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第46話 私、何かお気に障る事でもしてしまいましたか!?
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あれから三日が経った。
あの時は一体なんだったのか……と思えるほど、元の状態に戻っていた。
セヴェリは眼鏡を掛けて変装し、サビーナは騎士姿になって二人で食事に行く事が続いている。
何故、あの時だけデニスを連れて出掛けたのかが理解できない。謎ではあるが、なんとなくセヴェリを不機嫌にさせてしまいそうで聞く事も出来ずにいた。
この日、サビーナとセヴェリはいつものように二人だけで出掛けたが、何故か食事には行かずに河原に向かっていた。
日は暮れかけていて、空は茜色から徐々に青みが被さって来ている。
川べりに着くとセヴェリは足を止め、さわさわと優しく揺れる草の上に腰を下ろした。つられるようにサビーナもまた腰を下ろす。
「あの、セヴェリ様、今日はお食事は……」
「後で行きますよ。その前に話しておきたい事がありまして」
「話? 何でしょう」
隣に座るセヴェリは、顔を川に向けたまま目だけをサビーナに流した。
「あれから、デニスと何か進展はありましたか?」
「進展……? いえ、特には何も……」
「そうですか」
やはりこの人の考えている事はよく分からない。墓穴を掘ってしまう可能性もあるが、セヴェリの考えをちゃんと理解した上で話を進めたかった。
「セヴェリ様」
「何ですか?」
「以前、私が言った事を覚えていますか?」
「さて、どの事でしょう」
「私がセヴェリ様を知り尽くしたいと言った事です」
そう告げるとセヴェリは小さく「ああ」と声を上げた。
「ちゃんと覚えていますよ。だから私を知って頂こうと、こうして出掛けて語る時間を設けているのではないですか」
「はい、それは有難い事なのですが……正直、セヴェリ様を知るどころか、ますます分からなくなってしまいました」
「おや、それは困りましたね」
そう言いながらもセヴェリはちっとも困った様子などなく、クスクスと笑っている。いつもの表情に安堵するも、何か誤魔化されているような感じを受けて、サビーナは少し眉を下げた。
「セヴェリ様は何を考えていらっしゃるんですか? どうしてあの日、私に帯剣させずデニスさんを護衛につけたんですか? 彼の前であんな事をした意味は何ですか?」
「今日のサビーナは、質問攻めですね」
「お答え、頂けないのですか?」
眉を潜ませるながら問いかけると、彼もまた何故か悲しそうに眉を下げている。
「本当に……何故私はあんな事をしてしまうのでしょうかね。二人が嫌がると分かっていながら……」
「……セヴェリ様」
セヴェリは辛そうに申し訳なさそうに、顔をサビーナに向けた。
「私は、あなたとデニスが上手くいけば良いと……そう、思っているのですよ」
「……はあ」
そうは言うものの、やっている事がチグハグな気がする。それは本人も気付いているようで、深い溜め息を吐いていたが。
「少し、抱き締めても?」
「はい」
同意の言葉を口にすると、セヴェリは座ったまま肩を抱き寄せるようにサビーナを包んだ。そして二、三度、深く呼吸をしている。
セヴェリの口から出される息がくすぐったい。少し肩をすくめる様に距離を取ろうとすると、サビーナを逃さぬようにするためか、逆に強く抱き締められた。
「……あなたをこうやって抱き締めていると、落ち着くんです」
サビーナはセヴェリの言葉に頷いて見せる。彼がこうする事で心が安定するのを、サビーナは理解している。
「けれど、一度この手の内側にいれてしまうと……手離すのが惜しくなってくる。サビーナの幸せを願っていながら、矛盾した話ですが……」
そしてそっとサビーナの体を離しながら、「このままではいけませんね」と薄く笑っていた。
その意味が分からずに、サビーナは少し首を傾げる。そんなサビーナに、彼は言った。
「サビーナ、私がプレゼントした懐中時計を持っていますか?」
「え? はい、もちろんです」
「見せてください」
訳が分からずも、サビーナは懐中時計を胸の内ポケットから取り出して見せる。月見草の装飾がなされた、あの懐中時計だ。滅多に時計を見る事はないが、いつも肌身離さず身につけている。
「これが、どうかしたんですか?」
「少し、よろしいですか」
そう言いながらセヴェリは、懐中時計をサビーナの手の中から奪うように取って行った。
「あの……?」
「これは、返して頂こうと思います」
「え……ええ!?」
予期せぬ言葉を言われてサビーナは狼狽えた。セヴェリは懐中時計を隠すように持ち、サビーナの目に触れないようにされてしまっている。
「ど、どうしてですか!? 私、何かお気に障る事でもしてしまいましたか!?」
「いいえ、そうではないのです」
「ならば、どうして……」
「ひとつ、予言をしましょう」
セヴェリは若干冷たくなった瞳をこちらに向けてきた。サビーナの表情を見逃すまいと精察されているようで、顔が強張る。
「あなたは近々、別の男性から懐中時計を貰う事になるでしょう。しかし私がプレゼントした懐中時計があると、あなたは素直に受け取る事が出来ません。ですから、この時計はもう必要ないのです」
「何を言っ……」
サビーナが言い終わる前にセヴェリは立ち上がると、手の中の物を川の中へと投げ込んだ。
「っええ!!?」
暗がりのため飛んでいく姿は見えなかったが、何かがポチョンと水面に叩きつけられる音がする。
「何をなさるんですか!!」
主(あるじ)相手に詰(なじ)るように叫ぶと同時に、サビーナは迷いなく川の中に飛び込んだ。
「サビーナ!!? 戻りなさい! 危険です!!」
岸辺からセヴェリの驚きの声が上がっている。が、答える時間すら惜しい。今すぐ見つけなければ、一生見つけられないに違いないのだ。
川の水は思った以上に冷たく、サビーナの体を刺してくる。しかも暗く、水底が見えない。
「どこに……んぶっ!!」
ザパンと音がすると同時に、サビーナ足を引っ張られるように頭まで浸かってしまった。
思った以上に川が深くなっていて、慌てて手の平で水を掻き出す。
「っぷは!!」
「サビーナ!!」
もがいて浮き上がったは良いが、青ざめた。足の届く場所を見つけられない。ついそこまで歩いて来られたというのに。
川の中にある異常な程に冷たい水流が、サビーナの膝のあたりを巻き付くように取り囲まれた。
一瞬浮いたはずの体は、あっという間に再び川底へと引き摺り込まれてしまう。
苦し……
死ぬっ
ゴボゴボと声にならない空気だけを発して、サビーナは懸命に手足を動かす。
だがそれは、泳ぎの動きになってはいなかった。元々サビーナは泳げないのだ。それでも諦めずにもがきまくる。
と、その時ガシッと腕を掴まれた。
水中に突如現れたのは、セヴェリの顔だった。
セヴェリ様……!
彼の顔が見えた途端、安心して体の力が抜けていく。
そうして体を弛緩させる事が良かったのか、サビーナはセヴェリの肩に担がれてフワリと上昇した。そしてバシャリと音を立てて空気の中へと顔を上げる。
「プハァッ!! はぁ、はぁ……サビーナ、大丈夫ですか!!」
「ゲホッ! ゴホッ!」
サビーナの口の中から 無意識に川の水が押し出され、ようやく吸えるようになった空気を余さず肺に送り込んだ。
セヴェリはそんなサビーナを川岸へと引き摺り上げると、どっと疲れたように膝をついている。セヴェリに支えられていたサビーナも、同じ様に膝をつく事となった。
「まったく、無茶を……! 泳げないのなら、川に入らないでください!」
「だってセヴェリ様が、私の宝物を……」
「捨てていません!」
セヴェリがジャラリとズボンのポケットから何かを取り出す。それは紛れもない、川へ投げ捨てたはずの懐中時計だった。
「え……? なん……」
「投げたのは、ただの小石です」
「どういう事ですか??」
「捨てたフリをして、あなたとの思い出に、私が持っておくつもりでした。しかし……」
セヴェリは今までに見た事のないほどの苦しそうな顔をしてこちらを見、我慢しきれなくなったように強く抱き締められた。
「この時計の為に必死になる姿を見てしまっては、もうあなたを手放せなくなる……!」
セヴェリの金色の髪から、ポタポタと水滴が滴り落ちている。サビーナの肩に音を立てて打ち付けているのは、涙ではないはずだ。
だがサビーナの胸は何故か熱くなった。セヴェリの胸の内が流れ込んでくる気さえして。
セヴェリは優しくて、頭も良くて、穏やかで……そして、少し歪んでいる人だ。
理解し難い場面で笑ったり、人を試す様に怒らせたりするのは、気に入ったものが離れていく事に、ひどく恐れを感じているからかもしれない。
「……サビーナ」
「はい」
耳元で囁かれる様に呼ばれる、自分の名前。顔は見えないが声には憂いが含まれていて、何を言われるのかとざわざわと胸が揺れる。
セヴェリは一呼吸おいてから、次の言葉を紡いだ。
「……私は、きっとあなたを不幸にします」
「何を……そんな訳が……」
「聞いてください」
セヴェリはサビーナの両肩を持つと、肘を広げて距離を置かれる。彼の顔を正面にし、サビーナはその唇が動くのを待った。
「……私は近々、レイスリーフェと結婚しなければいけません」
「はい……」
「そして私はオーケルフェルトの屋敷を離れ、クラメルの軍事を掌握するために、彼女の屋敷に住む事になるでしょう」
「……はい」
「あなたを私の専属のメイドとして、ユーリスに連れて行きたい」
彼の言葉は、苦しそうだった。でも、真っ直ぐだった。きっと、心からの気持ちに違いない。
「あなたの事を思えば、連れて行く事はせず、ここでデニスと結ばれる方が幸せだということは分かっています。でも、それでも……私はあなたを連れて行きたい」
その言葉に、胸が燃える様に熱くなる。
嬉しかった。セヴェリの気持ちが。そこまで自分を必要としてくれている事が分かって。
「はい、かしこまりました」
ずぶ濡れの格好のまま、コクリと頷く。セヴェリがそう望むなら……それに従うだけだ。
「……良いのですか? あなたは私と共にいない方が、幸せになれるというのに」
「自分の幸せは自分で決めます。私は、セヴェリ様のお側にいたいからそうするだけなんです」
一瞬、デニスの顔がよぎった。何故かは分からないが、胸がしくしくと痛む。
これで良いはずだ。この選択は間違っていない。
敵が多いであろうクラメルの中で、セヴェリだけを一人行かせられない。
サビーナには彼を抱き締めてあげるくらいしか出来ないだろうが、それでセヴェリを癒す事が出来るなら、十分だった。
「サビーナ……ありがとう……」
少し泣きそうになっているセヴェリを見て、サビーナは微笑んであげる。
「戻りましょう、セヴェリ様。風邪をお召しになっては大変です」
「そうですね……でもその前に」
セヴェリは拳を広げて中の物をサビーナに見せた。
「もう一度、受け取って頂けますか?」
その、月見草の懐中時計を。
「はい」
サビーナはもう二度と離さぬ様に、しっかりと受け取った。
あの時は一体なんだったのか……と思えるほど、元の状態に戻っていた。
セヴェリは眼鏡を掛けて変装し、サビーナは騎士姿になって二人で食事に行く事が続いている。
何故、あの時だけデニスを連れて出掛けたのかが理解できない。謎ではあるが、なんとなくセヴェリを不機嫌にさせてしまいそうで聞く事も出来ずにいた。
この日、サビーナとセヴェリはいつものように二人だけで出掛けたが、何故か食事には行かずに河原に向かっていた。
日は暮れかけていて、空は茜色から徐々に青みが被さって来ている。
川べりに着くとセヴェリは足を止め、さわさわと優しく揺れる草の上に腰を下ろした。つられるようにサビーナもまた腰を下ろす。
「あの、セヴェリ様、今日はお食事は……」
「後で行きますよ。その前に話しておきたい事がありまして」
「話? 何でしょう」
隣に座るセヴェリは、顔を川に向けたまま目だけをサビーナに流した。
「あれから、デニスと何か進展はありましたか?」
「進展……? いえ、特には何も……」
「そうですか」
やはりこの人の考えている事はよく分からない。墓穴を掘ってしまう可能性もあるが、セヴェリの考えをちゃんと理解した上で話を進めたかった。
「セヴェリ様」
「何ですか?」
「以前、私が言った事を覚えていますか?」
「さて、どの事でしょう」
「私がセヴェリ様を知り尽くしたいと言った事です」
そう告げるとセヴェリは小さく「ああ」と声を上げた。
「ちゃんと覚えていますよ。だから私を知って頂こうと、こうして出掛けて語る時間を設けているのではないですか」
「はい、それは有難い事なのですが……正直、セヴェリ様を知るどころか、ますます分からなくなってしまいました」
「おや、それは困りましたね」
そう言いながらもセヴェリはちっとも困った様子などなく、クスクスと笑っている。いつもの表情に安堵するも、何か誤魔化されているような感じを受けて、サビーナは少し眉を下げた。
「セヴェリ様は何を考えていらっしゃるんですか? どうしてあの日、私に帯剣させずデニスさんを護衛につけたんですか? 彼の前であんな事をした意味は何ですか?」
「今日のサビーナは、質問攻めですね」
「お答え、頂けないのですか?」
眉を潜ませるながら問いかけると、彼もまた何故か悲しそうに眉を下げている。
「本当に……何故私はあんな事をしてしまうのでしょうかね。二人が嫌がると分かっていながら……」
「……セヴェリ様」
セヴェリは辛そうに申し訳なさそうに、顔をサビーナに向けた。
「私は、あなたとデニスが上手くいけば良いと……そう、思っているのですよ」
「……はあ」
そうは言うものの、やっている事がチグハグな気がする。それは本人も気付いているようで、深い溜め息を吐いていたが。
「少し、抱き締めても?」
「はい」
同意の言葉を口にすると、セヴェリは座ったまま肩を抱き寄せるようにサビーナを包んだ。そして二、三度、深く呼吸をしている。
セヴェリの口から出される息がくすぐったい。少し肩をすくめる様に距離を取ろうとすると、サビーナを逃さぬようにするためか、逆に強く抱き締められた。
「……あなたをこうやって抱き締めていると、落ち着くんです」
サビーナはセヴェリの言葉に頷いて見せる。彼がこうする事で心が安定するのを、サビーナは理解している。
「けれど、一度この手の内側にいれてしまうと……手離すのが惜しくなってくる。サビーナの幸せを願っていながら、矛盾した話ですが……」
そしてそっとサビーナの体を離しながら、「このままではいけませんね」と薄く笑っていた。
その意味が分からずに、サビーナは少し首を傾げる。そんなサビーナに、彼は言った。
「サビーナ、私がプレゼントした懐中時計を持っていますか?」
「え? はい、もちろんです」
「見せてください」
訳が分からずも、サビーナは懐中時計を胸の内ポケットから取り出して見せる。月見草の装飾がなされた、あの懐中時計だ。滅多に時計を見る事はないが、いつも肌身離さず身につけている。
「これが、どうかしたんですか?」
「少し、よろしいですか」
そう言いながらセヴェリは、懐中時計をサビーナの手の中から奪うように取って行った。
「あの……?」
「これは、返して頂こうと思います」
「え……ええ!?」
予期せぬ言葉を言われてサビーナは狼狽えた。セヴェリは懐中時計を隠すように持ち、サビーナの目に触れないようにされてしまっている。
「ど、どうしてですか!? 私、何かお気に障る事でもしてしまいましたか!?」
「いいえ、そうではないのです」
「ならば、どうして……」
「ひとつ、予言をしましょう」
セヴェリは若干冷たくなった瞳をこちらに向けてきた。サビーナの表情を見逃すまいと精察されているようで、顔が強張る。
「あなたは近々、別の男性から懐中時計を貰う事になるでしょう。しかし私がプレゼントした懐中時計があると、あなたは素直に受け取る事が出来ません。ですから、この時計はもう必要ないのです」
「何を言っ……」
サビーナが言い終わる前にセヴェリは立ち上がると、手の中の物を川の中へと投げ込んだ。
「っええ!!?」
暗がりのため飛んでいく姿は見えなかったが、何かがポチョンと水面に叩きつけられる音がする。
「何をなさるんですか!!」
主(あるじ)相手に詰(なじ)るように叫ぶと同時に、サビーナは迷いなく川の中に飛び込んだ。
「サビーナ!!? 戻りなさい! 危険です!!」
岸辺からセヴェリの驚きの声が上がっている。が、答える時間すら惜しい。今すぐ見つけなければ、一生見つけられないに違いないのだ。
川の水は思った以上に冷たく、サビーナの体を刺してくる。しかも暗く、水底が見えない。
「どこに……んぶっ!!」
ザパンと音がすると同時に、サビーナ足を引っ張られるように頭まで浸かってしまった。
思った以上に川が深くなっていて、慌てて手の平で水を掻き出す。
「っぷは!!」
「サビーナ!!」
もがいて浮き上がったは良いが、青ざめた。足の届く場所を見つけられない。ついそこまで歩いて来られたというのに。
川の中にある異常な程に冷たい水流が、サビーナの膝のあたりを巻き付くように取り囲まれた。
一瞬浮いたはずの体は、あっという間に再び川底へと引き摺り込まれてしまう。
苦し……
死ぬっ
ゴボゴボと声にならない空気だけを発して、サビーナは懸命に手足を動かす。
だがそれは、泳ぎの動きになってはいなかった。元々サビーナは泳げないのだ。それでも諦めずにもがきまくる。
と、その時ガシッと腕を掴まれた。
水中に突如現れたのは、セヴェリの顔だった。
セヴェリ様……!
彼の顔が見えた途端、安心して体の力が抜けていく。
そうして体を弛緩させる事が良かったのか、サビーナはセヴェリの肩に担がれてフワリと上昇した。そしてバシャリと音を立てて空気の中へと顔を上げる。
「プハァッ!! はぁ、はぁ……サビーナ、大丈夫ですか!!」
「ゲホッ! ゴホッ!」
サビーナの口の中から 無意識に川の水が押し出され、ようやく吸えるようになった空気を余さず肺に送り込んだ。
セヴェリはそんなサビーナを川岸へと引き摺り上げると、どっと疲れたように膝をついている。セヴェリに支えられていたサビーナも、同じ様に膝をつく事となった。
「まったく、無茶を……! 泳げないのなら、川に入らないでください!」
「だってセヴェリ様が、私の宝物を……」
「捨てていません!」
セヴェリがジャラリとズボンのポケットから何かを取り出す。それは紛れもない、川へ投げ捨てたはずの懐中時計だった。
「え……? なん……」
「投げたのは、ただの小石です」
「どういう事ですか??」
「捨てたフリをして、あなたとの思い出に、私が持っておくつもりでした。しかし……」
セヴェリは今までに見た事のないほどの苦しそうな顔をしてこちらを見、我慢しきれなくなったように強く抱き締められた。
「この時計の為に必死になる姿を見てしまっては、もうあなたを手放せなくなる……!」
セヴェリの金色の髪から、ポタポタと水滴が滴り落ちている。サビーナの肩に音を立てて打ち付けているのは、涙ではないはずだ。
だがサビーナの胸は何故か熱くなった。セヴェリの胸の内が流れ込んでくる気さえして。
セヴェリは優しくて、頭も良くて、穏やかで……そして、少し歪んでいる人だ。
理解し難い場面で笑ったり、人を試す様に怒らせたりするのは、気に入ったものが離れていく事に、ひどく恐れを感じているからかもしれない。
「……サビーナ」
「はい」
耳元で囁かれる様に呼ばれる、自分の名前。顔は見えないが声には憂いが含まれていて、何を言われるのかとざわざわと胸が揺れる。
セヴェリは一呼吸おいてから、次の言葉を紡いだ。
「……私は、きっとあなたを不幸にします」
「何を……そんな訳が……」
「聞いてください」
セヴェリはサビーナの両肩を持つと、肘を広げて距離を置かれる。彼の顔を正面にし、サビーナはその唇が動くのを待った。
「……私は近々、レイスリーフェと結婚しなければいけません」
「はい……」
「そして私はオーケルフェルトの屋敷を離れ、クラメルの軍事を掌握するために、彼女の屋敷に住む事になるでしょう」
「……はい」
「あなたを私の専属のメイドとして、ユーリスに連れて行きたい」
彼の言葉は、苦しそうだった。でも、真っ直ぐだった。きっと、心からの気持ちに違いない。
「あなたの事を思えば、連れて行く事はせず、ここでデニスと結ばれる方が幸せだということは分かっています。でも、それでも……私はあなたを連れて行きたい」
その言葉に、胸が燃える様に熱くなる。
嬉しかった。セヴェリの気持ちが。そこまで自分を必要としてくれている事が分かって。
「はい、かしこまりました」
ずぶ濡れの格好のまま、コクリと頷く。セヴェリがそう望むなら……それに従うだけだ。
「……良いのですか? あなたは私と共にいない方が、幸せになれるというのに」
「自分の幸せは自分で決めます。私は、セヴェリ様のお側にいたいからそうするだけなんです」
一瞬、デニスの顔がよぎった。何故かは分からないが、胸がしくしくと痛む。
これで良いはずだ。この選択は間違っていない。
敵が多いであろうクラメルの中で、セヴェリだけを一人行かせられない。
サビーナには彼を抱き締めてあげるくらいしか出来ないだろうが、それでセヴェリを癒す事が出来るなら、十分だった。
「サビーナ……ありがとう……」
少し泣きそうになっているセヴェリを見て、サビーナは微笑んであげる。
「戻りましょう、セヴェリ様。風邪をお召しになっては大変です」
「そうですね……でもその前に」
セヴェリは拳を広げて中の物をサビーナに見せた。
「もう一度、受け取って頂けますか?」
その、月見草の懐中時計を。
「はい」
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