若者は大家を目指す

大沢 雅紀

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二軒目

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それから一ヵ月後、競売の開札結果を見た新人は絶句する。
「なんで俺が目を付けた物件って、よく売れ残るんだよ」
一人で愚痴ってしまう。結果は「不買」となっており、一人も入札者が居なかった。
「また特別売却かよ……入札しておけばよかった」
迷ったらともかくも買受可能価格で入札しておけばいいだけだったのに、チャンスを逃してしまったのだ。
「……しかたない。特別売却に参加するか……」
一ヵ月後、目を付けたマンションの特別売却が起こる。
今度は最初から自分以外にももう一人入札者が居て、二人の間で競売が行われることになった。
「それでは発表します。今回の落札価格は520万円で、大矢様に落札されました」
裁判所の職員が改札結果を読み上げると、新人の競争相手の男が悔しそうな顔をする。
しかし、新人の顔にも喜びはなく、渋い顔をしていた。
「最初から競売に参加していれば、買受可能価格で手に入れられていたのに……」
面倒に思って見送った結果、100万円も高い値段で落札する事になってしまったのである。
「……まあ、済んだことはいいか。また不動産屋に頼んでみよう」
こうして、二つ目の物件ほ手に入れることになったのであった。

例の不動産屋に連絡して代理交渉をしてもらったが、前回のようにすんなりとは行かなかった。
「入居者の方とお話が出来ました。例によって市営住宅に移ることを希望されてますが、今月いっぱいは残りたいそうです」
「ああ、それくらいならいいですよ」
多少引き渡し時期が遅れる事ぐらいなら、問題はない。
しかし、今回はそれだけでは済まなかった。
「あと、引越し代として15万円ほど要求されています」
「やっぱり必要なのか……」
前回のように、立ち退き料も要求せずに出て行くというのはまれなケースになる。
やはり、家を取られて出て行くなら、少しはお金を貰いたいという人が多数派であった。
「まあ、仕方ないですね……」
新人はしぶしぶながら、立ち退き料を払う事に同意した。
ここで話がこじれて、居座られたら強制執行するしかなくなり、そうなるとまた別途費用に数十万かかるのである。
マンションに住んでいた家族は、不動産屋を通じて立ち退き料も受け取り、おとなしく出て行った。
そして立ち退き後、鍵を受け取って室内に入ったのだが……
「なんじゃこれ? 」
一目みるなり、室内の参上に驚いてしまう。
ほとんどの家具がそのまま残っていたのであった。
「どうやら最低限必要なものだけ持って引越しされたみたいですね」
不動産屋が冷静に説明する。
「そ、そんな……たしか、私のものになるのは家だけで、中にある荷物には手をだせないんですよね。下手に処分したら問題になるんじゃ……」
思わず動揺してしまう新人だったが、不動産屋はもちろんその事についても上手く処理してくれていた。
「その点は大丈夫ですよ。引越し代と引き換えに書いてもらった立ち退き同意書に、残存物について自由に処分することを同意する文言も入っていますから。残された家具やその他の荷物は、遺棄されたものということになります」
「ほ、本当ですか? よかった……」
ほっと胸をなでおろす新人だったが、不動産屋は続けていった。
「ただ、ゴミの処分にもお金がかかりますね」
「はい……」
また余計なお金がかかってしまう新人だった。
「リフォームの見積もりですが……まず家具を処分してからじゃないと細かいところがよくわかりませんね。まずその手配をしましょう」
「お願いします……」
もはや、全てを任せるしかなかった。

数日後、不動産屋が手配した廃品回収の業者がやってくる。
「これは……多いな」
やってきたおっさんたちも、室内のゴミ屋敷のような惨状に絶句する。
それほど広くもない3LDKのマンションだったが、すべての部屋の中にはタンスやベッド、ゴミなどが散乱してした。
「……競売物件の資料にあった写真じゃ、綺麗だったのに……」
「住宅ローンなどの支払いが滞って、実際に競売にかけられるまでには時間がありますからね。おそらく、裁判所の職員が来て写真を撮っていった後、家族の間でもめて、生活が荒れたのでしょう。小さいお子さんが居る家庭でしたよ。これからどんな生活をされるのでしょうね……」
不動産屋が物悲しい顔で語る。
荒れた部屋からは元の所有者の悲哀が伝わってくるようだった。
「うーん。競売物件一つをとっても、それぞれドラマがあるなあ……」
前の家の元所有者みたいに、ローンがなくなってせいせいして家を出て行くものもあれば、イチからやり直しになって悲嘆にくれて出て行く者もいる。
新人がそれぞれの家族について考えていると、おっさん達から声をかけられた。
「兄ちゃん。そこにいると邪魔だぜ」
リビングに立って一人物思いにふける新人を迷惑そうな目で見ていた。
「あ、すいません。手伝いましょうか?」
「いいよ。かえって邪魔になるから、おとなしくしていてくれ」
清掃業者のおっさんはそういいながら、実に手際よくゴミを処分していく。
あっという間に細かいゴミは片付けられ、大物の家具が残された。
「これって、まだ使えると思いますが、処分していいんですかい? 」
立派な食器棚をみて、業者が惜しそうな顔をして、新人に聞いてくる。
確かにまだ新しくて、捨てるにはもったいなかった。
しかし、新人は首を振る。
「いや、いいですよ。全部持っていってください」
新人はそう指示して運んでもらった。
他にも広いダブルベッドやリビングのテーブル、パソコンなどもすべて処分してもらう。
「まだ使える家具は、リサイクル業者に売るという方法もあったんですがね」
「いいんですよ。全部持っていってもらいましょう」
不動産屋の言葉に、新人は笑って答えた。下手に売り飛ばして、もし元の所有者から苦情が来てトラブルになるようなことがあったら、また面倒である。
かといって自分の家に運んで使うというのも、元の所有者が破産していることを知っているので、どこか因縁がついているような気がして気持ちが悪い。
ここは変な欲を出さず、まだ使える家具なども全部捨てようと決めていた。

数時間後、家具が全部運び出され、すっからかんになった部屋が姿を現す。
「……思ったよりきれいだな」
広くなったリビングを見て、新人はそんな感想を漏らす。
何もなくなったからか、広々として開放感があふれていた。
この物件はマンションの一階で、リビングに直接接している専用庭があり、大きなガラスの引き戸を通して太陽の光がリ部屋を明るく照らしていた。
庭に出てみると、充分に広いスペースがあり、下段には花が植えられていた。
「まあまあかな? 庭もそんなに荒れてないし……駐車2台分のスペースが充分にあるし」
そんな事を思いながらふと足元を見ると、何かが目に入った。
「これは……」
庭にあったのは、半分埋まった子供用のビニールのボールだった。
「入居者には子供がいたって聞いたけど、この庭で遊んでいたんだろうな。まさか家を取られて出て行くことになるなんて思いもせずに、無邪気に遊んでいたんだろうな……」
出て行った家族の事を思うと、何とも言えない気分になる。
「考えてみたら、このマンションって売り出された時は2500万位していたんだよな。それに、子供の頃はここの敷地は空き地で、よく幼馴染と遊んでいたっけ……」
ここの敷地は、子供時代は新人の遊び場になっていて、幼馴染と野球をしていた覚えがある。
それがある日いきなり締め出され、あっという間にマンションができて悔しい思いをしたものだった。
「建ったときはぴかぴかの新築で、結構綺麗だったよな。新しく住人になった人たちも、みんな裕福そうな家族ばかりだったのに……今ではたった500万円か……」
時代の移り変わりを実感してしまう。
この世で、マンションほど値下がりが激しいものは他にはない。
新築マンションでも、引越しの荷物を運び入れた瞬間に三割安くなるといわれているのである。
「まあ、もう築20年は過ぎているんだから、ここからの値下がりはそんなにしないだろう」
値下がり率は新築直後の数年が一番激しく、年数が経つにつれて低くなっていく。
ただし、その代わり建物が劣化していくので、管理費と修繕積立金が上がっていくのである。
「……やっぱり、マンションは『資産』じゃないな。持っているだけで管理費がかかるし」
そこまで分かっていながら今回新人がこの物件を手に入れたのは、長く所有するつもりがなかったためである。
今回新人が狙っているのは、人に貸して家賃を貰う事ではなかった。
「不動産の物件としては、なぜかマンションのほうが一戸建てより売りやすいんだよな。ここをきれいにして、さっさと売り飛ばそう」
新人が考えているのは、いわゆる「土地ころがし」である。競売で安く手に入れて、リフォームしてから短期で売りさばいて利益を上げようという考えだった。
「これが上手くいったら……濡れ手に粟で大もうけだ」
虫がいいことを考えている新人だったが、当然のごとくそんなに上手くいくわけはないのだった。

「さて、それじゃゆっくり見て回ろうか」
とりあえず、リビングは17畳ほどの広さで、日当たりも良い。
キッチンも狭いながらも一応の機能はついている。
「和室も……綺麗だな。畳の表層替えだけすれば新築みたいになるか」
リビングとつながっている六畳の和室も、特に問題がなさそうだった。
「廊下も、別におかしな所はないな。トイレも壊れていないし、風呂も綺麗だ。クリーニングだけで充分だな……」
確認しながら部屋の奥に入る。リビングからは一直線に廊下が伸びており、左に六畳の洋室、右に五畳の洋室があった。
「ここは子供の寝室だった所かな? 」
クリー色のドアを開けて、先に右の洋室に入る。
備え付けのクローゼットとちょっと汚れたカーペットが敷いていた。
かすかにカビ臭い匂いがただよっている。
「ちょっと暗いし、この匂いはなんでだろう。……ああ、通気性が悪いのか」
部屋の構造上、窓が一箇所しかなく、しかもマンションの内側通路についていた。
リビングに比べて密閉された空間になっている。
「まあ、これらいじゃ特に問題はないだろうな。汚れたカーペットを替えればいいか」
設置されているちょっと古いエアコンも、問題なく作動した。
一回り確認した後、今度は反対側の部屋に入った。
「ここは元夫婦の寝室だったのかな? 失礼しまーす」
重厚なドアをあけて、一歩部屋に入る。
「OH! My GOD! 」
その瞬間、新人は叫び声をあげて床に崩れ落ちた。
「な……なんなんだよ……これって……」
部屋の惨状を見て、新人はつぶやく。
なかなか競売物件とは、一筋縄ではいかないのであった。
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