恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。

長岡更紗

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12.ストロベリー侯爵、真実を告げる。

 やわらかな朝の光が、窓から差し込んでた。
 少し汗ばむくらいの陽気で、風もどこか夏の匂いがして──本来なら、気持ちのいい朝のはずだったのに。

 ……シャロットは、パンにかじりついたあと、それきり手を止めてしまった。
 うつむいてる。表情も暗い。

「……シャロット、どうかした?」

 私がそう聞いたとき、シャロットはびくっと肩を揺らした。

「ううん。なんでもないの」

 そう言って、小さく笑うんだけど……それが嘘だってことくらい、すぐにわかった。
 昨日までの、はしゃいでいたシャロットじゃない。
 まるで別人みたいに元気がなくて、どこか魂が抜けたみたいに見える。

 胸にざわめきが走った。

 やっぱり、あの時……なにかあったとしか思えない。

「ねぇ……昨日──」
「ないよ! なんにもない! シャル、なにもいわない!」

 これは、絶対に何かあった。
 けど……口を割らないって決意が見て取れて。

 これは、私じゃ届かないところにいる。
 やっぱりこういう時は、本当の親には敵わないんだろうな。

 私はそっと席を立つと、イシドールの元を訪ねて、今のシャロットの状況を話した。

「……やっぱり、なにかあったんだと思います。でもどうしても、話してくれなくて……」

 イシドールは私の話を黙って聞いていたけど、少しだけ怖い顔になって、静かに頷いた。

「わかった。俺が話してみよう」

 私は頷いて、シャロットを呼んだ。
 書斎のソファに彼女を座らせて、私もその隣に腰を下ろす。

 シャロットは何かを隠してる顔だった。
 目の前にあるのに、どうしても触れられない氷みたいな壁が、彼女の中にある。

 それでもイシドール様が優しい声で問いかけた。私はその手を取って、静かに見守る。

「シャル、少しだけ話そうか」
「……パパ、シャル、なにも、ないよ……」
「レディアが心配している。俺も……シャルのことが心配だ」

 イシドール様の落ち着いた声は、深い森に吹く風のよう。
 しばらくの沈黙のあと、シャロットの肩が、かすかに震えた。

「……きいちゃったの。おまつりのとき……しらない、だれか……」

 その言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
 嫌な予感がして、私は思わず手に力を込める。

「……ママは、かけおち、したんだって」

 私は息を飲んで、イシドール様を見る。
 彼の表情は変わらなかったけど、目がわずかに揺れていた。

「パパ、かけおちって……なに?」

 その質問は、あまりにも純粋で……胸が痛い。
 誰よそんなことを言うのは。絶対に許せない。

 シャロットは意味がわかっていなくても、よくないことだというのは理解できたんだ。
 だからこそ、ずっと言わずに耐えてた。
 でも言葉にした今……意味を知らずにはいられないよね。

 イシドール様は少し黙って、それから低く、静かに口を開いた。

「……シャロットのママ、ラヴィーナは……ある日、ほかの男と一緒に、どこかへ行ってしまったんだ」

 もう隠せないと判断したんだろう。
 ずっと母親は死んだと嘘をつき続けてきたイシドール様が、とうとう真実を娘に告げている。

「どうして? ……どうしてなの?」
「……俺にも、理由はわからない」

 シャロットもイシドール様も、大きな傷を負ったように顔が歪む。

「でも……そのひと、いってた。むすめより……シャルよりたいせつな人がいたんだって。だからかけおちしたんだって! ねぇパパ、シャルは、いらない子だったの!?」

 堰を切ったように、シャロットの瞳から涙が溢れた。
 小さな手がぎゅっと胸元を掴んで、声を上げて震える。

 あんなに小さな胸に、そんな言葉を抱えて。
 私、なんで気づいてやれなかったんだろう。……ごめん、ごめんね。

「いらない子なんかじゃない」

 イシドール様は、しっかりとした声で言った。
 ゆっくりと、シャロットの肩を抱き寄せる。

「シャロットは俺にとって、一番大切な子だ。誰が何を言っても、それは変わらない。わかるか?」

 イシドール様は気持ちをシャロットへ届けようと、真剣な目で伝えた。
 シャロットは涙を溜めたまま、ぽつりと呟く。

「……ママは……生きてるの?」

 シャロットが本当に聞きたかったのは、きっと、そこ。
 駆け落ちが何だかわからなくて、それでも母親が消えてしまったことには変わりなくて。
 不安と期待が入り混じった、シャロットの問い。

「ああ。……生きているよ」

 イシドール様が、ゆっくり言葉を紡いだ。
 それを聞いた瞬間、シャロットの目が大きく見開かれた。

「……ママは、生きてるのね……!」

 目の前に光が差すような、シャロットの歓喜の声。
 ずっと死んだと思っていた母親が生きてると知って……この子はこんなにも喜んでる。
 けど、次の瞬間。

「……ママに、あいたい……! あいたいよぉ……! ママ、ママぁぁぁあ!! ああぁぁぁああん!!」

 張りつめていた糸が、ぷつんと音を立てて切れたようだった。
 崩れるように泣きじゃくる声が、私の胸を貫く。

 もう、ダメ。
 私はただ衝動のままにシャロットを抱き締める。

「シャロット……!」
「ママに……ママに、ずっと、あいたかったの……! シャル、がまんしてたの……! でも、ほんとは、ずっと……! うわぁあああ!!」

 いつも天使のように笑うシャロットの、慟哭。
 小さな体をしっかりと抱きしめて、私はその熱を受け止める。

「……ごめんね。つらかったのに、気づいてあげられなかった……」

 肩が震えてる。私の腕の中で、シャロットがしゃくり上げながら泣いてる。
 ずっと我慢し続けて。たった、一人で。

「……ママに、会いたい……」
 小さくつぶやいた声が、何度も何度も胸に刺さった。

 私はそっと、涙で濡れたその頬をぬぐう。
 今の彼女には、言葉よりも、ただ隣にいることの方が大事な気がした。

 小さな頭を、そっとなでながら思う。
 ──絶対に、見つけ出す。ラヴィーナさんを、必ず……この子に会わせる。

 その時が来たら、ちゃんと伝えよう。
 シャロットのためにできることを、私は全部やる。

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