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目標のある幸せ ー卒業ー 第五話
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公園から帰り、シャワーを浴びて出てくると、お母さんがお父さんにさっきの話をしていた。
「おはよう。紗良は以前も宙返りをしたとか話していたけど、本当にできるんだね、体は大丈夫なの?」
「おはようございます。記憶以外は問題ないみたいです」
そんな事を言いながら朝ご飯を食べていると、玄関のチャイムが鳴り、モニターを見たお母さんが「春代ちゃんが来た」と言って玄関に行った。
「おはようございます。紗良います?」
「紗良さんはいるけど、今週は学校を休ませようと思うの」
「そうですか。退院はしてきたんですよね。調子がまだ悪いんですか?」
「調子がわるいというか……」
私はリビングから顔を出して制服を着た女の子を見た。
「あっ紗良、どう? 体の調子は?」
「おはようございます。春代さん」
「『春代さん』って、紗弓さん、紗良おかしいですよ? おかしくないですか?」
お母さんは春代にそう訊かれて、すこし困ったような、さみしそうな表情で答えた。
「事故の前の記憶が無いらしいの」
「春代さんが事故の時に救急車とか呼んでくれたんですよね。ありがとうございました」
「ありがとうございましたって、当り前じゃない。紗弓さんこれって冗談ですよね?」
お母さんは何も言わずに首を振っていた。
「冗談じゃないの? うそでしょ? 私のことわからないの?」
春代がなんとなく目がうるうるした感じになって、だんだん戸のほうへ後ろに下がっていく。
「わからないのではありません、思い出せないのです」
そう正直に言うと、突然春代が泣きだし家の戸を開けると、私に向かって学校が終わったらまた来ると言って出ていった。
「どうしていきなり泣いて出て行くのでしょうか? あれは何か言ってあげた方がよかったのでしょうか?」
「何もわからないのに、適当なことを言っても仕方がないわ。春代ちゃんも気持ちの整理がつかないんでしょうね。また来るって言っていたからその時にきちんと話しをしてあげなさい」
そんな様子を聞いていたお父さんも深いため息をついた後、仕事に出かけたので、お母さんと学校の授業についてどうしようかと話しをした。
「私は先生に電話しておくから、紗良さんはできることを、ゆっくりやりなさい」
私にできることは今は覚えることしかない。とりあえずそう思って、私は押し入れにあると言われた小学校の頃からの教科書を見直すことにした。
「一度見れば覚えられるのか」
そう言えば昨日からネットで見たことも思い出すのはすぐにできるので、過去のことを思い出せないのが本当に不思議だった。
お母さんとお昼を食べながら勉強についての話しをした。
「教科書を見ましたので、知識だけは中学校を卒業するくらいにはなれました」
「どういうこと?」
「中学校までの教科書をすべて覚えましたので、中学校を卒業する程度の知識は得られたと思います」
「紗良さんには、もう何を言われても驚かないけど。全部覚えたの?」
「覚えました。ただ、覚えているだけなので文章問題が難しいかと思います」
「歴史とかと違って、記憶だけでできる問題ではないものね、でも過去の問題にあてはめることができれば算数とかは数字を入れ替えるだけでできるでしょう?」
「そのための経験が少ないので、今のところは難しそうです。意味は分かりましたので計算自体は問題なさそうですが」
「それなら、なんでもできるようになるのも時間の問題ね」
つまらなそうにため息をつきながら片付けを始めた。
「お母さんは、私がもとに戻らない方が良いですか?」
「そんなわけないじゃない。でもスマホの使い方を知らなかったり、今のいろいろ頑張ってる紗良さんも可愛いから、元気そうだしどっちでもいいのかなって」
小さい声で「何かちょっと素直で、小さいころのようで可愛いし」と言っているのを聞いて、過去の私はどんな風だったんだろうか? そう思うと、少し思い出すのが怖い気がする。
夕方に玄関の呼び鈴が鳴らされたので、モニターを見てみると春代だった。
「こんにちは、春代さん。どうぞ上がってください」
玄関を開けて招き入れてお母さんに春代さんが来ましたと言うと、いつものように部屋にあがってもらいなさいと座布団をわたされた。
後からお母さんがお茶を持ってきてくれたので、二人で飲みながら話しをする。
「春代さんはもう泣きませんよね」
「また春代さんって呼んだら泣く」
私の目をじっとみながら涙があふれそうになっているのがわかる。
「それでは何と呼んだら泣かないのですか?」
「はるって呼び捨てでお願い」
「わかりました。それでは、はるに説明します」
私は病院で目覚めた時からの記憶しかないこと、基本的な体が覚えているようなことは記憶がなくてもできるが、複雑なことはわからないことなどを説明した。
「特に両親を含めて人間関係まではわからないですし、勉強も一からです」
「一からって、それで小学生の教科書を出してきたの?」
「そうです。ようやく中学生にまで来ました」
「ようやくって、まだ一日目じゃない」
「学校に行くまでにあと三日しかありません。出席日数が必要らしいので何とかして追いつこうと思いますが」
「それで追いついちゃうんだ。紗良は記憶がなくなってもやっぱり紗良なんだね。そういわれると確かに出席日数ばっかり気にしていた気がする」
「最終的な目標が何なのかさっぱり思い出せませんが、出席日数をかなり真剣に考えていたみたいです。記憶が戻ったときに、どうして何もしなかったのかと責められても困りますので、やれることをしたいと思います」
「責められるって自分のことですけどね。多分だけど目標は出席日数じゃないと思う」
「何ですかっ? 教えてください」
私は春代の肩を捕まえて揺さぶった。
「痛い痛い、わかったから興奮しないで。出席日数は多分条件だよ」
「条件?」
「お父さんと約束したんだって。アイドルをしてもいいけど学校はきちんと卒業することって、紗良はアイドルをするために学校も全力を出すって言ってた」
「そうまでして、私はアイドルとして何がしたかったのでしょうか?」
「それは聞いたことがないからわからないけど、もしかしたらメンバーなら知っているかも」
春代はスマホで電話を掛けだした。
「もしもし、さなちゃん? 春代です。今大丈夫? うん、紗良のところにいるんだけど、本当に記憶がなくなっちゃったみたい。はぁ、お弁当を忘れたみたいに軽く言うなって? 私は一回大泣きしたから。ところで紗良がアイドルをしてる理由って聞いたことがある? ないの? 誰か知ってるかもってスマホのアプリか何かで聞けないの? えっ? 会いたいから連れてこい? 病み上がりで無理だよ。今連れ出したら紗弓さんに殺される。分かった、それなら大丈夫かもしれないから聞いてみる。じゃあね」
春代が少し困った顔で「紗良を連れて一緒に来いって言われた」と言った。
「今は無理です」
「そうだよね、それは私も色んな意味で無理だと思う。それでこの来週の土曜日にチーム編成発表があって、ほとんどのメンバーが来るから編成発表後に直接聞いたらどうかって言われた」
私は金土日と三日間を高校の教科書とネットの情報の収集に当て、お母さんには来週の土曜日は春代に連れて行ってもらってメンバーに会ってくると言ったら、春代ちゃんが付いているなら大丈夫だろうから行ってらっしゃいと言われた。
月曜日になると春代が呼びに来てくれたので一緒に高校へ登校する。
「紗良はここで突然あの交差点に向かって走り出したんだよ」
あのガードレールに当たったのかとは思ったが、全く記憶が無い。交差点は特に特徴があるものでもなく、今まで通ってきた道に有った交差点と何も印象は変わらない。
「やはり何も思い出せないですね」
「あの時私が止めてればこんなことにはならなかったのに」
春代がまたもや、みるみる目に涙をためるので、ハンカチで涙を拭いてあげた。
「別に死んだわけではないですし。そもそも私が突然走り出して、はるが止められるはずがないと思われますので、できもしないことを想像して後悔をするのはやめてください」
「だって、あのとき紗良が動かなくなっちゃったんだもん」
「わかりましたから。私はここにいますよ、ほら、ねっねっ。もう泣かないよね」
涙が次から次へとあふれてくるので、どうしようかと春代の頬に手を当てて瞳を覗き込んでほらもう大丈夫と言ってあげた。
「紗良の方がつらいのにごめんなさい」
「何となくですが、はるらしくない気がします。それに私は今の状況をつらいと思っていませんよ」
「そうなの?」
「この状況がつらいというのは何かと比較してでしょう? 私には比較するものがありませんから、今はこういうものなのかと思っています。これからどう思うかはわかりませんが、多分何も思わないんじゃないですかね」
春代は紗良の場合はそういうものなのかとぶつぶつ言いながら学校に向かった。
学校に着くと春代は職員室に私を連れて行ってくれた。
「先生。おはようございます」
「山岸、ご苦労さんだったな」
私も先生に挨拶をすると、先生が相羽は特に異常がなさそうだがと言いながら春代を見る。
「私の体は特に問題ありませんが、事故前の記憶がありません」
「記憶が無いってどういうこと?」
先生が春代に訊くと、「両親のこともきれいさっぱり覚えていないそうです。勿論私たちのことも」と言った。
「普通に話しをしているようだけど」
「会話とかあまり考えなくても条件反射的にできることはできるみたいですから一時的なものではないかと病院の先生は言っていました」
「そうなのか。それで授業はどうする?」
「勉強については取り戻しましたので、後は経験を積ませてもらえれば何とかなると思います」
「取り戻したって、どういうこと?」
「紗良は小学校の教科書から今の高校まで全部覚えたらしいです」
春代が自分のことでもないのに自慢げに答える。
「そんな落とし物みたいに、なくしたものを拾いましたって感じでできるものなのか?」
腑に落ちないという雰囲気だったが、相羽が何とかなると言うのなら普通に大丈夫なんだろうということで、調子が悪かったらすぐに言うようにと言われた。
教室に入るとみんなが大丈夫だったのかと訊いてきたので、記憶が無いこと以外は問題ないのでこれからもよろしくお願いしますと言い、春代が教室の席順に名前を書いてくれたので、それを見てクラスメイトの名前と顔を覚えた。
授業が終わったところで、休み時間に話しかけられた。
「もうみんなの名前と顔を覚えたの?」
「名前と顔だけしかわかりませんが大丈夫です」
「じゃあ、私の名前は?」
「和田秋穂さんですよね」
「初めて相羽さんに、ちゃんと名前を呼ばれた気がする」
「そうなんですか?」
「相羽さんて、春代といるか一人で本を読んでるかしかしていないし、修学旅行の時に少し話しをしたくらい」
遠くから春代がこっちをみながら、そうそうとうなずいていた。
「そうですか。それはどうしてでしょうか?」
「相羽さんは自分から話しかけるタイプではないし、私としても近寄りがたい雰囲気があったからかも、今よりももっと話しかけないでくださいみたいな」
「なるほど。その時の私のことはわかりませんが、話しかけていただければ、お話しさせていただけると思いますので、これからも話しかけていただければ嬉しいです」
そんな話をしながら、私は自分がどういう人間だったのかますますわからなくなっていた。
学校からの帰り道で春代に私がどういう人間だったのかと訊いてみる。
「紗良がどんな人だったかって? 無口で、人と付き合うのが苦手で、気を使う人で、平凡な人生が好きな人かな」
「そんな人がどうしてアイドルをしているんですか? 全く真逆じゃないですか」
「そう。だから、私は紗良からアイドルを目指すと聞いて驚いたよ」
無口で人と付き合うのが苦手なアイドルというのは、なかなかいないキャラクターのようだが、そんなことがありえるのだろうか、ネットでは氷の女王とか散々に書かれていたのを見たが。
「でもね、紗良は本当に美人でスタイルも抜群だし、人のために一生懸命になれるし、性格も正直だし、たまにしか見せてくれないけど笑顔も素敵だから、アイドルになるって聞いたことには驚いたけど、紗良ならなれるだろうって思った」
メンバーのさなちゃんも紗良が大好きだって言ってたよ、と言いながら話していると家についた。
「当分迎えに来るから、勝手に学校にいかないでよね」
「わかりました。よろしくお願いします」
春代が驚いたような顔でこちらを見る。
「すごく素直で新鮮。普段なら『ひとりで行けますから、先に行ってください。用事は無いんですか?』とか言いそうなのに」
「そう言った方がよかったですか?」
「いやいやいやいや。多分紗良的に気をつかっているんだと思うよ、自分は人に気をつかうのに人に気をつかわせるのは嫌がっていたから」
それからは毎日春代と学校へ一緒に通った。
「おはよう。紗良は以前も宙返りをしたとか話していたけど、本当にできるんだね、体は大丈夫なの?」
「おはようございます。記憶以外は問題ないみたいです」
そんな事を言いながら朝ご飯を食べていると、玄関のチャイムが鳴り、モニターを見たお母さんが「春代ちゃんが来た」と言って玄関に行った。
「おはようございます。紗良います?」
「紗良さんはいるけど、今週は学校を休ませようと思うの」
「そうですか。退院はしてきたんですよね。調子がまだ悪いんですか?」
「調子がわるいというか……」
私はリビングから顔を出して制服を着た女の子を見た。
「あっ紗良、どう? 体の調子は?」
「おはようございます。春代さん」
「『春代さん』って、紗弓さん、紗良おかしいですよ? おかしくないですか?」
お母さんは春代にそう訊かれて、すこし困ったような、さみしそうな表情で答えた。
「事故の前の記憶が無いらしいの」
「春代さんが事故の時に救急車とか呼んでくれたんですよね。ありがとうございました」
「ありがとうございましたって、当り前じゃない。紗弓さんこれって冗談ですよね?」
お母さんは何も言わずに首を振っていた。
「冗談じゃないの? うそでしょ? 私のことわからないの?」
春代がなんとなく目がうるうるした感じになって、だんだん戸のほうへ後ろに下がっていく。
「わからないのではありません、思い出せないのです」
そう正直に言うと、突然春代が泣きだし家の戸を開けると、私に向かって学校が終わったらまた来ると言って出ていった。
「どうしていきなり泣いて出て行くのでしょうか? あれは何か言ってあげた方がよかったのでしょうか?」
「何もわからないのに、適当なことを言っても仕方がないわ。春代ちゃんも気持ちの整理がつかないんでしょうね。また来るって言っていたからその時にきちんと話しをしてあげなさい」
そんな様子を聞いていたお父さんも深いため息をついた後、仕事に出かけたので、お母さんと学校の授業についてどうしようかと話しをした。
「私は先生に電話しておくから、紗良さんはできることを、ゆっくりやりなさい」
私にできることは今は覚えることしかない。とりあえずそう思って、私は押し入れにあると言われた小学校の頃からの教科書を見直すことにした。
「一度見れば覚えられるのか」
そう言えば昨日からネットで見たことも思い出すのはすぐにできるので、過去のことを思い出せないのが本当に不思議だった。
お母さんとお昼を食べながら勉強についての話しをした。
「教科書を見ましたので、知識だけは中学校を卒業するくらいにはなれました」
「どういうこと?」
「中学校までの教科書をすべて覚えましたので、中学校を卒業する程度の知識は得られたと思います」
「紗良さんには、もう何を言われても驚かないけど。全部覚えたの?」
「覚えました。ただ、覚えているだけなので文章問題が難しいかと思います」
「歴史とかと違って、記憶だけでできる問題ではないものね、でも過去の問題にあてはめることができれば算数とかは数字を入れ替えるだけでできるでしょう?」
「そのための経験が少ないので、今のところは難しそうです。意味は分かりましたので計算自体は問題なさそうですが」
「それなら、なんでもできるようになるのも時間の問題ね」
つまらなそうにため息をつきながら片付けを始めた。
「お母さんは、私がもとに戻らない方が良いですか?」
「そんなわけないじゃない。でもスマホの使い方を知らなかったり、今のいろいろ頑張ってる紗良さんも可愛いから、元気そうだしどっちでもいいのかなって」
小さい声で「何かちょっと素直で、小さいころのようで可愛いし」と言っているのを聞いて、過去の私はどんな風だったんだろうか? そう思うと、少し思い出すのが怖い気がする。
夕方に玄関の呼び鈴が鳴らされたので、モニターを見てみると春代だった。
「こんにちは、春代さん。どうぞ上がってください」
玄関を開けて招き入れてお母さんに春代さんが来ましたと言うと、いつものように部屋にあがってもらいなさいと座布団をわたされた。
後からお母さんがお茶を持ってきてくれたので、二人で飲みながら話しをする。
「春代さんはもう泣きませんよね」
「また春代さんって呼んだら泣く」
私の目をじっとみながら涙があふれそうになっているのがわかる。
「それでは何と呼んだら泣かないのですか?」
「はるって呼び捨てでお願い」
「わかりました。それでは、はるに説明します」
私は病院で目覚めた時からの記憶しかないこと、基本的な体が覚えているようなことは記憶がなくてもできるが、複雑なことはわからないことなどを説明した。
「特に両親を含めて人間関係まではわからないですし、勉強も一からです」
「一からって、それで小学生の教科書を出してきたの?」
「そうです。ようやく中学生にまで来ました」
「ようやくって、まだ一日目じゃない」
「学校に行くまでにあと三日しかありません。出席日数が必要らしいので何とかして追いつこうと思いますが」
「それで追いついちゃうんだ。紗良は記憶がなくなってもやっぱり紗良なんだね。そういわれると確かに出席日数ばっかり気にしていた気がする」
「最終的な目標が何なのかさっぱり思い出せませんが、出席日数をかなり真剣に考えていたみたいです。記憶が戻ったときに、どうして何もしなかったのかと責められても困りますので、やれることをしたいと思います」
「責められるって自分のことですけどね。多分だけど目標は出席日数じゃないと思う」
「何ですかっ? 教えてください」
私は春代の肩を捕まえて揺さぶった。
「痛い痛い、わかったから興奮しないで。出席日数は多分条件だよ」
「条件?」
「お父さんと約束したんだって。アイドルをしてもいいけど学校はきちんと卒業することって、紗良はアイドルをするために学校も全力を出すって言ってた」
「そうまでして、私はアイドルとして何がしたかったのでしょうか?」
「それは聞いたことがないからわからないけど、もしかしたらメンバーなら知っているかも」
春代はスマホで電話を掛けだした。
「もしもし、さなちゃん? 春代です。今大丈夫? うん、紗良のところにいるんだけど、本当に記憶がなくなっちゃったみたい。はぁ、お弁当を忘れたみたいに軽く言うなって? 私は一回大泣きしたから。ところで紗良がアイドルをしてる理由って聞いたことがある? ないの? 誰か知ってるかもってスマホのアプリか何かで聞けないの? えっ? 会いたいから連れてこい? 病み上がりで無理だよ。今連れ出したら紗弓さんに殺される。分かった、それなら大丈夫かもしれないから聞いてみる。じゃあね」
春代が少し困った顔で「紗良を連れて一緒に来いって言われた」と言った。
「今は無理です」
「そうだよね、それは私も色んな意味で無理だと思う。それでこの来週の土曜日にチーム編成発表があって、ほとんどのメンバーが来るから編成発表後に直接聞いたらどうかって言われた」
私は金土日と三日間を高校の教科書とネットの情報の収集に当て、お母さんには来週の土曜日は春代に連れて行ってもらってメンバーに会ってくると言ったら、春代ちゃんが付いているなら大丈夫だろうから行ってらっしゃいと言われた。
月曜日になると春代が呼びに来てくれたので一緒に高校へ登校する。
「紗良はここで突然あの交差点に向かって走り出したんだよ」
あのガードレールに当たったのかとは思ったが、全く記憶が無い。交差点は特に特徴があるものでもなく、今まで通ってきた道に有った交差点と何も印象は変わらない。
「やはり何も思い出せないですね」
「あの時私が止めてればこんなことにはならなかったのに」
春代がまたもや、みるみる目に涙をためるので、ハンカチで涙を拭いてあげた。
「別に死んだわけではないですし。そもそも私が突然走り出して、はるが止められるはずがないと思われますので、できもしないことを想像して後悔をするのはやめてください」
「だって、あのとき紗良が動かなくなっちゃったんだもん」
「わかりましたから。私はここにいますよ、ほら、ねっねっ。もう泣かないよね」
涙が次から次へとあふれてくるので、どうしようかと春代の頬に手を当てて瞳を覗き込んでほらもう大丈夫と言ってあげた。
「紗良の方がつらいのにごめんなさい」
「何となくですが、はるらしくない気がします。それに私は今の状況をつらいと思っていませんよ」
「そうなの?」
「この状況がつらいというのは何かと比較してでしょう? 私には比較するものがありませんから、今はこういうものなのかと思っています。これからどう思うかはわかりませんが、多分何も思わないんじゃないですかね」
春代は紗良の場合はそういうものなのかとぶつぶつ言いながら学校に向かった。
学校に着くと春代は職員室に私を連れて行ってくれた。
「先生。おはようございます」
「山岸、ご苦労さんだったな」
私も先生に挨拶をすると、先生が相羽は特に異常がなさそうだがと言いながら春代を見る。
「私の体は特に問題ありませんが、事故前の記憶がありません」
「記憶が無いってどういうこと?」
先生が春代に訊くと、「両親のこともきれいさっぱり覚えていないそうです。勿論私たちのことも」と言った。
「普通に話しをしているようだけど」
「会話とかあまり考えなくても条件反射的にできることはできるみたいですから一時的なものではないかと病院の先生は言っていました」
「そうなのか。それで授業はどうする?」
「勉強については取り戻しましたので、後は経験を積ませてもらえれば何とかなると思います」
「取り戻したって、どういうこと?」
「紗良は小学校の教科書から今の高校まで全部覚えたらしいです」
春代が自分のことでもないのに自慢げに答える。
「そんな落とし物みたいに、なくしたものを拾いましたって感じでできるものなのか?」
腑に落ちないという雰囲気だったが、相羽が何とかなると言うのなら普通に大丈夫なんだろうということで、調子が悪かったらすぐに言うようにと言われた。
教室に入るとみんなが大丈夫だったのかと訊いてきたので、記憶が無いこと以外は問題ないのでこれからもよろしくお願いしますと言い、春代が教室の席順に名前を書いてくれたので、それを見てクラスメイトの名前と顔を覚えた。
授業が終わったところで、休み時間に話しかけられた。
「もうみんなの名前と顔を覚えたの?」
「名前と顔だけしかわかりませんが大丈夫です」
「じゃあ、私の名前は?」
「和田秋穂さんですよね」
「初めて相羽さんに、ちゃんと名前を呼ばれた気がする」
「そうなんですか?」
「相羽さんて、春代といるか一人で本を読んでるかしかしていないし、修学旅行の時に少し話しをしたくらい」
遠くから春代がこっちをみながら、そうそうとうなずいていた。
「そうですか。それはどうしてでしょうか?」
「相羽さんは自分から話しかけるタイプではないし、私としても近寄りがたい雰囲気があったからかも、今よりももっと話しかけないでくださいみたいな」
「なるほど。その時の私のことはわかりませんが、話しかけていただければ、お話しさせていただけると思いますので、これからも話しかけていただければ嬉しいです」
そんな話をしながら、私は自分がどういう人間だったのかますますわからなくなっていた。
学校からの帰り道で春代に私がどういう人間だったのかと訊いてみる。
「紗良がどんな人だったかって? 無口で、人と付き合うのが苦手で、気を使う人で、平凡な人生が好きな人かな」
「そんな人がどうしてアイドルをしているんですか? 全く真逆じゃないですか」
「そう。だから、私は紗良からアイドルを目指すと聞いて驚いたよ」
無口で人と付き合うのが苦手なアイドルというのは、なかなかいないキャラクターのようだが、そんなことがありえるのだろうか、ネットでは氷の女王とか散々に書かれていたのを見たが。
「でもね、紗良は本当に美人でスタイルも抜群だし、人のために一生懸命になれるし、性格も正直だし、たまにしか見せてくれないけど笑顔も素敵だから、アイドルになるって聞いたことには驚いたけど、紗良ならなれるだろうって思った」
メンバーのさなちゃんも紗良が大好きだって言ってたよ、と言いながら話していると家についた。
「当分迎えに来るから、勝手に学校にいかないでよね」
「わかりました。よろしくお願いします」
春代が驚いたような顔でこちらを見る。
「すごく素直で新鮮。普段なら『ひとりで行けますから、先に行ってください。用事は無いんですか?』とか言いそうなのに」
「そう言った方がよかったですか?」
「いやいやいやいや。多分紗良的に気をつかっているんだと思うよ、自分は人に気をつかうのに人に気をつかわせるのは嫌がっていたから」
それからは毎日春代と学校へ一緒に通った。
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