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第4話 初めてデートした日
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ヘイカーが士官学校に入学した翌年、後にソルス一年戦争と呼ばれる戦争が勃発する。
途中で騎士団は拠点をアルバンの街に変えたこともあり、アンナの家に行ってもリゼットと会える事はほとんど無かった。
戦争が終結し、再びリゼットがアンナの家に顔を出し始めたのは、ヘイカーが士官学校の三年になってからである。
ヘイカー十八歳、リゼット二十六歳になる年だ。
「リゼット!」
ヘイカーは配達の途中リゼットの後ろ姿を見つけ、思わず声を掛けた。
すると隣にいたイオスがジロリとこちらを睨んで来る。
「何だ、お前は」
「イオス殿、構いません。私の知り合いですから」
敬称を付けずに呼んだことが、イオスの気に障った様だ。
アンナの家では誰もがリゼットを呼び捨てにしているので、幼い頃から出入りしていたヘイカーもつい呼び捨ててしまっている。それをリゼットにも、アンナの家の皆にも、咎められたことはない。
「どうしたの、ヘイカー」
リゼットはイオスを帰らせ、ヘイカーに向かって歩いて来てくれた。
「いや、見かけたから……リゼット、今日は可愛……珍しい服を着てんだな」
「ああ、これ?」
リゼットは自身のロングスカートをふわりと揺らした。
「今日はウェルスの結婚式で、その帰りよ」
ウェルスというのはエルフの騎士隊長だ。リゼットとは同僚である。
「へぇ、ウェルス様の……リゼット、その服……その、似合っ」
「あなたは配達の途中?」
「え? あ、ああ」
「そう、ご苦労ね。来週の注文は、クージェンドに伝えてあるから」
「わ、分かった……」
リゼットは睫毛を伏せる様にして、ヘイカーから視線を逸らす。その目が嫌に寂しげで、ヘイカーは思わずリゼットの腕を掴んでしまった。
「ヘイカー?」
「あ、ごめ……」
「離して」
そう言われて、ヘイカーはその腕をそっと外す。リゼットが再びヘイカーに背を向けた。
「……リゼット、何かあったのか?」
「……何故そう思うの?」
リゼットは伏せたままの睫毛を、横顔だけで覗かせながら問い掛けて来た。
「何か……分かんねーけど、何となく」
「別に、大した事じゃないわ」
リゼットはヘイカーに有無を言わせずそう告げて、騎士団本署へと歩いて行ってしまった。
寂しそうに見えたのは、ヘイカーの気のせいだったのだろうか。
……気のせいじゃねー。
ヘイカーは、ずっとリゼットを見てきて知っている。あんな目は、寂しい時にする目である、と。
その日の配達を手早く終わらせ、最後にクルーゼ家を訪れた。中からクージェンドという執事が現れ、対応してくれる。チーズの代金を受け取り、来週の注文を受けると、ヘイカーはクージェンドに頼んでみた。
「リゼット、帰ってる?」
「いいえ、リゼット様はまだお帰りになっておりませんが」
「待たせてもらっていいか?」
「何用でしょう」
そう問われて、ヘイカーは悩む。しかしクージェンドという男は、話の分かる男だ。ひょろっとして頬がこけた白ヒゲの老年だが、物腰は穏やかで機転の利く男。ヘイカーはこのクージェンドに可愛がって貰っている。ヘイカーもまた、彼が好きだ。なので、ヘイカーは正直に答えた。
「今日、リゼットと会ったんだ。けど、何か……いつもと違ってさ。ちょっと会いたいだけってのは、理由になんねー?」
ヘイカーが眉を下げて彼を見上げると、クージェンドはニッコリと笑って頷いてくれた。
「分かりました。リゼット様のご友人として来られる方は初めてです。どうぞ、中に」
リゼットには友達がいないのだろうか。確かにそういう人物を見かけたことが無い。幼き頃から強すぎる彼女に、皆一線おいていたのかもしれない。そして今は隊長という立場であるため、馴れ合わないようにしているのだという事が推察出来た。
ヘイカーは、初めてクルーゼ家に足を踏み入れる。
中はガランとしていて物寂しい。掃除は行き届いている様だが、どこか埃っぽく感じた。人の出入りが無い為か、何だか空虚だ。
こんな家で毎日過ごしてんだな。
こんな大きな屋敷に、執事と二人。
その執事も住み込みではないので、夜には帰るとクージェンドは言っていた。つまり、一人だ。
リゼットはこの大きな屋敷に、夜は一人で眠っている。
一人で住むなら狭い家の方が落ち着くと思うのは、一般庶民の考えだろうか。
通して貰った部屋で、ヘイカーはぼんやりと過ごす。
クージェンドは色々と仕事があるとの事で、相手をしてもらえなかった。この屋敷の切り盛りを、資産の運営や家事含め、全て一人でこなしているのだ。やる事は盛り沢山だろう。
しばらくすると、リゼットが扉を開けてやってきた。物凄く不思議そうな、不可解そうな顔をしながら部屋に入って来る。
「ヘイカー? 何しに来たの?」
「え? いや、その」
「今日はアンナの家には行かないの?」
「リゼットは?」
「私は……どうするかな」
やはり悲しげに嘆息している。今日はウェルスの結婚式だったというし、普通ならばもっと気持ちが高揚していても良いはずだろう。
「リゼット……」
「何?」
「どっか、その……しょ、食事にでもいかねー?」
「アンナの家に?」
「いや、そーでなくて。外で」
「私の奢りで?」
「金くらい、ちょっとはあるよ。ま、そんな高いとこには入れねーけど」
「頑張っているものね、あなたは」
リゼットに褒められ、ヘイカーは少し赤面した。
ヘイカーにとっては、配達もチーズ作りも日常の事であり、頑張ると言う程のことではない。だが、それを頑張っていると評された事が嬉しかった。それも、他ならぬリゼットに。
「じゃ、じゃあ、どっか食いに……」
「いえ、私は今日、そんな気分じゃ……」
と、リゼットが言いかけた所で、クージェンドが扉を開けた。
「リゼット様」
「どうしたの、クージェンド」
「すみません。手違いで野菜の配達が明日になってしまいまして。本日ご用意出来る夕飯がチーズしかございません」
クージェンドは飄々と言ってのけているが、明らかに嘘くさい。流石のリゼットも、これには気付くだろう。
「そう、仕方ないわね」
と思ったが、リゼットは当然の様にそれを受け入れた。クージェンドに対し、絶大な信頼がある証拠である。
「……食べに……行く? ヘイカー」
「え? あ、ああ!行く!!」
ヘイカーがクージェンドを見ると、彼はこっそりこちらに向かってウインクしていた。このリゼットの絶大な信頼を裏切っていいのか、と言いたい気持ちがないわけではないが、何にせよ有難い。
リゼットが家を出るのを、ヘイカーは追いかける形で後に付く。後ろでは「行ってらっしゃいませ」とクージェンドが丁寧に頭を下げていた。
「さて、どこに行くの?」
「オレが決めていいのか?」
「あなたの奢りなんでしょう?」
クスリと笑われ、こくんと頷く。
「じゃあ、フェリーチェって店、知ってっか? すげー小さなパスタ専門店なんだけどさ」
「フェリーチェ? 知らないわね。どこにあるの?」
「ウエストパークストリート沿い。そこのブルーチーズパスタが絶品なんだ。値は張るけどな」
勿論、フェリーチェは北水チーズ店の顧客である。先程チーズを卸した所なので、売り切れという事はあるまい。
「分かったわ、そこにしましょう。楽しみだわ」
リゼットの顔に笑みが浮かび、ヘイカーはほっとする。
リゼットが何故あんな悲しそうな顔をしていたのか、知りたい気持ちはある。が、それを問いただした所で、今の自分では教えてくれそうにない。
もっと仲良くなってから。最初は友達でもいい。少しずつ親密な付き合いに発展していければ。いつかはリゼットも、胸の内を明かしてくれるかもしれない。
ヘイカーはフェリーチェに入った。フィオという、三十代後半の未亡人が一人で切り盛りをしている店である。店構えは小さく、中も狭い。三組入れば店は満員になってしまう程だ。そのためか作り置きなどせず、注文が入ってから作り始める為、やたらと出てくるのが遅い。時間に急かされることの多い騎士が食べに来る事は、まぁないだろう。
中に入って席に着くと、リゼットは「小さな店ね」と呟いた。
「ちょ、リゼット! 失礼だっての!」
「ああ、ごめんなさい。つい」
奥からフィオが現れて、快活に笑う。
「いいんですよ、本当に狭いんだから。こんな店にリゼット様が来るとは思わなくって」
そう言いながら、フィオは水を出してくれた。
「ご注文は?」
「そうね、ブルーチーズのパスタというのを」
「かしこまりました。ヘイカーは何にする?」
「んー、なんか新作のパスタがあればそれで」
「まだ試作段階の、メニューに載ってないパスタでもいい?」
「ああ、味見してやるよ」
「ありがと、ヘイカー」
フィオはニッコリ笑って厨房へと消えて行った。
「ここにはよく食べに来るの?」
「んー、日曜の昼にロイドん家に行かない時は、大抵ここかな。後は平日の配達ついでに、夕飯を食ってく時もある」
「エイベルさんはどうしているの」
「父ちゃんも勝手に食ってるよ。オレん家は離婚して母ちゃんいないし、お互い適当にしてる」
ヘイカーがそう言うと、リゼットは少し驚いた様に「そうなの」と呟いていた。特に関心がなかったため、知りもしなかったのだろう。
「再婚でもすりゃーいいんだけどな。父ちゃんに女の影は、これっぽっちもねーからな」
ダナがエイベルの事をチーズバカと評していたのも頷ける。父エイベルは、チーズさえ作っていれば満足している節がある。母親が出て行くのも無理はないかなと、今ならば思えた。
ヘイカーとリゼットは、とりとめのない話をした。
チーズの話、士官学校の話、カール家の話、配達の途中の出来事、雷の魔法の事。当たり障りのない事ばかりだったが、リゼットはうんうんと聞いてくれた。途中、笑顔を見せてくれ、それだけでヘイカーは満足だった。
やがてパスタが出され、リゼットは幸せそうにそのブルーチーズの入ったパスタを食べてくれる。それがリゼットに好評で、ヘイカーは鼻高々だった。オレが作ったチーズなんだと声高に言いたかったが、言わずとも察してくれているに違いない。
パスタを食べ終わって支払いを済ませると、二人はフェリーチェを出た。
「ありがとう、ヘイカー。本当に私の分は払わなくていいの?」
「いいって! オレが誘ったんだからさ」
「だけど……」
「じゃ、今度はリゼットが奢ってくれよ。それでいいからさ」
「今度、ですって?」
リゼットの眉間に皺が寄った。思わず冗談です、と逃げてしまいそうになる。でも、ダメだ。仲良くなると決めたのだから、ここで引き下がってはダメなのだ。
「じょ、冗談だよ、冗談!」
言ってしまった。ダメな言葉を。自分のヘタレ加減が嫌になる。
「えーっと、その、お、送る……」
「いらないわ。私は騎士隊長よ。あなたよりも遥かに強い。送られる必要は無いわ」
「……おっしゃる通りで」
ヘイカーは思わず嘆息した。リゼットは、この男ゴコロを分かってくれない。
「じゃあね、ヘイカー」
「あ、ああ。えと……じゃあな!」
またデートしようぜ、という言葉が出て来なかった。
また確実に眉を寄せられてしまう事が推察されて。
ヘイカーは、颯爽と帰って行くリゼットの後ろ姿を見送る。
言えはしなかったが、これはデートと呼んでも構わない……はずだ。
リゼットだって、そう思っている……はずだ。
ヘイカーの心は高揚し、弾むように家に駆けて帰った。
途中で騎士団は拠点をアルバンの街に変えたこともあり、アンナの家に行ってもリゼットと会える事はほとんど無かった。
戦争が終結し、再びリゼットがアンナの家に顔を出し始めたのは、ヘイカーが士官学校の三年になってからである。
ヘイカー十八歳、リゼット二十六歳になる年だ。
「リゼット!」
ヘイカーは配達の途中リゼットの後ろ姿を見つけ、思わず声を掛けた。
すると隣にいたイオスがジロリとこちらを睨んで来る。
「何だ、お前は」
「イオス殿、構いません。私の知り合いですから」
敬称を付けずに呼んだことが、イオスの気に障った様だ。
アンナの家では誰もがリゼットを呼び捨てにしているので、幼い頃から出入りしていたヘイカーもつい呼び捨ててしまっている。それをリゼットにも、アンナの家の皆にも、咎められたことはない。
「どうしたの、ヘイカー」
リゼットはイオスを帰らせ、ヘイカーに向かって歩いて来てくれた。
「いや、見かけたから……リゼット、今日は可愛……珍しい服を着てんだな」
「ああ、これ?」
リゼットは自身のロングスカートをふわりと揺らした。
「今日はウェルスの結婚式で、その帰りよ」
ウェルスというのはエルフの騎士隊長だ。リゼットとは同僚である。
「へぇ、ウェルス様の……リゼット、その服……その、似合っ」
「あなたは配達の途中?」
「え? あ、ああ」
「そう、ご苦労ね。来週の注文は、クージェンドに伝えてあるから」
「わ、分かった……」
リゼットは睫毛を伏せる様にして、ヘイカーから視線を逸らす。その目が嫌に寂しげで、ヘイカーは思わずリゼットの腕を掴んでしまった。
「ヘイカー?」
「あ、ごめ……」
「離して」
そう言われて、ヘイカーはその腕をそっと外す。リゼットが再びヘイカーに背を向けた。
「……リゼット、何かあったのか?」
「……何故そう思うの?」
リゼットは伏せたままの睫毛を、横顔だけで覗かせながら問い掛けて来た。
「何か……分かんねーけど、何となく」
「別に、大した事じゃないわ」
リゼットはヘイカーに有無を言わせずそう告げて、騎士団本署へと歩いて行ってしまった。
寂しそうに見えたのは、ヘイカーの気のせいだったのだろうか。
……気のせいじゃねー。
ヘイカーは、ずっとリゼットを見てきて知っている。あんな目は、寂しい時にする目である、と。
その日の配達を手早く終わらせ、最後にクルーゼ家を訪れた。中からクージェンドという執事が現れ、対応してくれる。チーズの代金を受け取り、来週の注文を受けると、ヘイカーはクージェンドに頼んでみた。
「リゼット、帰ってる?」
「いいえ、リゼット様はまだお帰りになっておりませんが」
「待たせてもらっていいか?」
「何用でしょう」
そう問われて、ヘイカーは悩む。しかしクージェンドという男は、話の分かる男だ。ひょろっとして頬がこけた白ヒゲの老年だが、物腰は穏やかで機転の利く男。ヘイカーはこのクージェンドに可愛がって貰っている。ヘイカーもまた、彼が好きだ。なので、ヘイカーは正直に答えた。
「今日、リゼットと会ったんだ。けど、何か……いつもと違ってさ。ちょっと会いたいだけってのは、理由になんねー?」
ヘイカーが眉を下げて彼を見上げると、クージェンドはニッコリと笑って頷いてくれた。
「分かりました。リゼット様のご友人として来られる方は初めてです。どうぞ、中に」
リゼットには友達がいないのだろうか。確かにそういう人物を見かけたことが無い。幼き頃から強すぎる彼女に、皆一線おいていたのかもしれない。そして今は隊長という立場であるため、馴れ合わないようにしているのだという事が推察出来た。
ヘイカーは、初めてクルーゼ家に足を踏み入れる。
中はガランとしていて物寂しい。掃除は行き届いている様だが、どこか埃っぽく感じた。人の出入りが無い為か、何だか空虚だ。
こんな家で毎日過ごしてんだな。
こんな大きな屋敷に、執事と二人。
その執事も住み込みではないので、夜には帰るとクージェンドは言っていた。つまり、一人だ。
リゼットはこの大きな屋敷に、夜は一人で眠っている。
一人で住むなら狭い家の方が落ち着くと思うのは、一般庶民の考えだろうか。
通して貰った部屋で、ヘイカーはぼんやりと過ごす。
クージェンドは色々と仕事があるとの事で、相手をしてもらえなかった。この屋敷の切り盛りを、資産の運営や家事含め、全て一人でこなしているのだ。やる事は盛り沢山だろう。
しばらくすると、リゼットが扉を開けてやってきた。物凄く不思議そうな、不可解そうな顔をしながら部屋に入って来る。
「ヘイカー? 何しに来たの?」
「え? いや、その」
「今日はアンナの家には行かないの?」
「リゼットは?」
「私は……どうするかな」
やはり悲しげに嘆息している。今日はウェルスの結婚式だったというし、普通ならばもっと気持ちが高揚していても良いはずだろう。
「リゼット……」
「何?」
「どっか、その……しょ、食事にでもいかねー?」
「アンナの家に?」
「いや、そーでなくて。外で」
「私の奢りで?」
「金くらい、ちょっとはあるよ。ま、そんな高いとこには入れねーけど」
「頑張っているものね、あなたは」
リゼットに褒められ、ヘイカーは少し赤面した。
ヘイカーにとっては、配達もチーズ作りも日常の事であり、頑張ると言う程のことではない。だが、それを頑張っていると評された事が嬉しかった。それも、他ならぬリゼットに。
「じゃ、じゃあ、どっか食いに……」
「いえ、私は今日、そんな気分じゃ……」
と、リゼットが言いかけた所で、クージェンドが扉を開けた。
「リゼット様」
「どうしたの、クージェンド」
「すみません。手違いで野菜の配達が明日になってしまいまして。本日ご用意出来る夕飯がチーズしかございません」
クージェンドは飄々と言ってのけているが、明らかに嘘くさい。流石のリゼットも、これには気付くだろう。
「そう、仕方ないわね」
と思ったが、リゼットは当然の様にそれを受け入れた。クージェンドに対し、絶大な信頼がある証拠である。
「……食べに……行く? ヘイカー」
「え? あ、ああ!行く!!」
ヘイカーがクージェンドを見ると、彼はこっそりこちらに向かってウインクしていた。このリゼットの絶大な信頼を裏切っていいのか、と言いたい気持ちがないわけではないが、何にせよ有難い。
リゼットが家を出るのを、ヘイカーは追いかける形で後に付く。後ろでは「行ってらっしゃいませ」とクージェンドが丁寧に頭を下げていた。
「さて、どこに行くの?」
「オレが決めていいのか?」
「あなたの奢りなんでしょう?」
クスリと笑われ、こくんと頷く。
「じゃあ、フェリーチェって店、知ってっか? すげー小さなパスタ専門店なんだけどさ」
「フェリーチェ? 知らないわね。どこにあるの?」
「ウエストパークストリート沿い。そこのブルーチーズパスタが絶品なんだ。値は張るけどな」
勿論、フェリーチェは北水チーズ店の顧客である。先程チーズを卸した所なので、売り切れという事はあるまい。
「分かったわ、そこにしましょう。楽しみだわ」
リゼットの顔に笑みが浮かび、ヘイカーはほっとする。
リゼットが何故あんな悲しそうな顔をしていたのか、知りたい気持ちはある。が、それを問いただした所で、今の自分では教えてくれそうにない。
もっと仲良くなってから。最初は友達でもいい。少しずつ親密な付き合いに発展していければ。いつかはリゼットも、胸の内を明かしてくれるかもしれない。
ヘイカーはフェリーチェに入った。フィオという、三十代後半の未亡人が一人で切り盛りをしている店である。店構えは小さく、中も狭い。三組入れば店は満員になってしまう程だ。そのためか作り置きなどせず、注文が入ってから作り始める為、やたらと出てくるのが遅い。時間に急かされることの多い騎士が食べに来る事は、まぁないだろう。
中に入って席に着くと、リゼットは「小さな店ね」と呟いた。
「ちょ、リゼット! 失礼だっての!」
「ああ、ごめんなさい。つい」
奥からフィオが現れて、快活に笑う。
「いいんですよ、本当に狭いんだから。こんな店にリゼット様が来るとは思わなくって」
そう言いながら、フィオは水を出してくれた。
「ご注文は?」
「そうね、ブルーチーズのパスタというのを」
「かしこまりました。ヘイカーは何にする?」
「んー、なんか新作のパスタがあればそれで」
「まだ試作段階の、メニューに載ってないパスタでもいい?」
「ああ、味見してやるよ」
「ありがと、ヘイカー」
フィオはニッコリ笑って厨房へと消えて行った。
「ここにはよく食べに来るの?」
「んー、日曜の昼にロイドん家に行かない時は、大抵ここかな。後は平日の配達ついでに、夕飯を食ってく時もある」
「エイベルさんはどうしているの」
「父ちゃんも勝手に食ってるよ。オレん家は離婚して母ちゃんいないし、お互い適当にしてる」
ヘイカーがそう言うと、リゼットは少し驚いた様に「そうなの」と呟いていた。特に関心がなかったため、知りもしなかったのだろう。
「再婚でもすりゃーいいんだけどな。父ちゃんに女の影は、これっぽっちもねーからな」
ダナがエイベルの事をチーズバカと評していたのも頷ける。父エイベルは、チーズさえ作っていれば満足している節がある。母親が出て行くのも無理はないかなと、今ならば思えた。
ヘイカーとリゼットは、とりとめのない話をした。
チーズの話、士官学校の話、カール家の話、配達の途中の出来事、雷の魔法の事。当たり障りのない事ばかりだったが、リゼットはうんうんと聞いてくれた。途中、笑顔を見せてくれ、それだけでヘイカーは満足だった。
やがてパスタが出され、リゼットは幸せそうにそのブルーチーズの入ったパスタを食べてくれる。それがリゼットに好評で、ヘイカーは鼻高々だった。オレが作ったチーズなんだと声高に言いたかったが、言わずとも察してくれているに違いない。
パスタを食べ終わって支払いを済ませると、二人はフェリーチェを出た。
「ありがとう、ヘイカー。本当に私の分は払わなくていいの?」
「いいって! オレが誘ったんだからさ」
「だけど……」
「じゃ、今度はリゼットが奢ってくれよ。それでいいからさ」
「今度、ですって?」
リゼットの眉間に皺が寄った。思わず冗談です、と逃げてしまいそうになる。でも、ダメだ。仲良くなると決めたのだから、ここで引き下がってはダメなのだ。
「じょ、冗談だよ、冗談!」
言ってしまった。ダメな言葉を。自分のヘタレ加減が嫌になる。
「えーっと、その、お、送る……」
「いらないわ。私は騎士隊長よ。あなたよりも遥かに強い。送られる必要は無いわ」
「……おっしゃる通りで」
ヘイカーは思わず嘆息した。リゼットは、この男ゴコロを分かってくれない。
「じゃあね、ヘイカー」
「あ、ああ。えと……じゃあな!」
またデートしようぜ、という言葉が出て来なかった。
また確実に眉を寄せられてしまう事が推察されて。
ヘイカーは、颯爽と帰って行くリゼットの後ろ姿を見送る。
言えはしなかったが、これはデートと呼んでも構わない……はずだ。
リゼットだって、そう思っている……はずだ。
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