猫と牛乳と涙

相原伊織

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佐織

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 人生とは、言うまでもなく崩壊の過程であるーーーこれはある著名な作家の著明な言葉だ。
 そう言い切ってしまうには彼女はあまりにも若すぎたし(もっとも、彼女がその言葉と出会うのはずっと後のことだ)、ゆえに断定的な絶望感こそはらんではいなかったものの、幼い頃から佐織はそれを感じながら育ってきた。父と、姉と、母。彼女の先天的家族は誰もが、彼女とは違う価値観なりものの見方を身につけた云わば他人だった。
 もちろん努力はしたーーー理解し合うための努力。相手の気持ちを推し量り、言葉少なに目を見て話を聞くに徹した。でもその上で自分の意見なり言葉を投げかけるには、彼らと佐織とは何から何まであまりにも違いすぎていることに、彼女は気づいてしまった。だからこそ彼女の口から吐き出される言葉は彼らを誰一人傷つけなかったし、不愉快にもさせなかった(彼女はその点に最も注意を払い、感受性のアンテナをその方向に研ぎ澄まし続けた)。佐織は物心ついた頃からずっと、家族の思い描いたとおりの「佐織」であり続けた。けれどもその一方で彼女の中には、確固たる自己の感覚ーーー価値観なりものの見方ーーーが存在し続けていた。誰の目にも映らなかったけれど、彼女のそういった努力が重ねられてゆくその度に、家族との見えない溝はより深く決定的なものになっていった。
 家族とのその後を語ることは、酷くつらい…。。彼女にはっきり言えることはそれだけだった。

 同じ大学のキャンパスで知り合った又吉と打ち解けるまでにそれほど時間はかからなかった。ある意味では大海原をひとり、手漕ぎのボートで進んでゆくような浪人時代。家族との関係の崩壊。細部は違えど、ふたりはよく似た人生の過程を辿ってきたように、彼らには思えた。
 当時又吉はよく「先天的」という言葉を好んでつかった。先天的認識能力。先天的判断能力。先天的家族…といったように。最初のうち佐織には彼の言う「先天的」の意味がうまく呑み込めなかったが、それが初めて「家族」という言葉に結びつけられたとき、不思議なほどすんなりとその意味を理解した。先天的・家族…。
 それは崩壊してしまった彼女の城であり、戻ることのできない故郷だった。幼い頃「それら」が与えてくれていた手放しの安心感ーーー例えばどこまでも広がる春の野原で。紋黄蝶を追いかけながらどれだけ遠くに離れても。と思わせてくれる魔法のような、安心感ーーー。幼い頃たしかに佐織を包んでいたはずの親密な魔法は、彼女がから決められていたかのように彼女のまわりから消え去ってしまった。城は崩れ、故郷への橋は焼け落ちた。橋に火を放ったのは自分だった。
 気がつくと佐織の目の前には、「後天的」な「家族」という新しい概念が差し出されていた。後天的・家族…。
 私が、もし、親だったら。と佐織は思った(俺がもし親だったら、と又吉は言った)ーーー絶対にしてはいけないことを、我々は絶対にしないだろう。子どもというのは誰しも、大人が考えているよりずっと、ずっと、感じやすい人間なのだから。そこにもし、子どもとの間にもし「嘘」が含まれるのならば。それは優しい…優しい嘘でなくてはならない。子どもは誰もが、親が考えているよりもずっとずっと、聡明なんだ(彼らが思う聡明とは、知能指数の高さとか賢さとは無縁のものだ)。だから、子どもが「子ども」でいられなくなるような行いを、我々は絶対にしないだろうーーーしてはいけないだろうーーー。先天的家族だとか(ア・プリオリな家族だとか)後天的家族だとか(ア・ポステリオリな家族だとか)、そういうくくりで「家族」を考える人間は私たち(俺たち)二人で充分だ。佐織は(又吉は)そう思った。そして今自分たちの眼前に差し出された後天的なーーー自分たちの手でそれを選びとることができるというーーーある種の可能性に気づいた佐織と又吉は、それぞれに心を震わせた。私たちはそれを存続させてみせる。自分たちの親とは違って私たちならそれをずっと大切にしてゆける………崩壊なんかさせるものか。



 別れを切り出したのは佐織からだった。二人で暮らした部屋を引き払い、佐織は実家に(先天的家族との関係が修復されたわけではなかった)、又吉は通い始めた病院の精神療養施設に、それぞれ寝泊まりすることが決まってすぐのことだった。
 彼女にはしなければならないことが山ほどあった。部屋の解約手続き(その中には又吉が返さなかった鍵の返還をめぐる規約違反の話し合いも含まれていた)、両親と話をすること(これが一番つらかった)、退職届を書くこと、新しい働き先を見つけること。そして、又吉に別れを切り出すこと…。
 何日も考えた末に、又吉と会って話をする際に手紙も渡すことにした。彼女にはその場の言葉だけで自らの心境を伝えられる自信がどうしても持てなかったのだ。自分と又吉のこれからについて考え、それを言葉というれ物に移しかえようと試みる度に、彼女は計り知れない無力感に押し潰されそうになった。正確な言葉を選ぼうとすればするほど、組み上げられた連なりからは肝心な部分がするりと抜け落ち、夜の闇にまぎれてしまう…。手紙を書いたところでそれは同じかも知れない、でも、自分の口から伝えようとするだけよりは幾分はましなのではないか。佐織にはそう思えた。
 あの日の又吉の目を、表情を、佐織は憶えている。まるで何年も降り続く雨のような…捉えようのない表情だった。

             ❇︎

   又吉くんへ

 伝えたいことはちゃんと目を見て話すつもりだけど、上手に話せるかどうかいまひとつ自信がないので、一応のため手紙を書くことにしました。
 引っ越し、荷物運び、ベッドの移動とか、大変だったけど、頑張ってくれてありがとう。お疲れさま。又吉くんは、そんなことはないというけど、私の急な決断(二人で部屋を借りて一緒に住むという決断)につき合わせて、巻き込んでしまってごめんなさい。一緒に暮らした期間は、とっても楽しかったです、ありがとう。
 どうしよう…伝えたいことがたくさんたくさんあって、なかなかまとまらないです。最近の私は、又吉くんの目にも、おかしく映っていたよね? 敏感な又吉くんは、すぐ気づいて優しい言葉をかけてくれたり、抱きしめてくれたけど、自分でも何故だかわかりませんでした。

 又吉くんは、怒った様子で、何かを私に言った。その時の、表情とか口調とかは思い出せるんだけど、何を言っていたのかは思い出せない。私は、心が冷えるような気がして、でも泣いたりはしてなかったと思う。
 そんなことが、何度かあった。私のなかの、あなたのためになんでもしたい、がんばりたいっていう気持ちがどんどん小さくなるのを感じた。ただ一瞬の、怒りだろうし、落ちついたら、またすぐ普段の又吉くんに戻る。私だって、怒ることはあるのだし、って考えても、その気持ちが小さくなるのは止められなかった。

 こうして手紙を書きながらも、私の心のなかはめまぐるしくいろんな感情でかきみだされてる気がします。又吉くんと過ごした三年半の、楽しかったこと、嬉しかったこと、ふたりで分け合った、悲しかったこと。そのいろいろが思い出されて、私の決めたことは間違っているんじゃないかとか、悲しい思いをするくらいなら、手放さなくてもいいんじゃないかとか、そういう考えが浮かんできます。でも、それらは全部、大切な、三年半の二人に対する想いで、今の二人に対するものではないことが、私にははっきり分かっています。

 又吉くんには、私が生まれてから覚えたもののなかで、一番大きなものを教えてもらいました。人を愛した時、本当に心から好きになった時、胸の奥がぎゅっとなって、あったかい感情が生まれること。心の底から愛しいと想った時、その人のためならなんでもできちゃう気がすること。相手も、本当に自分を愛してくれていると、実感した時の、安心感と幸福感。二人でいろんなことをする楽しみ。何の利害とかもない、百パーセント純粋な、優しさ。あげたら本当にきりがないけど、その全部に、本当に感謝しています。ありがとう。

 又吉くんに、お願いがあります。私に、自分を見つめ直す時間を下さい。又吉くんに対する気持ちもよく分からないままに、素晴らしかった三年半の想い出に浸って、不安をかき消していては、私は、本当にだめになってしまうの。又吉くんと離れることを思うと、こんなに心が痛いのに、こんなに怖いのに、私のなかのセンサーは、このままでいるほうが、絶対に良くないことだっていう、正しくないということを感じとっています。

 私は、又吉くんだけのものでなくなった時も、又吉くんの味方であることは変わらないよ。又吉くんがそれを受け入れてくれるかどうかは分からないけれど、友達として、又吉くんが困っている時は、支えたいと思っています。本当は、彼女として、あるいは、奥さんとして、そうすると言っていたのに、ごめんなさい。

 これから二人がどういう関係になっていくのかは分からなくて、とても怖いけど、この手紙に書いた気持ちは、一コもうそじゃないほんとうに正直な気持ちです。どうか、又吉くんに間違って伝わらないように、一生懸命書いたのですが、傷つけてしまったら、ごめんなさい。
 また、心から愛してると言える日が、来ることをひそかに願ってます。読んでくれてありがとう。


                      佐織
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