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二十八 いやな役人

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 マルコ市市役所の新米職員カルシウム氏は、声の小さな男性で、言葉に香る国の言語のアクセントを乗せていた。とにかく声が小さいうえ、訛ってもいるものだから机の向こう側からしゃべっても、何も聞こえやしない。口もほとんど開かないでしゃべるので、口の動きを読んで内容を推測することもできない。
「あのぅ、もう少し大きな声で話してもらえませんか?」
 あたしは何度も言ったが、カルシウム氏は嫌そうな顔をして頭を振り振りするばかり、一向に声は大きくならない。見かねた他の職員がカルシウム氏の横に立って、通訳をしてくれることになった。
「すいませんね、何しろ、新米なもんで。まだ恥ずかしがってるんでさ」
 そこでカルシウム氏がその黒メガネの職員の耳元で囁き、黒メガネの男性がそれをこちらに伝える、という方法であたしたちのコミュニケーションがとられることになった。
「ふむふむ。ええと、ウォリウォリへの通行証が欲しいんですね。へえ、なんでまたわざわざあんな町へ?」
「そこに家があるんです。あたしは学校の寮に入っているのですが、年末の夏休みにそこに帰りたいんです」
「へーえ。でも学生さん、ちゃんと新聞を読んでいますか?悪いことは言わない、休み中は寮においでなさい。寮なら安全だし、こちらからあちらへ行く許可証の発行までに三か月は待ってもらうことになります。なんせ、申請が殺到しておりまして。待っている間に休みが終わって、学校が始まりますね、はい。あい!あいたた、なんです、カルシウムさん。腕をつねらんでくださいよ」
 カルシウム氏は黒メガネ氏の腕を引っ張ると、彼の耳を自分の顔に寄せて、囁き始めた。
「へ?余計なことはしゃべるな、言われた通りに言えって?あんた、新米のくせにいい度胸してますな。あいた!腕をつねらんでください。わかった、わかりましたよ。言われた通りに言いますから」
 アリフレートとあたしは、顔を見合わせた。あたしたちは通行証をもらうために役場に来ている。役場に入ってからも名前が呼ばれてここに座るまでもひどく待たされたが、これは時間がかかりそうだ。
 役場に来る前、あたしたちは一度バリケードのところまで行ってみた。それは郊外の、毒森と言われている場所に設けられていた。毒森とはかぶれを引き起こす有毒植物ばかりが群生している場所で、イラクサやクサノオウ、ツタウルシなどがにょきにょきしているところに、バリケードが有刺の鉄線で作られていた。とはいえ、厚手の手袋をはめて、肌がかぶれないようしっかり防御をすれば、登れないこともなさそうだ。
「俺ウルシが苦手なんだ」
「素手で触ればかぶれるだろうけど、手袋をすれば大丈夫じゃないかな」
「どうかな。実のところ、この距離でもうなんとなく喉とか手がむず痒い気がしている」
 ウルシに弱い体質らしい。まあ別に、ウォリウォリに帰る必要があるのはあたしだけだ。彼はバリケードを登る必要はない。ここであたしと別れたら、アンの様子を見に一度別荘に戻るという。
 自警団がいるとあったが、あたりには人っ子一人いない。登ったところで、とがめる人もいなさそうだ。明日装備を整えて超えてみよう、と思った。
 そこへ痩せた男の人が一人歩いてきた。投石器が乗った荷車を馬に引かせて、ひょろひょろやってくる。そうしてとある場所で荷車を乗せると、角度を調整してからアリフレートに話しかけてきた。
「君、君。ちょっと手伝ってくれ」
 アリフレートは重石を詰め込む作業を手伝った。あらかたの石を乗せてしまうと、今度は反対側の大きなお匙のような部分に荷物を乗せる。
「重たい荷物ですね。これで飛びますか」
「箱が重いんだ。このために特注の箱を用意したんだもの。うむ。頑丈で、無駄のない、美しい箱だ。そう思わないかね?中に入っているのはパンなんだがね。あちら側に里帰りした女房と娘が残っておって、そのままになってるんでね。なんせ、あちらのパンときたら、砂を水で固めただけみたいな代物だ。女房はお里のパンを食いなれているが、娘の方はこちらのパンでないと、骸骨になりかねん。食の細い子でしてな。それに、なかなかいい舌を持っている。なに、女房はいいんだけどね。あっちはアナグマみたいになんでも食いますからな」
 やがて準備万端に整い、いよいよ荷物を発射させる段になった。投石器のお匙を固定していた紐を引くと、お匙は勢いよく回転し、そのまま荷物を高く放り上げた。荷物はバリケードの高さすれすれを飛び、すぐに向こう側に着地するかに見えた。
 ところが、バリケードの真上まで着た途端、どこから湧き出たか白い蝶のようなものがわらわらと荷物にまとわりつき、一瞬のうちに荷物をこちら側に放り返した。慌てる間もなく、荷物はあたしたちの足元の地面にめり込んでいた。
「ああ、やはりだめだった。これで三度目だ」
 男性はがっくりと膝をついた。
「これだけの勢いと重さがあれば、あいつらにも太刀打ちできまいと思ったのに」
 荷物に一枚、先ほど蝶と見えたものがまだくっついていた。ただの人の形をした紙きれに見えるが、実のところ呪い師が使う、人形ひとがたの依り代だろう。
「こんなぺらっぺらのもので荷物が落とされるのか」
 アリフレートは信じられない、という風にその人形を手に取った。
「自警団さ。人間だけじゃとてもこのバリケードを守り切れないから、呪術師にこの紙きれを使わせて、人の往来も、物の行き来も、どちらも完全に封鎖しているのさ。さあ、もうすぐ異変を嗅ぎつけた自警団が到着するだろう。またしばらく説教を食らわねばなるまい。君らは行きなさい。手伝ってくれて、ありがとう」
 見ると男の額にはこの紙の依り代がべったりと貼りついている。
「あの、おでこについていますよ」
「うん、これは目印だ。呪術師は、このバリケードを侵そうとした犯人がしっかりとわかるように目印をつけてるんだ。なあに、ひどく痒いが、ひと段落すれば自然とはがれるさ。別に法律違反をしているわけじゃない。この封鎖はハナマルーイ市長が勝手にやってるだけで、議会の承認さえまだきちんととれていないんだ」
 それからあたしたちは男の人を残して、昼食をとってからこの役場にやってきた。ここにくるまでにウォリウォリへの行き方を色々な人に尋ねたが、誰に聞いても返事は同じで、ウォリウォリには行けないし、行かない方がいい、とのことだった。バリケード完成までにまだ時間はあるはずだが、通行はすでに封鎖されているようだ。それでもなんでも帰りたいことには仕方がないので、正規の手段が一番の近道であろうと、役場で通行許可証をもらおうとしているのだ。
 目の前でカルシウム氏は相変わらずぼそぼそ黒メガネ氏の耳元に囁いている。時折カルシウム氏の唇が黒メガネ氏の耳に触れてしまうと、黒メガネ氏は露骨に耳を拭い、カルシウム氏は薄ら笑いをしながらそれを見つめている。
「おい、あんた。いい加減に同じことを言うのはやめてくれよ。未成年者が、保護者の元に帰る必要があるのに、なんで三か月も許可証発行を待たなきゃなんないんだよ」
 アリフレートがとうとう噛みつき始めた。
「いや、本当に申し訳ないのですが、ハナマルーイ市長の方針でして。あいたた、あいた。いや、そこは謝らせてくださいよ、カルシウムさん。なんせ未成年なんだから、保護者のところに返してあげるのが本当でしょう。うむ、やはりそうだよな。市長ももうちょっと柔軟でないといかん。僕はちょっと掛け合ってこようかしらね。いたた、およしなさいったら、ちょっと」
 黒メガネ氏は腿をつねり続けるカルシウム氏から逃げるように席を立つと、市長室へ向かった。残されたカルシウム氏はあたしの身分証をくるくると回して弄び、飽きるとそれをぽいと机上に放った。失礼なやり方である。
 やがて市長室から、でっぷりと太った赤ら顔の男が出てきた。声がことさらに大きい人物だった。
「あれか、無理を押し付けてくる人物というのは。なんだ、まだ子供じゃないか。子供は役場にお呼びでない、さっさと親元へ帰したまえ」
「いや、ですからその保護者のところへ帰る術がないというのでここへ来ているんですよ」
 小柄な黒メガネ氏が、市長の影からちょこまかとついて来て、あたしが提出した書類をハナマルーイ市長に手渡した。黒メガネ氏はしきりと汗を拭いている。
「ふむ、フジヤマ・デンキテキ君。変わった名だな。ウォリウォリなぞという片田舎から、魔法学院にねぇ。いやいや出藍の誉れとでもいいましょうかな。はて、身分証はしかし、この国のものではないじゃないか。秋の谷?どこだね、そこは。聞いたこともない辺境から田舎のウォリウォリへ転居したのか。何を、わざわざ、馬鹿らしい。田舎者というのはどうしたって先見性がないからいかん」
 市長はあくせくとあたしたちの机まで来ると、先を急ぐように席に尻を落とした。座る前に黒メガネ氏が自分よりも早く手近な椅子に座らないよう、通せんぼのように両手を広げて牽制しさえした。一刻も早く座らねば、体が溶けてしまうとでも思っているような勢いだ。
「市長、しかしこの通り、年端もいかない子供です」
「まあ未成年じゃあ仕方ないかなあ」
 黒メガネ氏は必死で食い下がってくれて、市長は面倒そうにあたりを見回しながら応えた。そこで初めて目前の黒メガネ氏に気が付いたようで、打って変わって満面の笑みを浮かべた。
「やあ、カルシウム君。君が担当していたのか。どうだね、仕事には慣れたかね?うん、うん、すまないね。こんな面倒な役を押し付けて。気苦労も多かろうが、しばしの辛抱だからね。なんとかやり遂げてくれたまえ。え?きゃほ」
 市長の耳元でカルシウム氏が囁くと、市長は赤ら顔をさらに紅潮させ、喜色を現にした。
「ふむふむ。きゃは、くすぐったぁい」
 嬉しがって興奮する市長とは対照的に、カルシウム氏は静かな動作で市長に囁き続ける。
「とんだ茶番だ」
 アリフレートが吐き捨てた。
 やがてカルシウム氏が市長から身を離すと、市長は何度か頷き、こちらに視線を移した。
「なんだ、フジヤマさん。あんたは成人してるのか。提出書類の未成人欄に丸がしてあったが、これは虚偽記載というものだ。けしからん。今回は特別に放免してあげるが、とっとと帰りなさい」
 なんのことだろうかと思うと、カルシウム氏があたしの身分証をとん、とん、と人差し指でつついた。
 兄様のところから、来年の成人の儀より一足先に届いた新しい身分証だった。そこには『娘、フジヤマ・デンキテキは厳正なる成人』と記載されているのだった。
 アリフレートは机上に打ち捨てられている身分証を覗き込むと、呆れたようにあたしを見た。
「ま、待ってください。あたし、まだ成人していません」
「いや、ここに厳正なる成人と書いてあるじゃないか」
 市長は奪うように身分証を手に取ると、それをあたしの眼前に突き付けた。眼前すぎて文面もわからないほど、至近距離だ。
「彼女はこの国ではまだ成人していません。この国ではまだ、彼女は十四歳で、立派な未成年です」
 アリフレートが助け舟を出してくれる。それにしても、
「立派な未成年て。こりゃどうも」
「おいフジ、ふざけてる場合じゃないぞ」
 アリフレートはあたしを小突いた。話しているあたしたちを冷ややかに眺めると、カルシウム氏は再び市長に口を寄せた。市長は積極的に耳を彼に貸し、またカルシウムの唇が市長の頬や耳を掠めると、市長はもうどうしようもなくにやにやした。
「あ、カルシウムくん、どうか、そのままで。もういちいち顔を離さなくて宜しい。ずっとあたしの耳に口を寄せてらっしゃい。一旦遠くに離れて、また近づいて、というのはどうも非効率だからね。重複的で非効率、というのはまさにこの役場を蝕んでいる悪しき習慣だと、あたしは常々思っているのだ。さ、この位置で宜しい。むむ、あたしが喋って顎を動かすたび、どうしても君の唇が耳をこしょこしょと触ってくすぐったいね。むしろ、もう口を耳にぴったりとくっつけちゃいなさい。そう、その通り。どうだね、これでずいぶん良くなったと思わんかね」
 市長はすっかりご満悦の体だ。ようやくあたしたちの方に向き直ると、
「ああ、君らのことだったね。すっかり忘れていた。なんせこちらは忙しいのでね。さて、フジヤマさん、あんたが未成年であるということを、あたしたちはどうやって知ればいいのかな。この身分証にはよくわからない暦でしか生年月日が書いてないじゃないか。何かね、これは、冬の国の暦かね?」
「秋の谷です。提出した書類に生年月日が書いてあります」
 アリフレートは辛抱強く応対したが、とても苛々していた。細い目の奥に相手を小ばかにするような色が見て取れる。それを敏感に感じ取ったか、市長はどん、と机を叩いた。
「そんなことは知っておる!ただ、あんたがたが嘘を書いていないと、どうしてわかるのかね!なんだその目は。ええ、あたしはそんなに非常識な、無理難題を言っているのかね!書いてあることが真実と証明できるなら、許可証の百や二百出してやる!この田舎臭いおおたわけども」
 市長は耳にカルシウム氏をくっつけたまま、大きく怒鳴った。カルシウム氏は顔色を変えていないが、後ろに控えている黒メガネ氏は慌てたように市長をなだめにかかった。
 ところが市長は一度怒ると罵詈雑言がとめどなく出てきて、自分で自分の言葉にますます興奮を募らせる性質らしく、近頃の若者は云々、という文句から、ウォリウォリのこと、マルコ市市役所のこと、市全体のこと、さらには世界のことにまで怒りの対象を広げて、罵り続けた。役場に来ている人たちも職員も皆が市長とその耳にくっついているカルシウム氏に注目した。
 やがてカルシウム氏が再び何事かを囁くと、市長ははっとなって役場の玄関を見た。
 玄関のところでは真っ青でぎらぎら光る派手なワンピースを着た、鶏に限りなく似た中年の女性が入ってきたところだった。後で聞いたところによるとこの女性はハナマルーイ市長の奥さんで、元は鶏だったのが何かのはずみで人間に変わった人らしい。
 市長ははじかれたようにカルシウム氏から身を離すと、女性を迎えに立って行った。
「や、やあお前。来るなら、来ると、そう言ってくれなけりゃ」
「おや、あんたのお仕事のお邪魔になりたくなくてこっそり来たんですよ。どうぞおかまいなく」
「いや、そうも行かないよ。これ、誰かこの人を応接室に連れて行って。お茶もいいのをだすんだぞ」
 しゃなりしゃなりと爪を地面に引っかけるような足取りで歩く夫人は、鶏というようりも優雅なオスのクジャクのようだった。
「市長、この方たちに許可証を」
 黒メガネ氏はなおも食い下がったが、市長は
「ああ、それはカルシウム君に一任します。さあて、忙しい忙しい」
 と言って、市長室に戻ってしまった。
 そうなるともう黒メガネ氏はカルシウム氏に逆らえないので、あたしたちは通行許可証をもらえないまま役場を後にせねばならなかった。
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