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一章
3、熱中症かも
残念ながらオレと朔也が乗った電車は混んでいて、身動きがとれなかった。ドアの窓から差し込む朝陽がじりじりと頭の後ろを照らしてる。
遮断機に異常があったとかで電車が遅延してて、そのせいで普段は混まない普通電車が満員らしい。
さっきの麦茶は朔也が持ったままだ。
「大丈夫か? 暁。マスクは暑いだろ」
「へいき」
答えるオレの声は、自分でも弱々しく聞こえた。けど、降りる駅まで二駅だから。六分ほどなら我慢できる……はず。
車内は混雑してるのに、耳に届くのは線路の継ぎ目のカタンカタンという音だけ。
マスクの中が汗で湿ってる。吐く息も熱くて、ふだんよりも息苦しい。
ゆらっとオレの身体が傾いた。
前を走る電車が詰まってるから、速度を落とすというアナウンスが聞こえる。いつもなら問題ないのに、今朝は踏ん張ることができなかった。
混んでるから転んだりはしないけど、他の人にぶつかってしまいそうになる。どうしよう、隣は女の人や。「この人、痴漢です」なんて責められたりしたら――
けど、オレは女の人にはぶつからなかった。力強い腕がオレの肩を抱えたからや。
「……朔也?」
見上げると、オレの目線の真横に朔也の顔があった。朔也は背が高いから、こんな風に顔が近いのは珍しい。
「ありがとぉ。転ぶとこやった」
オレがお礼を言うと、朔也は瞬きで返事した。
「窓際は暑いだろ。こっちに移動した方いい」
朔也の両腕がオレを包む。まるで騎士がお姫さまを護るみたいに。
いやいや、違うって。オレは男なんやし。
でも、こういうさりげない気遣いが女子にもてるんやろな。
駅の前でも朔也をちらちら見てる他校の女子がおったし、たぶん学校でも時々女子に教室から呼び出されることがあるから。きっとこれまでも何度も告白されてるんだろうけど。誰かと付き合ってる気配はない。
それに朔也が女子を目で追ってるのも見かけたことがない。
なぁ、オレにばっかり構ってるから彼女ができへんのと違うん? オレはもう高校生なんやから、中学の時みたいに「かわいい」って囲まれる年と違うんやから。
オレのことは気にせんでええんやで。
そう言ってあげたいのに、朔也をオレから解放してあげたいのに。それができない。
過保護な朔也のイメージがあるけど、ほんとはオレの存在が朔也を束縛してる気がする。
いつかこうして電車の中で守られるのは、彼女なんや。
そしたら朔也と時間を合わせて登下校することもない。休日も一緒に遊びに行くこともない。
寂しいな――そんな未来は、きっととても寂しい。
汗をかいているはずなのに、朔也からは石鹸の匂いがした。そのまま朔也は小さく移動して自分がドアの方に立った。オレは、背の高い朔也の陰になる。
暑さが和らいでオレの身体のこわばりがほどける。
「ちょっとは楽だと思うけど。つらいのか? 表情が硬いな」
「ううん、平気」
オレは無理に笑顔を浮かべた。朔也は人気があるから、オレが独り占めしたらあかん。
「うん。朔也に囲まれてると安心する。外やのに、外やないって言うか……車内ではあるんやけど」
「そういうのは……ちょっと」
朔也が口ごもった。
あれ? なんかおかしいことを言うてしもた?
しんとした車内だから、小さいはずのオレの声が意外と周囲にも聞こえてたらしい。 隣に立つOLっぽいお姉さんが、口もとを手で押さえて俺らを凝視してる。その視線がうるさかったんだろう、朔也がぐいっとオレの向きを変えさせて、お姉さんに背中を向けた。
なんかオレ、変なこと言ったかも。
「ごめんな、囲まれてるって言うたら朔也が悪者みたいやんな。朔也に包まれてる感じがする……で、ええかな」
「暁、もう黙ろか」
突然、朔也の大きな手がマスクごと俺の口を塞いだ。いつの間にかイントネーションが関西弁になってる。
そんなびっくりさせるようなことを言った覚えはないのに。
もごもごと口を動かしたけど、オレの発する声はすべて朔也のてのひらで塞がれた。
少しだけしゃがんだ朔也がオレの耳もとに唇を寄せる。
あかん、逃げ場がない。怒られるんかも。オレはきゅっと瞼を閉じた。
「困った奴だよな。無自覚っちゅうか、天然っちゅうか。ほんまに俺は暁に振り回されてしまうよな」
耳を撫でるような微かな声やった。たぶん、隣のお姉さんには聞こえないほどの囁きだ。
ふっ、と脱力したような笑みを朔也が浮かべる。
「駅に着いたら、ちょっと休んでから学校に行こ? あと、保健室で横になった方がええな」
「面倒見ええなぁ、さすが朔也や」
「誤解せんといて、誰にでも面倒見がええわけやない」
さっきよりももっと冷えた朔也のてのひらが、おでこに触れてくる。
麦茶のペットボトルで濡れた朔也の手が、オレの熱を静めてくれる。
ああ、冷たくて気持ちいい。
「そのままペットボトルを当てた方がええか? もっと冷たいで」
ええなぁ、関西弁の朔也。石鹸の匂いもやけど、なんか懐かしい。オレは安心して瞼を閉じた。目を開けてないのに、さっきまで見てた車内の光景がぼんやりとした光として映ってる。
「ううん。朔也の手の方がええ」
「……暁」
もたれかかるオレの扱いに困ったのか、朔也が戸惑ったような声を出す。
ごめんな、甘えてしまって。けど、朔也といると安心できるから。
「頭痛はする?」
「うん、ちょっと痛いかも。あと体がだるい」
「熱中症の初期やろな。体温も高いし、もうちょっと冷やそか。ペットボトルを首に当てるからな。びっくりして声を上げんときよ」
朔也の関西弁は、夕暮れが終わった後の空みたいだ。夕日の残りを映したオレンジ色の雲と、どこまでもしんと澄んだ深い青。柔らかくて静かできれいで。ずっと聞いていたくなる。
朔也の宣言通り、いきなり首筋が冷えた。ペットボトルについた水滴が、オレの首を伝って、つぅーっと落ちる。ちょっとだけ鳥肌が立った。
「ふ、ふふ」
「え? どないしたん暁。もしかして暑さが頭に来てしもた?」
「ちゃうねん」
オレは混乱する朔也に伝えるために、半袖からのびる腕を見せた。
「ほら、さぶいぼ」
「……俺、その言い方は好きじゃないな。鳥肌が立ったと言いなさい」
あ、しまった。せっかく笑わせようと思たのに。朔也が標準語に戻ってしもた。
なんやもー、うまくいかへんなぁ。
「あ、いや。言いすぎた、すまない」
オレが難しい顔でもしていたのか、朔也の声のトーンが落ちた。
子供の頃みたいに好き放題言いあって、喧嘩もして。それでもすぐに謝って笑いあってたのが懐かしい。
あの頃にはもう戻れないのかなぁ。
いつもは電車に乗ってる六分なんて短いのに。今日はどこまでも乗車時間が続くように思えた。
『まもなく山陽須磨。電車とホームの間が空いているのでお乗り降りの場合は、注意してください』
「ほら、行くぞ。暁」
アナウンスと同時に、朔也が動きはじめる。
オレは朔也の腕に守られて、出口まで誘導された。車内にいる人らが、ちらっと俺らを見てはすぐに視線を外すから。
ちょっと恥ずかしい……気がする。
遮断機に異常があったとかで電車が遅延してて、そのせいで普段は混まない普通電車が満員らしい。
さっきの麦茶は朔也が持ったままだ。
「大丈夫か? 暁。マスクは暑いだろ」
「へいき」
答えるオレの声は、自分でも弱々しく聞こえた。けど、降りる駅まで二駅だから。六分ほどなら我慢できる……はず。
車内は混雑してるのに、耳に届くのは線路の継ぎ目のカタンカタンという音だけ。
マスクの中が汗で湿ってる。吐く息も熱くて、ふだんよりも息苦しい。
ゆらっとオレの身体が傾いた。
前を走る電車が詰まってるから、速度を落とすというアナウンスが聞こえる。いつもなら問題ないのに、今朝は踏ん張ることができなかった。
混んでるから転んだりはしないけど、他の人にぶつかってしまいそうになる。どうしよう、隣は女の人や。「この人、痴漢です」なんて責められたりしたら――
けど、オレは女の人にはぶつからなかった。力強い腕がオレの肩を抱えたからや。
「……朔也?」
見上げると、オレの目線の真横に朔也の顔があった。朔也は背が高いから、こんな風に顔が近いのは珍しい。
「ありがとぉ。転ぶとこやった」
オレがお礼を言うと、朔也は瞬きで返事した。
「窓際は暑いだろ。こっちに移動した方いい」
朔也の両腕がオレを包む。まるで騎士がお姫さまを護るみたいに。
いやいや、違うって。オレは男なんやし。
でも、こういうさりげない気遣いが女子にもてるんやろな。
駅の前でも朔也をちらちら見てる他校の女子がおったし、たぶん学校でも時々女子に教室から呼び出されることがあるから。きっとこれまでも何度も告白されてるんだろうけど。誰かと付き合ってる気配はない。
それに朔也が女子を目で追ってるのも見かけたことがない。
なぁ、オレにばっかり構ってるから彼女ができへんのと違うん? オレはもう高校生なんやから、中学の時みたいに「かわいい」って囲まれる年と違うんやから。
オレのことは気にせんでええんやで。
そう言ってあげたいのに、朔也をオレから解放してあげたいのに。それができない。
過保護な朔也のイメージがあるけど、ほんとはオレの存在が朔也を束縛してる気がする。
いつかこうして電車の中で守られるのは、彼女なんや。
そしたら朔也と時間を合わせて登下校することもない。休日も一緒に遊びに行くこともない。
寂しいな――そんな未来は、きっととても寂しい。
汗をかいているはずなのに、朔也からは石鹸の匂いがした。そのまま朔也は小さく移動して自分がドアの方に立った。オレは、背の高い朔也の陰になる。
暑さが和らいでオレの身体のこわばりがほどける。
「ちょっとは楽だと思うけど。つらいのか? 表情が硬いな」
「ううん、平気」
オレは無理に笑顔を浮かべた。朔也は人気があるから、オレが独り占めしたらあかん。
「うん。朔也に囲まれてると安心する。外やのに、外やないって言うか……車内ではあるんやけど」
「そういうのは……ちょっと」
朔也が口ごもった。
あれ? なんかおかしいことを言うてしもた?
しんとした車内だから、小さいはずのオレの声が意外と周囲にも聞こえてたらしい。 隣に立つOLっぽいお姉さんが、口もとを手で押さえて俺らを凝視してる。その視線がうるさかったんだろう、朔也がぐいっとオレの向きを変えさせて、お姉さんに背中を向けた。
なんかオレ、変なこと言ったかも。
「ごめんな、囲まれてるって言うたら朔也が悪者みたいやんな。朔也に包まれてる感じがする……で、ええかな」
「暁、もう黙ろか」
突然、朔也の大きな手がマスクごと俺の口を塞いだ。いつの間にかイントネーションが関西弁になってる。
そんなびっくりさせるようなことを言った覚えはないのに。
もごもごと口を動かしたけど、オレの発する声はすべて朔也のてのひらで塞がれた。
少しだけしゃがんだ朔也がオレの耳もとに唇を寄せる。
あかん、逃げ場がない。怒られるんかも。オレはきゅっと瞼を閉じた。
「困った奴だよな。無自覚っちゅうか、天然っちゅうか。ほんまに俺は暁に振り回されてしまうよな」
耳を撫でるような微かな声やった。たぶん、隣のお姉さんには聞こえないほどの囁きだ。
ふっ、と脱力したような笑みを朔也が浮かべる。
「駅に着いたら、ちょっと休んでから学校に行こ? あと、保健室で横になった方がええな」
「面倒見ええなぁ、さすが朔也や」
「誤解せんといて、誰にでも面倒見がええわけやない」
さっきよりももっと冷えた朔也のてのひらが、おでこに触れてくる。
麦茶のペットボトルで濡れた朔也の手が、オレの熱を静めてくれる。
ああ、冷たくて気持ちいい。
「そのままペットボトルを当てた方がええか? もっと冷たいで」
ええなぁ、関西弁の朔也。石鹸の匂いもやけど、なんか懐かしい。オレは安心して瞼を閉じた。目を開けてないのに、さっきまで見てた車内の光景がぼんやりとした光として映ってる。
「ううん。朔也の手の方がええ」
「……暁」
もたれかかるオレの扱いに困ったのか、朔也が戸惑ったような声を出す。
ごめんな、甘えてしまって。けど、朔也といると安心できるから。
「頭痛はする?」
「うん、ちょっと痛いかも。あと体がだるい」
「熱中症の初期やろな。体温も高いし、もうちょっと冷やそか。ペットボトルを首に当てるからな。びっくりして声を上げんときよ」
朔也の関西弁は、夕暮れが終わった後の空みたいだ。夕日の残りを映したオレンジ色の雲と、どこまでもしんと澄んだ深い青。柔らかくて静かできれいで。ずっと聞いていたくなる。
朔也の宣言通り、いきなり首筋が冷えた。ペットボトルについた水滴が、オレの首を伝って、つぅーっと落ちる。ちょっとだけ鳥肌が立った。
「ふ、ふふ」
「え? どないしたん暁。もしかして暑さが頭に来てしもた?」
「ちゃうねん」
オレは混乱する朔也に伝えるために、半袖からのびる腕を見せた。
「ほら、さぶいぼ」
「……俺、その言い方は好きじゃないな。鳥肌が立ったと言いなさい」
あ、しまった。せっかく笑わせようと思たのに。朔也が標準語に戻ってしもた。
なんやもー、うまくいかへんなぁ。
「あ、いや。言いすぎた、すまない」
オレが難しい顔でもしていたのか、朔也の声のトーンが落ちた。
子供の頃みたいに好き放題言いあって、喧嘩もして。それでもすぐに謝って笑いあってたのが懐かしい。
あの頃にはもう戻れないのかなぁ。
いつもは電車に乗ってる六分なんて短いのに。今日はどこまでも乗車時間が続くように思えた。
『まもなく山陽須磨。電車とホームの間が空いているのでお乗り降りの場合は、注意してください』
「ほら、行くぞ。暁」
アナウンスと同時に、朔也が動きはじめる。
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