娘のように、兄のように

長岡更紗

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コリーン編

第11話 他人事だというのに

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 それから幾日か時が過ぎた。
 コリーンはいつもの様に、ヴィダル弓具専門店で帳簿を付けている。
 今日、コリーンはウキウキとしていた。家から持ってきた新聞を横目に、昼休憩が来るのを待っている。と。

「ディーナ」

 いつものエルフが店に顔を出した。
 ディーナの恋人であるウェルスは、店が終わりかけの頃、ほぼ毎日顔を出しているが、こうして営業中に顔を出すのは珍しい。やはりこの新聞だろうなと思いながらも、何でもないフリをした。

「ウェルス、いらっしゃい! ウェルスオリジナルならまだ出来てないんだ、ごめんよ」
「いや、今日はディーナに渡すものがある」

 自分が隣にいては話しにくかろうと、コリーンは二人から離れた。

「これを受け取って欲しい」
「何? これ、どこの鍵?」

 手の中にあるのは、どこかの扉であろう鍵。それがどこだか思い当たらない様で、ディーナは首を傾げている。

「これは、私の家の鍵だ」
「ウェルスの? 行きたいけどさ。記者とか張ってたら、何て言い訳しよう?」
「婚約者の家だと言えばいい」
「……へ? 婚約者って、どういう意味だよ?」
「こういうとき、人間の男は指輪を渡すのだと聞いた」

 指輪、という言葉を聞いた途端、コリーンは舞い上がった。他人事だというのに、体がカアっと熱くなる。

「しかしディーナの指輪のサイズが分からず、用意出来なかった。後で一緒に宝石店へ行って欲しい」
「ちょっちょっちょ! どういうこと??」

 しかし当の本人は理解できていないようだ。見ていてもどかしい事この上ない。

「今日の新聞を見てはいないか?」
「まだ見てないよ、読むのはお昼休みだもん」
「これですね」

 すかさずコリーンは新聞を渡した。そして、まだ難しい新聞を読むのが苦手なディーナの代わりに、コリーンが要約して読んであげる。

「新しく選出された官吏によって、ファレンテイン人になるための、登録の見直しがされたそうです。理由はファレンテイン市民の人口減退などが挙げられていますが、まぁそれはいいでしょう。つまり、ファレンテイン人になるための規制が緩和されたということですよ」
「つ、つまり、どういうこと? あたし、奴隷だったんだけど……」

 その問いにはウェルスが首肯して答える。

「イオス殿の暗躍……いや、働きかけによって、奴隷も婚姻によってのみ、ファレンテイン人となる事が許された。全くあの方の悪ど……もとい策略には驚かされる。彼に相談して良かった」

 ウェルスの説明を聞いても、ディーナはイマイチピンときていない様だ。一から百まで説明したい気分に駆られるが、それは自分の役目ではないだろう。じっと耐えていると。

「私と結婚して欲しい。ディーナ」

 ウェルスの言葉に、思わずコリーンは小さく「キャー」と叫んだ。
 真っ直ぐなウェルスのプロポーズは、女の子なら誰しも憧れるものだろう。
 それでもポカーンとしているのディーナに、コリーンは催促した。

「ディーナさん、返事! 返事!」

 肩を揺すると、我に返ったようにハッとウェルスを見上げている。

「あたし、ファレンテイン人になれるって事?」
「そうだ」
「ウェルスの、お嫁さんになるって事?」
「そうだ」
「一緒に暮らしていいの?」
「一緒に暮らして欲しい」
「これから毎日?」
「これから毎日」

 降って湧いた話に、ディーナはようやく理解が追い付いた様だ。
 ディーナの顔が、パァーっと明るくなるのが分かる。何故だか、コリーンの方が泣いてしまいそうだった。

「あたし、指輪はウェルスと同じ髪の色の宝石が欲しいっ!」
「分かった、今から買いに行こう!」

 ウェルスがディーナの体を軽々と持ち上げる。いわゆる、お姫様抱っこだ。
 やっぱり、やっぱりこの二人が羨ましい。どんな形であっても、この二人は固く結ばれているのが分かる。

「コリーン、お店お願い!」

 ディーナに言われて、コリーンは小さく手を振った。

「はい、ごゆっくり」

 宝石店に向かって行く二人。
 二人は結婚する事になるだろう。
 ディーナはファレンテイン人となり、これから毎日、毎日。愛する人と一緒に居られるのだ。

「……いいな」

 コリーンはぽそりと呟いた。
 ディーナは、永久的市民権を得られた訳ではない。しかし、それも心配する事ではないだろう。あの二人ならば十年どころか、きっと死ぬまで添い遂げるに違いない。
 永久的市民権を得た途端に離婚し、毎日一緒に居られなくなったコリーンとは、対照的に。

 その日、ディーナは店には戻って来なかった。
 ウェルスの家に行ったのかもしれない。ディーナは店仕舞いをして、家に帰った。
 すると、家の扉の鍵はかかっていなかった。ロレンツォがいる。そう思うと嬉しくて、コリーンは駆け上がる。

「ただいま! ロレンツォ!」
「おお、おかえり。遅くまで大変だな。ご飯出来てるぞ」
「ありがとう。あ~良い香り。ねぇ、今日は泊まっていくんでしょ?」
「そうだな。帰るのも面倒だ」

 何故、ロレンツォがわざわざこっちに来るのかは分からない。帰るのが面倒なら、最初からイースト地区の家に帰ればいいはずだが、そんな疑問を口にするつもりはなかった。
 二人はいつもの様に食事をし、それぞれに時間を過ごした。

「お前は勉強家だな。そろそろ眠らないと、明日に響くぞ」

 そう言いながら、ロレンツォ自身も持ち帰った書類を眺めている。コリーンはロレンツォの言葉を受けて、本を閉じた。そして煙草と灰皿をロレンツォの前に置く。ロレンツォは何も言わずにそれに火を点けた。

「……」
「……」

 この時間に会話はない。ロレンツォはいつもぼんやりとしているし、コリーンもそれを見守る。
 儀式の様なものだ。眠る前の、儀式。
 ロレンツォの前髪は垂れ、大きな黒縁の眼鏡は掛かったまま。彼がゆっくりと煙草を燻らす姿を見る。
 見慣れた彼の姿。もう十年以上もこの姿を見続けている。一日の終わりに、この姿を見ると安堵した。

「……寝るか」
「うん」

 煙草を押し付けると、ロレンツォは立ち上がる。

「おやすみ、コリーン」
「おやすみ、ロレンツォ」

 二人は、それぞれの部屋へと入って行った。
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