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2、モニカの初恋
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「クラウスに会えるなんて」
自室に戻ったモニカは、クラウスから届いた手紙を何度も何度も開いては読み返した。
クラウスは体格がいい。上背もある。
なのに、綴られた文字はとても美しい。流麗といってもいいほどだ。
――相変わらず元気が有り余っていますか? モニカ。
「もうっ。一言余計よ」
怒りながらもモニカは、はにかんでしまう。
クラウスの思い出の中では、自分はいつまでも元気すぎる子供なのだから。
――陛下に大事な用事があるので、近々王宮へ伺います。お会いできるのを楽しみにしています。
「クラウスが、ここに来るんだわ。久しぶりに会えるんだわ」
心が弾む。モニカは椅子に座っていたのに立ちあがり、室内をうろうろと歩いて、また椅子に座る。
もし侍女がいたら「はしたないですよ」と、注意されていたことだろう。
「でも。手紙をくれるなら、近況とか書いてくれたらいいのに」
もっともっとクラウスのことを知りたい。
今は、何をしているのか。何に興味があるのか。元気そうだけれど、変わったことはないのか。
知りたいことはいっぱいある。尋ねたいことだらけだ。
けれど、そんな質問ばかりの手紙をもらったら、クラウスだって困惑するだろう。
今度はベッドに行儀悪く転がりながら、モニカは便箋に顔を近づける。
インクの匂いと紙の匂い。その奥に、少しでもクラウスを感じ取れないかと考えながら。
こんな夢見がちな自分の姿は、誰にも見せられない。フロレンシアにも、クラウス本人にも。
◇◇◇
ノルトライン公爵家は王族に連なる血筋だ。
だから、クラウスも若い頃からよく王宮を訪れることが多かった。
モニカがまだ七歳。クラウスが二十歳の秋のこと。
「ねぇ、あの葉っぱがすっごく赤くてきれいなの」
「そうですね、モニカ」
王宮の庭で、モニカは楓の木を指さしていた。クラウスの大きな手が、モニカの頭を撫でてくれる。
すっとした立ち姿で姿勢がよく、ダークブラウンの髪に琥珀色の瞳のクラウスは、淑女たちの間で大人気だった。
クラウスが女性たちから「素敵」だと騒がれると、モニカはとても誇らしかった。
「この楓は、確か樹液から蜜が採れるんですよ」
「お花からじゃなくて?」
「そう。樹液が甘いんです」
王宮を訪れる大人は誰もが、モニカを王女殿下として特別視する。第一王子である兄は、特別扱いが好きだが。モニカはそうではない。
クラウスは普通の話をしてくれる。自分のことを「殿下」と呼ばない。
六歳の頃はクラウスに「モニカさま」と呼ばれていたが。モニカが駄々をこねて「モニカ」と呼ぶように迫ったのだ。
子どもながらに、よそよそしさを感じたのだろう。
「モニカね。そのみつ、のみたい!」
「うーん。ジュースみたいには飲めませんね」
「のめないの?」
潤んだ青い瞳で見あげられて、クラウスは言葉を詰まらせた。
ここでダメだと言ったら、泣く。きっとそう考えたのだろう。
「あー、そうですね。じゃあ、冬になって蜜がとれたら、一緒に飴にしましょう」
「ジュースじゃなくて?」
「蜜を煮詰めたら、飴になるんですよ」
飴。その魅惑的な響きに、モニカの青い目は輝きを増した。きらきらと瞳の中に星が宿る。
「そんなに楽しみですか?」
クラウスは小首をかしげた。
「すっごいたのしみ。やくそくしてね。クラウス」
モニカは小指をさしだした。相手の指と触れ合うと、約束の印となるからだ。
なのに。
クラウスはその場にしゃがみこむと「承知いたしました。我が姫」とモニカの手の甲にひたいをつけたのだ。
小さなモニカは雷に打たれたように、その場に立ち尽くした。世界から音が消えた。
ただ目の前には、深い琥珀色の瞳があるばかり。その両の瞳には、驚いた表情のモニカが映っている。
「どうかなさいましたか?」
クラウスに問われて、モニカはぶんぶんと首を振った。髪が乱れてしまうほどに。でないと、口を開いてしまうから。
北風が吹き、何枚も落ちてきた赤い葉が、二人の間をさえぎる。
(あの時、変なことを口走らないでよかったわ)
もし、紅葉が降ってこなかったら、きっとこう言っていただろう。
――クラウス。しょうらいはわたしのおっとになることを、めいじます。
幼さって怖い。王女として特別扱いしてほしくないなんて思っていたくせに。もう立派な大人のクラウスを婚約者に命じようとするだなんて。
そして、モニカが七歳の冬。
煮つめたメープルシロップで、飴を作ったことが忘れられない。
王宮の庭は新雪で真っ白に染まっている。心配性の母が厚着をさせたので、モニカはもこもこだ。
クラウスは濃いシロップを、細長く雪の上に垂らしていく。とろりと垂れる蜜は、雪の冷たさですぐに固まる。雪をくぼませて先に棒を置いておけば、棒つきの飴になる。
「わぁ。すごい。ほんとうにあめだわ」
「どうぞ。我が姫」
澄んだ琥珀色の飴は、クラウスの瞳によく似ていた。
他の人から「姫」と呼ばれるのは好きじゃないのに。彼から「我が姫」と呼ばれると、とてもとても嬉しくて。自然と顔がほころんでいた。
「そんなに喜んでもらえて、嬉しいですよ」
「ふふ。ありがとう」
ふと顔を上げると、クラウスはひとつも飴を食べていない。
「いらないの? クラウス」
「甘いものは苦手なので。すべてモニカが食べていいですよ」
「じゃあ、お母さまや侍女やメイドにもあげていい?」
「もちろん。では、たくさん作らないといけませんね」
クラウスに手伝ってもらいながら、鍋に入ったシロップを雪の上に垂らしていく。
飴は外側は固まっているけれど、すぐに口のなかで溶けていく。クラウスがいるから、この飴は何倍もおいしいのだと、モニカは後になって気づいた。
そしてこれが初恋であることも。
自室に戻ったモニカは、クラウスから届いた手紙を何度も何度も開いては読み返した。
クラウスは体格がいい。上背もある。
なのに、綴られた文字はとても美しい。流麗といってもいいほどだ。
――相変わらず元気が有り余っていますか? モニカ。
「もうっ。一言余計よ」
怒りながらもモニカは、はにかんでしまう。
クラウスの思い出の中では、自分はいつまでも元気すぎる子供なのだから。
――陛下に大事な用事があるので、近々王宮へ伺います。お会いできるのを楽しみにしています。
「クラウスが、ここに来るんだわ。久しぶりに会えるんだわ」
心が弾む。モニカは椅子に座っていたのに立ちあがり、室内をうろうろと歩いて、また椅子に座る。
もし侍女がいたら「はしたないですよ」と、注意されていたことだろう。
「でも。手紙をくれるなら、近況とか書いてくれたらいいのに」
もっともっとクラウスのことを知りたい。
今は、何をしているのか。何に興味があるのか。元気そうだけれど、変わったことはないのか。
知りたいことはいっぱいある。尋ねたいことだらけだ。
けれど、そんな質問ばかりの手紙をもらったら、クラウスだって困惑するだろう。
今度はベッドに行儀悪く転がりながら、モニカは便箋に顔を近づける。
インクの匂いと紙の匂い。その奥に、少しでもクラウスを感じ取れないかと考えながら。
こんな夢見がちな自分の姿は、誰にも見せられない。フロレンシアにも、クラウス本人にも。
◇◇◇
ノルトライン公爵家は王族に連なる血筋だ。
だから、クラウスも若い頃からよく王宮を訪れることが多かった。
モニカがまだ七歳。クラウスが二十歳の秋のこと。
「ねぇ、あの葉っぱがすっごく赤くてきれいなの」
「そうですね、モニカ」
王宮の庭で、モニカは楓の木を指さしていた。クラウスの大きな手が、モニカの頭を撫でてくれる。
すっとした立ち姿で姿勢がよく、ダークブラウンの髪に琥珀色の瞳のクラウスは、淑女たちの間で大人気だった。
クラウスが女性たちから「素敵」だと騒がれると、モニカはとても誇らしかった。
「この楓は、確か樹液から蜜が採れるんですよ」
「お花からじゃなくて?」
「そう。樹液が甘いんです」
王宮を訪れる大人は誰もが、モニカを王女殿下として特別視する。第一王子である兄は、特別扱いが好きだが。モニカはそうではない。
クラウスは普通の話をしてくれる。自分のことを「殿下」と呼ばない。
六歳の頃はクラウスに「モニカさま」と呼ばれていたが。モニカが駄々をこねて「モニカ」と呼ぶように迫ったのだ。
子どもながらに、よそよそしさを感じたのだろう。
「モニカね。そのみつ、のみたい!」
「うーん。ジュースみたいには飲めませんね」
「のめないの?」
潤んだ青い瞳で見あげられて、クラウスは言葉を詰まらせた。
ここでダメだと言ったら、泣く。きっとそう考えたのだろう。
「あー、そうですね。じゃあ、冬になって蜜がとれたら、一緒に飴にしましょう」
「ジュースじゃなくて?」
「蜜を煮詰めたら、飴になるんですよ」
飴。その魅惑的な響きに、モニカの青い目は輝きを増した。きらきらと瞳の中に星が宿る。
「そんなに楽しみですか?」
クラウスは小首をかしげた。
「すっごいたのしみ。やくそくしてね。クラウス」
モニカは小指をさしだした。相手の指と触れ合うと、約束の印となるからだ。
なのに。
クラウスはその場にしゃがみこむと「承知いたしました。我が姫」とモニカの手の甲にひたいをつけたのだ。
小さなモニカは雷に打たれたように、その場に立ち尽くした。世界から音が消えた。
ただ目の前には、深い琥珀色の瞳があるばかり。その両の瞳には、驚いた表情のモニカが映っている。
「どうかなさいましたか?」
クラウスに問われて、モニカはぶんぶんと首を振った。髪が乱れてしまうほどに。でないと、口を開いてしまうから。
北風が吹き、何枚も落ちてきた赤い葉が、二人の間をさえぎる。
(あの時、変なことを口走らないでよかったわ)
もし、紅葉が降ってこなかったら、きっとこう言っていただろう。
――クラウス。しょうらいはわたしのおっとになることを、めいじます。
幼さって怖い。王女として特別扱いしてほしくないなんて思っていたくせに。もう立派な大人のクラウスを婚約者に命じようとするだなんて。
そして、モニカが七歳の冬。
煮つめたメープルシロップで、飴を作ったことが忘れられない。
王宮の庭は新雪で真っ白に染まっている。心配性の母が厚着をさせたので、モニカはもこもこだ。
クラウスは濃いシロップを、細長く雪の上に垂らしていく。とろりと垂れる蜜は、雪の冷たさですぐに固まる。雪をくぼませて先に棒を置いておけば、棒つきの飴になる。
「わぁ。すごい。ほんとうにあめだわ」
「どうぞ。我が姫」
澄んだ琥珀色の飴は、クラウスの瞳によく似ていた。
他の人から「姫」と呼ばれるのは好きじゃないのに。彼から「我が姫」と呼ばれると、とてもとても嬉しくて。自然と顔がほころんでいた。
「そんなに喜んでもらえて、嬉しいですよ」
「ふふ。ありがとう」
ふと顔を上げると、クラウスはひとつも飴を食べていない。
「いらないの? クラウス」
「甘いものは苦手なので。すべてモニカが食べていいですよ」
「じゃあ、お母さまや侍女やメイドにもあげていい?」
「もちろん。では、たくさん作らないといけませんね」
クラウスに手伝ってもらいながら、鍋に入ったシロップを雪の上に垂らしていく。
飴は外側は固まっているけれど、すぐに口のなかで溶けていく。クラウスがいるから、この飴は何倍もおいしいのだと、モニカは後になって気づいた。
そしてこれが初恋であることも。
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