厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

文字の大きさ
27 / 106
埋もれた祈りを秘める雪の章

幕間 神殿の深奥

 夜更けの神殿は、昼の清廉さを脱ぎ捨て、影の匂いを濃くしていた。
 神殿の奥、外光の届かぬ部屋に、低い声が落ちていた。
 高位の神官たちが集うその場は、祈りのための空間ではない。
 厚い石壁と、磨かれすぎた床が、彼らの言葉を逃がさぬよう囲っている。
 蝋燭の火は低く揺れもせず、まるで息を潜めているかのようだった。

 彼らの議題は、ルーチェとダリウスの婚姻申請だ。
 のらりくらりと遅らせ続けていたその申請――それが、通ってしまった。
 王都の神殿の管理が及んでいない、辺境の小さな神殿に務める、若く愚かしく真面目な下級神官によって、婚姻申請は王宮に送られた。
 その神官は、王都の神殿を通さず、派遣されていた。王宮官吏のリヒトの依頼を受けていたのだ。
 申請は送られるや否や、リヒトの働きかけによって素早く決裁にまわされ、今や国王陛下の裁可まで下りてしまっている。
 今更、神殿が騒げば余計な疑念を持たれる。彼らはそれを許すしかなかった。

「……古き世の賢王陛下が、「厄災の烙印」についての余計な法を残さなければな」
 年嵩の神官が、祈るように組んだ指の間から言葉を落とす。
 声音は柔らかく、しかし底に侮蔑が沈んでいる。
 
「保護せよ、距離を取れ、その安全を確保せよ、か。ずいぶんとご親切な古の国法だ。あれさえなければ、もっと簡単だったものを」
 別の神官が、鼻で笑う。
 殺してしまえたものを――その続きの言葉は、誰も口にしない。
「まあ……いずれにせよ、我々が「それ」を推奨することはできん。神に仕える身としてはな」
「しかし国法を無かったことにもできぬのだから利用しようとは、これには古の賢王様方も驚かれるだろう」
 くす、と乾いた笑い。
「あのシェリフォード家の会計係……いや、現在は公爵だったな。あの、「公爵様」と協力体制が取れたのは良かったのだが」
「娘の幽閉を続けるよう金も融通していたというのに。勝手に辺境送りにされたのは、正直、誤算だった」
「公爵にも真実を伝えておくべきだったか?」
「いや。知るものは少ない方がいい」
「ヴァルト辺境伯とも縁を結ばぬままでいてくれたのなら、なお良かったのだが。官吏にまで成り下がった公爵令息が、ここに来てつくづく、余計な真似をしてくれる」

 溜め息めいた声。
「それで、そのヴァルト辺境伯はどうする。公爵のように懐柔できそうか?」
「いや。あの領地は王都からも遠いし、ヴァルト辺境伯は王宮との縁も薄い」
「それに残念ながら、辺境は逆に我々の影響力も弱い……」
「何より、権力欲のない男は懐柔しにくい」
「この状況も、及第点ではあるだろう。「厄災の烙印」は遠くに置き、距離を保つ。それが、あの古き国法の求めるところでもある」
 言葉は続く。


「……あのご令嬢も、つくづく、お気の毒なことだ」
 白い指先を弄ぶように組みながら、年嵩の神官が静かに言った。
 声音は哀れみを装っているが、その奥に温度はない。
「公爵家のような目立つ家に生まれなければ……我々に見つけられることもなかったかもしれぬ」
 別の神官が小さく笑う。
「まったくだ。王都の中心で、あの「印」が現れれば、対応せざるをえない。あの家に生まれた時点で、彼女は運が尽きていたとも言える」

「今からでも、神殿であの娘を確保するという手も……」
 数瞬の沈黙のあと、最初の神官が続けた。
「いや、難しいだろう。それに、当初から、我々自身があれを管理することは避けると決めていた筈だ」
「烙印持ちとは距離を置きつつ、閉じ込め利用しなければ。……万一、我々を「見られては」かなわない」

 沈黙が落ちる。
 香の煙が揺れ、天井の高みへと溶けていく。

「だからこそ、だ」
 最初の神官が、穏やかに結論づける。
「これまで通り我々自身は近づかぬ。しかし、あの娘が「正しく」動けることのないようにする。こちらが傷を負わぬようにな」

 彼らにとって重要なのは、信仰ではなく、これまで通りの利を生む均衡だった。
 神殿、貴族、王家――そのどれにも決定的な亀裂を生まぬこと。
 そのためなら、一人の女の人生など、静かに盤上から押し流せばいい。

「では……」
 一人の神官が、ためらいがちに切り出す。
「『厄災の烙印』の修正前の記録……あれはもう、焼き払っておくべきでは……」
 その視線が、無意識のうちに地下へと続く階段へ流れた。
「いや」
 即座に遮られる。
「あれは確かに痛い真実ではあるが、我々の切り札でもある。……最後の保険として残しておく」
 神官が、言葉を続けようとした。

「しかし、厄災の――「聖印」は……」

 次の瞬間、鋭い叱責が飛ぶ。
「間違えるな!」
 冷たい声だった。
「あの印は、「烙印」だ。決して、違えるな」

 再び、沈黙。
 神殿の奥で交わされた言葉は、祈りの場に似つかわしくないほど、現実的で、打算に満ちていた。
 だが彼らは疑わない。
 それこそが、神に仕える者の「正しさ」だと。
感想 7

あなたにおすすめの小説

異世界に逃げたシングルマザー経理は、定時退勤だけは譲れない

木風
恋愛
DV夫から一歳の娘を抱えて逃げた鈴木優子は、光に飲まれて異世界の王宮へ転移してしまう。 生きるために差し出した武器は簿記と経理経験――崩壊寸前の王宮会計を『複式簿記』で立て直すことに。 ただし譲れない条件はひとつ、「午後五時の定時退勤」。娘の迎えが最優先だからだ。 その姿勢に、なぜか若き国王ヴィクトルが毎日経理室へ通い始めて――仕事と子育ての先に、家族の形が芽吹いていく。

赤貧令嬢の借金返済契約

夏菜しの
恋愛
 大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。  いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。  クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。  王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。  彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。  それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。  赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。

【完結】氷狼魔術師長様と私の、甘い契約結婚~実は溺愛されていたなんて聞いていません!~

雨宮羽那
恋愛
 魔術国家アステリエで事務官として働くセレフィアは、義理の家族に給料を奪われ、婚期を逃した厄介者として扱われていた。  そんなある日、上司である魔術師長・シリウスが事務室へやってきて、「私と結婚してください」と言い放った!  詳しく話を聞けば、どうやらシリウスにも事情があるようで、契約結婚の話を持ちかけられる。  家から抜け出るきっかけだと、シリウスとの結婚を決意するセレフィア。  同居生活が始まるが、シリウスはなぜかしれっとセレフィアを甘やかしてくる!? 「これは契約結婚のはずですよね!?」 ◇◇◇◇  恋愛小説大賞に応募しています。  お気に入り登録、♡、感想などいただければ、作者が大変喜びます( . .)"  モチベになるので良ければ応援していただけると嬉しいです! ※この作品は「小説家になろう」様にも掲載しております。 ※表紙はAIイラストです。文字入れは「装丁カフェ」様を使用しております。 ※小説内容にはAI不使用です。

継母の嫌がらせで冷酷な辺境伯の元に嫁がされましたが、噂と違って優しい彼から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるアーティアは、継母に冷酷無慈悲と噂されるフレイグ・メーカム辺境伯の元に嫁ぐように言い渡された。 継母は、アーティアが苦しい生活を送ると思い、そんな辺境伯の元に嫁がせることに決めたようだ。 しかし、そんな彼女の意図とは裏腹にアーティアは楽しい毎日を送っていた。辺境伯のフレイグは、噂のような人物ではなかったのである。 彼は、多少無口で不愛想な所はあるが優しい人物だった。そんな彼とアーティアは不思議と気が合い、やがてお互いに惹かれるようになっていく。 2022/03/04 改題しました。(旧題:不器用な辺境伯の不器用な愛し方 ~継母の嫌がらせで冷酷無慈悲な辺境伯の元に嫁がされましたが、溺愛されています~)

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

政略結婚のはずが、完璧公爵の溺愛が子リス系令嬢を解き放ちました

宮野夏樹
恋愛
 「冷徹」と噂されるヴァレリオ公爵ジュリアンと、淑女らしからぬ「男前」な本性を隠すリシェル伯爵令嬢。  政略結婚で結ばれた二人は、すれ違うばかりの初夜を過ごし、互いの距離は開く一方だった。  だが、ある秘密の趣味が露見したことで、完璧な公爵の仮面が剥がれ落ち、リシェルへの底なしの溺愛が止まらなくなる! 完璧主義の公爵が、リシェルを「可愛いもの」と認識した瞬間から、公爵邸は甘く蕩けるような空気に包まれる。  一方、執拗な嫌がらせを繰り返す邪魔な存在、シャルロッテの出現。  しかし、ジュリアンは「俺の可愛い妻を傷つける者は、決して許さない」と、その絶対的な愛と庇護で全てを排除。  そして、リシェルの長年のコンプレックスだった「男前」な本性も、ジュリアンの愛によって全て肯定され、真の幸福を掴む。  完璧公爵の強すぎる愛で、政略結婚から始まる「愛され新婚生活」は、予想もしない甘さで満たされていく——。 ※以前投稿したものの修正版です。  読みやすさを重視しています。  おかげさまで、先行公開サイトにて累計100,000PVを突破いたしました!  感謝を込めて、記念の番外編をお届けします。  本日、改稿版もこれにて完結となります。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!  節目には、達成祝いの話を投稿しますので、これからもヴァレリオ公爵家を温かく見守っていただけると幸いです。

行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました

鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。 けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。 そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。 シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。 困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。 夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。 そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。 ※他投稿サイトにも掲載中

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。