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六 この占いを食らえ

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 リューダは風邪で寝込んでいるというわけでもなさそうだった。教室に入ると、彼女は楽しそうに友人とくつろいでいたからだ。あたしはさっそくリューダに、朝来た少女のことを聞くことにした。
 あたしが話しかけようとすると、リューダの周りにいる女の子たちがくすくすとさざ波のように笑った。
「おはよう、リューダ。今日は、お花の交換にこなかったね」
 ほんの話の穂口のつもりで言っただけなのに、あたしが喋ったとたん、女の子たちがわと大きな声で笑い始めた。リューダは輪の真ん中で背中を丸め、いつもよりもっとちびになっている。
「あれ、どうした?何か来れない特別な事情があったの?」
 リューダは縮こまるばかりで、あたしに返答する気はないらしい。それでもあたしは聞きたいことがあるので、とりあえず周囲の笑いがひと段落するまで待つことにした。やがて、ミィという子が代わりに答えた。
「特別な事情と言えば、そうね」
 ミィは気の強そうな女の子だ。素敵なオレンジ色の髪の毛と、そばかすだらけの肌をしている。あたしは、彼女のすばしっこいところが、故郷に残る妹に似ていると思った。妹もこの子たちの年になったら、ミィのようにおしゃまになるだろう。どの子もまだ幼さの残る頬をしていて、この頬を見るとあたしは妹の寝床にもぐりこんで毎朝頬ずりをしていたのを思い出す。
「へえ、そうなの?今日は違う人が来てくれたんだよ。それでね、その子のことなんだけど」
「そして、その特別な事情は、明日も続くわ」
 あたしの言葉をさえぎって、ミィは言う。そうするとまた周囲の子たちが湧きたって、わぁわぁとなる。あたしはいつまでたっても肝心のところが聞けない。
「えっと、でさぁ、リューダ」
 敢えてリューダを名指して問いかけているのに、このミィはリューダを後ろに押し込めるようにして、自身がしゃしゃり出てくる。
「もう、金輪際、あなたのところにはいかないんですって」
 ちょっと、言い過ぎよぅ、なんて、誰かが笑いながらたしなめている。いったい、何だというのだ。要領を得なくてもどかしいし、彼女たちの言い方も、あんまり嬉しくない。
「なんだよ。はっきりいいなよ。どういうこと」
 たとえ幼子相手とはいえ、抑制された学院生活で、あたしの沸点も低くなっている。君ら、この眠れる龍にうかつなことは言いなさんなよ、とあたしは睨みに力を込めた。しかし、幼子たちは内輪で盛り上がってすっかり有頂天になっているみたいで、通じないようだ。
「彼女、あなたのお部屋が臭くて汚くって怖いから、もう行きたくないって、園芸部の部長にお伝えしたのよ」
 おーほほ、なんて子供のくせにおばさんのように笑い声をあげている。なんだ。こっちだっておーほほだわ。この子たち、勉強はできるくせにやっぱりなんだか話題が幼いわ。なんでもないことで笑ってら。
「なーんだ、先週のこと?そうだよね、リューダ?」
 つまりはこういうことだ。あたしは自分のベッドの下でカブトムシの幼虫を飼っている。本当はカエルを飼育したいが、クセニアが大のカエル嫌いなのと、飼育に使う水も結構臭うことがあるので、遠慮している。その代わり、ぴょんぴょん逃げる心配も、発するにおいも、ほぼ心配しなくていいカブトムシを飼っているのだ。
 ところが、先週の夜、よっぱらって帰ってきたクセニアが、間違えてあたしのベッドにもぐりこみ、「おっと間違えたわ」なんて言ってよろよろ自分のベッドに戻る際、あたしの大切な虫かごを蹴っ飛ばしたのだ。
 あたしは急いで散らばった土と幼虫たちを箱に戻したが、その間もクセニアはあっちいっちゃひょろひょろ、こっちきちゃよろよろ、と部屋の中をしっちゃかめっちゃかにしようとする。あんまり物音がひどいと寮監が部屋に乗り込んでくるので、あたしはクセニアを支えたり、例の馬の置物やらランプやらを支えたりで、天手古舞だった。幼虫の数をきちんと確認しきれていなかった。
 リューダが来たのはその翌朝だったのだ。そうしてずいぶん緊張したような足取りで、よちよちと花を交換していった。あたしは掃除しながら、部屋が散らかっていることを謝罪したのだが、実際、ひどいありさまだった。昨晩ざっとは片付けたものの、陽の光の元で見ると、床は細かい土の粒子がたくさん残っていた。さらには、昨夜の天手古舞の中、あたしは幼虫の数を数え間違えるという痛恨のミスをおかし、なむさん、一匹、哀れな幼虫が踏みつぶされていた。踏みつぶしたのがクセニアなのかあたしなのかはわからない。あたしはあえてスリッパの底を確認せず、二人分のスリッパを洗濯したから。
 幼虫の死骸(これがまた、二番目に大きく育っていたカブトムシだったのだ)はべたべたしているし、発酵させた栄養土のにおいもずいぶんこもっていた。そのことを言っているのだろう。花は好きだけど、虫は苦手な子なのだ。
「そんなんじゃなくて、もうずっと前から、リューダはあなたの部屋が嫌だったんですって。あなたのどこから来たのかわからない顔つきとか、粗末な服とか」
 今度はミィでなくて他の子がそう言ってきた。入学してこの方、なんとなく笑われたり、こそこそと馬鹿にされたりすることはあったが、こうもあからさまに非難されるのは初めてだ。あたしの顔や服ですか。それを言われちゃおしまいだよ。
 この国は移民が多く、いろんな人種がいる。この国に昔からいるのはクセニアのような、薄桃色に色づく白い肌、金色の髪を持ち、目が大きく鼻も高い人々だが、それ以外にも、肌色や髪色の異なる、様々な風習を持つ人間がいるし、虫や動物がひょんなことで人語をしゃべるようになり、人間と同じような生活様式で暮らしているのもいる。こういった移民や少数派は、仲間でまとまって、一定の地域に暮らしていることが多い、
 あたしの故郷は遠い辺境にあり、あまり他の国と交流をしてこなかったので、同じような特徴を持つ人がこの大陸にいない。完全な少数民族だ。他の人たちと、顔つきが根本的に異なる。どこがどう違うのか、説明は難しい。何しろ自分の顔なので、他人の顔ほどじっくり見たことがない。目を閉じて自分の顔を思い出せと言われても、目があって鼻と口がある、くらいの事実しか思い出せず、どんな造作だったかはわからない。あたしの姿をした人が向こうから歩いてきたって、あたしはそれが自分と一緒だと気づかないかもしれない。
 まあ、特徴らしい特徴と言うと、額に水牛の角のようなこぶが二つある。でもこれは前髪でうまく隠せているし、恋人の距離で顔を近づけないとわからない程度の大きさだ。だから特徴はない、と言って差し支えない。少数民族のため他の人とは異なるかもしれないが、特に目立つ顔、というほどもない。とりとめのない、ヒト属の顔なのだ。
 このとりとめのない顔で、仕事をするにしても顔を覚えてもらえなかったり、恋人づくりも一筋縄ではいかなかったりと、将来苦労するのはあたしである。この子たちと同じ水準の学習経験もなく、経済力もなく、現在苦労しているのはあたし。生まれ育った土地を離れざるを得ず、これまで苦労をしてきたのはあたしである。それなのに、多数民族に生まれ、親から十分な容姿と多大な金銭的恩恵と愛情を受け続け、十重とえ二十重はたえに守られて生きているこの子たちが、吹けば飛ぶような後ろ盾しか持たないあたしを攻撃してくるとは、理不尽ではないだろうか。
「ああ、そうかい!」
 あたしは「オンワラ、むーん」と唸ると精神を統一させ、自分のノートを思い切り開いた。その勢いだけで何人かの女の子たちは「きゃ」などと驚いていた。ノートを開くだけで恐れるとは、敵、敢えて倒すにかなわず。しかし我、もはやこの怒りを抑えるにあたわず。あたしはそこにいる十人弱の女子の名前を、次々と殴り書き始めた。
 探し人:探し物 → 在処
 ケイラ:眼鏡 赤い鞄の中
 キリニー:隠しておいた赤点の答案 → 実家のパパの書斎の引き出し←あちゃー
 リューダ:コオロギ → 学院の裏山、白い大岩の近く
 アデリーナ:べらべらの飾りがついたポーチ → 音楽室のロッカー
 ミィ:自分が隠したアデリーナのポーチ → 音楽室のロッカー
 スック:如月きさらぎ晦日みそかに書いた秘密の手紙(秀逸な文章だと思います) → ポーニャの部屋の引き出し
 ポーニャ:手作りクッキー(焼き加減、良し) → ムーランのお腹を経て、ただいま下水道
 ムーラン:ぼろんが → 正体も行方も不明
 サマラ:青い石の指輪 → 川底
 
 女の子たちは何が起きているのかわからず、唖然としてあたしの行為に見入っていたが、あたしがすべて書き終え、ノートを女の子たちに渡すころには、書かれたことの意味が分かってきて、お互いを非難し始めた。
「ポーニャったら、わたしのラブレターを勝手に取ったわね!」
「な、なんのことよ!それより、わたしが作ったクッキー、ムーランが食べたのね!」
「あたしのポーチ、どうしてミィが隠すのよぅ?」
「探し物ってことは、ミィったら、隠した場所を自分で忘れたってこと?ドジね」
「あたしのボロンガの在処ありかは、わからないの?」
「あたしの赤点、どうしてパパのところに行っちゃってるのかしら?」
「ひどいわぁ、めそめそ」
「サマラったら、あたしが貸したママの大切な指輪、川に落としたのね」
「しくしく」
 などと皆てんでばらばらに悲嘆にくれている。
 勉強ではさんざみそっかすなあたしだけど、占いだけは結構できる。学院に来る前は、これでお小遣いを稼いでいたのだ。もっとも、本当に微々たる額だったけれど。
 できるのは、探し物を見つける占いだ。つまり、あたしは彼女たちの探し物を勝手に占い、ノートに書きだしたのだ。あたしはいつも簡単な魔法一つ使えないことについて馬鹿にされているけれど、これはおいそれとは真似できまい。
 武士の情けで、さすがに黒板には書かなかった。そしてすぐにそのページをノートから破り取ると、近くにいたサマラに手渡し、燃やすように告げた。素直なサマラは慌てて火の魔法を使って紙を燃した。
「ちょっと、何勝手に燃やしてんのよ!」
「そうよ、そうよ」
 などど、紛糾している女の子たちをよそに、あたしはふふんと肩をそびやかして自席につこうとした。やることをやったので、スマートに立ち去るべしだ。
 ところがミィがあたしの短い髪をぐいとひっぱって止めた。他の子たちも口惜しいやら情けないやらで、あたしを小突き回し始めた。子供とはいえ、とても痛いし、当たる場所が悪ければただじゃすまない強さだ。が、さすがに五歳も違うと、おいそれとは反撃できない。歳の差から生じる力の差は歴然かつ反則的で、その気になればあたしの両の指十本の一本ずつで、この年端もいかない相手を沈めることもできる。しかし、惻隠そくいんの心は仁の端なり、弱きものはいたわろう、というのが、あたしの道である。この茨の道を行くために、あたしは耐えた。激情に身を任せた奔放な少女たちに小突かれるままになっていると、ようやく教師が入室してきて、事態を納めてくれた。この教師の授業は難解中の難解である上、物分かりの悪い生徒にはとことん厳しい。否、生徒だけに及ばず、たとえ相手が校長であろうと、自分の主張が理解されない場合には断罪するように物申すという、気骨のある人物である。その姿は神をも踏み殺す降三世明王ごうざんぜみょうおうのように恐ろしく、あたしはいつも、この明王の目に留まらないようにひたすら身を小さくしているのだが、このときばかりは天女に見えた。天女はあたしをそのげりげりに痩せた胸の内にかくまうと、
「静かになさい!」
 と周囲を一喝し、あたしに怪我がないかを確認してくれた。教師はあまり事情を問いたださず、さっさと明王の姿に戻り授業を始めた。学問以外に興味がないように思える。子供のいさかいなどどうでもいいのだろう、とあたしは思ったのだが、実は彼女もきっちりと教師の役割を心得ているようで、放課後あたしはとっくりとお説教を食らったのだった。
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