君の隣に

れん

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第2章

その32

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 昼過ぎに林原から電話があった。後藤に帰宅時間を確認したと言う。

 メイと後藤は6時頃には帰って来るという事だった。

「わざわざ聞いたのか?」

 俺がそう尋ねると、林原は少し笑って『あぁ』と答えた。

「いや…何か、朝倉のさっきの様子がちょっと焦ってる感じがして…これは、何かあったな? と思ったから少し協力しようかと思って」

「俺、焦ってたか?」

「うーん……声が切羽詰まってるっていうか、思い詰めてるっていうか…そんな感じだった」

「……そうか」

「何? 喧嘩したか?」

「いや、そんなんじゃない……」

 俺が言い淀んでいると、電話の向こうの林原は気を悪くした風でもなく『ま、とにかく、そういうことだから』と言って電話を切った。



 午後6時前にメイの泊まっているホテルへ行くと、フロントで部屋に戻っているかどうか確認した。

「麻生様は朝、チェックアウトを済まされております」

(え? チェックアウトした?)

「そうですか、ありがとうございます」

 俺は礼を言うと、すぐにホテルから出た。


 車に戻ると林原に電話をし、後藤とメイは何処にいるかを訊ねた。

 林原は『麻美は駅で麻生と別れたっていってたけど……』と、訝しげに答えた。

「麻生と会えなかったのか?」

「あぁ…ホテルに行ったら朝でチェックアウトをしていた」

「そうか、それじゃ電車で家に帰ったんじゃないのか? お前、車って言ってたよな? 今から帰れば麻生より早く向こうに着くだろう?」

 確かに高速に乗れば、電車のメイより早く彼女の家に辿り着けるだろう。

「そうだな、うん…ありがとう、林原。今から帰るよ。今度はゆっくり会って話しような」

「おう! 楽しみにしてる」

 お互いに別れの言葉を交わし、次に会う約束をして電話をきった。

 俺は、メイの家を目指して車を発進させた。



 高速は思ったよりも渋滞はしておらず、俺がメイのマンションに着いた時にはまだ彼女は帰っていなかった。

 ---さて、どうする?---

 明かりの消えたメイの部屋の窓を見つめながら、俺は彼女に何て言おうか考えていた。

 それから2時間近く過ぎた頃、メイがキャリーバッグを引きながら歩いて来るのが見えた。

 俯いているせいか、元気が無いように見える。

 俺は車から降りると、メイの方まで歩いて行った。

 足音に気づいて顔を上げたメイは、俺の姿を見て目を見開いた。

「……朝倉君? 何でここに?」

「一緒に帰ろうと思ってホテルに行ったら、チェックアウトしたって聞いて慌てて高速で帰って来た」

 そう言って俺が彼女に笑いかけると、メイは再び俯いてしまった。

「麻生……話がしたい」

 俺の言葉にメイの肩がビクッと揺れた。

「あ……私…ごめん。今日は疲れてるの……だから、話は今度にして…」

 俯いたままメイは答えた。その声が微かに震えているように感じたのは俺の気のせいだろうか?

「そうか……そうだよな。ごめん、だったら明日---俺が仕事終わってから……時間くれないか?」

 メイは明らかに俺を避けようとしている。

 だから俺は彼女を逃がさない様に必死の思いでメイに訊ねる。今を逃したら---思い過ごしかもしれないが、メイは2度と俺と向き合ってくれないような気がした。

「---明日?」

 躊躇いがちに彼女が聞き返してきた。

「あぁ、どうしても明日話しがしたいんだ。無理だって言うなら今、話しをしたい」

 多少強引かとも思ったが、そうでもしないとメイは頷かないと思った。

 案の定---彼女は小さく溜息をつくと、意を決した様に顔を上げて俺を見た。

「わかった。明日、夕方---仕事が終わったら電話して。話はその時に聞きます」

 俺はメイの返事を聞くと安堵した。

「それじゃ、明日……電話するから」

 彼女は小さく頷くと『おやすみなさい』と呟いて、マンションの中へと入って行った。

 俺はそんなメイの後姿を見送ってから、車に乗り込み家路についた。


 翌日---仕事はうわの空で、吉澤主任からは少し心配された。

「お前、大丈夫か? 同窓会で何かあったのか?」

「いえ、友人の結婚の発表を聞いて、後は中学の卒業以来会ってなかった奴らと昔話に花が咲いて、とても楽しかったですよ」

「……その割にはお前、元気がないっつーか、心ここに在らずって感じだけど?」

 さすが主任するどい。

「そんな事ないですよ、きっと睡眠不足と疲れのせいです」

 俺の言葉に主任は疑いの眼差しを向けたが、その後は何も追求される事はなくてホッとした。



「で、何があったのかな? 朝倉君」

 昼食の時間になり、社食へ行った俺はそこで雪村さんに掴まった。

「な、何って……何もありませんよ」

 俺は雪村さんの視線を避けながら答えた。

「嘘ばっかり、吉澤君も心配してたわよ。メイちゃんと何かあった?」

 雪村さんは無邪気に訊ねてくる。

 この人は普段はおっとりしてそうなのに、意外に鋭くて時々怖いと思う。

「何でそこで麻生が出てくるんですか?」

 俺の言葉に雪村さんはにっこりとほほ笑んで、人差し指をこちらに向けた。

「それよ」

「は?」

「朝倉君、気づいてないの? あなた『メイちゃん』の事、『麻生』って呼んでるじゃない」

 やばい、つい癖で……

 俺が黙ったのを見て、雪村さんは面白そうに俺の顔を覗き込む。

「結構前から呼んでるわよね? メイちゃんも『朝倉さん』から『朝倉君』に変わってたし。あぁ付き合ってるのかなって私は嬉しかったんだけどねぇ---まさかそこにリョウが出てくるとは思わなくて驚いたけど」

 雪村さんは独り言の様に話し続けている。

「でもね……メイちゃんはいつでも朝倉君の姿を追っていたわよ。本当は言わないって約束だったんだけどね」

「え?」

「朝倉君がメイちゃんを見つめていた様に、彼女も朝倉君の姿をずっと見ていたわ。気づかなかったの?」

 少し呆れた様な顔で雪村さんが呟いた。

 一昨日の美樹の言葉を思い出す。

 俺って……やっぱり馬鹿かもしれないな。

 自嘲気味に微笑むと、雪村さんがギョッとした。

「気づきませんでした……自分の気持ちでさえ持て余していましたから」

 そんな俺に、雪村さんが『はあっ』と溜め息をついた。

「まったく! 周りはみんな2人の気持ちに気づいてたっていうのに…で、好きって言ったの?」

「いえ……だけど昔から俺の事が好きだったと言われました」

「良かったじゃない! ……なら何で元気ないの?」

「……」

「朝倉君?」

「もしかしたら、愛想尽かされたかもしれません」

「何でっ?!」

 俺の言葉に雪村さんは驚いた様に訊ねた。

「リョウと唯香さんの事を彼女から聞いた時、俺……麻生が唯香さんがいてもリョウの事が好きで奪うつもりなのかと思ってしまってつい……責めてしまったんです」

 雪村さんが頭を抱えてしまった。

「あのね……悪い。私なら愛想尽かすわ。自分の事そんな風に見てるなんて、いくら好きな男でも嫌よ」


 ---ですよね、俺もそう思います---

「はい、だから…今日、会って話をします。それで、駄目だったらもう諦めますから」

「---1つ、聞いていい?」

「はい? 何ですか?」

「朝倉君……メイちゃんに『好き』って言った事はあるの?」

 雪村さんの質問に俺は首を横に振った。

「いえ…言った事はないです」

「だったら、会ったら真っ先に『好きだ』って言いなさい。言い訳はその後でもいいから」

 その言葉の意味が解らずに俺が首を傾げると、雪村さんが焦れた様に言い放った。

「とにかくっ! 開口一番に『好き』って言う事っ! いいわね? 先輩命令よ!」

 そんな無茶苦茶な……

 呆れたように俺が見ていると、雪村さんはニッコリと笑って更に続けた。

「大丈夫よ、メイちゃんは優しい娘だもの。朝倉君がちゃんと自分の気持ちを言えば、彼女はきっと答えてくれるわよ。それにあんなに好き好きオーラ全開なのに、簡単に愛想尽かしたりはしないと思うわよ」

 好き好きオーラって……

 俺は雪村さんの言葉に顔が赤くなるのが判った。

 そんな俺に『じゃ、頑張ってね』と言うと、彼女は社食を出て行った。

 1人残された俺は、赤い顔のまま昼食時間が終わる迄そこを動けなかった。


 午後は完全に仕事どころではなく、流石に吉澤主任の眉間に皺が寄っているのが判った。

 それに気づいてからは一応大きなミス等はなく、なんとか終業時までをやり過ごした。

「すみませんっ! 今日はこれで失礼します」

 そう言うと、面白がっている様な顔の主任を視界の端に捉えながら、俺はオフィスを飛び出した。



 会社を出た所ですぐに携帯を取り出し、【麻生五月】という名前をアドレスから呼び出しコールする。

「はい」

 数回の呼び出し音の後、メイが電話に出た。

「…麻生か? 俺だけど」

「うん、仕事終わったの?」

「あぁ、今から出て来れるか?」

「大丈夫…どこに行けばいいの?」

 俺はメイの家の近くにあるカフェの名を告げた。そこは何度か待ち合わせで使っているからお互い知っている。

「わかった。先に行って待ってる」

「俺も今、会社を出た所だから多分着くのは30分位後だと思う」

「それじゃ、あとで」

「あぁ、あとで」

 そう言って電話を切った。

 俺は深呼吸すると、待ち合わせ場所へと向かった。

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