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最終話 傍に居ることが、私の願いです

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「よお、遅くなって悪かったな! 約束のベビーベッドだ!」
「全く……普通は生まれる前に持ってくるものでしょう」
「ごめんなさい、ルーフェイがあげるのは嫌だって駄々をこね出しちゃったものだから」
「ならば無理に持って来なくとも」
「私がこのベッドをサビーナにあげるって約束したの。だから、これを使って欲しかったのよ」

 扉の向こうから、そんな会話が聞こえて来た。
 サビーナはフと笑みを漏らし、手の中で眠る温かなものをそっと撫でる。

「サビーナは起きてる?」
「起きてますよ。子供は寝ていますが。会ってやってください」
「勿論そのつもりよ」

 その直後、扉がノックされた。「どうぞ」と声を掛けると、セヴェリを先頭にラーシェとルーフェイ、その後ろからジェレイが入室してくる。

「おー、頑張ったな、サビーナ!」
「わー! あかちゃーっ!」
「こら、二人とも静かにしなさいっ」

 三人の声に驚いたのか、生まれて一週間も経っていない赤ちゃんは、少しビクッと手を動かしている。しかしそっと揺らすようにあやしてやると、そのまま手はゆっくりと胸元に落ち着いて、クゥクゥと眠り始めた。ラーシェはそれを見て、ほっと息を漏らしている。

「もう、赤ちゃんが眠ってる時にしか、母親はゆっくりできる時間はないのよ。サビーナ、大丈夫? 何か分からない事があったら、何でも聞いてね」
「ありがとうラーシェさん。心強いです」

 嬉しそうに微笑むラーシェを見て、サビーナもまた笑顔で答える。

 セヴェリは先月、このクスタビ村に戻って来た。
 と言っても、キクレーの家督は継いだままでだ。
 ザレイもまだ現役であるし、セヴェリが実際にキクレー家の当主となるのはずっと先の事だろう。
 貴族としての仕事をきっちりとこなし、時が来ればちゃんと当主になる事を条件に、サビーナとの結婚を許可して貰えた。
 さらにセヴェリは、クスタビ村での生活も認めさせたのだ。勿論、月に何度かはブロッカの街へと行かなければいけないようだが、基本の生活はここで送る事になった。貴族がこの小さな家に住むというのは体裁が悪い為、現在クスタビ村に屋敷を建設中である。
 村の人達もセヴェリが戻ってくる事に依存はなく、色々あったサビーナの事も受け入れ始めてくれた。サビーナの心に、ようやく幸せの種が芽吹き始める。

「いやー、子供が生まれそうな時のあのセヴェリの焦りっぷり、サビーナにも見せてやりたかったぜ」
「え? そうだったんですか?」
「ジェ、ジェレイ!」

 ケラケラと笑うジェレイに、セヴェリは少し恥ずかしそうに口をへの字に曲げている。彼のそんな姿を見るのは珍しい。ジッと見上げていると、セヴェリは困ったようにこちらに微笑みを寄越した。

「心配だったのですよ。私に出来る事は何も無かったですし、痛みを訴えているようだったので」
「女は強えんだから、多少の痛みじゃ動じねーよ!」
「ちょっとジェレイ! あなたにあの痛みを味わわせてあげたいわ!」

 ジェレイとラーシェが言い合いしている中で、サビーナは笑顔を見せる。

「心配してくださってありがとうございました。セヴェリが応援してくれているって思ったから、頑張れたんです」

 そう伝えると、セヴェリは嬉しそうに子供の頭を撫でた。愛でるような優しい手つきで、どれだけこの子の事を思っているのかが窺い知れる。

「そういや、子供の名前は何に決めたんだ? 女だったよな?」
「マイラという名前に決めました」
「へぇ、良い名前じゃねーか! マイラだってよ、ルーフェイ! 仲良くしてやれよ、分かったか?」
「わかったー!」

 ルーフェイは少々乱暴にマイラの足をペシペシと叩いていて、サビーナは苦笑する。
 サビーナはアデラという名前を付けてはどうかと提案したのだが、母親と同じ名前は受け付けられないようで、似たニュアンスのマイラという名前に決定したのだ。

「あんまり長居しても悪いわよね。そろそろ帰るわ。またね、サビーナ。ゆっくり休んで」
「生まれてから一週間も経ってるんだから、大丈夫ですけど」
「産後一ヶ月はのんびり過ごすくらいで丁度いいの! じゃないと老後に響くって私のお婆ちゃんが言ってたわよ! 分かった!?」
「わ、分かりました」

 コクコクと頷くと、ラーシェ達は満足げに帰って行った。
 なんだかんだと彼女はサビーナの心配をしてくれているのだ。元の関係に戻れた事が、こんなにも嬉しい。

「サビーナ、ラーシェはああ言ってましたが、少しだけ外に出てみませんか? マイラの外気浴も兼ねて」
「行きたいです! 外の空気を思いっきり吸いたくて」
「では、マイラの負担にならないように短時間だけ。私が抱っこしますよ」

 そう言いながらセヴェリは、マイラを優しく抱き上げた。その姿にサビーナはどこか嫉妬しながら、己もベッドから足を下ろす。
 おくるみを用意して優しく包むと、サビーナ達は家を出た。

「どこに行くんですか?」
「ついそこの、月見草畑ですよ」

 今年の月見草祭りは既に終わり、大盛況だった。きっと戻ってきたセヴェリが取り仕切った事もあるだろう。
 祭りが終わってもまだまだ綺麗に咲き誇っている月見草を、観光客が愛でて行く。

「中央まで行きましょうか」
「あ……はい」

 中央に敷き詰められた石を目指すと、その先で一組のカップルが口付け合っている。ここではもう見慣れた風景だ。

「サビーナ、月見草の花言葉を覚えていますか?」
「はい、勿論。月見草は『無言の恋』、昼咲き月見草は『無言の愛』でしたよね」
「そうです。ですが、その『無言』を私達に限り、取り払いましょう」
「……え?」

 前のカップルの口付けが終わるのを確認して、セヴェリは中央に足を進めている。サビーナも小走りでついて行くと、月見草の真ん中でセヴェリがくるりと振り返った。
 マイラを抱いたまま微笑む姿は、天使ではないかと見間違える程の優しいオーラを纏っている。

「想いというのは伝えてこそのもの。私はこの気持ちを何度でもあなたに伝えます。だからサビーナも、本当の気持ちを伝えて欲しいのです」
「……セヴェリ……」

 二人が本当の夫婦となってから、サビーナはセヴェリに敬称を一切付けなくなった。彼が望んだからであるが、その分グッと距離が近くなった気がする。

「好きですよ、サビーナ。私はこれからもずっと、あなたを愛し続けます」

 月見草の優しい香りが鼻腔をくすぐり、目からは何かが込み上げてくる。
 全身で幸せを感じると、吹き抜けるだけの風すら暖かく愛おしい。

「私も、愛しています。ずっとセヴェリの傍に居ることが、私の願いです」

 自分の噓偽りない言葉を口にすると、セヴェリがそっと唇を寄せてくる。
 二人の愛の結晶であるマイラを間に挟み、二人はそっと口付けを交わした。
 直後、祝福の風がザアァァッと吹き抜ける。
 それに驚いたマイラはホヤアと愛らしい声を上げて泣き始め、親になりたての二人は必死に赤ん坊をあやし始めた。

 周りの観光客はそれを見て、ほっこりと口角を上げている。
 ここで口付けを交わした者達は、永遠の幸せを手に入れられる──その話は本当なのだと、いつしか国中に広まって行ったのだった。
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