たとえ貴方が地に落ちようと

長岡更紗

文字の大きさ
67 / 116

第67話 あなたの事の方が大切ですから

しおりを挟む
 まだ暗い時刻に目を覚ますと、灯りをつけて着替えを始めた。
 隣ではセヴェリがまだ眠っているが、カーテンがあるので安心して寝巻きを脱ぎ去る。冷たい外気が肌に刺さった。

「……さむっ」

 思わず声が漏れて、急いで服に袖を通す。そして最後にマントを羽織った。この国では雪が降る事は滅多にないらしいが、やはり寒いものは寒い。昼間は比較的暖かいが、太陽が出ないうちは凍えるほど冷たかった。

「おはよ、ルッツリオン。今日もお願いね」

 そう挨拶して馬にまたがる。ルッツリオンは白い息を吐きながら、今日も懸命に走ってくれた。
 一旦寮に戻って荷物を置くと、急いで出勤する。ルッツリオンは厩舎に預けていて、世話をしてもらっているので安心だ。勿論お金は掛かるのだが、そんなに高額ではないので助かっている。

「おはようございまーす」
「おはようサビーナ。早速仕事がたまってるわよ」

 サビーナと同じく、皿洗い専門のリタが山積みにされた皿を指差している。サビーナは袖捲りをしてリタの隣に移動した。蛇口を捻ると容赦のない冬の水が流れ落ちてきて、サビーナは身震いする。

「うー、水が冷たいなぁ。ちょっとお湯沸かしてこようか」
「あ、じゃあサビーナが石鹸で洗ってくれない? 私が水で流すから」
「いいの?」
「手が荒れちゃって、泡がしみるのよ。サビーナは大丈夫?」
「うん、私は肌は割と丈夫な方だから」

 リタは少し年上の十九歳で、キレイ系美人だが気さくな女性だ。気兼ねなく話せるので、サビーナとしても助かっている。

「ねぇねぇ、知ってる?」

 並んでカチャカチャと皿を洗っていると、リタが話しかけて来る。彼女は割と噂話が好きなので、サビーナは己の事は詳しく話すまいと心に決めている。

「なに?」
「ソサルさんの娘さんが、貴族に嫁ぐ事になったらしいわよ。それも公爵家ですって! 」

 ソサルというのは、この食堂ミランを経営している商人だ。他にも多くの店を出していて、かなりのやり手の商人のようである。

「へぇ、貴族に……すごいね」
「いいわよねぇ。元々金持ちの生まれってだけで羨ましいのに、貴族になんて……一生安泰じゃない」
「じゃあ、リタも貴族との結婚を狙ってみれば?」
「ふふふ……そうね」

 知り合う機会があれば狙う気満々の彼女を見て、サビーナは苦笑する。

「なによ、サビーナにはそんな気は全くないっていうの? 女の子なら、貴族や……そうね、異国の王子様なんかに憧れたりしない?」
「うーん、憧れないわけじゃないけど……現実問題、身分差は埋められない気がして。私がマナーにも政治にも疎いだけだけど、堅苦しい生活をするくらいなら貧乏でも自由な方がいいかなぁ」
「もう、若いのに夢がないわねっ!」

 リタが口を尖らせながら皿を洗い流していく。
 彼女の気持ちも分からなくはないのだが、サビーナの夢は貴族や王族との結婚ではない。好きな人との平凡な結婚である。しかしそれは王族と結婚するくらい、叶わない夢であったが。

「あのね、ここだけの話なんだけど」

 リタは『ここだけの話』も結構あって、またかと苦笑しながら彼女に耳を寄せる。リタはサビーナの耳に口がくっつきそうな程近寄って、ぽそりと呟くように言った。

「私、実は結構本気なのよ」
「……何が?」
「貴族との結婚よ」
「ふーん」
「ちょっと、出来ないと思ってるでしょう?」

 いきなり大きな声を出されて、サビーナは耳を彼女から遠ざけた。

「思ってないよ。リタは美人だし、見初められる事も十分にあると思うけど」
「あら、そう? ふふふ」

 不機嫌顔から一転、今度は嬉しそうに含み笑いをしている。そして今度はその笑みを若干悪いものへと変化させ、再びサビーナの耳に口元を寄せて来た。

「業者がいるらしいわ」

 一言そう耳打ちされるも、何の事だかさっぱりわからない。サビーナは眉を寄せて目だけで耳元のリタを見る。

「……何それ」
「貴族との結婚を実現させてくれる業者がいるのよ。かなりのお金が掛かるようだけど、私、それを利用して狙うつもりよ」

 そう言いながら離れていったリタの顔は、とんでもなく真剣だった。玉の輿を狙う女の意気込みというのは、凄いものなのだなと乾いた笑いを上げるしかない。
 しかしそのためにがむしゃらに働けるのなら、玉の輿に乗らなくても十分に生きていけるだろうのにとサビーナは考えてしまう。
 安定した生活を得るため、貴族の嫁となるべく業者に支払うお金のために働くというのは、どうにも矛盾に思えて仕方なかった。

「サビーナ、あなたも私と一緒で田舎から出てきたんでしょう? 」
「え……うん、まぁ」
「金持ちと結婚すれば、田舎への仕送りもたっぷり出来るわよ」

 そう言われてハッとする。確かにその通りだ。サビーナがここで身を粉にして働いたとしても、たかが知れている。クスタビ村の家は家賃がいるわけでもないので、普通に暮らしていく分には問題ないが、欲しい物が全て買えるかと言われればそうではない。セヴェリに不便を強いているのは紛れもない事実だ。
 そう考え込んでいると、リタに「業者との仲介が欲しいなら言ってね」と軽く言われてしまった。
 サビーナがこの国の金持ちと結婚して、セヴェリに楽をさせてあげる……その方法もひとつの手かもしれない。でも、そのために見知らぬ誰かと結婚できるかと問われると、やはり抵抗感の方が先立ってしまった。

 うーん、これは最終手段かな。
 私が怪我や病気で働けなくなった時とか……
 そう考えると怖いなぁ。
 やっぱりお金は出来るだけ貯めておこう。

 サビーナはリタに「ありがと」とだけ答えて、この話は打ち切った。

 仕事五日目は昼までで終わらせてもらい、セヴェリに頼まれた物を買って村へと戻る。ちょっと贅沢してセヴェリのコートも買った。昼間は暖かいとはいえ、外で授業をするならば必要だろう。あっという間に稼いだお金が消えてしまったが、出来れば次回は自分のコートが欲しい。
 マントで寒さを凌ぎながら帰って来ると、そこにはやはり青空授業をしているセヴェリと子供達の姿があった。しかし前回とは違い、机があり、椅子があり、更には教卓まであって『学校』らしくなっている。

「あ! 先生、奥さんだよ!」

 生徒の一人がいち早くサビーナに気付いてそう声を上げた。『奥さん』と言われると、どうにもムズムズとモヤモヤが入り混じった変な気分になる。
 授業は六歳から十五歳までのクラスが始まっているようだった。九人しかいない生徒がこちらを見てくる。

「おかえり、サビーナ。お疲れ様」
「ただいま戻りました。中断させてごめんなさい。続けてください」

 授業の邪魔にならないようにそっと離れて馬を繋ぎ、荷物を中に運び入れる。
 テキストは一度目を通してから使うだろうが、コートは今から羽織っておいてもらいたい。
 サビーナは家を出ると、授業の邪魔にならぬようコソコソとセヴェリに近寄った。もちろん生徒らには丸見えで、大注目されてしまっていたのだが。

「あの、コートを」
「買ってくれたのですか? サビーナ、あなたのコートは」
「先にセヴェリに……風邪をお召しになっては大変なので」
「自分のを先に買えば良かったものを……」
「私にとっては、あなたの事の方が大切ですから」

 そっと微笑んでコートの襟を掴むと、セヴェリが袖に手を通してくれた。そんな彼の表情もまた優しい。

「温かいですよ、ありがとうサビーナ。でも今度は自分のコートを買いなさい」
「はい」

 素直に頷くと、セヴェリはサビーナの深緑の髪を撫でるように触れてくれる。

「っかー、らぶらぶー」

 そんな風に生徒の一人に囃し立てられてしまい、サビーナの顔はカッと熱くなった。見ると、このクラスでは最年長であろう少年が半眼でニヤニヤとこちらを見ていて、サビーナは縮こまる。

「羨ましいでしょう、ケーウィン」
「風邪をお召しになっては大変なのでー? あなたの事の方が大切ですからー? 想われてんなぁ、セヴェリ先生!」

 己の言葉をリピートされ、更にサビーナの顔は茹で蛸以上に赤くなる。年齢の近そうな男子にからかわれて、余計に恥ずかしくなってしまった。

「あの、余計な事を、すみません! 失礼します!」

 バタバタと逃げるように家に入って、火照った顔に手を当てる。
 全て心からの言葉だが、生徒達の前でいう台詞ではなかった。

「うう、恥ずかしい……っ」

 ぎゃー、と叫びたい気持ちを抑えて感情を抑え込む。そうしてうずくまっていると、また授業が再開されたようだ。サビーナもいつまでもうずくまっていても仕方なく、大きな息と共に力の入っていた筋肉を緩めると、夕食の支度に取り掛かった。

 やがて授業が終わり、二人で夕食を取っている時である。セヴェリが可笑しそうに笑いながら言った。

「ケーウィンが、あなたに悪かったと伝えておいて欲しいと言ってましたよ」
「え?」
「彼がからかいたかった相手は、サビーナではなく私の方だったんですよ。あなたを傷つけてしまったんじゃないかと気にしていました」

 そう言われると、確かにからかう対象はセヴェリだったのかもしれない。自意識過剰な自分が更に恥ずかしくて睫毛を伏せる。

「いえ、あの、大丈夫です。傷ついてませんから……」
「私は嬉しかったですよ。あなたに大切だと言って貰えて」

 セヴェリが食事をする手を止めて、サビーナの手を握っていた。
 男の人に触れられるだけで赤くなってしまう顔をどうにかしたいものだが、そうそう性格は変えられないらしい。
 顔を染めたままモジモジしていると、そんなサビーナを見て目を細めている。

「私もあなたがとても大切ですよ」
「あ……ありがとうございます」

 何故だかそれは、胸が苦しくなる言葉だった。
 セヴェリが自分の事を、大切に思ってくれている。嬉しい反面、胸を壁に押し付けられるかのような冷たさと痛みを感じた。
 彼はレイスリーフェの事を知っても、同じように大切だと言ってくれるだろうか。
 そう考えると怖くて、セヴェリの手を振り払うように手を引っ込める。

「……サビーナ?」
「食べましょう。料理が冷めてしまいますから……」

 サビーナの言葉にセヴェリは気を取り直すかのように微笑し、そして再びフォークに手をやっている。楽しかったはずの夕食は途端に味気ないものへと変わり、サビーナは無理矢理飲み込むようにして食事を終えたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎ 倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。 栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。 「責任、取って?」 噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。 手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。 けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。 看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。 それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~

紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。 そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。 大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。 しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。 フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。 しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。 「あのときからずっと……お慕いしています」 かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。 ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。 「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、 シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」 あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。

処理中です...