娘のように、兄のように

長岡更紗

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コリーン編

第32話 友の言葉に

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 大学に入学して、無事に一年が過ぎた。
 小学教師の資格も難なくパスし、コリーンは現在大学二年生となった。
 法年齢二十八歳、実年齢二十二歳である。
 最初の頃の様に新聞に書き立てられることはなくなったが、未だにロレンツォの相手としてAさんが時折載っている。
 だがロレンツォとの関係は相変わらずだ。あの時の夜這いも、やはり大した意味はなかったのだろう。新聞にコリーンとの仲が報じられているため、誰の所にも行けずに欲求不満だっただけに違いない。
 申し訳なさはあるが、残り一年の辛抱だ。我慢して貰おう。

「コリーン、どこか食べに行かない?」
「うーん……今日はちょっと。また今度ね」
「もう、付き合い悪いなぁ。さては、ロレンツォ様とデートだな!」
「違うから」
「いいっていいって、隠さない隠さない! いってらっしゃーい!」
「……違うんだってば……」

 友人は楽しそうに去って行った。ロレンツォの恋人という設定の所為で、こういう事をよく言われる。やっかまれるよりは随分マシではあるが。
 結局コリーンは定期的なアルバイトはしていない。手の足りない時にヴィダル弓具専門店の仕事を手伝うくらいだ。相変わらず生活はきつく、友達と外食など滅多に出来ない。

「あ、コリーンごめんね! 助かるよ」
「いいえ、私で良ければいつでも呼んでください」

 今日は帳簿担当の子が風邪を引いて休んでしまったらしい。そういう時は授業が終わってから店仕舞いの八時まで、ディーナに代わって店番をしている。

「ねぇ、あたし、割り算ちょっと分かってきたよ! コリーンのお陰だ!」
「ディーナさんが頑張っているからですよ」

 基礎がないから仕方がないが、ディーナの飲み込みは正直遅い。それでも一生懸命解こうとするディーナは、コリーンにとって優秀な生徒だ。

「コリーンに言われたテキストやってたんだけどさ、ここはどうしてこうなるんだ?」
「ああ、これはですね……」

 コリーンが噛み砕いて説明をすると、ディーナは何度目かの説明でようやく頷いてくれた。

「なるほどー、そっかそっか! コリーンはすごいね! 良い先生になれるよ!」
「もし良い先生になれたなら、ディーナさんっていう良い生徒がいたお陰ですよ。ディーナさんに出会わなければ、私は教師を目指してませんから」
「え、そうなの!? そっかー、なんか嬉しいな。じゃああたしはコリーンの生徒、第一号だね!」
「はい、その通りです」

 互いに顔を見合わせ、コリーンはニッコリと。そしてディーナはあははと口を開けて笑った。店の主人と従業員、教師と生徒という関係だが、気持ちは互いに友達だ。

「コリーンはさ、来年卒業するつもりなんだろ?」
「ええ、高校までの歴史と現代文の教師資格が取れたら、ですが」
「無事に卒業したら、ロレンツォさんと結婚するんだよな。お祝いは何がいい?」

 コリーンは口を噤んだ。無事に卒業した時。それは世間にロレンツォとAさんが別れたと公表される時だ。

「コリーン?」
「何も要りません」
「何で!? あたし、いっつもして貰ってばっかりで……あたしだってコリーンに何かしたいよ!」
「ディーナさん……」

 世間の皆の目を欺き、ロレンツォの家族にも嘘を付いている。だが、ディーナにだけは本当の事を伝えたいと思った。この本当に真っ直ぐで純真な人を騙すのだけは、どうしても許せなかった。

「……今から言う事を、誰にも言わないでいただけますか?」
「え、何? うん、言わないよ! コリーンも昔、あたしとウェルスが付き合ってた事、誰にも言わないでおいてくれたもんね!」

 ディーナの答えを聞いて、コリーンは彼女に全てを語る決意を固めた。

「……実は私とロレンツォは、付き合ってないんです。ディーナさんとウェルス様の時と、逆ですね」
「え? どういう事?」
「長くなりますが、よろしいですか?」
「うん、構わないよ。今日はウェルスがアハトとセリンを迎えに行ってくれるし」

 コリーンは首肯し話し始めた。始めは腕輪の借金の事だけ話すつもりだったが、何故そんな物を買う必要があったのかを説明しなければならないと思い直し、コリーンは生い立ちから全てを話した。
 両親の死。
 奴隷として攫われた。
 奪われた形見の腕輪。
 逃げ出してロレンツォに保護された。
 ロレンツォは十歳だったコリーンと婚姻を交わして、世間的には実年齢よりも六歳上になった。
 十年後、ファレンテイン市民権を会得してロレンツォと離婚した。
 腕輪を見つけたロレンツォが、それを買い戻してくれた。
 ロレンツォは借金を抱えた上、コリーンの大学費用まで出してくれている。
 金を捻出する為、二つあった家のうちの一つを処分して、イースト地区に引っ越した。
 同じ家に住む理由を、ロレンツォの恋人と宣言する事で、記者からの執拗な追い掛けを回避した。
 そしてロレンツォにちゃんとした恋人が作れるように、卒業したら別れるという事を。

 コリーンが話を進めるたび、ディーナは「そっか」とか「辛かったね」とか「そいつら許せない」とか「ロレンツォさん優しいね」とか「やっぱりあたしより年下だったか」とか「離婚したんだ」とか「腕輪良かったね」とかそれぞれに反応をくれた。
 そして最後の事柄を伝え終わると、ディーナは「コリーンはロレンツォさんの事が好きなんだろ?」と当然の様にそう言った。

「どうしてそう思うんです?」
「見てれば分かるよ。特に、戦争が終結して騎士達が凱旋してきたあの日……コリーンは泣きそうな顔をしてロレンツォさんを待ってたじゃないか」
「……」

 あの時はまだ、ロレンツォに恋心など抱いていなかったはずだが。
 いや、もしかしたら自分で認識出来ていなかっただけで、すでに想いは内にあったのかもしれない。

「コリーン、本当はロレンツォさんと別れたくなんかないんだろ?」
「別れたくないもなにも、付き合っているわけじゃありませんから」
「別々に暮らす事になってもいいのか!? コリーン、それで後悔しない!?」
「そ、それは……でも、それがロレンツォの為であって」

 そこまで言うと、ディーナはその言葉を遮る様に言葉を被せた。

「あたしもウェルスの為を思って別れた事があるよ。でも、すごく辛かった。悲しかったんだよ。あたし馬鹿だから上手く言い表せないけど、とにかく苦しかった。相手の為にって思う事が悪いとは思わないけど、自分の為に我儘を言ってみてもいいんじゃないか? あたし、コリーンの苦しむ姿なんか、見たくないよ」
「わが……まま……?」
「うん」

 このまま一生、一緒に暮らして欲しいって?
 伴侶になって欲しいって?
 またロレンツォを拘束させるの?
 しかも、一生。

 コリーンは眉を下げた。ロレンツォはコリーンの願いなら、何でも聞いてくれている。
 服が欲しい。靴が欲しい。ベッドが欲しい。テキストが欲しい。チーズが食べたい。働きたい。大学に行きたい。
 もし結婚してと強く望めば、彼はそうしてくれるかもしれない。ならば、そう言っても良いかもしれない。

 しかし。

 それでコリーンは幸せになれたとして、ロレンツォはどうだろうか。
 また自分の我儘の為に、人生を縛られてしまうのではないだろうか。

 ロレンツォの意思は既に確認している。
 彼は、自分で結婚相手を見つけると宣言している。

「私はこれ以上我儘は言えないんです。今まで散々良くしてもらったから」
「……でも」
「いいんです。来年の春が来たら別れたと公言して、それで終わりです」

 コリーンがきっぱりと言うと、何故かディーナの方が涙目になっている。

「そんなの……悲しいよ……ッ! 駄目だよ、コリーン!」
「ディーナさん……」
「だって、コリーン! ロレンツォさんの事、好きなんだろ!?」

 ディーナの言葉に、今度はコリーンの瞳の方が潤んだ。

「ええ……好きです」

 好きだ。どうしようもなく。
 何度も何度も気持ちを封印しようと努めて来たが、無駄だった。

 ニヤリと小悪魔的に笑う顔が好きだ。
 プハッと噴き出す様に笑うロレンツォの顔が好きだ。
 笑いを堪えるようにクックと肩を震わせる姿が好きだ。
 困った様に眉を下げて口角を上げる顔が好きだ。
 ロレンツォの真剣な顔が好きだ。
 彼の飄々とした態度が好きだ。
 馬を走らせる姿が好きだ。
 そして、煙草を燻らせている姿が大好きだ。

 別れれば、もう見られなくなる。
 もう二度と、濡れた髪を垂らして眼鏡を掛けたロレンツォの姿は。

 ただいまもおかえりも。
 おやすみもおはようも。

 二度と、聞けなくなる。
 言えなくなる。

「だったら……」
「ロレンツォには絶対に言わないで下さい。もう彼にこれ以上の我儘を言いたくはないんです」
「それで、いいのかい!?」
「……はい、いいんです」

 優先事項は自分ではない。ロレンツォだ。
 今まで全てを与えてくれたロレンツォに、卒業後には恩返しをする事がコリーンの役目だ。

「コリーン、苦しいよ……その選択は……」
「承知の上です」

 ディーナが悲しい瞳で見つめてくる。コリーンはそれをしっかりと受け止めた。そして彼女はそっと息を吐き出す。

「そっか……じゃあもう何も言わないよ。コリーン、あたしに全部打ち明けてくれてありがとう」
「私も聞いて下さって有難うございます。ディーナさんにだけは、本当の事を話したかったんです」

 そう言うと、ディーナは悲しみの中にも、少しだけ笑顔を見せて頷いていてくれた。「友達だからな」と付け加えて。
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