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第一章 誰が駒鳥を隠したか
【002】灰髪の男
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カサンドラは調理用の乳鉢で、煎った松の実に刻んだニンニクとバジル、粉にしたチーズと塩に、どこからともなく取り出したとっておきの黒胡椒を加えて潰す。それにオリーブオイルを混ぜれば、ピタサンドに使うジェノバソースが完成する。こうして多めに作ったソースは、今夜にでも手打ちパスタに和えて食べる予定だ。
なお、とっておきの黒胡椒は、本業にまつわる秘密の相談を貴族男性にされた際、奥方に愛人関係だと勘違いをされて修羅場に巻き込まれた迷惑料兼、相談の報酬として貰ったものである。
破格の報酬となったが、あまりにもくだらない騒動なため、口止め料も兼ねていると思われる。幸い大事に至る前に奥方の誤解は解けたのだが、あのまま拗れてしまったのならば、真偽を見抜く魔法を持つ師匠を呼ばなければならないと覚悟した事件だった。
カサンドラが生きるこの世界は、かつて生きていた世界に比べれば流通網がまだまだ細く脆い。
複数の国をまたぐ大運河を用いた水運が発達しているとはいえ、遠い国でしか生産できない黒胡椒は、黄金に匹敵するとまで言わずとも高級品。ちなみに、オリーブオイルも輸入品。
大変なことも多いが、ある程度なら食事に凝ることも出来る。魔女という立場がもたらす利によってそこまで腐らずにいられるのは有り難いことである。
そんなことを考えながら、打ち粉をした作業台に寝かせておいた生地を置き、麺棒で伸ばす。何度か畳み直した後、いくつかに分け整形していざ焼くかという段階で、敷地の出入口に設置してある呼び鈴――カウベルが複数連なった、手作りのもの――が、けたたましい音を立てる。
「………………まだ、早くない?」
カサンドラの師とも付き合いが長い担当監査官は、既にいい年齢である。馬にはまだ乗れるが、そろそろ足がキツいとぼやいていた。
ただ面会するだけなので急ぐ必要のある仕事ではなく、いつも通りならのんびりと馬で移動してくるため、到着はもう少し遅いはず。
もしかしたら、急用を携えた村人が訪ねてきたのかもしれないと、手を洗ったカサンドラは急ぎ外へと足を向けた。
「ごめんくださーい、アンブロ役所の者ですー!」
外へ出れば、夏の日差しが庭のあちこちに濃い影を落としている。
敷地の入口に立ち、隣町から来た公務官だと声を張り上げていたのは、若い男。
少しうねりのあるアッシュブロンドに、優しい印象の淡い黄色の瞳。けれど、何よりも印象に残るのは、顔の上半分に鎮座するガラスレンズの眼鏡。
ひょろりとした長身が纏うのは、装飾の少ない堅実なデザインの制服。役所の役人の場合、上着は指定のデザインのものを自ら用意するのだが、彼のそれは仕立ての良さが感じられるもので、「若い役人」というイメージに安心感を加えてくるものだ。
「やだ、今日はずいぶん早いじゃない……ねぇ、ロモ爺、若返った?」
「ロモ……? ええと、パーモントさんは今朝に腰を痛めてしまったようでして。私はアーサー・ベルと申します」
「あらまぁ、それは大変……」
思いもよらぬ訪問者に動揺し、カサンドラはついうっかりどうでもいい冗談を飛ばした――ように見せかけて、本当に役所の人間なのかの鎌をかけた。魔女とは利用のし甲斐がある存在であるため、気を抜いてはならない部分だと真っ先に師から教え込まれた部分だ。
なお、パーモントとは担当監査官の名であり、カサンドラは親しみを込めてパム爺と呼んでいる。よって「ロモ爺」という呼び名を肯定されたら、まず偽物を疑わねばならないところだった。足腰に限界を感じていると零していたのも確かなので、不在理由に納得してもいいのかもしれない。痛めてしまったという腰の様子は気になるところだが。
しかし、そんなパム爺の代わりに訪れたのは、魔女に緊張することなく朗らかに笑いかけてくるアーサーという男。その表情の上で主張するガラスレンズは高級品で、眼鏡にできるほどの加工を施されたものを身につけられるのは、貴族かそれに近い階級の者だろう。カサンドラは、相手取るには少し厄介そうだという感想を抱く。
「ところで……神託の魔女カサンドラ様でいらっしゃいますか?」
「まぁ、驚いてしまって……ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません、私がカサンドラです。……あの、魔女とはいえ平民ですので、どうぞ楽にしてください」
「そうですか? わかりました。カサンドラさんも気楽に……おれも平民なので」
「(眼鏡なんて高級品をかけている平民の公務官――どう考えても上澄み中の上澄みの名家出身じゃないの。面倒!)」
身分を想定した警戒を読み取られてしまっていたのだろう。心底申し訳無さそうに自らの階級を明かすアーサーに、カサンドラは笑顔を返しながらその下で愚痴を吐いた。
貴族階級を含め、上の階級の人間との付き合いはメリットも得られるが、対処に困るトラブルへ巻き込まれる確率も上がるのだ。覚悟もなく顔を合わせることになった彼との出会いがどちらに転ぶかなんて、今現在に考えても仕方ないことを、カサンドラはつい考えてしまった。
上の階級の人間になるほど、自らが欲するものを我が物にするための手段が、回避の難しいえげつない案件になってくるもの。
巧みに追い込まれ、表面上穏便に選択肢を潰された魔女が自らの意思で服従を選ぶのなら、神の言葉に反しない……と判断されるからだ。
だからこそ、カサンドラの秘密は守り通さねばならない。もちろん、目の前で如何にも人の善さが滲み出たような笑顔を浮かべる公務官にだって。
――魔女が、本当は「神託」などという大層な魔法を扱えないということを。
なお、とっておきの黒胡椒は、本業にまつわる秘密の相談を貴族男性にされた際、奥方に愛人関係だと勘違いをされて修羅場に巻き込まれた迷惑料兼、相談の報酬として貰ったものである。
破格の報酬となったが、あまりにもくだらない騒動なため、口止め料も兼ねていると思われる。幸い大事に至る前に奥方の誤解は解けたのだが、あのまま拗れてしまったのならば、真偽を見抜く魔法を持つ師匠を呼ばなければならないと覚悟した事件だった。
カサンドラが生きるこの世界は、かつて生きていた世界に比べれば流通網がまだまだ細く脆い。
複数の国をまたぐ大運河を用いた水運が発達しているとはいえ、遠い国でしか生産できない黒胡椒は、黄金に匹敵するとまで言わずとも高級品。ちなみに、オリーブオイルも輸入品。
大変なことも多いが、ある程度なら食事に凝ることも出来る。魔女という立場がもたらす利によってそこまで腐らずにいられるのは有り難いことである。
そんなことを考えながら、打ち粉をした作業台に寝かせておいた生地を置き、麺棒で伸ばす。何度か畳み直した後、いくつかに分け整形していざ焼くかという段階で、敷地の出入口に設置してある呼び鈴――カウベルが複数連なった、手作りのもの――が、けたたましい音を立てる。
「………………まだ、早くない?」
カサンドラの師とも付き合いが長い担当監査官は、既にいい年齢である。馬にはまだ乗れるが、そろそろ足がキツいとぼやいていた。
ただ面会するだけなので急ぐ必要のある仕事ではなく、いつも通りならのんびりと馬で移動してくるため、到着はもう少し遅いはず。
もしかしたら、急用を携えた村人が訪ねてきたのかもしれないと、手を洗ったカサンドラは急ぎ外へと足を向けた。
「ごめんくださーい、アンブロ役所の者ですー!」
外へ出れば、夏の日差しが庭のあちこちに濃い影を落としている。
敷地の入口に立ち、隣町から来た公務官だと声を張り上げていたのは、若い男。
少しうねりのあるアッシュブロンドに、優しい印象の淡い黄色の瞳。けれど、何よりも印象に残るのは、顔の上半分に鎮座するガラスレンズの眼鏡。
ひょろりとした長身が纏うのは、装飾の少ない堅実なデザインの制服。役所の役人の場合、上着は指定のデザインのものを自ら用意するのだが、彼のそれは仕立ての良さが感じられるもので、「若い役人」というイメージに安心感を加えてくるものだ。
「やだ、今日はずいぶん早いじゃない……ねぇ、ロモ爺、若返った?」
「ロモ……? ええと、パーモントさんは今朝に腰を痛めてしまったようでして。私はアーサー・ベルと申します」
「あらまぁ、それは大変……」
思いもよらぬ訪問者に動揺し、カサンドラはついうっかりどうでもいい冗談を飛ばした――ように見せかけて、本当に役所の人間なのかの鎌をかけた。魔女とは利用のし甲斐がある存在であるため、気を抜いてはならない部分だと真っ先に師から教え込まれた部分だ。
なお、パーモントとは担当監査官の名であり、カサンドラは親しみを込めてパム爺と呼んでいる。よって「ロモ爺」という呼び名を肯定されたら、まず偽物を疑わねばならないところだった。足腰に限界を感じていると零していたのも確かなので、不在理由に納得してもいいのかもしれない。痛めてしまったという腰の様子は気になるところだが。
しかし、そんなパム爺の代わりに訪れたのは、魔女に緊張することなく朗らかに笑いかけてくるアーサーという男。その表情の上で主張するガラスレンズは高級品で、眼鏡にできるほどの加工を施されたものを身につけられるのは、貴族かそれに近い階級の者だろう。カサンドラは、相手取るには少し厄介そうだという感想を抱く。
「ところで……神託の魔女カサンドラ様でいらっしゃいますか?」
「まぁ、驚いてしまって……ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません、私がカサンドラです。……あの、魔女とはいえ平民ですので、どうぞ楽にしてください」
「そうですか? わかりました。カサンドラさんも気楽に……おれも平民なので」
「(眼鏡なんて高級品をかけている平民の公務官――どう考えても上澄み中の上澄みの名家出身じゃないの。面倒!)」
身分を想定した警戒を読み取られてしまっていたのだろう。心底申し訳無さそうに自らの階級を明かすアーサーに、カサンドラは笑顔を返しながらその下で愚痴を吐いた。
貴族階級を含め、上の階級の人間との付き合いはメリットも得られるが、対処に困るトラブルへ巻き込まれる確率も上がるのだ。覚悟もなく顔を合わせることになった彼との出会いがどちらに転ぶかなんて、今現在に考えても仕方ないことを、カサンドラはつい考えてしまった。
上の階級の人間になるほど、自らが欲するものを我が物にするための手段が、回避の難しいえげつない案件になってくるもの。
巧みに追い込まれ、表面上穏便に選択肢を潰された魔女が自らの意思で服従を選ぶのなら、神の言葉に反しない……と判断されるからだ。
だからこそ、カサンドラの秘密は守り通さねばならない。もちろん、目の前で如何にも人の善さが滲み出たような笑顔を浮かべる公務官にだって。
――魔女が、本当は「神託」などという大層な魔法を扱えないということを。
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