エミリアーヌは、おばさんだけど恋したい。

長岡更紗

文字の大きさ
12 / 13

12.ルーベル伯爵の元へ

しおりを挟む
 パメラの犠牲を聞いて愕然とし、ただただ涙を流す。
 とにかく、パメラと話さなくてはと思い、立ち上がったところをディオンに止められた。

「どこに行かれるのです?」
「離して、パメラにバカな事をさせるわけには行かないの! 彼女を止めないと……」
「彼女は今、旦那様と共にルーベル伯爵のところへ行っています」
「もう行ってしまったの?!」

 あり得ないほどの早さに、またも愕然とする。止める暇すらなかった。
 今から追いかけても、もう間に合わないだろう。
 どう謝罪して良いのか分からない。自分がどうすべきなのかも、頭が回らない。

「しかし、彼女の行動で私の気持ちも固まりました」

 流れ落ちていた涙が、何かに堰き止められたように出なくなった。いつの間にか荒くなっていた呼吸が、ヒュッと音を立てて停止する。

「あなたの……気持ちが?」
「はい。私は……ずっと隠しておりましたが、お嬢様のことが好きなのです」

 耳が心臓に変わってしまったのかと思うほど、バクンと大きな音が聞こえた。
 ディオンが好きと言った。他でもなく、自分の事を。
 エミリアーヌの心は、喜びよりも驚きに支配される。あまりに興奮してしまったためか、肩が息に合わせて大きく上下していた。

「駆け落ちは、最終手段です。旦那様と奥様を、説得いたしましょう。いえ、説得してみせます」

 頭が急にぼうっとし始めた。はぁはぁという己の呼吸は聞こえるのに、酸素が脳に回っていない気がする。
 嬉しさは、もちろんある。しかしこれがパメラの犠牲の上にあるのかと思うと、どうしてもやりきれない。

「大丈夫ですか、お嬢様」
「ディオン……嬉しいわ。嬉しいのだけど……私、幸せになってもいいのか、よく分からなくなってしまったの」

 一度止まった涙がまたポロポロとこぼれ落ちる。
 恋をして、幸せになりたい。
 その願いは叶えられそうだというのに。どうしても手放しで喜べない。

 ディオンはそんなエミリアーヌを優しく抱きしめてくれる。

「お嬢様は、幸せになっていい。幸せになるべきなんです。私もパメラも、ずっとそう願ってきました」
「でも……」
「十六年もの間、辛い仕打ちに耐えてきたんです。幸せになりましょう。私が幸せにして差し上げます。どんな結果になっても、必ず」
「ディオン……っ!」

 幸せになっても構わないと。パメラもディオンもそれを望んでいると。
 二人の気持ちが痛いくらいに伝わってきて、エミリアーヌはディオンを抱きしめ返した。
 両親を説得し、ディオンと結婚をするのだと。絶対に幸せになるのだと、心に誓って。

「大切にします、お嬢様。私と結婚してください」
「ディオン……お嬢様ではなく、名前で呼んで?」

 そうお願いすると、彼は色気のたっぷり含んだ瞳を細めて。

「エミリアーヌ」

優しく、優しくその名を呼んでくれた。

「ディオン!」

 エミリアーヌはディオンを再度抱きしめ、キスする事で応える。
 ディオンと幸せになるのだと。
 たとえ最終的に駆け落ちする事になったとしても。
 犠牲になってくれたパメラのためにも。

 腕の中にいるディオンが、本当に心から愛おしくて。
 自分を愛してくれているのが分かって。
 枯れていた心が満ちたりて行くのを感じる。

 きっと、これもまた恋する気持ちなのだろう。
 温かくて、安心できて、心の底から愛が溢れてくるこの感じが。
 恋による幸福感なのだ。

 エミリアーヌはその幸せを噛みしめながら、ずっとディオンを抱きしめていた。



 ***



 茜色の光が、窓から長く注ぎ込んでくる。
 今頃パメラは何をしているだろうか。
 本意ではない結婚だ。辛くて泣いてはいないだろうかと、胸を痛める。

「ごめんなさい、パメラ……私のせいであなたが犠牲に……」
「お嬢様!」

 コンコンというノックと同時にパメラの声がしてギョッとする。
 パメラは、ルーベル伯爵の元へと今日お嫁に行ったのではなかったのか。

「お嬢様、パメラが帰ってきましたよ。入ってもよろしいでしょうか」

 ディオンも一緒だ。一体どういう事かと戸惑いながらも、入室を促す。

「お嬢様ぁー!」

 パメラが飛び込んできて、エミリアーヌはぎゅっと抱きしめられた。
 いつものメイド服。結婚したのではなかったのだろうか。

「ディオン様の求婚をお受けになられたのですわよね?! あああ、ほんっとうにようございましたわ! 今度こそお幸せになってくださいませ!」
「ありがとう……でもパメラも幸せになってくれないと、私はいやよ! 私のためにあなたが犠牲になんて……っ」
「え? ディオン様から聞いてませんの?」
「……何を?」

 エミリアーヌは首を傾げる。特に何かを言っていた覚えはない。

「確かに私は、お嬢様のために身代わりになろうとしましたけれど……あっさり旦那様に棄却されましたわ。顔も髪も身長も違うから、身代わりにはならないと。」
「え?」

 知らない情報にエミリアーヌは目をしばたかせた。パメラの顔は、いたって明るい。

「もしバレた時にはメルシエ家の立場が悪くなるから、身代わりを用意するくらいならお断りした方がまだ良いと言われたのですわ。ですから、旦那様のお供でルーベル伯爵のところへお断りに行っていたのですが」
「聞いてないわ!」

 エミリアーヌが答えると、パメラがキッとディオンを睨んだ。
 目で責められたディオンは、少し肩を竦めている。

「言えなかったんですよ。実際どう転ぶかも分からなかったので。パメラはまた自分を犠牲にする案を出しそうな勢いでしたし」
「まぁいいですわ。お嬢様のために犠牲になろうと思ったのは事実ですもの」

 そんな風に言ったパメラの両頬を、パシッとエミリアーヌは挟んでやる。そうまでして思ってくれた心は嬉しいが、やはり犠牲になられては嫌だ。

「もう、このような事は二度とやらないで欲しいわ。私は、パメラにも幸せになってもらわなければ、幸せになれないのよ?」

 エミリアーヌの心からの言葉を伝えると、パメラは居心地悪そうにもぞもぞとし始めた。

「えーと、それなんですが、お嬢様……」
「なに?」
「私、ルーベル伯爵との結婚が決まってしまいましたの」
「えええ?!」

 これにはエミリアーヌだけでなく、ディオンも驚いて顔をしかめている。

「そ、そんな……やっぱり、私の代わりにあなたがお嫁に来いと言われたの?」
「ええ、まぁそんな感じなのですが……」
「あああ、ごめんなさいパメラ……私のために……」
「いえ、私が断りたくなかったのですわ。だって、ルーベル伯爵は、三十五歳のイケメンだったんですもの!」
「え?」

 ぽかんとパメラを見ると、そのくちびるはこれ以上ないくらいに口角を上げている。

「お嬢様の事は誠心誠意謝って、お断りしてきましたのよ。お嬢様には好きな殿方と添い遂げてもらいたいからと、一生懸命お伝えしたのですわ。そうしたら主人のためにそこまで尽くせる姿勢がすばらしいと言ってくださって」

 ぽっと顔を赤らめるパメラ。

「その場でプロポーズされたのですわ!」

 パメラの、人生で一番の『どうだ!』の顔。
 嬉しさや驚きよりも先に、可笑しさの方がまさってしまう。

「ふ、うふふふ! まさか、そんな事になっていたなんて、思いもしなかったわ!」
「というわけで、私は引き継ぎを終わらせ次第、結婚する事にいたしますわ!」

 嬉しそうなパメラを見ると、エミリアーヌも幸せな気分になる。
 彼女とはこれからもきっと、大事な大事な友人だ。

「おめでとう、パメラ!」
「ありがとうございます、お嬢様! お嬢様も、今度こそお幸せになってくださいませ!」
「ええ!」

 主従を超えた二人は、またぎゅうっと抱きしめ合う。
 そばで見ていたディオンが、やれやれというように息を吐いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

なりゆきで妻になった割に大事にされている……と思ったら溺愛されてた

たぬきち25番
恋愛
男爵家の三女イリスに転生した七海は、貴族の夜会で相手を見つけることができずに女官になった。 女官として認められ、夜会を仕切る部署に配属された。 そして今回、既婚者しか入れない夜会の責任者を任せられた。 夜会当日、伯爵家のリカルドがどうしても公爵に会う必要があるので夜会会場に入れてほしいと懇願された。 だが、会場に入るためには結婚をしている必要があり……? ※本当に申し訳ないです、感想の返信できないかもしれません…… ※他サイト様にも掲載始めました!

自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~

浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。 本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。 ※2024.8.5 番外編を2話追加しました!

「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)

透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。 有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。 「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」 そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて―― しかも、彼との“政略結婚”が目前!? 婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。 “報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

処理中です...