどきをされて、血中の酸素は足りていないようだ。
 動悸と酸欠で倒れそうになりながらも、サビーナは『落ち着け落ち着け』と自分に言い聞かせ、何とか足を踏ん張った。

「おい、何とか言ってくんねーか」

 蟹のように泡を吹き出しそうなサビーナを、デニスは眉を顰めて見ている。
 しかし何と答えれば良いだろうか。ちゃんと告白されたわけでもないのに、付き合うとか付き合わないとかいう話を持ち出すのはおかしい。
 かといって、『私も好き』だなどと言える状況にないし、そもそもサビーナにそんな感情は無いのだ。
 今少し鼓動が早くなってしまったが、それは生まれて初めて告白もどきをされたのが、超絶美形の男だったからに他ならない。
 顔を見るたびにドキドキする男に告白をされれば、誰だってクラクラしてしまうはずだ。それは仕方の無い事と言えよう。

「サビーナ」
「ごめんなさい!」

 名前を呼ばれ、最初に出た言葉がそれだった。デニスが一瞬眉を下げたので、慌てて言い訳るように続ける。

「リックが勝手に、デニスさんにひどい事言っちゃって、本当にごめんなさい!」
「勝手にってのはどういう事だ? あんたは……」
「思ってません。迷惑なんて、そんなのぜんっぜん思った事無ない」

 と、言葉に出してからハッとする。さて、これからどう収拾つければ良いだろうかと。考えなしで発言してしまう自分を少し恨みながらも、なんとか誤魔化すべく頭をフル回転させた。

「えーと、あの……迷惑とは思ってないんですけど、その……」
「んだよ。構わねーから言ってくれ」
「えーとえーと、その……リックがデニスさんと食事に行く事、良く思ってないみたいで」
「リックバルド殿が、何でだよ」

 まさか、サビーナがセヴェリを惚れさせるために邪魔な存在だから、とは流石に言えなかった。

「ああ見えてリックは過保護だから……」
「んーなの無視すりゃいいだろ? 保護者が必要な年でもねーじゃねぇか」

 確かに、リックバルドがただ単に過保護でそう言ったのだったら、サビーナも無視を決め込んでデニスと食事に行った事だろう。
 しかし今回はそういう状況ではないのだ。デニスと食事に行く事を、これ以上誰かに知られるような状況になっては困る。特にセヴェリに知られては、またデニスとくっ付ける方向に持って行かれるに違いないのだ。それだけは絶対に避けなければならない。

「でも、その……リックに逆らうって結構命懸けで。ほら、私たち兄妹って、真剣で喧嘩を始めちゃうから」
「あー、成る程な」

 そう言うと、デニスは呆れるほどあっさりと納得してくれた。どうやらこの線で丸め込めそうだ。単純で助かったが、もう少し人を疑うという事を学んだ方が良いと思う。

「だから」

 だから。
 その後に続く言葉が、自分でも信じられない程の事を、サビーナは紡いでいた。

「誰にも内緒なら、デニスさんとお食事に行けます」

 そう言った瞬間、彼は驚いたように目を見開き、そして一等星のように明るく輝いた。嬉しそうに、並びの良い白い歯を見せて、無邪気な笑顔をサビーナに向けている。
 デニスの姿を見て、サビーナは眩しいものを見るかのように目を細めた。実際にその笑顔は眩し過ぎ、そして可愛らし過ぎたのだ。
 サビーナの胸の内から母性のような、それでいて無垢な天使を見る信者のような、そんな不思議な感覚が心に宿る。

「じゃ、今度は誰にもバレねーように、どっか行こうぜ」
「あ、でもそんなにしょっちゅうは……」
「ああ、そうだな。じゃあ、いつが良い?」
「来週の水曜くらいなら」
「分かった。じゃあ待ち合わせ場所は……あんたが轢かれそうになった大通りでいいか?」

 何故轢かれそうになった通りで待ち合わせをするというのか。
 そんな疑問を持ちはしたが、そこは突っ込まないでおく事にした。
 あの大通りなら賑やかだし、危険はないだろう。飛び出す事さえしなければ、だが。

「分かりました。じゃあ、仕事が終わったらすぐに向かいますね」
「おう、俺もなるべく急ぐからよ。じゃ、戻んねーと。便所だっつって鍛錬抜けて来ちまったからな」

 そう言うとデニスは長い便所を終わらせて、急いで休憩室を出て行った。
 サビーナはその後ろ姿を見送って、ホッと安堵の息を漏らす。
 どうにかこうにか乗り切ったと言って良いだろう。
 デニスとの仲は違わず、セヴェリともこのまま二人で出掛ける事が出来る。
 リックバルドには少々悪者となって貰ったが、それは仕方が無い。元々彼は悪役だ。

「……水曜日、楽しみだな」

 誰もいなくなった部屋でポツリと呟いたサビーナの顔は、溢れんばかりの笑顔であった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎ 倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。 栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。 「責任、取って?」 噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。 手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。 けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。 看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。 それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~

紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。 そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。 大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。 しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。 フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。 しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。 「あのときからずっと……お慕いしています」 かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。 ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。 「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、 シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」 あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。

処理中です...