恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。

長岡更紗

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19.ストロベリー侯爵、決意する。

 次の日、帰ってくるともう夕方だった。
 イシドール様の執務室に向かうと、そこにいたシャロットが抱きついてくる。

「おかえりなさぁい、レディアおねえちゃん!」

 今日も天使の笑顔。ちょっと会わなかっただけなのに、もう、胸が震えるほど嬉しい。

「ただいま、シャロット。これ、お土産ね。クッキーよ」
「わぁい、たべるー!」
「ふふ、明日のおやつの時間にね」
「わかった!」

 二人でにこにこしていると、イシドール様がちらりと私を気にしてた。
 どうなったのか、当然気になっているはず。

「シャロット、ちょっとイシドール様と話があるから……」
「はぁい!」

 シャロットはクッキーを抱えて、自分の部屋へと戻っていく。
 扉が閉まるのを確認してから、イシドール様は口を開いた。

「おかえり、レディア」
「ただいま戻りました、イシドール様」

 視線を交差させると、どちらからともなくふっと笑う。

「君がいなかった二日間、シャロットはこの部屋へ入り浸りだったんだ。君の存在の大きさが、改めてわかった」
「ふふ、ありがとうございます。お仕事大丈夫でしたか?」
「明日から取り戻すしかないな」

 諦めた様子で息を吐くイシドール様に、思わず笑ってしまう。

「ところで……ラヴィーナには、会えたのか?」
「はい。一週間後のシャロットの誕生日に、会いに来てくれることになりました」

 私はラヴィーナさんとの会話を、イシドール様に話した。
 ラヴィーナさんはイシドール様を愛していなかったというところ以外を、全部。

「そうか……」

 話し終えると、イシドール様は静かにそう呟いた。
 ラヴィーナさんがシャロットを引き取りたいと思っていた事実。
 それに深く心を寄せているように見えて。想像すると、怖くなる。

「……ラヴィーナさんがどれだけシャロットと暮らしたいと言っても……たとえシャロットがそれを望んだとしても……イシドール様の意思が優先されることです。イシドール様の思う通りになさっていいと──」
「それでは駄目だ」

 私の声は、イシドール様に閉ざされた。
 胸が、ぎゅっと痛みを発する。

「侯爵家当主である俺の言葉は、絶対だ。もし俺の望む通りの意見を通せば、どうなる」
「それ、は……」

 ラヴィーナさんが、愛のない結婚をするしかなかったように。愛娘のシャロットにも望まぬことを強いて、つらい思いをさせてしまうことになりかねない。

「これは、ラヴィーナとシャロットの気持ちを尊重すべきことだ。二人がの気持ちが同じなら……俺は──止め、ない」

 語尾が詰まって、震えていた。
 本当は止めたい……って、喉の奥から聞こえてきそう。
 イシドール様は、優しすぎるのよ。
 自分の思い通りにさせる力を持ちながら、決してそうしようとはしない。
 それは、過去の反省があるからかもしれないけど……

「すまない。君もシャロットにはいてほしいだろうに……」

 私はぎゅっと拳を作った。

 私は──汚い。

 シャロットのためと言って、ラヴィーナさんを呼び寄せる算段をつけておきながら。
 その実、イシドール様の権力に縋って、シャロットをこの家に縛りつけようとしていた……私が、シャロットに出ていってほしくなかったから。

「私にそんなこと言う権利なんてありません……イシドール様がシャロットの判断に委ねるのなら、私もシャロットの判断に従うだけです」

 シャロットが出ていく。
 それを考えただけで、胸が張り裂けそうになる。
 私に決定権があれば、きっとシャロットを引き止めてしまう自信があった。
 それをしないイシドール様の強い意思は、本当に尊敬に値する。

「もし……シャルがいなくなっても……君だけは俺のそばにいてくれるか?」

 不安そうなイシドール様の声に、私は自分から抱きついた。
 お互いの胸の内を……癒したくて。

「もちろんです……イシドール様も、私から離れないでくださいね……?」
「わかっている。君だけは、何があっても一生離さない」

 そう言って。
 イシドール様は、私を強く抱きしめてくれた。



 夜、三人での夕飯を済ませると、イシドール様は「話がある」とシャロットを呼び寄せた。
 膝の上に乗ろうとするシャロットを、イシドール様が制する。

「大事な話だ。座って聞きなさい」
「だいじ……? なぁに?」

 きょとんとするシャロットは、それでも言うことを聞いて、ちゃんと椅子の上にぽてっと座った。

「シャロットは来週、誕生日だろう」
「うん! シャル、ろくさいになるの! もうおねえさんなのよ!」

 イシドール様がこくりと頷く。
 そして何をどう告げようかと少し迷うようにして、口を開いた。

「シャルの誕生日に……ママがうちにやってくる」
「……ママが!?」

 シャロットの綺麗な目がまんまるに開かれる。

「どうして!? どうして!?」
「誕生日を祝いに来てくれるんだよ。その時、ママとお話できる」
「ママと……シャル、おはなししていいの? ほんとう?」
「もちろんだ。ゆっくり話をするといい」

 イシドール様がそっと笑って頷いた瞬間。

「ママに……ママ、あえる……の……っ」

 大きく息が吸い込まれていって──

「っう……ふ、ふえ……うああぁぁぁあああああああ!! ママ、ママーーッ!!」

 本当に、嵐みたいに泣き始めた。
 ぼろぼろ、ぼろぼろと涙が丸いほっぺを伝って降りていく。

「わぁぁああん!! あぁぁあぁああん!!」

 この小さい体に、どれだけ我慢を重ねていたんだろう。
 ラヴィーナさんがいなくなって、二年。
 ずっと、ずっと、会いたいと思っていた気持ちが爆発したんだ。

「シャロット……」

 イシドール様がシャロットをそっと抱き上げて、背中をトントンと優しく叩いた。
 ゆっくり、ゆっくりとシャロットの泣き声が止んでいく。
 ひっくひっくとしゃくり上げて、ようやく、落ち着いて。

「……パパ、ごめんね……シャル、ないちゃった」

 イシドール様は、シャロットの髪をそっと撫でながら、ゆっくりと微笑んだ。

「泣いていい。泣きたいときは、泣いてもいいんだよ、シャル」

 低く穏やかな声が、シャロットの小さな胸に染み込んでいくのがわかる。

「ママに会いたいって、ずっと我慢してたんだろう。強くて、えらかったな」
「……うん……」

 シャロットが小さく頷いて、もう一度、イシドール様の胸に顔をうずめた。

「誕生日の時、ママにいっぱい話してごらん。寂しかったこと、嬉しかったこと、全部。泣いても、怒ってもいい。パパもレディアも、シャルの味方だ」
「うん……うん……」

 シャロットの声は、かすれていたけれど、それでも、確かに笑っていて。

「ありがとう、パパ……ありがとう、レディアおねえちゃん……」

 その言葉に、胸がいっぱいになる。
 私は微笑みながら、シャロットの背中にそっと手を添えた。
 すると、シャロットは顔を上げて、私の顔を見て。

「レディアおねえちゃんに、シャルのママ、しょうかいしてあげるね!」

 って、天使の笑顔を見せた。
 私は「ありがとう」って微笑んで見せて。

 泣きそうになってしまった私の顔は、シャロットを抱きしめることで隠した。

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