98 / 116
第98話 欲しい、です……
しおりを挟む
この日、サビーナはセヴェリに強く言われて、休みを取っていた。
そう、六月の末日。それは、サビーナ十八歳の誕生日である。
アンゼルード帝国では二十歳が成人だ。結婚は親の承諾があれば、十六歳から出来るが。
今暮らしているラウリル公国は、十八歳が成人。飲酒も結婚も、大抵の事が出来るようになるのが、この十八歳という年齢だそうだ。
セヴェリは何だか、朝からウキウキとしていた。どうも嫌な予感がして仕方がないが、あまり深く考えない事にする。
この日は平日だったため、セヴェリは保育と授業があった。午前中はサビーナの自由に過ごし、昼からは十六歳以上の彼の授業を受ける事にする。
昼食を済ませて外の椅子に座っていると、まだ早い時間だというのに二人の生徒が喋りながら近づいて来た。
「お、今日はサビーナさんも一緒かぁ」
「サビーナ、そこ俺の席。避けて」
「え? 別にどこに座っても良いんじゃないの?」
「俺は決まった席じゃないと、嫌なんだよ」
不機嫌そうに半眼でそう言うのは、シェルトだ。仕方なく席を譲ると、隣にいるケーウィンは苦笑いしている。
最初の頃、シェルトは一切セヴェリの授業に参加していなかった。必要な事は、プリシラから習っていたようである。しかしセヴェリが教師の資格を取った辺りから、彼も授業に参加するようになっていた。どうやらシェルトも、大学を目指しているようだ。医師を目指しているのだから、当然とも言えるのだが。
二人は隣り合わせに座ると、それぞれに勉強を始めている。二人が共有している分厚いテキストを覗いてみるも、全く理解出来ない物ばかりだった。本当にアンゼルードの上級学校で習ったものなのだろうか。全然覚えていない。
「おい、サビーナ。これはどうやって解くんだ?」
「私に聞かないでよ……」
「お前の国じゃ、十五歳でこの勉強を終わらせるってセヴェリが言ってたぜ?」
「こんな授業、受けた記憶はございません!」
「悪徳政治家みたいな言い訳するな、サビーナさん」
サビーナとシェルトの言い合いを聞いていたケーウィンが、クックと笑う。しかし、本当に記憶に無いのだから仕方が無い。
肩身の狭い思いをしていると、授業の準備を終えたセヴェリが出て来て「熱心ですね」と覗き込み、二人の勉強を見てあげている。
シェルトはサビーナと同じ十八歳、ケーウィンはひとつ下の十七歳だ。二人は勉強を通して、仲の良い友人となっているようである。
出会った時はシェルトもケーウィンも幼い感じがしたものだが、今では既に立派な男の装いとなっていた。身長も伸びたようだし、何だか逞しくなった。一足飛びに追い抜かされた気分になり、少し切ない気分になる。
男の子って、成長する時は一瞬なんだなぁ。
一気に大人っぽくなっちゃって、何だか寂しい……
そんな風に考えていると、まるで自分が二人の母親になったようだと思ってしまって、一人でクスクスと笑ってしまった。その姿を見た男三人組は、頭の上にハテナマークが付いているようだった。
やがて他の生徒が集まり、授業が始まったが、例の二人は別格のようだった。セヴェリが特別に用意したプリントを必死にこなしている。セヴェリの授業も、二人の時はかなり熱が入っていた。少し授業を聞いてみたが、サビーナはとてもじゃないがついていけそうにないので、他の生徒とのんびり授業をこなした。
シェルトとケーウィンも必死だろうが、セヴェリもまた必死なのだ。二人の為だけに時間を割けない中、なるべく効率良く授業を進めようと。
十六歳以上の授業が終わり、十五歳以下の授業が始まってからも、二人は隅の机で勉強を続けていた。家で勉強するよりも、分からない所をすぐに聞けるここの方が都合が良いからだろう。
全ての授業が終わり、サビーナが夕食を作り始めた時も、セヴェリはまだ二人に付き合って教えている。よくもまぁ、こんなに長時間勉強ばかりしていられるものだ。尊敬するというより、凄すぎて逆に呆れてしまう。
ようやくセヴェリが家に入って来たのは、日が落ちて外で勉強出来なくなってからである。
「ただいま。すみません、遅くなりました」
「いいえ、お疲れ様でした。ご飯出来てますよ」
「ああ……結局全部押し付けてしまった。今晩は私が作ろうと思っていたんですが」
「気になさらないでください。今はシェルトもケーウィンも大事な時期ですから」
そう言いながら食卓に着き、二人だけの夕食を始める。
「シェルトは今年度に受験ですよね。受かりそうなんですか?」
「そうですね……彼は一部の教科は飛び抜けて秀でているのですが、それ以外は苦手なようで。これから試験までの努力次第ですね」
「じゃあ、ケーウィンの方は……」
「彼は全体的に、平均以上の力は持っていますよ。まぁケーウィンにはまだ時間的に余裕がありますから、もっと押し上げるつもりでいます。このまま伸びてくれれば、まず問題なく受かると思いますが……まだ何とも言えませんね」
セヴェリは少し難しい顔でそう言った。この二人が無事に大学に合格出来るまで、セヴェリの心労は消えそうに無い。
「セヴェリ様も二人も、ずっと勉強していてすごいと思います」
「サビーナも学生の頃は勉強したでしょう? 変わりませんよ」
「う! 私は、テスト前にしかしてませんでしたから……。で、でも、成績は悪くなかったんですよ、当時は! ただ、今はもう忘れちゃっただけで!」
「一夜漬けは忘れやすいですからね」
クスクスと笑われて、サビーナは顔を赤くさせた。真面目に毎日こつこつ勉強していれば、もっと仕事の幅も広がっていたのだろうか。
「まぁでも、デニスよりは余程マシですよ。彼は上級学校の四年に進級出来ず、中退していますから」
「え? そうなんですか?」
「ええ。中退して働き口もなかったデニスに、オーケルフェルトの騎士隊に入れるよう手を尽くしたのです。だからデニスは、ひとつ年上のリカルドやキアリカと、同期なのですよ」
「へぇー、そうだったんですね。知りませんでした」
何故デニスがセヴェリに恩を感じているか、改めて分かった気がする。幼い頃に虐められているのを助けられたから……というだけじゃなかった。こういう色んな積み重ねがあっての事だったのだろう。
「デニスは剣を持つのは初めてだったのですが、持ち前の運動能力で頭角を現しましてね。人は別に勉強が出来なくても、才能を活かせば生きていけるという典型ですね」
セヴェリはデニスを褒めているのか貶(けな)しているのか分からない表情で、クスクスと笑っている。
「サビーナも」
「え?」
唐突に名前を呼ばれ、首を傾げながら視線を上げた。そこには優しい緑青色の瞳が、こちらを見据えている。
「サビーナも、やりたくない事をいつまでも続ける必要はないですよ。好きな事をして過ごすには、努力も必要ですが。自分の才能を活かせる場所があるなら、応援しますので教えてくださいね」
「いえ、あの、私には何の才能もないですから……」
「では、夢はないんですか? 幼い頃に描いた夢くらいはあるでしょう?」
そう言われて、今度は視線を外した。
夢は、あった。
叶う事のない、平凡な夢が。
しかしそれは、職業とは関係のない話だ。
「ない、です……」
「本当に? 何かあったでしょう? 何でも良いんですよ。例えば、世界中を旅して回るとかでも」
「いえ、それはないです」
「例えばですよ」
サビーナの夢は、世界中を旅する事とは真逆だ。
好きな人と結婚し、暖かい家庭を築く事。平凡でも穏やかな人生を送る事。
大抵の人は、これ以外にも素敵な夢をいくつも持っているのだろう。
しかしサビーナには、これしかなかった。何か別の夢を持っていたなら、こんな平凡な夢など諦められたかもしれないというのに。
サビーナは捨てなければいけないと分かっている夢に、まだしがみついてしまっている。
「まぁ、夢はいつ持っても構わないものです。ゆっくり考えるのも良いでしょう。それより今日は、私の小さな夢を叶えて貰って良いですか?」
「え? なんですか?」
セヴェリはいそいそと席を立つと、どこからか一本のボトルを持ち出してきた。まさかそれはとサビーナの口元は引きつる。
「一緒に飲んで頂けますか?この日の為に、ジェレイに頼んで売って貰っていたんですよ」
「それは……お酒、ですよね……?」
「ええ、極上のワインです」
それを聞いてサビーナはウーンと唸った。お酒はもう二度と飲むまいと心に決めている。どう言って断れば良いだろうか。
「でもそんな良いワインを私なんかが飲むのは、勿体無いと思うんですが……」
「だからこそ飲むのですよ。良い物を口にすれば、良い物が分かるようになりますから」
別に分からなくてもいい、という考えは貧乏人だからだろうか。セヴェリは既に栓を開け、グラスに注いでくれている。
「十八歳の誕生日、おめでとうサビーナ」
「あの……じゃあ、一杯だけ……」
結局断り切れず、サビーナは初めてワインを口に運んだ。赤ワインは勝手なイメージで渋くて飲み難そうだと思っていたが、思った以上にするりと喉を通り越して行く。
「あ……飲めるかも……」
「そうでしょう。飲みやすい物を選びましたから」
少しずつ飲んでいたつもりだったが、いつの間にかグラスは空になっていた。セヴェリは空いたグラスにまた注ぎ入れてくれる。
もうちょっとくらいなら、大丈夫かな……
デニスさんの所で飲んだお酒よりも、弱いみたいだし。
喉を通る時のカーッとした感じがなく、大丈夫そうだと判断して少しずつグラスを空けていく。
「サビーナがオーケルフェルトの屋敷に来た時には、まだ子供だと思っていましたが……立派な大人になりましたね」
「私なんて全然です……さっき、シェルトやケーウィンを見ていて思ったんですけど、男の子の成長は早いですね。ケーウィンなんて、すっごく若いってイメージがあったのに、急に大人っぽくなっちゃって。シェルトも今頃成長期が来たの? ってくらい、いつの間にか身長も伸びてるし」
「二人からすれば、あなたも同じかもしれませんよ」
「へ?」
ぱっちりと目が開けられず、トロンとセヴェリを見上げる。すると彼は少し困ったような顔で微笑んでいた。
「シェルトやケーウィンから見れば、あなたはとても色気が出て来たんじゃないでしょうか。あちらはあちらで大人になったあなたを見て、ドキドキしていたかもしれませんね」
「そんな、まさか……」
あり得ない事を言われて、サビーナは残りのワインをグイッと空けた。少し頭が重くなって来たような気がする。そんな様子を見たセヴェリは、サビーナの隣に移動して来た。
「本当ですよ。あなたはとても色っぽくなった。美しい大人の女性になりましたよ」
「だとしたら……セヴェリ様の、お陰です……」
「私の?」
驚いて目を瞠るセヴェリに縋り付くように、座ったまま彼の腰の辺りにぎゅうっと抱き付く。
「セヴェリ様が、私を、女に、してくださったから……」
「嬉しい事を言ってくれますね。あなたを愛でた甲斐があったというものです」
「セヴェリ様……セヴェリ、さま……」
椅子から降りようとして立ち上がれず、支えられるようにセヴェリに抱き寄せられる。
彼の腕の中が心地良い。暖かくて優しくて、いつまでもこうしていたくなってしまう。
クラクラしている頭をセヴェリの胸板に擦り付けるようにしていると、柔らかな弧を描いた唇が降りてきた。そしてそのまま、唇が重なる。
「ん……」
「ああ……綺麗ですよ、サビーナ」
「セヴェリ、様……もっと……」
「え?」
サビーナの思いを理解していない彼に、サビーナは涙目を向けて訴える。
「気持ち、良いの、くだ、さい……早く……」
渇望するように懇願すると、セヴェリは驚いていた目を徐々に細めている。
「私が欲しいんですか?」
「欲しい、です……お願い、早く……意地悪、しないでぇ……」
「驚きましたね、あなたがこんな事を言うとは……お酒を飲むと、欲望に忠実になるんでしょうか」
セヴェリは何やら訳の分からない事を分析しているようだ。そんな事はどうでもいいので後回しにして、今は早く抱いて欲しい。
「して、ください……セヴェリさま……」
「あなたの誕生日だ。望むままにしてあげましょう。どんな風にして欲しいですか?」
「朝まで、いっぱい……激しく……っ」
「いいですよ。それがあなたの胸の内なら、望む通りに……」
セヴェリの承諾を得られて、サビーナの顔から笑みが漏れる。彼に抱かれる事が、嬉しくて堪らない。それも、朝までずっと。
そのままサビーナは寝室に運ばれて、セヴェリと熱い夜を過ごした。
どうやら途中で、眠るか意識を失うかしてしまったようだが。
翌朝、体を少し揺り動かされたサビーナは、薄っすらと目を開けた。
「サビーナ、起きなさい。仕事に間に合わなくなりますよ」
「……う」
セヴェリは服を着ていたが、何故か自分は素っ裸だった。混乱する頭を押さえて、昨夜の事を必死に思い出そうとする。
確か私、お酒を飲んでそれからセヴェリ様に……
「ぎゃ、ぎゃあーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「さ、サビーナ!?」
前夜の己のはしたない言動を思い出して、サビーナは絶叫した。
いくら酔っていたとはいえ、自分からあんなに求めたなんて、恥ずかしすぎる。
「ち、違うんです!! 昨日はちょっとおかしくなってたんです!! そんな、ずっとセヴェリ様に抱かれていたいとか、思ってないですーーっ!!」
顔を赤くも青くさせ、結果、紫色になりながら必死に弁解する。するとセヴェリはそんなサビーナを見て眉を下げながら笑った後、そっと抱き締めてくれた。
「セヴェ……」
「嬉しかったですよ、私は。あなたに欲しいと言って貰えて」
ドカンと爆発するように顔が火照った。出来れば気を失って、全ての言動を忘れてしまいたい気分だ。しかしゆっくりと離れたセヴェリの顔は幸せそうで、サビーナは言葉を飲み込んだ。
「また一緒に飲みましょうね。でも、私のいない所で飲むのは禁止ですよ」
「うーーっ! もう本当に二度とお酒は飲みませんからーーーーッ」
全力で半泣きになりながら拒否すると、セヴェリは少し寂しそうに笑っていた。
そう、六月の末日。それは、サビーナ十八歳の誕生日である。
アンゼルード帝国では二十歳が成人だ。結婚は親の承諾があれば、十六歳から出来るが。
今暮らしているラウリル公国は、十八歳が成人。飲酒も結婚も、大抵の事が出来るようになるのが、この十八歳という年齢だそうだ。
セヴェリは何だか、朝からウキウキとしていた。どうも嫌な予感がして仕方がないが、あまり深く考えない事にする。
この日は平日だったため、セヴェリは保育と授業があった。午前中はサビーナの自由に過ごし、昼からは十六歳以上の彼の授業を受ける事にする。
昼食を済ませて外の椅子に座っていると、まだ早い時間だというのに二人の生徒が喋りながら近づいて来た。
「お、今日はサビーナさんも一緒かぁ」
「サビーナ、そこ俺の席。避けて」
「え? 別にどこに座っても良いんじゃないの?」
「俺は決まった席じゃないと、嫌なんだよ」
不機嫌そうに半眼でそう言うのは、シェルトだ。仕方なく席を譲ると、隣にいるケーウィンは苦笑いしている。
最初の頃、シェルトは一切セヴェリの授業に参加していなかった。必要な事は、プリシラから習っていたようである。しかしセヴェリが教師の資格を取った辺りから、彼も授業に参加するようになっていた。どうやらシェルトも、大学を目指しているようだ。医師を目指しているのだから、当然とも言えるのだが。
二人は隣り合わせに座ると、それぞれに勉強を始めている。二人が共有している分厚いテキストを覗いてみるも、全く理解出来ない物ばかりだった。本当にアンゼルードの上級学校で習ったものなのだろうか。全然覚えていない。
「おい、サビーナ。これはどうやって解くんだ?」
「私に聞かないでよ……」
「お前の国じゃ、十五歳でこの勉強を終わらせるってセヴェリが言ってたぜ?」
「こんな授業、受けた記憶はございません!」
「悪徳政治家みたいな言い訳するな、サビーナさん」
サビーナとシェルトの言い合いを聞いていたケーウィンが、クックと笑う。しかし、本当に記憶に無いのだから仕方が無い。
肩身の狭い思いをしていると、授業の準備を終えたセヴェリが出て来て「熱心ですね」と覗き込み、二人の勉強を見てあげている。
シェルトはサビーナと同じ十八歳、ケーウィンはひとつ下の十七歳だ。二人は勉強を通して、仲の良い友人となっているようである。
出会った時はシェルトもケーウィンも幼い感じがしたものだが、今では既に立派な男の装いとなっていた。身長も伸びたようだし、何だか逞しくなった。一足飛びに追い抜かされた気分になり、少し切ない気分になる。
男の子って、成長する時は一瞬なんだなぁ。
一気に大人っぽくなっちゃって、何だか寂しい……
そんな風に考えていると、まるで自分が二人の母親になったようだと思ってしまって、一人でクスクスと笑ってしまった。その姿を見た男三人組は、頭の上にハテナマークが付いているようだった。
やがて他の生徒が集まり、授業が始まったが、例の二人は別格のようだった。セヴェリが特別に用意したプリントを必死にこなしている。セヴェリの授業も、二人の時はかなり熱が入っていた。少し授業を聞いてみたが、サビーナはとてもじゃないがついていけそうにないので、他の生徒とのんびり授業をこなした。
シェルトとケーウィンも必死だろうが、セヴェリもまた必死なのだ。二人の為だけに時間を割けない中、なるべく効率良く授業を進めようと。
十六歳以上の授業が終わり、十五歳以下の授業が始まってからも、二人は隅の机で勉強を続けていた。家で勉強するよりも、分からない所をすぐに聞けるここの方が都合が良いからだろう。
全ての授業が終わり、サビーナが夕食を作り始めた時も、セヴェリはまだ二人に付き合って教えている。よくもまぁ、こんなに長時間勉強ばかりしていられるものだ。尊敬するというより、凄すぎて逆に呆れてしまう。
ようやくセヴェリが家に入って来たのは、日が落ちて外で勉強出来なくなってからである。
「ただいま。すみません、遅くなりました」
「いいえ、お疲れ様でした。ご飯出来てますよ」
「ああ……結局全部押し付けてしまった。今晩は私が作ろうと思っていたんですが」
「気になさらないでください。今はシェルトもケーウィンも大事な時期ですから」
そう言いながら食卓に着き、二人だけの夕食を始める。
「シェルトは今年度に受験ですよね。受かりそうなんですか?」
「そうですね……彼は一部の教科は飛び抜けて秀でているのですが、それ以外は苦手なようで。これから試験までの努力次第ですね」
「じゃあ、ケーウィンの方は……」
「彼は全体的に、平均以上の力は持っていますよ。まぁケーウィンにはまだ時間的に余裕がありますから、もっと押し上げるつもりでいます。このまま伸びてくれれば、まず問題なく受かると思いますが……まだ何とも言えませんね」
セヴェリは少し難しい顔でそう言った。この二人が無事に大学に合格出来るまで、セヴェリの心労は消えそうに無い。
「セヴェリ様も二人も、ずっと勉強していてすごいと思います」
「サビーナも学生の頃は勉強したでしょう? 変わりませんよ」
「う! 私は、テスト前にしかしてませんでしたから……。で、でも、成績は悪くなかったんですよ、当時は! ただ、今はもう忘れちゃっただけで!」
「一夜漬けは忘れやすいですからね」
クスクスと笑われて、サビーナは顔を赤くさせた。真面目に毎日こつこつ勉強していれば、もっと仕事の幅も広がっていたのだろうか。
「まぁでも、デニスよりは余程マシですよ。彼は上級学校の四年に進級出来ず、中退していますから」
「え? そうなんですか?」
「ええ。中退して働き口もなかったデニスに、オーケルフェルトの騎士隊に入れるよう手を尽くしたのです。だからデニスは、ひとつ年上のリカルドやキアリカと、同期なのですよ」
「へぇー、そうだったんですね。知りませんでした」
何故デニスがセヴェリに恩を感じているか、改めて分かった気がする。幼い頃に虐められているのを助けられたから……というだけじゃなかった。こういう色んな積み重ねがあっての事だったのだろう。
「デニスは剣を持つのは初めてだったのですが、持ち前の運動能力で頭角を現しましてね。人は別に勉強が出来なくても、才能を活かせば生きていけるという典型ですね」
セヴェリはデニスを褒めているのか貶(けな)しているのか分からない表情で、クスクスと笑っている。
「サビーナも」
「え?」
唐突に名前を呼ばれ、首を傾げながら視線を上げた。そこには優しい緑青色の瞳が、こちらを見据えている。
「サビーナも、やりたくない事をいつまでも続ける必要はないですよ。好きな事をして過ごすには、努力も必要ですが。自分の才能を活かせる場所があるなら、応援しますので教えてくださいね」
「いえ、あの、私には何の才能もないですから……」
「では、夢はないんですか? 幼い頃に描いた夢くらいはあるでしょう?」
そう言われて、今度は視線を外した。
夢は、あった。
叶う事のない、平凡な夢が。
しかしそれは、職業とは関係のない話だ。
「ない、です……」
「本当に? 何かあったでしょう? 何でも良いんですよ。例えば、世界中を旅して回るとかでも」
「いえ、それはないです」
「例えばですよ」
サビーナの夢は、世界中を旅する事とは真逆だ。
好きな人と結婚し、暖かい家庭を築く事。平凡でも穏やかな人生を送る事。
大抵の人は、これ以外にも素敵な夢をいくつも持っているのだろう。
しかしサビーナには、これしかなかった。何か別の夢を持っていたなら、こんな平凡な夢など諦められたかもしれないというのに。
サビーナは捨てなければいけないと分かっている夢に、まだしがみついてしまっている。
「まぁ、夢はいつ持っても構わないものです。ゆっくり考えるのも良いでしょう。それより今日は、私の小さな夢を叶えて貰って良いですか?」
「え? なんですか?」
セヴェリはいそいそと席を立つと、どこからか一本のボトルを持ち出してきた。まさかそれはとサビーナの口元は引きつる。
「一緒に飲んで頂けますか?この日の為に、ジェレイに頼んで売って貰っていたんですよ」
「それは……お酒、ですよね……?」
「ええ、極上のワインです」
それを聞いてサビーナはウーンと唸った。お酒はもう二度と飲むまいと心に決めている。どう言って断れば良いだろうか。
「でもそんな良いワインを私なんかが飲むのは、勿体無いと思うんですが……」
「だからこそ飲むのですよ。良い物を口にすれば、良い物が分かるようになりますから」
別に分からなくてもいい、という考えは貧乏人だからだろうか。セヴェリは既に栓を開け、グラスに注いでくれている。
「十八歳の誕生日、おめでとうサビーナ」
「あの……じゃあ、一杯だけ……」
結局断り切れず、サビーナは初めてワインを口に運んだ。赤ワインは勝手なイメージで渋くて飲み難そうだと思っていたが、思った以上にするりと喉を通り越して行く。
「あ……飲めるかも……」
「そうでしょう。飲みやすい物を選びましたから」
少しずつ飲んでいたつもりだったが、いつの間にかグラスは空になっていた。セヴェリは空いたグラスにまた注ぎ入れてくれる。
もうちょっとくらいなら、大丈夫かな……
デニスさんの所で飲んだお酒よりも、弱いみたいだし。
喉を通る時のカーッとした感じがなく、大丈夫そうだと判断して少しずつグラスを空けていく。
「サビーナがオーケルフェルトの屋敷に来た時には、まだ子供だと思っていましたが……立派な大人になりましたね」
「私なんて全然です……さっき、シェルトやケーウィンを見ていて思ったんですけど、男の子の成長は早いですね。ケーウィンなんて、すっごく若いってイメージがあったのに、急に大人っぽくなっちゃって。シェルトも今頃成長期が来たの? ってくらい、いつの間にか身長も伸びてるし」
「二人からすれば、あなたも同じかもしれませんよ」
「へ?」
ぱっちりと目が開けられず、トロンとセヴェリを見上げる。すると彼は少し困ったような顔で微笑んでいた。
「シェルトやケーウィンから見れば、あなたはとても色気が出て来たんじゃないでしょうか。あちらはあちらで大人になったあなたを見て、ドキドキしていたかもしれませんね」
「そんな、まさか……」
あり得ない事を言われて、サビーナは残りのワインをグイッと空けた。少し頭が重くなって来たような気がする。そんな様子を見たセヴェリは、サビーナの隣に移動して来た。
「本当ですよ。あなたはとても色っぽくなった。美しい大人の女性になりましたよ」
「だとしたら……セヴェリ様の、お陰です……」
「私の?」
驚いて目を瞠るセヴェリに縋り付くように、座ったまま彼の腰の辺りにぎゅうっと抱き付く。
「セヴェリ様が、私を、女に、してくださったから……」
「嬉しい事を言ってくれますね。あなたを愛でた甲斐があったというものです」
「セヴェリ様……セヴェリ、さま……」
椅子から降りようとして立ち上がれず、支えられるようにセヴェリに抱き寄せられる。
彼の腕の中が心地良い。暖かくて優しくて、いつまでもこうしていたくなってしまう。
クラクラしている頭をセヴェリの胸板に擦り付けるようにしていると、柔らかな弧を描いた唇が降りてきた。そしてそのまま、唇が重なる。
「ん……」
「ああ……綺麗ですよ、サビーナ」
「セヴェリ、様……もっと……」
「え?」
サビーナの思いを理解していない彼に、サビーナは涙目を向けて訴える。
「気持ち、良いの、くだ、さい……早く……」
渇望するように懇願すると、セヴェリは驚いていた目を徐々に細めている。
「私が欲しいんですか?」
「欲しい、です……お願い、早く……意地悪、しないでぇ……」
「驚きましたね、あなたがこんな事を言うとは……お酒を飲むと、欲望に忠実になるんでしょうか」
セヴェリは何やら訳の分からない事を分析しているようだ。そんな事はどうでもいいので後回しにして、今は早く抱いて欲しい。
「して、ください……セヴェリさま……」
「あなたの誕生日だ。望むままにしてあげましょう。どんな風にして欲しいですか?」
「朝まで、いっぱい……激しく……っ」
「いいですよ。それがあなたの胸の内なら、望む通りに……」
セヴェリの承諾を得られて、サビーナの顔から笑みが漏れる。彼に抱かれる事が、嬉しくて堪らない。それも、朝までずっと。
そのままサビーナは寝室に運ばれて、セヴェリと熱い夜を過ごした。
どうやら途中で、眠るか意識を失うかしてしまったようだが。
翌朝、体を少し揺り動かされたサビーナは、薄っすらと目を開けた。
「サビーナ、起きなさい。仕事に間に合わなくなりますよ」
「……う」
セヴェリは服を着ていたが、何故か自分は素っ裸だった。混乱する頭を押さえて、昨夜の事を必死に思い出そうとする。
確か私、お酒を飲んでそれからセヴェリ様に……
「ぎゃ、ぎゃあーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「さ、サビーナ!?」
前夜の己のはしたない言動を思い出して、サビーナは絶叫した。
いくら酔っていたとはいえ、自分からあんなに求めたなんて、恥ずかしすぎる。
「ち、違うんです!! 昨日はちょっとおかしくなってたんです!! そんな、ずっとセヴェリ様に抱かれていたいとか、思ってないですーーっ!!」
顔を赤くも青くさせ、結果、紫色になりながら必死に弁解する。するとセヴェリはそんなサビーナを見て眉を下げながら笑った後、そっと抱き締めてくれた。
「セヴェ……」
「嬉しかったですよ、私は。あなたに欲しいと言って貰えて」
ドカンと爆発するように顔が火照った。出来れば気を失って、全ての言動を忘れてしまいたい気分だ。しかしゆっくりと離れたセヴェリの顔は幸せそうで、サビーナは言葉を飲み込んだ。
「また一緒に飲みましょうね。でも、私のいない所で飲むのは禁止ですよ」
「うーーっ! もう本当に二度とお酒は飲みませんからーーーーッ」
全力で半泣きになりながら拒否すると、セヴェリは少し寂しそうに笑っていた。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎
倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。
栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。
「責任、取って?」
噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。
手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。
けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。
看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。
それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~
紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。
そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。
大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。
しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。
フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。
しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。
「あのときからずっと……お慕いしています」
かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。
ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。
「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、
シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」
あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる