若者は大家を目指す

大沢 雅紀

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不動産屋

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そして数十分後―
隣町にある不動産に電話をかけたところ、男性が出た。
「不動産の立ち退き交渉ですか……うーん」
男性の声は困惑しているようである。
「お願いします。もう落札してしまって、後には引けないんです」
新人の必死に訴える声を聞いて、男性は苦笑する。
「はい。わかりました。それではお話をお聞きしましょう」
「ほ、本当ですか? ありがとうございます! 」
やっと話を聞いてくれる不動尊屋を見つけることが出来て、新人は喜ぶ。
「では、所有権の書き換えが終わったらこちらに来てください」
「あ、それはもう済んでいるみたいです」
所有権が書き換わっているか確認するために、法務局で取ってきた登記簿謄本を確認する。
「そうですか。それでは資料をもってこちらにご来店ください。きっとお力になれると思います」
そりを聞いて勇気付けられた新人は、競売物件の資料一式をもって不動産屋に向かった。

隣町の不動産屋
「いらっしゃいませ」
決して大きくはないが、掃除が行き届いている小さな不動産屋に入る。
ウィンドウには多くの賃貸物件が貼り出されており、その一部には売買物件もあった。
新人が訪れたのは大手の業者ではなく、地元密着で長年やっている小規模の不動産屋だった。
いかにも『町の不動産屋さん』といった雰囲気が感じられる。
大手の綺麗なオフィスだったら萎縮するような気がしていた新人は、そのおだやかな雰囲気にほっとしていた。
「お電話された大矢さんですね。お待ちしておりました」
入ってきた新人を、電話で話した年配の男性がにこやかに迎えてくれる。
はるかに年が若い新人に対しても丁寧に接してくれて、新人は好感を持った。
「は、はい。よろしくお願いします」
一つ頭を下げて、新人はカウンターに座る。
「はい。どうぞ」
いかにもベテランといった感じのおばちゃんがお茶を持ってきてくれた。
「なるほど。確かに所有者はお客様になっていますね」
登記簿謄本の所有者の名前と免許証を照らし合わせて確認をする。
「それではお話を聞きますが、どういったことでしょうか?」
「実はですね……」
新人は担当の男性に、今までの経緯を話す。
その話を聞いた男性は、感心したような、呆れたような顔をしていた。
「なるほど……競売物件を手に入れて、大家になりたいと」
「ええ。色々考えたけど、俺の頭じゃこれ以外の方法がなくて……」
必死に顔をする新人に、男性は微笑みかける。
「いや、若いのにしっかりとした考えをされています。確かに、株や変な金融商品に手を出すより、実際に『家』というモノを手に入れられるわけですから、確実ともいえますね」
「そ、そうですか?」
今までに人に褒められた事があまりない新人は、それを聞いて照れる。
「ですが、競売に手を出す前に、入居者の退去をどうするかについて、もう少し調べたほうが良かったかもしれませんね。不動産業者の中には、わざと入居者とグルになって素人の落札者に多額の立ち退き料を請求する悪い業者もいますからね」
お茶を飲みながら、穏やかに不安になる事を言う。
「そ、そんなのもいるんだ……それで、手数料はいくら必要でしょうか? 」? 」
新人は不動産屋など初めてなので、緊張していた。

その様子をもみて不動産屋は安心させるように笑い、説明を始める。
「ははは、あくまでそんな例もあるということだけですよ。ご安心ください。私どもは、営業エリアにある物件なら、立ち退き交渉などにかかる手数料はいただいていません」
「え、それじゃ不動産屋さんの儲けがないんじゃ……?」
通常、不動産屋に立ち退き交渉を頼むと、それなりの手数料が必要であるとネットで知ったので、おそるおそる聞く。
「もちろん、私どもも商売ですので、他のお仕事で儲けさせていただきます」
担当の男性はニヤッっと笑い、話を続ける。
「写真で見た限り、この物件を賃貸に出そうと思うと、だいぶリフォームが必要ですね。当社ではリフォームも請け負っていますので、お任せていただけませんでしょうか? 」
競売資料をめくりながら説明する。
「は、はあ。お願いします」
もはや新人にとって、頼れる相手は彼しかいない。嫌も応もなかった。
「そして、賃貸募集は当社専属で行わせてもらってよろしいですか?」
「もちろんです」
こうやったらすべてを頼むしかない。こうして、賃貸募集とリフォームを任せることにした。
「ありがとうございます。それでは、誠心誠意交渉に当たらせていただきます」
短刀の男性が頭を下げる。
なし崩しに物事が決まっていくが、新人の不安はなかなか解消されなかった。

「あの、それで……本当に出て行ってもらえるのでしょうか?」
新人の不安そうな顔を見ながら、男性はゆっくりと説明を続ける。
「我々もこういった競売物件を取り扱ったことはありますが、大体のところはスムーズに話がつきますよ。競売にかけられることは元の所有者の方も理解されていますので、家を出て行く手はずをする時間的余裕はありますから」
「そ、そうですか……」
それを聞いて新人は少し安心する。
「ただ……所有者に連絡がつかないケースや、モノが大量に残されているケースは厄介なのです。
相手がいないと交渉ができませんし、モノの所有権は元の持ち主にありますから、勝手に動かすことができません」
それを聞いて新人はまた不安になる。
「そ、それじゃ……もしかしてすでに退去していて、物がたくさん残っていたら……」
「ええ。お気の毒ですが、『強制執行』を裁判所に申して立てて、荷物を運び出してもらうしかありませんね。残った物に対しては落札者は何の権利もないので処分できないのです」
「やっぱり……」
新人はまた不安になってしまう。
「今回の物件にはまだ入居者がいるんですよね?」
「は、はい。それは確認しています」
新人は物件を落札してから、毎日のように見に行っていた。
ベランダには洗濯物が広がり、駐車場には軽自動車がとまり、そして夜になったら電気がつく。
何者かが家に住んでいるのは確実である。
「それでしたら、交渉できるので、トラブルになる確率は低いと思いますよ。まあ、ここで話していても始まりません。私どもが訪問して、入居者と話をしてみましょう。それから、出て行く代わりに引越し代を要求されることがあります。本来は払う必要はないのですが、居座られてゴネられるよりは払ったほうがいいでしょう。その点だけはご了承ください」
「ああ、やっぱり引越し費用がかかるんですね……」
新人はよけいな出費がかかるとおもって、肩を落とすが、仕方がないと諦める。
居座られたり、荷物を置き去りにして逃げられたら、新たに裁判所に強制執行の手続きをとらないといけない。そうすると数十万の費用と時間がかかるからである。
「それでは、物件の交渉を、私どもに委託されたという委任状をいただけますでしょうか?」
「わかりました。お願いします」
新人は委任状を書き、不動産屋に交渉を依頼するのだった。


二日後、不動産屋から連絡が入る。
「大矢さん。例の物件に訪問したところ、前の所有者の方がおられました。老夫婦の二人家族でしたよ」
「そうですか……それで?」
新人はドキドキしながら、交渉結果を聞く。
「お話をした所、半年前に裁判所から競売にかけられる通知が届いたときから、覚悟はされていたようです。出て行かれるための準備もされていたようで、家には家具などもあまり残ってはいませんでした」
「本当ですか? よかった……」
それを聞いて、新人は心の底からほっとする。
「実は訪問した時には、最後に残った荷物を取りにこられていたみたいでした。これから市営住宅に入られるそうです」
「よ、よかった。それで……引越し代のほうは……? 」
新人がおそるおそる聞くと、不動産屋は笑い出した。
「ふふ。それが……引越し代は必要ないみたいですよ」
「え? なんで? 」
出費を覚悟していたところにいらないといわれて、キョトンとなる。
「ああ、なんでもこれから生活保護を受けられるそうなので、市が引越し代を持ってくれたみたいですね。自己破産して借金もなくなったし、生活の不安もなくなった。これから第二の人生を夫婦で楽しむといって、笑って出て行かれましたよ」
「はぁ……よかった」
それを聞いて新人の体から力が抜ける。
新人が一番心配していたことは、何の問題もなくあっさり解決してしまったのだった。
「こんなにスムーズに行く例は珍しいんですけどね。ただ……実は、他の面でかなりの問題がありました」
「も、問題って?」
立ち退き問題が解決した直後にそういわれて、新人は再び緊張する。
「それは実際にご覧になられたほうが、納得されるとおもいます。鍵を受け取っていますので、今から見にこられますか 」
「は、はい。今すぐいきます」
新人はう不安と期待で混乱しながらも、晴れて自分のものになった物件に向かうのだった。

新人が落札した一軒家
そこでは、担当の不動産屋が待っていた。
「大矢さん。来るの早いですね」
新人を見た不動産屋が明るく笑う。
「も、問題があると聞いて、いてもたってもいられなくなって……」
焦ったようすの新人に、不動産屋は苦笑した。
「言い方が悪かったですね。ある意味当然というか、想定内というか……まあ、とにかく入ってみましょう」
そういって、不動産屋が玄関の開き戸に鍵を差し込む。
そのまま回してあけようとしたら……動かなかった。
「え? なんで……?」
「引き戸の下のコマが壊れているようですね。まずここを交換しないと、スムーズに動きません」
最初の一歩目からこの有様である。さすが100万円台の家だった。
気を取り直して、なんとか扉を持ち上げて玄関を開ける。
「うっ……」
最初に目に入ったのは、細かい傷が無数に入った玄関の上がり口だった。
昨日まで人が住んでいたのでホコリとかはなかったが、なかなか年季が入った玄関である。
建てられて30年は経過しているだろう床はも、少し黒ずんでいて傷だらけだった。
「ま、まあ……この程度は……」
「そうですよ。玄関は比較的綺麗なほうですね」
「これで……?」
中に入るのが恐ろしくなってくる。
「それじゃ、家を見て回りましょう」
こうして、新人の屋内探検が始まった。

「それでは、まずはトイレから見てみましょうか」
玄関の脇にあるドアを開ける。
すると、普通の洋式トイレがあった。
「あれ? 意外と綺麗ですね」
「ええ、ウォッシュレット付で水も流れますね」
トイレは何の問題もないらしい。
「あの、『問題』って?」
「はい、それではこちらに……」
不動産屋の案内に従い、六畳ぐらいの台所に通じる扉を開ける。
新人は一歩踏み出そうとして……できなかった。
「こ、これは……」
一目見ただけで『問題』が分かる。
台所の床は全体的に腐ってぶかぶかで、ところどころ崩れ落ちている所もあった。
競売にかけられているときに公表されていた内部写真よりもひどい。
「どうやら、湿気と老朽化で、とうとう床が抜けたみたいですね」
不動産屋は淡々とコメントする。
新人はその惨状をみて、一気に不安になっていった。
「ほ、本当に直るんでしょうか?」
思わず聞いてみるが、不動産屋は平然としていた。
「まあ、大丈夫でしょう。床を前面張替えをして、ビニールクロスで張れば綺麗になりますよ。それに、このキッチンも代えなければなりませんね」
「い、一体いくらぐらいかかるんでしょうか?」
家のリフォームについて何も知らないので、何百万もかかってしまうかもしれないと思う。
「まあ、賃貸物件向けにリフォームする場合、そこまで高級な素材にする必要はないですから、あまり高くはならないと思いますが……とりあえず、一回りしてみましょう」
不動産屋は次に風呂場に案内する。
ここもあまり綺麗とはいえなかった。
「この洗面台って、大昔のタイプじゃ?それに、なんか変な穴が開いているし……」
脱衣所は一応あったが、洗濯機を置く場所もない。


「それに……風呂場もなぁ……」
お風呂場は昔懐かしい全アルミ製の風呂で、タイルの一部が割れている。おまけにシャワーもついていなかった。
さらに問題なのは、長い間使用していたせいか、天井はくすんでカビだらけである。
次々と直さないといけないところが見つかって、新人は気落ちする。
「まあ、この程度ならすぐ直りますよ。天井は外壁と一緒に吹きつけすれば綺麗になるでしょう」
不動産屋は慣れているのか、実に冷静だった。
新人のテンションはだんだん落ちてきているが、他にも確認しなければならない。
気を取り直して、他の部屋にいく。
一階には台所のほかにも六畳の客間があって、そこの障子はやぶれほうだい、古いエアコンは半分壁から落ちかけていた。
「ここは畳の表層がえをして、障子を張り替えて、エアコンは撤去しましょう」
「……お任せします」
もはや素人の新人は、任せるほかはない。
「では、次に二階に行ってみましょう。ですが、階段に気をつけてください」
不動産屋の言うとおり、二階へ続く階段を上っていくと、ギシギシときしむ。
「これって……危ないんじゃ?」
「おそらく、階段を支える板のどこかが割れていると思うので、後でみておきましょう」
「はい……」
どんよりとした気持ちで二階に上がると、そこには洋室六畳間と、ふすまで仕切られている四畳半と六畳の和室があった。
「二階はそれほど荒れてないな……」
部屋の様子を確認してほっとする。ふすまが破れている程度で、天井に染みもなく、どこにも雨漏りもしてないようだった。
なんとか今でも住めるような状態である。
「なるほど……大体わかりました。最低でも外壁の塗装と台所の床、お風呂場の修理は必要ですね。後でリフォームがどれくらいになるか、見積もりをしましょう」
「……なるべく安くお願いします。その、あんまりお金がないので、賃貸に出せる最小限のリフォームでお願いします」
情けない顔で頼む新人に、不動産屋は笑顔を見せる。
「承りました。まあ、それほど高い値段にはならないと思いますよ。100万円台の物件と聞いて、もっとひどいものかと思っていました。これならリフォームすれば借りたいという人もいるでしょう」
新人を安心させるように言う。
この不動産屋は誠実で信頼できそうだったので、すべてを任せる事にするのだった。
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