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アザエル

「行くかのぉ」

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「もらったって。それじゃ、今。月海さんの目が見えないのは、貴方のせいなの?」
「せいという言い方は心外じゃが、あながち間違えとらんな」

 クククと喉を鳴らし、パーカーのポケットをチラッとみる。だが、アザエルはすぐに月海へと顔を向け、楽し気に笑っていた。
 そんなアザエルを暁音は見上げ、目を細める。何かを企んでいるような表情を浮かべ、そっと目を逸らした。

「それじゃ、貴方は月海さんを殺す気はないという事ですか?」
「これ以上抵抗しなければじゃな」
「そう。それは少し心配ね」
「どういう事じゃ?」
「さぁ」

 表情を変えず、暁音はゆっくりと首を回し月海へと顔を向けた。意外な反応をした彼女にアザエルは、怪訝そうに顔を歪める。
 今だスライムのような物体にてこずっている二人は体力が削れ、動きのキレがなくなってきていた。息も切れ、肩を上下に動かしている。

「もう諦めたらよいのにのぉ」
「そうですね。貴方が殺そうとすれば、力の差に絶望して諦めるかもしれませんよ」
「む? それはお主にとっても悪いことなのではないのか?」
「そうね。だから、できる限り辞めていただきたいわ。あと、体が熱くなってきて、視界も悪くなったきたの。だから、抑えなくとも逃げないわ。離してちょうだい?」
「それは無理な相談じゃのぉ」
「知ってた」

 暁音は突如俯き、髪が顔にかかる。隙間からはなぜか、怪しく上がる口角が覗き見えた。

「まぁ、もうどうでもいいけれど」
「? さっきからなんじゃ。お主、こんなにおしゃべりだったか?」
「さぁ。熱でおかしくなったのかも」
「一体、さっきからなん――……」

 アザエルの声が途中で途切れる。それと同時に、暁音は拘束が解け前方に倒れそうになった。だが、地面に倒れる事はなく、温かく優しいぬくもりに包まれる。

「あっ…………」
「間に合ってよかったわ」
「ありがとうございます」

 月海が右手を前に出し、暁音を引き寄せ自身の胸元へと抱きつつむ。無意識に彼女の頭を撫でており、その手つきは宝物を触るように柔らかい。

「あっつ」
「熱が上がったみたいです」
「早く終わらせねぇと殺される前に死ぬな」
「…………貴方に殺させるのならいいのですが、他の方法での死は少しばかり嫌ですね」
「そうかよ。なら、頑張って耐えるんだな」

 暁音を守るように抱きかかえ、アザエルを見る。目の前には、大きな獣に嚙みつかれ、うなだれているアザエルと。普通の狼の何十倍の大きさはある獣がいた。
 アザエルの肩口に噛みつき、鋭い牙を喰い込ませている。血がしたたり落ち、地面が赤く染まっていた。驚きの表情で後ろを向き、歯を食いしばり悔し気に顔を歪ませる。

「ムエン、まずいだろうが、そいつを食えば栄養が手に入るかもしれねぇぞ」

 大きな狼姿のムエンは、噛みついているアザエルを呑み込もうと一度肩から口を離し、人を一人余裕で呑み込めそうな程大きな口を開いた。目の前に広がる口内、したたり落ちるよだれが地面を濡らす。
 
「ちっ!!!」

 噛みつかれた肩を支えながら、前方に跳び回避。膝を付き、後ろを振り向き狼姿のムエンを見上げた。

「いたた…………。悪魔が地面に潜んでいたとな。まさか、それを悟られぬよう。お主は我に話しかけていたと?」
「さぁね」
「やはり、手を抜いておるとこっちがやられてしまう。さすがに本気で殺してやろうぞ。死ぬのは、嫌じゃからのぉ」
「そうか、確かに死ぬのが怖いのはわかるぞ。俺も怖いからな。だから、こちらも本気で行く」

 言うと、合わせるようにムエンが噛みつこうと口を開き、黒く、異空間にでも続いているような口内が露わになる。アザエルは咄嗟に動こうとしたが、反応が遅れてしまい右腕を噛み千切られてしまう。大量な鮮血が暗闇に舞い、アザエルは苦痛で顔を歪めた。
 腕を噛み切ったムエンは口を動かしガリッ、ガリッと音を鳴らす。かみ砕いた腕を飲みこもうと顔を上に向けた時、ムエンに異変が起こった。

「ムエン!?」
「何が起きたんだ…………」

 暁音はムエンの唐突な異変に声を上げ、月海も眉を顰め何が起きたのか凝視する。

 二人の不安な声に気づかず、ムエンは咳き込むような苦しげな声を上げ続ける。痛みから逃げるように顔を大きく振り暴れ、よだれや血が口から飛び散っていた。重い音が響き、左右の建物に体をぶつけている。
 痛みや苦しみに耐えきる事が出来ず、とうとうムエンの身体が横に傾き、バタンと大きな音を鳴らし倒れてしまった。それと同時に金属が落ちたような、カランという音も月海の後ろで響く。

 大きな体は徐々に小さくなり、瞳を閉じた少年が体を丸め倒れている姿になった。肌が黒く染まり、痣のようになっている。その痣は、徐々に広がっていきムエンを包み込もうとしていた。もし、この痣が体に害をきたすものなら、ムエンの命が危ない。

 暁音はふらつく体にムチ打って、千鳥足でムエンに近付き手を伸ばす。そんな様子を後ろから月海は、苦い顔を浮かべながら冷静に口を開きアザエルに問いかけた。

「ムエンに何をした?」
「大したことはしておらん。少しばかり我の気を体内に充満させただけじゃよ」
「おめぇの、気?」

 肩眉を上げ、怪訝そうに月海が同じ言葉を返す。

「そうじゃ。ちなみに、人間が我の気を吸い込んだら一瞬で死ぬぞ」
「猛毒みたいなものか」
「簡単に言えばな」

 失った腕などどうとも思っていないような振る舞いをするアザエル。服に付着した血痕など気にせず、残った方の腕で体についた汚れを払う。手についてしまった血は舐めとり、月海を推し量るような瞳で見つめる。
 次の行動、思考。すべてに対し先手を取らなければと、アザエルは狙いを月海に定め、浅く息を吐く。手を横に垂らし、ゆらりと体の向きを変えた。

「さて、終止符殺しを打ちに行こうかのぉ」

 妖しく光る瞳に睨まれてもなお、月海は焦る事などはせず、ただただ見返し、次の行動に備えるだけだった。
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