わたしは妹にとっても嫌われています

絹乃

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三章

5、没落【2】※父親視点

「大丈夫よ、お父さま」

 隣から聞こえる声に、私は意識を引き戻された。
 ビルギットが私を見上げて、微笑んでいた。
 これまでのような勝ち気で華やいだ笑顔ではない。柔らかく、どこか寂しい表情だ。
 
 あの日。火傷を負ったビルギットの為に医者を呼びに行き、診察してもらうと彼女は震える声で何があったのかを話した。

 私はてっきりマルガレータが、ビルギットを追い返したのだと思った。腹立ちまぎれに熱いジャムをかけて、妹に怪我を負わせたのだと。
 だが、事実は違った。

――わたしが姉さん……お姉さまに熱いジャムをかけて、火傷させようとしたのよ。それを誤って自分でかぶって。馬鹿だったわ、本当に。これで二度目よ……紅茶の件もわたしがしでかしたの。

――どうして、あんなことができたの? こんなにも熱いのに、痛いのに。苦しいのに。わたしは……どうして。自分で火傷をするまで、それがどんなに痛いのか知りもしなかったわ。だって、キッチンに立ったことなんてなかったもの、火を熾すこともなかったもの。

 ビルギットの言葉が、にわかには信じられなかった。
 あの時、こみ上げてきた感情は何だったのだろう。
 慈しんで育てた娘が、平然と嘘をついていたことなのか。彼女の言葉を信じて、姉の言い分をまったく聞かずに放逐したことなのか。
 それほどに自分が愚かであったと知った事なのか。

 私が、王太子のお付きの方に頭を下げたあの時から、ビルギットはマルガレータのことを「姉さん」ではなく「お姉さま」と呼ぶようになった。
 呼びかけるべき相手は、もういないというのに。

 ぴよ、ぴよ。けこーっ、と奇妙な音がした。
 かつての使用人が荷車を出し、運んでくれた保存食や身の回りの品。それ以外に、何か木箱が置いてある。呑気な音はそこから聞こえる。

「お医者さまが、鶏と雛をくださったの。餌もよ。たくさん雌鶏がいるから卵を産んだら、先生の知り合いの食堂に買ってもらえばいいって仰ってたわ。少しは生活の足しになるだろうって」

「そんな無様なことっ」
「無様なことをしないと、生活できないの。わたしは掃除も料理も洗濯もできないわ。しばらくは保存食を食べないとね、酸っぱいのは苦手だけど。これからは家事は、お父さまと分担するしかないのよ」

 そうだったな。我が家の醜聞は、とうに広まっていることだろう。新聞に載った感情のこもらない記事を……ヴェステルグレーン子爵家の没落の記事を読み、誰もが口の端を歪めて笑っているに違いない。
 いい気味だ、と。

 今更、気取ってどうなるというのだ。

 元使用人たちは、代金を払うことも出来ないのに「最後のご奉公ですから」「せめて火の使い方や簡単なお料理は、お教えさせてください」と、屋敷を引き払う時に数は少ないが集まってくれた。

 皆、マルガレータと仲の良かった使用人だ。その時感じた申し訳なさは、彼らに対してだろうか、それともマルガレータに対してだろうか。

「あっちの薪が入っている小屋を、鶏小屋にできるかしら」

 風が吹き、かさかさと木の葉が音を立てて鳴る。
 ビルギットは笑顔で小屋を指さすと、小走りで向かっていった。今では髪もひとつに結び、高価なドレスはすべて売り払ったので、簡素なブラウスとスカートだ。
 
 ふと、滅多に思い出すことのない妻。シーラの顔が頭をよぎった。
 ああ、今のビルギットはお前に似ている。
 元気がないのに、つらいのに、明るく振る舞おうとして。

 私は無理をして笑顔を作るシーラが苦手だった。そんな彼女の気持ちを察して寄り添うマルガレータが嫌いだった。
 だが、愛するビルギットは……私によく似たビルギットは、今は母親のように無理をして笑っている。
 それを健気と思うのに。

 なぜあの二人には、愛情をかけることができなかったのか。
 どうしてこんなにも私は愚かだったのか。

 もう会うことも出来ない、優しかった二人。私がシーラとマルガレータの人生を踏みにじってしまった。
 今更……彼女たちの幸せを願う権利など、どこにもないのだ。

 ぽとり、と手の甲に水が滴った。
 雨が降っているわけでもないのに。見上げると、木々の間から見える空は抜けるように蒼い。だが、その木も空もぼやけてしまっている。

 それが己の涙であることは、何滴も雫が落ちてからようやく気づいた。

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