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二十三 旅って楽しい

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 アリフレートに誘われたアンは、一も二もなく彼の別荘行きに賛同した。一泊以上行ったらバッバドンナオホホンカが大変なことになるんじゃないの?とあたしが指摘しても、そんなものはどうにかなるという。そうなの?あたしに言ってたことと違うじゃん!
 突き詰めて考えることはよしにして、あたしは旅行に備えて万全の備えをすることに専念した。休み中の補習の強制参加命令を避けるため、必死に勉強し、みごと期末テストにも合格した。旅行の車中、皆で食べるお菓子をあがなうため、たまの楽しみだった購買部のおやつも我慢した。皆で楽しむための双六すごろくも作ったし、夜の宴会の出し物のための衣装づくりもした。双眼鏡や飯盒はんごう、コンロや五徳ナイフといった様々な道具も、山岳部の人を拝み倒して、なんとか借りられた。
 そういった奮闘の中での学院生活は、活気に満ちて、楽しいと思えるほどだった。もちろん、大変な部分や、依然としてつまらない部分は多々あった。期末テスト対策にのみ焦点を当てているあたしは、日々の予習にまで手が回らず、黒板の前で何度も途方に暮れたし、面倒な男子からのからかいを避けるためトイレの個室で虚しく昼食を済ませたりもした。机の中にカタツムリが数匹入っていたりもした。もっとも、これは嫌がらせではなく、昆虫を飼育するなど、身近な生物を憎からず思うあたしへのプレゼントかもしれない。そのカタツムリは特別体が大きくて、希少性が高そうであったからだ。ただあたしは腹足類にそれほど愛着があるわけではなく、このカタツムリは裏山に返した。
 そんなこんなで、夏休みは急速な勢いで訪れ、楽しい旅行の日がやってきた。
 列車の停車場で、小山のような荷物を背負ったあたしを見て、アリフレートとアンは目を丸くした。
「いったい、あんたはどこの無人島にいくつもりなんだ」
 このリュックのなかに、どれほどのお宝が入っているかを知らない二人は、あたしが重たい荷物に足をとられてよろよろする度に笑いこけた。どちらかというとあけっぴろげに感情を外に出さない二人にしては、珍しいことだった。笑いたければ笑え。あたしはここ数週間というもの、この旅行への準備に自分のすべてをかけてきた。彼らのように、準備もちょぼちょぼ、学生らしい軽いノリで、なんとなくわいわいやりゃいいじゃん、てかさあ、あんまり心魂傾けて楽しんじゃうのはダサくない?むき出しっぽくて、見てる方が気恥ずかしいや。なんとなくが大切なんだよ、なんとなくが。なんとなく流してるだけで様になる感じで。なんとなく、イモ食べて酒飲んでセイシュンをファイナリアリティチャンスしちゃおうぜ、ハハ、ウヒヒ、というような、生半可な気持ちでここにいるのではない。そういうのはいけない。中途半端だ。むろん、あたしの荷物の中には酒類など入っていない。青春の輝きには、酒など不要だからだ。あたしは、人生の中でひときわ輝く最高の思い出を求めてここに立っている。そしてこの思い出は、彼らが卒業した後も、残りの学院生活を乗り切るためのエナジーとなるだろう。
 昔はこんなにがっついてはいなかった。昔はもっと、気楽であった。血筋正しい姫としてのんきに肥えて暮らしていた。かつてのあたしをあだ名で呼ぶなら、のんき玉、とでも名付けたい。ひねりも何もない、素直なあだ名が似合う、無邪気な姫であった。のんき玉なら、きっと身一つで、替えの下着も歯ブラシも持たずに旅行に出てきてしまうだろう。
「そら、荷物を交換するから、俺のを持てよ」
 アリフレートはあたしの背中からリュックをはずすと、自分の肩に背負った。
「ほんと、重たいなぁ」
「あ、ちょっと、そうっと扱ってよ。繊細な衣装が入ってるんだ」
「何、あんたストリップショーでも計画してるの」
「ふふふ、それは内ショーだよ。夜のお楽しみなんだ。旅は朝から晩まで楽しまなきゃね」
 ショーはショーでも、コショーを使った変身ショーをあたしは企画している。あたしはそこで、くしゃみをする度におもしろおかしく変身しようと思っている。変身の魔法がうまくいかなくても面白くなるよう、衣装の力を借りることにした。でも旅のしおりには、ただ「お楽しみタイム」とだけ書いてある。結構冷めたところのある二人の道連れの気持ちを盛り上げるための演出だ。
 あたしたちの会話に、アンが眉をひそめているので、あたしはこほんと咳払いをした。ストリップショーはNGワードだ。
「失敬だね、君も」
 あたしの荷物は大きすぎて荷台に乗せられず、危うくもう一人分の料金を採られるところだった。そこはアンがうまいこと車掌に言って、おめこぼしにあずかった。
 セマ市には二時間程で到着した。アリフレートはすぐに別荘に行きたがったが、あたしは評判の田楽を食べに市街を散策すると決めていて、それは旅のしおりにもきちんと書いてある。
「でも、アリフレートが持っている荷物は大切なものなんでしょう?持つのも大変そうだし、早く別荘に行った方が……」
 アンは無人島行きリュックサックを背負ったアリフレートを心配して、首を縦に振らない。
「じゃ、やっぱりあたしが持つよ、あたしのだもの」
 あたしはアリフレートから荷物を受け取ろうとしたが、アリフレートも田楽に乗り気でない様子で、荷物をあたしに渡そうとはしない。
「荷物も重いけど、散策なんてしてたら、日が暮れちまうぜ」
「でも、大丈夫なんだよ。あたし調べたの。早歩きで行けば、田楽も食べられるし、途中でお寺も見られて、四時までに別荘につくよ」
 あたしは人数分作っておいた旅のしおりを指さした。自画自賛で申し訳ないが、このしおりも大したもので、記載されている情報は大枠では同じだが、アンのものにはセマ市の植物屋さん事情、アリフレートのものには古書店事情など、各人の好みに合うようにアレンジしてある徹底っぷりだ。
 アリフレートとアンは顔を見合わせて、苦笑をした。アンの八重歯が日光を受けて光った。同じ日光がアリフレートの髪を泡立つような金色に変える。あたしはそれを見ないようにくるりと背を向けると、さっさと田楽屋に向けて歩き出した。二人は数歩遅れてついてくる。
 田楽屋までは予定通りだった。ところがあたしは歩きながら田楽を食べるつもりだったのだが、アンはお行儀が悪いから、と言って、店先に出ている椅子に腰かけて食べることになった。アリフレートに向かってぽつぽつとおしゃべりをしながらなので、アンの食べる速度は非常に遅かった。田楽をかじり取る一口も、小鳥のように小さい。あんなんで田楽の味が楽しめるのだろうか。ちょっと尖った前歯で田楽を食べる姿は可愛らしかったが、正直、タイトな時間枠で旅を企画しているあたしとしては、やきもきしてしまって、いつもの半分も楽しめなかった。あたしは自分の分を食べつくすと、二人を促すため、目の前の道路をうろうろと行ったり来たりした。するとこのときもまた、二人は顔を見合わせて苦笑するような態度をとった。
 その後もあたしは一人先頭に立って進んだ。いくらかは想定していたものの、やはり地図で見るのと、実際の道はかなり異なっている。平坦と思っていた道が坂道だったり、泥でぬかるんでいたりして、なかなか行程がはかどらない。
「ねえフジ、ここは人の家のように思えるわ。気のせいかしら」
 狭い路地を歩いていると、アンが心細げに言う。
「そうかなぁ。でもここが一番近道なんだよね」
「……わたし、泥棒している気持ちになるわ」
「ダイジョブダイジョブ。実際に泥棒はしないし、ちょっと通るだけだよ」
「そう……」
 やがてアンは足を止めてしまった。アリフレートは荷物が重いので、早く進みたいようだったが、大きくため息をつくと、
「気になるなら、引き返そうか」
 と言った。その言葉にアンは嬉しそうに眉を上げた。でもあたしはアリフレートのため息が気に食わなかった。そのため息はあたしに向けたのだろうか。それともアンに?いずれにせよ、感じが悪いではないの。急速に腹の中に怒りの入道雲が湧きたつ。だって、彼がこれまで一体何をしたというの?あたしとアンの旅行に割り込んできた上、準備もせずにただぼんやりと人について歩くだけ、そのくせ先ほどから、準備をしてきた者を愚弄するような苦笑を浮かべたり、不平不満のため息をつく。
「だめだ、だめだ。引き返すと到底間に合わないよ。ほら、別荘についてもやることがこんなに目白押しなんだ。君ら、あんなに列車で時間があったのにまだしおりを読み通してないね?おしゃべりばっかりしてるからさ。やる気、あんのかい」
 でもあたしはすぐに、自身の意地悪な口調に、はっとした。いけない、いけない。ここのところ、旅の準備が寝る時間を削っていたため、イライラして人を責めたい気持ちになっているようだ。あたしは自戒し、すぐに謝った。
「ご、ごめん」
「いや、じゃあ、もう少しで通り抜けられそうだし、このまま行ってみるか。ほら、アン。あんたの荷物も俺が持とうか?」
「いいえ、大丈夫よ。ありがとう」
 アンがアリフレートにやさしく笑いかけると、アリフレートも目元を和ませた。
 それから各自、しばらく無言で歩いた。狭い路地を覆う壁が息苦しく、あたしは必要以上に早歩きで歩いた。やがて、狭い道をふさぐように、杖をついたお婆さんが立っているのに出くわした。ここらの家の住人だろうか。
「お邪魔してまぁす」
 あたしは後ろの二人には聞こえないよう、小声で言った。老婆はぼんやりとこちらを眺めているだけで、こちらに話しかけるでも、道を譲るでもなかった。あたしたちはそっと身を斜めにしてこの老婆の横を通り抜けようとしたが、しんがりのアンが通り抜ける段になって、突然、老婆は杖を地面に向かって打ち付け始めた。
「勝手に人の家に入るんじゃない!あちゃらか」
 とかなんとか、正確にはなんと言っているのかちょっと聞き取りづらかったが、とにかく恐ろしい剣幕だった。杖を何度も地面にたたきつけるうち、杖の先についていたゴムが外れ、路地の壁に当たった。
「出ていけ、出ていけ」
 老婆は叫び続ける。アンは顔を真っ青にして立ちすくんでしまった。あたしはアンの腕をとって、彼女を金縛りから解いた。
「大丈夫だよ、アン」
 あたしはできる限り優しい声で話しかけた。アリフレートも、アンを老婆から隠すように彼女の後ろにぴったりと沿って歩いた。
「フジ、この道はやめよう。一本隣の路地に行くか」
「そだね」
「だ、だって、そこも人の家みたいじゃない?」
 不安がるアンをよそに、あたしとアリフレートはずんずんと進んだ。どこもかしこも人家なので、もはや人の家を突っ切る以外、通りにでる道はないのだ。
 アンはきょろきょろしながら、肩をすぼめてついてくる。きっと、人に怒られることに慣れていないのだろう。あたしだって怒られるのは好きではないが、あまり気にしない。この耐性は、経験値によってもたらされた。この学院に来てからも、たくさん小突かれ、侮辱されてきたあたしは、老婆の金切り声くらいなんでもない。特にこの老婆は、形相こそ尋常ではないが、やっていることは杖を地面に打ち付けているだけで、こちらに向かってくるでもない。それにもう疲れてきているのか、最初程の勢いもない。でもアンは、これまでもっとずっと優しい環境にいたのだろう。先ほど叫ばれてからというもの、硬い表情からもとに戻らなくて蝋人形のようだ。脂汗のようなものをかいていて、顔が光っているからそう見えるのかもしれない。少しフォローしておく必要があるのだが、いかんせん、道がどんどん細くなっていって、先頭を行くあたしからは様子がうかがえなくなっていしまった。振り返っても、見えるのはすぐ後ろのアリフレートの澄まし顔だけだ。
 あたしはそれでも時折後ろを振り返っては、
「ほらアン、もう少しだよ」
 と声をかけながら進んだ。返事はないか、あっても聞こえなかった。
 その代わり、先ほどからしゅっしゅか、しゅっしゅかと、こすれるような音がしている。壁に何かがこすれているようだ。
「ああっ!」
 何度目かに振り返ったとき、ようやく音の正体に思い至って、あたしは思わず大きな声をあげた。
 アリフレートの背負っていたまん丸のはずのリュックが、路地の壁にこすれているのだ。リュックサックは狭い路地の壁に挟まれ、大きく変形して細長くなっていた。中に入っている繊細なはりぼて衣装は、壊れてしまっているのではないか。
「ちょっと、衣装が壊れちゃうじゃないか!」
「だって、この道が狭いんだからしょうがないだろ」
「はずせ、はずせ。リュックをはずせ。このダメ人間!」
「おいなんだよ、その言い方」
 アリフレートは不満気だったが、素直にリュックをおろした。あたしはそれをアリフレートの背後からこちら側へ引き寄せようとやっきになって、無理やりリュックを引っ張ったものだから、リュックの中の衣装はさらにぐしゃぐしゃと音を立てて壊れた。
「ああー!」
 あたしが悲鳴を上げると、アリフレートがリュックを引っ張り返してきた。
「いてて、ひっかかってる。ちょっと一旦こっちに戻して」
「ぐず!こっちによこせ。あたしの大切なんだぞ!」
 あたしがぐいぐいとァリフレートを押しやろうとすると、彼の毛が数本抜けた音がした。
「うっ。フジ、俺はお前に謝ってほしい」
「ねえ何か垂れてるんじゃない?ぽたぽた跡がついてる気がするけれど」
 後ろの方からアンが言った。もう一度リュックをよく見てみると、底の方にシミができていて、そこから刺激的な臭いの汁がこぼれている。
「あっ、玉ねぎ眼鏡が!」
「電車に乗っているときからずっと思ってたけど、ちょっとにおうのって、これかしら?」
「お前、いつからその玉ねぎをリュックに詰め込んでたんだよ」
「ああ、あれも、これも壊れてる気配……。許さん!アリフレート!」
 あたしはリュックから飛びだしているおもちゃの短剣を取り出してァリフレートを叩いた。ところがそれは物にあたった瞬間くるくる巻き戻って自分の親指を打つ仕掛けがしてあった。
「いったい!」
「おい、フジ。いい加減静かにしろよ」
 しかし時すでに遅し。気づいたときには新たな住人、今度は半裸の男が、すぐそこの窓から身を乗り出して、何かをわぁわぁとわめき始めた。今回も老婆のときのようにわめいているだけならなんとかやりすごせたが、そのうち窓から抜け出してきて、空気銃のようなものをこちらに向かって撃ち始めた。
「に、に、逃げろ!」
 あたしたちはもう無我夢中で走り、途中ばらばらになったりして、ようやく別荘の前で集合した。まず最初にアリフレートがたどり着き、続いてあたしが到着した。
「やれやれ、驚いた」
「ああ、あたしのショーが。台無しだ……」
 めちゃくちゃに引きずったり、あちこちにぶつけながら持ってきたあたしの荷物は、数か所穴をあけてしまい、見る影もなくズタボロだった。しかもいくつかの品物はリュックの穴から転げ落ちて失われている。
「ははは」
 アリフレートは息を切らしながら、大声で笑い始めた。仕方ないのであたしも、はははと笑った。一度笑い出すと堰を切ったようになって、止め方がわからなくなるほど可笑しさがこみあげてきた。
 やがてアリフレートが突然、「ぴぴっぴ、ぴぴぴぴ」と口笛を吹いた。
 それは、いつぞやあたしが彼に向かって吹いたものと同じ吹き方だ。なぜ今吹くのだろう。
「なんで、『殴って、ごめんね』なの?」
 あたしはまだ息を切らしていたから、口笛で返すことはできず、音声で訊いた。
「いや、そう言ったんじゃない」
 アリフレートは大きく深呼吸をし、きれいな緑色の目で、空を見上げた。
「旅って、楽しい」
 あら、素直な言葉だ。意表を突かれて目を丸くしていると、ようやくアンが現れて、あたしたちを恨めし気に見た。
「なんて旅行よ、これは」
 きちんと編み込んで作った髪に、木の葉がたくさんくっついている。途中で転んだのだろう、靴下も靴も泥だらけになっていた。
 アリフレートもあたしも、アンのぼろぼろの姿を見て、再び可笑しさがこみあげてきて、高らかに笑い声をあげたのだった。
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