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一章 アリス・バース・デイ

先代の「アリス」 その5

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「はぁ……」
 俺は、一人部屋で酒を飲んでいた。ここのところ、飲む頻度も多くなっている気がする。それはまあ、なんとなく理由はわかってるが。
――白ウサギさん、いますか?
 ノックと共に、声がした。ハートちゃんの声だ。待たせるのも悪いから、すぐにドアを開けてあげた。
「……おはなし、しませんか」
 部屋に入るなり、後ろ手でハートちゃんが部屋の鍵を閉めた。
「いいのか?酒入ってるおにーさんだぜ?何かあってからじゃ遅いぞ」
「白ウサギさんは、前のアリスさんひとすじですから、大丈夫と思ってます」
 ハートちゃんは俺をしっかりと見て言った。この子の年齢がいくつかは知らないが、多く見積もっても中学生……確実に事案案件だ。だが、酒が回り始めたのかそんなことは考えてられず、とにかく誰かと話したいという気持ちが勝っていた。
「仕方ない、それじゃあ適当な場所に座っててくれ」
 俺は元の椅子に座りなおし、ハートちゃんは別の場所から椅子を持ってきて俺の隣に置いて座った。
「なんでハートちゃんは、俺についてきたんだ?」
「白ウサギさんは……ハッターさんより大人じゃないですから」
「……言えてるな」
 ハートちゃんにすら見抜かれてるなんて……俺も、まだまだなんだな。
「そうだ、ハッターはもうさっきの訓練を見て吹っ切れてた。『あんなに必死に頑張ってるのに、いつまでもアリスのことを引きずってちゃダメだ』ってさ」
「……」
「ハートちゃんはどうなんだ?」
 俺ほどではないが、ハートちゃんも結阿の事を実の姉みたいに慕ってたから、心のダメージは大きいはずだ。だから、ふとそれが心配になって聞いた。
「ワンダーランズのみんなはやさしいです。でも、アリスさんはその中でも一番やさしかったです。死んじゃって、とても悲しかったです。でも……」
「でも?」
「今のアリスさんに、『前のアリスさんの方が良かった』みたいに思ってるって思われちゃったら、だめですから……私はみんなの中で一番年下ですから、甘えておくのがいいんです」
 ……実に。実に耳が痛い返答だ。少しざわついた心を納めるために、俺はまた酒を二口飲む。
「ふぅ……ハートちゃんも大人な考えを持ってるな」
「家が、厳しいですから」
「そうだったな」
 ワンダーランズが結成してから少し経って、ハートちゃんが少し心を開いてきた頃に、みんなに言っていたのを思い出す。普通にしてても、女王らしさは出ているし、そこそこ身分のいい家の出とは予想してるが……実際のところ、どうなんだろうな?
「……それ、なんですか?」
「ん、これか?」
 さっきまで見ていた写真。片方はこの世界で撮った結阿とのツーショット、もう片方は当時のワンダーランズ全員で撮った写真だ。
「わぁ、アリスさんだ」
「懐かしいだろ」
「はい……でも、なんかお茶でもこぼしたみたいな」
「あー、えっと、それはー……」
 言えるかよ、この写真見て泣いてた時あるって。
「言わなくても、大丈夫です。今のでなんとなくわかりましたから」
「分かってるなら言えるよ、泣いてたんだよその写真見て」
 少し投げやりに言う。ついでに酒も飲んだ。コップに入ってた分が無くなったので、また酒を注ぎ足す。いつのまにか、瓶は一本空いてた。そんなに飲んでたか、俺……?
「俺は……いつになったらこの未練、断ち切れるんだろうな」
 左腕を見つめて言う。検査の時、左腕を検査されてたから、多分こっちがディスカーダー化してしまった方なんだろう。
「あいつを喪った絶望で、俺はディスカーダー化した。今もずっと後悔してる。やり直せるんだったら、やり直したい」
「それは、どこからですか」
「全部に決まってるだろ。ワンダーランズに入る前から――」
 言おうとすると、頰を思いっきり叩かれた。
「ダメです、そんなこと言っちゃ」
「……痛えな、ハートちゃん」
「……ひっ」
 頭では分かってる。だが、酒のせいか直情的になってる気がする。ギリギリの理性で、ハートちゃんを殴り倒さずに済んだ。
「……すまん。睨んだりなんかして」
「白ウサギさんが、別の人だったらっ。あ、アリスさんが別の人だったら、ぁっ……私、こんなに馴染めて無かったです…………」
 睨んでしまったせいで、ハートちゃんは怯えてしまって、少しどもりがちになってしまっていた。
「……ハートちゃんに当たるなんて、大人気ないな」
 残り僅かになった酒を一気に飲み干して、冷蔵庫からもう一本酒を取り出して栓を開け、またコップに注ぐ。
「なぁ、ハートちゃん。好きな人はいるか?」
「えっ!?きゅ、急に何を言うんですか」
「居るんなら居るで、居ないなら居ないでいいんだ……この組織に居る以上、結阿みたいに死んじまうこともある。だから、気をつけろって言いたかったんだよ」
 酒をゆらしながら、ハートちゃんに言った。氷のカランという音が気持ちいい。
「えっと、その……し、白ウサギさんが好き、って言ったら……どうします?」
「んー、俺か?確かに、恋愛の手段として傷心のところに付け入るって手はあるな?」
「そ、そうじゃなくて……二人が仲いいの、羨ましいなって思う内に、白ウサギさんのことがなんか、好きになっちゃって……」
「どうした?ハートちゃん、こっそり酒飲んだりしてないよな?」
 どう考えても素面で出るようなセリフじゃないと思う。が、あんまり無下にするのも悪いだろうな。
「あのな、ハートちゃん?酒飲んでるやつが言うのもあれだが、もっといい相手見つけろよ?あいつが居ない俺なんて、ダメ人間なんだからな」
「……」
「ま、とおーい未来、酒が飲める年齢にまでなっても俺の事好きなら考えておいてやるよ」
 ありえないだろうがな。にしても、本当に今日は酒が進む。珍しく話し相手が居るからか?
 そのあと、しばらく無言の時間があった。その時間を破ったのは、やっぱりハートちゃんだった。
「あの……今さっきのこと、本気にしていいんですね?」
「ん?ああ、まずありえないだろうからな。育つにつれ、俺よりいいやつ見つかるだろ」
「……じゃあ、私、頑張ります。恋人まで行かなくても、私が白ウサギさんを支えれるようになります」
「あっはっはっはっは、面白いじゃんか!じゃあなってみればいいんじゃないか?結阿からお許しが出たらいいな!っはっはっは!」
 気分が上がって、また酒が進んだ。
「んー、初めてだなぁ。今まで俺に言い寄ってくるやつなんて居なかったからなぁ。嘘って分かってても面白い」
「もう、そんなこと言わないでくださいよ、本気なのに……」
「ま、現実問題。俺は結阿一筋だが、あいつ的には俺を幸せに支えてくれるようなやつなら許してくれるんじゃないか?」
「そ、そうですか……」
 気づいたらもう一本の瓶が空になっていた。流石にこれ以上は飲める気がしないので、部屋のベッドに仰向けで倒れこむ。
「あぁ……あいつの残り香がまだある気がする……」
 自分の家か俺の家で寝てればいいのに、結阿はここで寝てることがしばしばあった。理由は最後まで教えてくれなかったが……
「お酒、結構、回ってますね」
「そうだなぁ、瓶、二本開けちまったからなぁ」
 比較的、俺は酔いやすい方だとは思うが、今日はよりなんだか酔いやすい気がする。いや、ただ単にいつもの倍以上の酒を飲んでるからか……
「お酒って、楽しいですか?」
「ゲームとかと一緒でなぁ、嫌なことがあったらとりあえずやっておけば忘れて楽しくなんだよ」
「お父さんもお母さんも、お酒を飲んで笑ってる間、私はずっとお勉強、お勉強、お勉強で……ちょっと苦手です」
「んー、そうかぁ……あいつが生きてたら、酒の良さをとくとくと語ってただろうなぁ……」
 結阿は引くほど上戸だ。今まで挑戦してきたやつも居たが、誰にも負けたことがないはずだ。
「っと、いけねえいけねえ。寝るんだったら帰ってからじゃねえとな」
 だいぶ眠気が回ってきた。ここで寝るのもいいが、流石に戻ってから寝るほうがいいだろうと思い、俺はベッドから起き上がる。
「付き合わせて悪かったな、ハートちゃ……ん……」
「?」
 あれ、おかしいな。マジで酔ってる。ハートちゃんが小さい頃の結阿に見える。
「あの……ふらふらしてますけど、大丈夫ですか……?」
「あー……大丈夫じゃねぇかも……」
 起き上がったはいいものの、クラクラしすぎてまた倒れこむ。
「お水、持ってきます?」
「いいや、大丈夫……だと思う」
 だんだん身体もあったまってきてる。視界も歪んできた。
「なあ、ハートちゃん……」
「なんですか?」
「眠くなってきたんだ……俺が寝るまで、そばにいてくれ……」
 俺の無理な頼みも、なんでか聞いてくれた。
「……仕方ないですね。特別ですよ」
 ベッドに腰掛けるハートちゃん。そして、その膝を叩いた。
「はい、どうぞ」
「あぁ……」
 それに俺は疑いもなく引き寄せられる。膝枕か……よく結阿にもされたな……
「ど、どうですか」
「柔らかい……人の温もりだ……」
 そう言った瞬間、涙が溢れてくる。
「結阿……!俺を置いて逝かないでくれよ……!」
 一度流れ出したら、もう涙は止まらなかった。
「お前が心の支えだったんだよ……!これから俺はどうすればいいんだよ!」
「大丈夫です、白ウサギさん……私が、みんなが居ますから」
「それでもダメなんだ……俺は、あいつが居なきゃ、寂しいんだ……!」
 涙とともに、感情も言葉も漏れていく。ハートちゃんの前だから抑えてたのに、止まらない。
「やり直させてくれ、あの日からでいいから、もう一度やり直させてくれ!」
「白ウサギさん、アリスさんの言葉、思い出してあげてください」
「結阿の……言葉?」
「みんなを任せた、って、言ってたんですよね?そんな白ウサギさんが弱気でどうするんですか」
 そうだ……あいつは言ったが、それでも俺はダメなんだ……
「見てるだろ、俺はこんなにも弱いやつなんだ……みんなを任せた、なんてできっこない」
「……私が居るじゃないですか」
「……?どういう、ことだ?」
 俺が聞くと、ハートちゃんは俺の頭を優しく撫でてきた。
「……あ」
 なんだか、結阿に撫でられてる気がした。そんなはずないのにな。
「白ウサギさんは、私の前でこんな弱い姿見せてるじゃないですか。だから……辛いことがあったり、悲しいことがあったら……私が、いつでも話し相手になってあげますから」
 ……確かに、な。ある意味、弱みを握られてる気もするが。他の奴らに、特に今のアリスには見せられないような姿、たっぷりと見せてるもんな。
「じゃあ……ここまで色々話しちまったし、頼むとするか。はは、年下の、それも結構離れてる子が相談相手だなんて、結阿が聞いたら手を叩いて笑うだろうな……」
「なんでも話していいんですよ。アリスさんの代わり、とはいかないですけど……」
「もうその物言いが、結阿そっくりなんだよ……ホントに……」
 さっきの眠気が更に倍増していく。昔を思い出す。結阿に振り回されて、ヘトヘトで家に帰ってきて、眠くなって……そしたら、結阿が膝枕をしてくれて、そのまま寝て……。懐かしい……。思えば、死ぬ一日前の日も、膝枕して貰ってた記憶がある。俺はその時の会話を思い出す。
『近々、大規模作戦があるんだって。知ってた?』
『あー……?なんでだ?』
『ディスカーダーの解放がうまく行かなくて、最近全然解放できてないみたい。だから、いつ一斉に自分からディスカーダーが飛び出してくるかわかんないんだってさ』
『へぇ、じゃあそれまで英気を養っておけってことか』
『そうだね。なんてったって、私は最強の剣士だもん!私が頑張らないでどうするの?』
『じゃあ俺は剣士様にあやかろうかな』
『もー、類ったらー。類も頑張ってよー』
『分かってる分かってる……あぁ、眠くなってきた』
『あ、そう?じゃあいつも通り、寝て大丈夫だから。おやすみ、類』
『ん……おやすみ、結阿』
 ……まさか、あの時はこれが最後の恋人としての時間になるとは思わなかったな。もっと話しておけばよかったかもしれない。
「……ふっ」
「どうしたんですか、急に笑ったりなんかして」
「いや、な……本当に、心から安心してきてな。つい」
「安心してくれるなら、よかったです」
 こんなに穏やかな気持ちで寝るの……いつぶりだろう……な……



 どうしよう、ホントに言っちゃった……白ウサギさんは冗談って思ってたけど、結構本気、なのにな……
 その白ウサギさんは、私の膝の上で安心しきった顔で寝てる。泣き腫らして、目の周りは本当のウサギみたいに赤いけど。
「……そろそろ、いいかな」
 私はそっと白ウサギさんを膝からどけて、落ちないようにベッドの真ん中の方に寄せてあげた。布団は流石にかけてあげられなかったけど、いっか。
「……」
 そして、私はそのままさっきの写真をもう一度見る。
「本当に、いい笑顔だなあ。結阿さん」
 お姉ちゃんみたいで、お母さんみたいで……本当に家族だったら、私の人生もちょっとは変わってたのかな……
「あれ?」
 写真の裏に、小さく文字が書いてあった。
「えーと、『2046/6/4 プロポーズ予定 勇気出せ』……多分これ、白ウサギさんの字……」
 6月4日……結阿さんが死んだ、二日後。私は改めて白ウサギさんを見る。
「もし、あの戦いで結阿さんが生きていたら……」
 それを思うと、なぜか私はホッとしてしまう。
 違う、違うの。死んで欲しかったわけじゃないの。でも、死んでなかったら、私はこの気持ちを伝えることは一生無かったと思う……
『もー、類も頑固だよね』
「……え?」
 声のする方を見ると、いつのまにかさっき私が座ってた椅子に、何か人型のようなものが座っていた。
「ゆ……結阿、さん?」
『あはは、まだ未練がある!って思ったら、この部屋と、あと新しいアリスちゃんの近くでだけ喋れるようになっちゃった』
「今の……聞いてました?」
 色々つっこみたいところはあるけれど……それよりも、私の気持ちを聞かれてたことが恥ずかしい。
『まさかハートちゃんがねえ……うんうん、別にいいことだと思うよ?』
「あの、えと、その……」
 とっさに私は写真を隠す。
『その写真に何か書いてあるの?』
「えっと、白ウサギさんの秘密なので」
『ふーん……まぁ今度ゆっくり見よ。それより、お返事だけど。いいよ』
「え!?」
『こらこら、起きちゃうって』
 思わず大きな声を出してしまい、結阿さんに怒られる。
『類は私一筋って言ってるけど、誰か他に支えてあげて欲しかったし。ハートちゃんがそんなに類の事好きなら、私の分まで支えてあげてよ』
「そんな簡単に決めていいんですか?」
『まあ、長い間付き合ってた彼女としては反対したいところだけど……ハートちゃんになら任せてもいいよ』
「……じゃあ、頑張ります」
 こんな形でまた会えて、しかも私のお願いが通るなんて……喜びより先に驚きが先走る。というか、驚きしかない。
『じゃあ、言うことも言ったし。私は消えるよ。そんな長い時間居れるわけじゃないし』
「ま、まだ話したいことが」
『そう焦んないで。またこの部屋に秘密で来ればいいから。もちろんみんなには話したことどころか、会った事は秘密でね。みんな前に進んでってるし』
「分かり……ました」
 私が返事をすると、すぐに結阿さんは消えていった。
 とんでもない秘密を抱えてしまった私。でも……これから頑張ろうと思えることができた。いつか家を出て、白ウサギさんに……類さんに、会いに行こう。
 私は、一人決意した。
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