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目標のある幸せ ー卒業ー 第十九話
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三期生も仲間になって相応の時間が経ち、パフォーマンスでも二期生についてこられるようになったころ、私たちは恒例のツアーに向けたレッスンをしていた。
「それじゃあ休憩にしましょう。倒れないようにちゃんと水分補給して」
振り付けの先生がそう言って、みんな水を飲みに行った。
「愛華、今あそこずれていましたよ。気を付けて」
「はいっ! わかりました」
愛華は勢いよく返事をすると、私と変わらないくらい背が伸びてグループでもトップクラスの美人になったと言われている美香に、こそこそと話しをしていた。
「紗良姐さんってどこに目が付いているのかわからないってくらいよく見えてますよね。本当にずれてました?」
「うん。タイミングがちょっと遅かったかな」
「そうですか。でも珍しいですよね、あんな紗良姐さんのイラっとしている感じ。感情の起伏がないっていうのが口癖なのに」
「聞いてないの? じゃあ愛華には言っておくわ。卒業云々でもめたらしいよ。歌でも歌ってるのかってくらい、卒業するって廊下で叫んでたって」
「誰がですか?」
「紗良ちゃんに決まってるじゃない」
「えっ? 紗良姐さんが? 本当ですかそれ」
私が愛華の声がした方を見ると、なにやら驚いたような顔をしているのが見えた。
「しっ。紗良ちゃんは耳もいいから。声が大きいよ。また後で教えてあげる」
愛華はそんなこと教えてもらっていないと少し呆然としていたが、私の視線に気が付いて何でもないですという感じで水を飲み始め、そのあとすぐに始めますと言われて何事もなかったように振り付けの練習に戻った。
「…姐さん。紗良姐さんってば」
こんな呼び方をするのはこのグループでは一人しかいない。
「愛華。その呼び方どうしたんですか? おかしいでしょう。紗良先輩とか紗良ちゃんでいいですよ」
「紗良ちゃんとかお姉ちゃんだと、ちょっとなれなれしい感じがするし、姉貴って感じなので姐さんって呼ばせてもらうことにしました」
「姉貴? それは若干、怖さが入っている気がしますね。愛華は私が目標だって言っていましたが、愛華の中で私はどんな感じなんですか? 何となく知りたくなってきましたよ」
私がこんな風に話をしても愛華は全く気にしなくなった。
むしろ目をキラキラさせて見られているこっちがちょっと引き気味にはなる。
「とっても凛々しくてかっこいいですよ。それにきれいです」
「そうですか。うーん。最後のきれいは付け足し感がすごいですが。まあいいでしょう。ところで何ですか?」
「私、聞いていないです」
そう言って私を見る目に、今度は少し怒りの感情と大きな悲しみの感情が入り混じっていたので、あえて何かを言わずに話しを続けることにした。
「ああ、私が叫んでいたという話をどっかから聞いたんですね。おはずかしい。あれについては意味も分からず少し伸びると思いますが、考えていますよ」
「どうしてですか? 嫌になったとか?」
「いいえ、自分の中で納得したからです。愛華は私の決断を尊重してはくれないのですか?」
「そんな。そんなことはないですけど、たださみしいです。それに教えてほしかった」
「そうですか。誰かに言ったわけではないですし、そうやって言っていただけるくらいには私もなれたのですかね。でもこれからは、愛華たちが頑張っていくんですよ。とは言っても今すぐではありませんから、それまではお願いします」
少しの怒りなど、はるかに超えて今にも泣きだしそうな愛華に、家も近いし電話番号も知っているでしょ、仕事にその感情を出さないようにねと言って、泣かないように慰めながら、私も少しは人の気持ちがわかるようになったのかなと思っていた。
私は二十三才になり絵里奈が卒業するのと同じように、自分も卒業することを考えていたのだった。
「紗良、私卒業しようと思うの」
ちょっと話があるのと言われて二人で会った時に絵里奈が私に教えてくれた。
「おめでとうございます。そうだと思いました」
「やっぱり、止めたりしないんだね。ちょっと寂しい」
「絵里奈が何か迷っているのであれば、止めることもあるかもしれませんが目をみればそうでないことはわかりますし、絵里奈は卒業したら、もう私とは付き合ってくれないのですか?」
「そんなわけないじゃない。むしろ付き合ってくれなくなるのは紗良の方でしょ」
絵里奈の瞳を見ると少しうるんでいた。
「紗良はもう少し続けるの?」
「絵里奈の卒業を見届けたら、次の目標に進もうかと思っています」
「私を待っていてくれたんだ」
「推しメンの卒業を見届けるのは私が思うファンの役目ですからね」
それならもっといればよかったかなという絵里奈に、馬鹿なことを言っていないで自分の進む道を行ってくださいと言った。
絵里奈の卒業を見届けた後、今では肩書的に出世した村雨取締役に最後までやり切ったと思うので、卒業を考えているというと、もう一年待てと言われてしまった。「どうしてなのか?」と私が訊いても時期じゃないからどうしてもと言われて止められた。
その時に、大声で卒業できない理由を教えろと持ち前の声量で叫んでいたのだ。
そう言われて、何の時期だとも思ったが、さなえは私を捨てるのかと泣くし、次のプランを考えているものの、今のアイドルとしての活動と平行するのは難しいので、そこまで言われては今の仕事を中途半端にはできないと思い、止められた理由はよくわからないが、もう少しだけ今のグループでの活動に専念させてもらうことにした。
「紗良が思いとどまってくれてよかった」
「さぁちゃん、少し伸ばしただけですよ。いつかは卒業するのですから。あなただってそうでしょう。私よりも一つ上ですし」
「それでも、私は紗良がいなくなったらさみしいから、できるだけ一緒にいたい」
「また、グループのエースが何をそんな弱気なことを言っているのですか? 一期生は残り少なくなっていますが、同期のみんなだってまだいますし、三期生もいるし、四期生だって入ってくるでしょう」
「紗良はそうやって、私を捨てるんでしょ」
「恋人じゃないんだから捨てるわけじゃないですよ。次のことをするの」
「次のことって何をするの?」
「大学に行きます」
「今から? 無理でしょ……でもないか、紗良なら」
大学に行くとはっきり教えてあげたので、それ以上さなえは何も言わなかった。
しばらくたって、今日から新しくマネージャーが入ってくるので紹介すると言われてみんなチーム編成発表の後でその人を待っていた。
「新入社員だって」
「今ごろ? だよね。人手が足りてないから時々入ってくるけど、何か取締役の知り合いで、無理やり引っ張ってきたって」
「無理やりって、今までそんな人いなかったよね。めちゃくちゃ怖かったりして」
「新人のマネージャーさんで怖いとかないでしょ」
三期生がそんな話しをしていると村雨取締役が入ってきて、ミーティングルームを見渡した。
「みんな集まっているな、今日から新しく入ったマネージャーを紹介するから、それじゃあ入って」
「失礼します!」
扉の向こうから聞こえてくるこの元気な明るい声は、なんか家の玄関先で聞いたことがあると思った。
「この度、ヴァルコスマイルのマネージャーをさせていただくことになりました、山岸春代です。新人ですのでわからないことも多いと思いますが、よろしくお願いします」
大手音楽関係の会社に就職したって聞いていたけど、ここだったの? でも入社した人には山岸とかいなかったし、頭の中で何が何やら訳がわからないと思っていると、村雨取締役から説明があった。
「山岸さんは出向で来てもらっているから、純粋に当社採用の社員ということではないので、配属が遅くなった。まあこれからの仕事はみんな一緒に仲良くやってくれ」
さなえも隣でポカーンとしていたが、私に知っていたかと目で訴えてきたので、首を横に振った。
「美香先輩、あの人って紗良姐さんの知り合いですよね」
「知り合いもなにも幼馴染よ、一期と二期のメンバーはだいたい知っていると思う。紗良ちゃんを制御というか振り回すことのできる数少ない人の一人」
村雨取締役が、当面はチームベータのマネージャーをしてもらうから今日は打ち合わせも終わったのでこのまま帰ってもいいぞと春代に言って出て行った。
「本当にいいんですか? 取締役ありがとうございますっ!」
そう言って村雨取締役に向かってお辞儀をするとこっちを振り返った。
「いやー、何とか間に合った」
みんなが春代に宜しくお願いしますと挨拶して帰っていく中、私は春代をじっと見る。
「はる、ちょっと聞くんだけど。何が間に合って何をしているのですか?」
「そりゃあ、みんながいるうちにマネージャーになりたかったのに、だんだんいなくなっちゃうんだもの」
「ん? ちょっちょっと待って。それで村雨取締役が私にもう少し待てっていったの?」
私は小さい声で春代に訊いた。
「そうよ。だって紗良のところでマネージャーになるって頑張ったのに、もしも卒業するって言ったら取締役に止めてって」
「「おまえかっ!」」
横で聞いていたさなえも同じように大きな声を出したので、みんなが何事かとこっちを振り返った。
「はる、よくやったわ」
タイミングと言葉は同じでも、さなえは私と違って引き留めた功労者という意味でお前かと言ったのだ。
「はる、よく聞いて、私の計画を何だと思っているの?」
「紗良ならちょっとくらい回り道しても大丈夫でしょ。せっかく頑張ったんだから私と一緒にもう少しやってよ。仕事覚えるから」
ここへきて、将来やりたい云々もようやくすべてが分かった。まあ、来てしまったものは仕方がない。春代は昔から私を強引にみんなのところに連れていってくれる人なのだから。この程度のことは私が考えなかっただけで、普通だ。
「わかりました。私は良いですから他のメンバーのことを、しっかり見てあげてください」
「任せなさい、こう見えてもここに来るのも大変だったんだからね」
「はあ? それは何でですか?」
「ここに来るために頑張っていたのが裏目に出てしまって、使えるからってずっと行かせてくれなくて、向こうの課長と取締役とで約束が違うって一揉め。取締役がコネ入社だと思われるのが嫌だからって向こうに正式ルートで就職したのに」
できる女なのよと自慢げにいう春代に、それはもともとわかっていたため驚きもしなかったが、その突拍子のない行動にあきれて、いつもの仏頂面になった。
「あぁそうですか。それは大変でしたね。とりあえずしっかりやってください」
私は仏頂面を見せながらとりあえず頑張ってと何とか声を絞り出して言った。
しばらくは、チームベータのマネージャーにかかりっきりで姿をあまり見かけなかったが持ち前の情報収集能力とコミュニケーション能力でチームベータのメンバーと打ち解けるのも、他のマネージャーの人たちと打ち解けるのも驚くほど春代は早かった。
春代と仕事と関係のない話をしていたら、おもむろに言われた。
「なんだかなぁ。ようやく私が仕事を覚えたと思ったら、もう卒業しちゃうんだね」
「もうって、誰かに止められていただけです。それに、ここに来た早々から何年も居たみたいな感じにしか見えなかったけど」
私の卒業の日程も決まり、ブログでファンの皆さんへの報告も済ませ、今はライブの後に卒業セレモニーをさせていただけるということで、準備をしていた。
本当は簡単な挨拶だけで済まそうと思っていたのだが、村雨取締役からは、「服部にはファンの人にきちんと言わないとって、自分で言っておきながら自分が何もしないとかあるのか?」と言われ、横で聞いていたみんなからはすごい目で睨まれたので、恐縮しながらも卒業セレモニーをさせてもらうことにした。
最後に着させてもらう衣装は自分に似合うだろと思われる、まっ黒なものにしようかと思っていたが、村雨取締役から相羽の最後にまっ黒なドレスを着させたら怖すぎるから、ちゃんと輝くような感じにしてくれと言われて、黒が基調だけど星の輝きをちりばめたような、素敵な衣装にしてもらった。
私の名前の入ったタオルを大勢のファンの人たちが持ってくれているのを見ながら、センターの時の楽曲と私の好きな曲を披露させてもらい、最後のステージでファンの方々への挨拶をさせていただく。
これが私の、私だけのアイドルとしての最後だ。
「相羽紗良です。今日はヴァルコスマイルとして私の最後のステージにお付き合いいただき、ありがとうございます。もう少しだけお話をさせていただく時間をください」
こんな私でも、卒業するときに泣いてくれるファンの人がいるんだなと、今までの活動を支えてくれたことへの感謝の気持ちがあふれてきていた。
「私はこのグループを知るまで、自分が本当にやりたいと思うことがありませんでした。なんでもいいんです。目標があるということは、それだけで幸せなのだと私は思います。そんな私ですが、目標を見つけて、こうやってグループに入ることができて、ファンの皆さんの応援してくれる気持ちを感じてここまで来られました。もちろんメンバーのみんなや、スタッフの方々のおかげでもあります。そして今まで、いろいろな経験をさせていただき、やり切ったと感じて、卒業をさせていただきます。これからは、また新しい目標に向かって進んでいきたいと思っています。私は多くの皆さんがご存じのように仏頂面が基本で、到底アイドルには向いていないと自分では思っていましたし、実際のところあまりアイドルとしては良くなかったかもしれません。とは言っても、できるだけ頑張ってはいたのですが……。それでもこうやって応援してくれる皆さんがいてくれることは、本当に感謝しかありません。ありがとうございました」
一人スポットライトにあたりながら、頭をさげて、仕事を辞めるわけではないけれど、こうして多くのみんなの前に出てくるのも最後かもしれないと思うと、何かほっとしたような気持になりながら、それを超えるさみしさのような感覚に襲われていた。
グループを卒業するというのはこんな気持ちになるものなのかと思いながら頭を上げる。
「皆さんは覚えておられるかわかりませんが、お披露目会で初めて皆さんの前に出たときのことを、私は今でも鮮明に思い出せます。あの時の映像を見ると、私は笑顔で出てきていたのですが、それから成長した私を見ていただくために、その時の私を思い出して、最後に精一杯の笑顔を皆さんに見ていただきたいと思います」
私は天井を見上げ、目をつむる。
そして、軽く呼吸を整えるとまっすぐ前を向いて、これまでの感謝の気持ちを込めて客席に向かって微笑んだ。
スクリーンにも映し出されているので遠くの人にも見てもらえただろう。
会場が静寂に覆われていて物音ひとつしないので、「ああ、まだまだだったかな?」などと思いながら、もう一度頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
静かだった観客席から、割れんばかりの拍手が会場を包み、頭を上げると号泣してくれている人も見える。
私を見てくれた人に少しでも感謝の気持ちが届けられたなら良かった。本当にそう思う。
ステージを降りて楽屋に戻るとみんなが迎えてくれた。
「紗良って本当にきれいだよね」
さなえにそう言われて、私は自分の姿を鏡で見た。
「そうですね。本当に素敵な衣装にしていただいたので、私も映えるってものです」
「衣装のことじゃないからっ! いや衣装もだけど。もう行かないでって言いたい」
「いや言ってますよね。ずっと何も変わらない人生だと思っていましたが、私はこのグループに出会って、さぁちゃんたちとも出会えて本当に幸せです。特にさぁちゃんには助けてもらっていたと思っています」
さなえの手を握りながらじっと瞳を見る。
「さぁちゃん。今まで、本当にありがとう」
「なっ、なんなのよ。なんかもう二度と会ってくれない感じの挨拶しないでよ」
「そうですね。でもまたすぐに会えますよ。私が以前に言ったこと忘れないでください」
あまりさなえと話をしていると今すぐにでも泣き出しそうなので、すでに泣いて愛華に慰められている美香の方に行くことにした。あなたたちも全く会えなくなるわけじゃないんだからと、記念に写真を撮っていた。
「それじゃあ休憩にしましょう。倒れないようにちゃんと水分補給して」
振り付けの先生がそう言って、みんな水を飲みに行った。
「愛華、今あそこずれていましたよ。気を付けて」
「はいっ! わかりました」
愛華は勢いよく返事をすると、私と変わらないくらい背が伸びてグループでもトップクラスの美人になったと言われている美香に、こそこそと話しをしていた。
「紗良姐さんってどこに目が付いているのかわからないってくらいよく見えてますよね。本当にずれてました?」
「うん。タイミングがちょっと遅かったかな」
「そうですか。でも珍しいですよね、あんな紗良姐さんのイラっとしている感じ。感情の起伏がないっていうのが口癖なのに」
「聞いてないの? じゃあ愛華には言っておくわ。卒業云々でもめたらしいよ。歌でも歌ってるのかってくらい、卒業するって廊下で叫んでたって」
「誰がですか?」
「紗良ちゃんに決まってるじゃない」
「えっ? 紗良姐さんが? 本当ですかそれ」
私が愛華の声がした方を見ると、なにやら驚いたような顔をしているのが見えた。
「しっ。紗良ちゃんは耳もいいから。声が大きいよ。また後で教えてあげる」
愛華はそんなこと教えてもらっていないと少し呆然としていたが、私の視線に気が付いて何でもないですという感じで水を飲み始め、そのあとすぐに始めますと言われて何事もなかったように振り付けの練習に戻った。
「…姐さん。紗良姐さんってば」
こんな呼び方をするのはこのグループでは一人しかいない。
「愛華。その呼び方どうしたんですか? おかしいでしょう。紗良先輩とか紗良ちゃんでいいですよ」
「紗良ちゃんとかお姉ちゃんだと、ちょっとなれなれしい感じがするし、姉貴って感じなので姐さんって呼ばせてもらうことにしました」
「姉貴? それは若干、怖さが入っている気がしますね。愛華は私が目標だって言っていましたが、愛華の中で私はどんな感じなんですか? 何となく知りたくなってきましたよ」
私がこんな風に話をしても愛華は全く気にしなくなった。
むしろ目をキラキラさせて見られているこっちがちょっと引き気味にはなる。
「とっても凛々しくてかっこいいですよ。それにきれいです」
「そうですか。うーん。最後のきれいは付け足し感がすごいですが。まあいいでしょう。ところで何ですか?」
「私、聞いていないです」
そう言って私を見る目に、今度は少し怒りの感情と大きな悲しみの感情が入り混じっていたので、あえて何かを言わずに話しを続けることにした。
「ああ、私が叫んでいたという話をどっかから聞いたんですね。おはずかしい。あれについては意味も分からず少し伸びると思いますが、考えていますよ」
「どうしてですか? 嫌になったとか?」
「いいえ、自分の中で納得したからです。愛華は私の決断を尊重してはくれないのですか?」
「そんな。そんなことはないですけど、たださみしいです。それに教えてほしかった」
「そうですか。誰かに言ったわけではないですし、そうやって言っていただけるくらいには私もなれたのですかね。でもこれからは、愛華たちが頑張っていくんですよ。とは言っても今すぐではありませんから、それまではお願いします」
少しの怒りなど、はるかに超えて今にも泣きだしそうな愛華に、家も近いし電話番号も知っているでしょ、仕事にその感情を出さないようにねと言って、泣かないように慰めながら、私も少しは人の気持ちがわかるようになったのかなと思っていた。
私は二十三才になり絵里奈が卒業するのと同じように、自分も卒業することを考えていたのだった。
「紗良、私卒業しようと思うの」
ちょっと話があるのと言われて二人で会った時に絵里奈が私に教えてくれた。
「おめでとうございます。そうだと思いました」
「やっぱり、止めたりしないんだね。ちょっと寂しい」
「絵里奈が何か迷っているのであれば、止めることもあるかもしれませんが目をみればそうでないことはわかりますし、絵里奈は卒業したら、もう私とは付き合ってくれないのですか?」
「そんなわけないじゃない。むしろ付き合ってくれなくなるのは紗良の方でしょ」
絵里奈の瞳を見ると少しうるんでいた。
「紗良はもう少し続けるの?」
「絵里奈の卒業を見届けたら、次の目標に進もうかと思っています」
「私を待っていてくれたんだ」
「推しメンの卒業を見届けるのは私が思うファンの役目ですからね」
それならもっといればよかったかなという絵里奈に、馬鹿なことを言っていないで自分の進む道を行ってくださいと言った。
絵里奈の卒業を見届けた後、今では肩書的に出世した村雨取締役に最後までやり切ったと思うので、卒業を考えているというと、もう一年待てと言われてしまった。「どうしてなのか?」と私が訊いても時期じゃないからどうしてもと言われて止められた。
その時に、大声で卒業できない理由を教えろと持ち前の声量で叫んでいたのだ。
そう言われて、何の時期だとも思ったが、さなえは私を捨てるのかと泣くし、次のプランを考えているものの、今のアイドルとしての活動と平行するのは難しいので、そこまで言われては今の仕事を中途半端にはできないと思い、止められた理由はよくわからないが、もう少しだけ今のグループでの活動に専念させてもらうことにした。
「紗良が思いとどまってくれてよかった」
「さぁちゃん、少し伸ばしただけですよ。いつかは卒業するのですから。あなただってそうでしょう。私よりも一つ上ですし」
「それでも、私は紗良がいなくなったらさみしいから、できるだけ一緒にいたい」
「また、グループのエースが何をそんな弱気なことを言っているのですか? 一期生は残り少なくなっていますが、同期のみんなだってまだいますし、三期生もいるし、四期生だって入ってくるでしょう」
「紗良はそうやって、私を捨てるんでしょ」
「恋人じゃないんだから捨てるわけじゃないですよ。次のことをするの」
「次のことって何をするの?」
「大学に行きます」
「今から? 無理でしょ……でもないか、紗良なら」
大学に行くとはっきり教えてあげたので、それ以上さなえは何も言わなかった。
しばらくたって、今日から新しくマネージャーが入ってくるので紹介すると言われてみんなチーム編成発表の後でその人を待っていた。
「新入社員だって」
「今ごろ? だよね。人手が足りてないから時々入ってくるけど、何か取締役の知り合いで、無理やり引っ張ってきたって」
「無理やりって、今までそんな人いなかったよね。めちゃくちゃ怖かったりして」
「新人のマネージャーさんで怖いとかないでしょ」
三期生がそんな話しをしていると村雨取締役が入ってきて、ミーティングルームを見渡した。
「みんな集まっているな、今日から新しく入ったマネージャーを紹介するから、それじゃあ入って」
「失礼します!」
扉の向こうから聞こえてくるこの元気な明るい声は、なんか家の玄関先で聞いたことがあると思った。
「この度、ヴァルコスマイルのマネージャーをさせていただくことになりました、山岸春代です。新人ですのでわからないことも多いと思いますが、よろしくお願いします」
大手音楽関係の会社に就職したって聞いていたけど、ここだったの? でも入社した人には山岸とかいなかったし、頭の中で何が何やら訳がわからないと思っていると、村雨取締役から説明があった。
「山岸さんは出向で来てもらっているから、純粋に当社採用の社員ということではないので、配属が遅くなった。まあこれからの仕事はみんな一緒に仲良くやってくれ」
さなえも隣でポカーンとしていたが、私に知っていたかと目で訴えてきたので、首を横に振った。
「美香先輩、あの人って紗良姐さんの知り合いですよね」
「知り合いもなにも幼馴染よ、一期と二期のメンバーはだいたい知っていると思う。紗良ちゃんを制御というか振り回すことのできる数少ない人の一人」
村雨取締役が、当面はチームベータのマネージャーをしてもらうから今日は打ち合わせも終わったのでこのまま帰ってもいいぞと春代に言って出て行った。
「本当にいいんですか? 取締役ありがとうございますっ!」
そう言って村雨取締役に向かってお辞儀をするとこっちを振り返った。
「いやー、何とか間に合った」
みんなが春代に宜しくお願いしますと挨拶して帰っていく中、私は春代をじっと見る。
「はる、ちょっと聞くんだけど。何が間に合って何をしているのですか?」
「そりゃあ、みんながいるうちにマネージャーになりたかったのに、だんだんいなくなっちゃうんだもの」
「ん? ちょっちょっと待って。それで村雨取締役が私にもう少し待てっていったの?」
私は小さい声で春代に訊いた。
「そうよ。だって紗良のところでマネージャーになるって頑張ったのに、もしも卒業するって言ったら取締役に止めてって」
「「おまえかっ!」」
横で聞いていたさなえも同じように大きな声を出したので、みんなが何事かとこっちを振り返った。
「はる、よくやったわ」
タイミングと言葉は同じでも、さなえは私と違って引き留めた功労者という意味でお前かと言ったのだ。
「はる、よく聞いて、私の計画を何だと思っているの?」
「紗良ならちょっとくらい回り道しても大丈夫でしょ。せっかく頑張ったんだから私と一緒にもう少しやってよ。仕事覚えるから」
ここへきて、将来やりたい云々もようやくすべてが分かった。まあ、来てしまったものは仕方がない。春代は昔から私を強引にみんなのところに連れていってくれる人なのだから。この程度のことは私が考えなかっただけで、普通だ。
「わかりました。私は良いですから他のメンバーのことを、しっかり見てあげてください」
「任せなさい、こう見えてもここに来るのも大変だったんだからね」
「はあ? それは何でですか?」
「ここに来るために頑張っていたのが裏目に出てしまって、使えるからってずっと行かせてくれなくて、向こうの課長と取締役とで約束が違うって一揉め。取締役がコネ入社だと思われるのが嫌だからって向こうに正式ルートで就職したのに」
できる女なのよと自慢げにいう春代に、それはもともとわかっていたため驚きもしなかったが、その突拍子のない行動にあきれて、いつもの仏頂面になった。
「あぁそうですか。それは大変でしたね。とりあえずしっかりやってください」
私は仏頂面を見せながらとりあえず頑張ってと何とか声を絞り出して言った。
しばらくは、チームベータのマネージャーにかかりっきりで姿をあまり見かけなかったが持ち前の情報収集能力とコミュニケーション能力でチームベータのメンバーと打ち解けるのも、他のマネージャーの人たちと打ち解けるのも驚くほど春代は早かった。
春代と仕事と関係のない話をしていたら、おもむろに言われた。
「なんだかなぁ。ようやく私が仕事を覚えたと思ったら、もう卒業しちゃうんだね」
「もうって、誰かに止められていただけです。それに、ここに来た早々から何年も居たみたいな感じにしか見えなかったけど」
私の卒業の日程も決まり、ブログでファンの皆さんへの報告も済ませ、今はライブの後に卒業セレモニーをさせていただけるということで、準備をしていた。
本当は簡単な挨拶だけで済まそうと思っていたのだが、村雨取締役からは、「服部にはファンの人にきちんと言わないとって、自分で言っておきながら自分が何もしないとかあるのか?」と言われ、横で聞いていたみんなからはすごい目で睨まれたので、恐縮しながらも卒業セレモニーをさせてもらうことにした。
最後に着させてもらう衣装は自分に似合うだろと思われる、まっ黒なものにしようかと思っていたが、村雨取締役から相羽の最後にまっ黒なドレスを着させたら怖すぎるから、ちゃんと輝くような感じにしてくれと言われて、黒が基調だけど星の輝きをちりばめたような、素敵な衣装にしてもらった。
私の名前の入ったタオルを大勢のファンの人たちが持ってくれているのを見ながら、センターの時の楽曲と私の好きな曲を披露させてもらい、最後のステージでファンの方々への挨拶をさせていただく。
これが私の、私だけのアイドルとしての最後だ。
「相羽紗良です。今日はヴァルコスマイルとして私の最後のステージにお付き合いいただき、ありがとうございます。もう少しだけお話をさせていただく時間をください」
こんな私でも、卒業するときに泣いてくれるファンの人がいるんだなと、今までの活動を支えてくれたことへの感謝の気持ちがあふれてきていた。
「私はこのグループを知るまで、自分が本当にやりたいと思うことがありませんでした。なんでもいいんです。目標があるということは、それだけで幸せなのだと私は思います。そんな私ですが、目標を見つけて、こうやってグループに入ることができて、ファンの皆さんの応援してくれる気持ちを感じてここまで来られました。もちろんメンバーのみんなや、スタッフの方々のおかげでもあります。そして今まで、いろいろな経験をさせていただき、やり切ったと感じて、卒業をさせていただきます。これからは、また新しい目標に向かって進んでいきたいと思っています。私は多くの皆さんがご存じのように仏頂面が基本で、到底アイドルには向いていないと自分では思っていましたし、実際のところあまりアイドルとしては良くなかったかもしれません。とは言っても、できるだけ頑張ってはいたのですが……。それでもこうやって応援してくれる皆さんがいてくれることは、本当に感謝しかありません。ありがとうございました」
一人スポットライトにあたりながら、頭をさげて、仕事を辞めるわけではないけれど、こうして多くのみんなの前に出てくるのも最後かもしれないと思うと、何かほっとしたような気持になりながら、それを超えるさみしさのような感覚に襲われていた。
グループを卒業するというのはこんな気持ちになるものなのかと思いながら頭を上げる。
「皆さんは覚えておられるかわかりませんが、お披露目会で初めて皆さんの前に出たときのことを、私は今でも鮮明に思い出せます。あの時の映像を見ると、私は笑顔で出てきていたのですが、それから成長した私を見ていただくために、その時の私を思い出して、最後に精一杯の笑顔を皆さんに見ていただきたいと思います」
私は天井を見上げ、目をつむる。
そして、軽く呼吸を整えるとまっすぐ前を向いて、これまでの感謝の気持ちを込めて客席に向かって微笑んだ。
スクリーンにも映し出されているので遠くの人にも見てもらえただろう。
会場が静寂に覆われていて物音ひとつしないので、「ああ、まだまだだったかな?」などと思いながら、もう一度頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
静かだった観客席から、割れんばかりの拍手が会場を包み、頭を上げると号泣してくれている人も見える。
私を見てくれた人に少しでも感謝の気持ちが届けられたなら良かった。本当にそう思う。
ステージを降りて楽屋に戻るとみんなが迎えてくれた。
「紗良って本当にきれいだよね」
さなえにそう言われて、私は自分の姿を鏡で見た。
「そうですね。本当に素敵な衣装にしていただいたので、私も映えるってものです」
「衣装のことじゃないからっ! いや衣装もだけど。もう行かないでって言いたい」
「いや言ってますよね。ずっと何も変わらない人生だと思っていましたが、私はこのグループに出会って、さぁちゃんたちとも出会えて本当に幸せです。特にさぁちゃんには助けてもらっていたと思っています」
さなえの手を握りながらじっと瞳を見る。
「さぁちゃん。今まで、本当にありがとう」
「なっ、なんなのよ。なんかもう二度と会ってくれない感じの挨拶しないでよ」
「そうですね。でもまたすぐに会えますよ。私が以前に言ったこと忘れないでください」
あまりさなえと話をしていると今すぐにでも泣き出しそうなので、すでに泣いて愛華に慰められている美香の方に行くことにした。あなたたちも全く会えなくなるわけじゃないんだからと、記念に写真を撮っていた。
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「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
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小説家になろうにも掲載しています。
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