翔君とおさんぽ

桜桃-サクランボ-

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初夏

トラウマ

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「お姉ちゃん、いたいいたい?」

「え、い、痛い?」

 ――――もしかして、どこかが痛くて突っ伏していると思っているのかな。

 どこも痛くはない、怪我もしていない。
 心配しなくても、特に問題は無い。

「え、えぇっと。痛くはないよ? 翔君は寝なくて大丈夫?」

「だいじょうぶ…………」

 と、言いているが、翔は眠そうに目をゴシゴシと擦っている。
 目元が赤くなると思い、静華は慌てて翔の腕を掴み止めた。

「眠いんでしょ? 寝てもいいんだよ?」

「んーーー!! 眠くないでしょ!!」

 ――――いや、”でしょ”と言われても、私は眠くないし、眠たいのは翔君でしょ?

 それを言っても、聞き入れてはくれない。
 眠い子供は何を言ってもぐずるだけと静華は思い、どうすればいいか悩む。

「お、お姉ちゃんは眠くなってきたなぁ。あぁ、眠いなぁ~。良かったら、翔君も一緒に寝てくれない?」

 愛想笑いを浮かべ、できる限り優しく言うと、翔は眠気眼を浮かべながらも笑い、静華の手を引いた。

 ――――これは、ついて行かないと、絶対に泣くよねぇ。

 呆れながらもついていくしかないと立ち上がり、後ろを歩く。

 廊下に出ると、足元が冷たい。
 夏とはいえ夜は冷えるらしく、ブルッと体が震える。

 先を見ると、薄暗く、少し不気味で、静華は恐怖で眉を下げた。

 翔は慣れているようでペタペタと足音を鳴らし、迷うことなく進む。

 二人分の足音を響かせ歩いていると、薄暗い中から何かを探している美鈴の姿を見つけた。

「あれ、お母さん、何か探しているの?」

「あら、静華。いえねぇ、翔君が見えなくて…………あら」

 美鈴が翔の姿を見ると、安堵の息を吐き駆け寄った。

「もう、だから、翔君。勝手にいなくならないでと言っているでしょう?」

 いつもより強めな口調で言うと、翔は縮こまり、こわがりながら静華の後ろへと下がってしまった。
 背中に隠れられてしまい、静華は動くに動けない。

「隠れても駄目よ、今回悪いのはだぁれ? 勝手に布団から抜け出して、動き回っていたのはだぁれ? おばさんとの約束を守れなかったのは、だぁれ??」

 腰を折り、目線を合わせる美鈴。
 ニッコリ笑顔で言っているが、目は笑っておらず、圧があった。

 ――――あぁ、これ、懐かしいなぁ。お母さんに怒られると、いつも笑顔で凄まれていたんだよなぁ。お父さんより怖かった記憶が……。

 小さい頃の記憶を思い出し、苦笑。自分に矛先が来ないように目線を明後日の方向に背けていた。

 後ろで震えている翔は、「おねえちゃん、おねえちゃん」と、助けを求めている。

「さぁ、一緒に寝ましょうね?」

「…………あい」

 静華が助けてくれないと子供ながらに察した翔は、これ以上美鈴を怒らせないように、震えながら美鈴の手を掴む。

「静華、貴方も今日は早く寝なさいね。起きていたら――……」

「わ、わかった。寝る、寝るから……」

 結局、矛先が自分に来てしまい、静華は怒らせる前に頷いた。

 約束をさせ、美鈴は翔を引き廊下の奥へと姿を消した。

 残された静華は、素直に自室へと戻り布団を敷く。
 中に入り込み、目を閉じた。

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『鈴夏! まだ仕事が終わっていないのか!』

 ――――すいません、今やります

『鈴夏さん、まだ仕事終わらないのかしら、おっそいわねぇ』

 ――――すいません、急いで行います

『鈴夏さん、これもお願いできるかい?』

 ――――わかりました、やります。

『鈴夏さん』

『鈴夏さん』

『鈴夏さん』

 ――――すいません、すいません、すいません。

 ――――私がもっとできれば。私がもっとやらなければ。

 私がもっと、もっと――……


『鈴夏さん。なんでそんなにも仕事が遅いんだい? 他の人ならすぐに終わる案件だよ』


 目の前に広がるのは、ばらまかれた資料。
 私が、徹夜して作った、休みなしで作った。私の資料。

 そんな資料が、ゴミのようにばらまかれ、床に落ち、踏みつけられる。

『こんな質の低い資料、誰が喜ぶんだい? あんだけ時間をかけておいて、この程度……。君、この仕事向いてないよ』

 この言葉をかけられた時、私の心にあった何かが、プツンと切れたような気がした。

 ――――すいません、すいません。

 もう、謝るしかできない。
 謝るしか、ない。

 謝って、謝って、仕事をしなければ。

 私の存在価値は――……

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「――――か。おきっ――。しず――おき――」

 ――――声が、聞こえる。誰の声。また、仕事をさせられる。嫌だ、い、やだ。

「い、嫌だ…………」

「静華、起きろ!!」

「――――ハッ!!」

 ――――ガバッ

「な、え。奏多……?」

「起きたか、大丈夫か?」

 自身を呼ぶ声で、静華は目を覚ました。
 勢いよく飛び起き、隣に座っている奏多を見る。

 ――――え、なんで私の部屋に奏多がいるんだろう。いや、そんな事より、早く仕事をしないと!

 すぐ仕事に取り掛かろうと周りを見るが、そこでやっと思い出した。

 今静華がいるのは、一人暮らしをしていた小さなアパートではなく、実家。

 仕事はもうやめており、メールなども当たり前だが届いていない。

 それでも、今までの習慣が体に染みついており、まだ頭が追い付いていない。

 ――――私、仕事しなくていいんだっけ。大丈夫、何だっけ。

 起きたばかりだというのに息は荒く、奏多と目を合わせられない。

 不思議に思い「静華?」と名前をもう一度呼ぶと、やっと目線があった。

「か、奏多……。な、なんで、ここに……」

「少し話がしたくて来たんだ。おばさんには許可を取ったし、大丈夫かと思って勝手に入ってしまった。すまない」

「いや、それはいいんだけど……」

 奏多と話していると徐々に気持ちが落ち着き始め、正常な判断が出来るようになってきた。

 頭を支え、意識を覚醒させようと頭を振ると、何かに気づく。

「……ねぇ、奏多。今、何時?」

「ん? えぇっと、十二時すぎだな」

「え、十二時過ぎ!?」

 咄嗟に近くに置かれていたスマホを持ち、液晶画面を見る。
 奏多の言った通り、十二時十二分と書かれており、唖然としてしまった。

「よく寝れたらしくて安心した。疲れていたんじゃないか?」

「…………みたい、だね」

 ――――まさか、こんな時間まで寝るなんて思わなかった。今までは短時間睡眠だったし、深い眠りにつくことなんてなかったのに。

 スマホの画面を見ていると、奏多が首を傾げ「どうした?」と問いかける。

「い、いや。何でもない。ごめん」

 手を振り誤魔化しつつ、スマホを畳の上に置く。

 顔を上げようとしたが、上から刺さる奏多からの視線により、上げられない。
 冷や汗が流れ、顔を引きつらせる。

「…………え、なに?」

「いや、ちょっと気になったことがあってな」

「気になったこと?」

「あぁ……。言いたくなかったら答えなくていい」

 今の言葉に、静華は下げていた顔を上げ、奏多と目を合わせた。

「――――お前、何を我慢している?」
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