厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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ほどけては結われる花々の章

59.嘘と信頼

 第一王子アルベルトの、北の辺境からの帰還。
 それは「凱旋」と呼ばれるに足るものだった。

 王都の民衆はまず、安堵した。
 国王の死、そして北の辺境で異常個体の大型魔獣が出現したという報せ、それに伴う魔晶石供給の不安定化の噂が広がっていたからだ。
 それを第一王子自らが援軍を率いて前線に立ち、民の必需品を守った。
 その事実は、王家の力が健在であるという象徴として、素直に受け止められた。

「アルベルト殿下は魔晶石鉱山を守っただけじゃない、北の辺境を見捨てなかったんだ」
「王族ではなく、一人の騎士として働かれたそうだ。なかなか出来ることじゃない」
 酒場や市場では、そんな言葉が飛び交った。
 言葉は交わされるうちに、祝賀のムードと相俟って大袈裟になり、英雄譚の様相を呈していく。
「それにあの凱旋の行列を見たか?」
「見た見た。いかにも王子様って感じで、風格があるのに優しそうで……」


 当初、アルベルトはひっそりと王都へ戻ろうとしていた。
 早く王都へ戻って皆を労おうと、あまり深く考えずに移動を急いでいたのだ。
 隊列は疲れに乱れ、あまり美しいものではなかっただろう。
 何より父王の服喪中であることもあって、華々しいことはしない方が良いかと控えていた。
 しかし到着してみれば――
 王都の門の手前で、あっという間に別の隊に出迎えられ、装備を着替えさせられ、美しい軍馬に乗せられ……あれよあれよという間に、立派な凱旋の行列が出来上がっていた。
 こういうのは苦手だ、と思いつつも、担がれてしまえば逃げられない。
 アルベルトはぎこちなくも行列の中心で民衆に手を振り、王都へ成果を持ち帰った。
 そうなってみれば、確かに、民のためにも自分のためにも、こういう華やかな催しも必要だったのだ、とわかる。

 王宮に到着してから、若干の一悶着はあったが。
「……リヒ!君の仕業だろう!」
「なんのことだか」
 しれっとした様子でアルベルトを出迎えたのはリヒトで、行列を満足げに眺めていた。
「なかなか面白い見せ物だった。それに、呆れるほど謙虚でいらっしゃる第一王子殿下の成果を大々的に広めるには、またとない機会だろう」
「……そうだな、君は正しい。君はいつも正しいよ、リヒ。ただ僕はね、予告はして欲しかったと言ってるんだよ……!」
「それなら最初から俺に任せるべきではないな。生憎、気が利かないもので……ご容赦を、殿下」
「まったく……ずるいぞその言い方は! 僕がリヒのことは怒れても、リヒト卿の仕事は咎められないと分かってるんだろう!」
 ハァ、と大任を果たして溜め息をついたアルベルトに、リヒトはくくっと微笑んだ。
「まあ、そうだな。……アル、無事でよかった」


 アルベルトへの直接的な評価を躊躇う貴族もいるものの、流れは動き始めていた。
 特に、王都の官僚層や騎士団関係者の間では、評価は静かに上向いていった。
 実務に携わる彼らは決して大声ではアルベルトを褒めないが、「見直した」という視線を送る。
 配慮の上で現場に入り、責任から逃げない。
 それは、派手さはなくとも、統治者として重要な資質だった。

 また、噂という形で広まった話もある。
 ――辺境での戦いは、決して順風満帆ではなかったこと。
 ――内部に裏切り者がいたこと。
 ――それでも王子は、部下を切り捨てず、責任を引き受けたこと。

 そのすべてが事実として語られたわけではない。
 だが、曖昧なまま流布した噂ですら、アルベルトという人物像を、以前よりも「現実的な王候補」として形作っていった。

 対照的に、第二王子サイラスの名は、この帰還を境に、やや影を薄くした。
 比較されること自体が、すでに流れを示していた。

 ――第一王子殿下は、これまで不当に貶められていたのではないか。

 そんな声が囁かれるようになるのは、時間の問題だった。





 ――王宮の奥深く。

 王族以外は立ち入ることを許されない書庫に、灯りがともっていた。
 高窓から差し込む月の光は細く、分厚い書架の影が床に伸びている。
 古い紙の匂い空気を満たしていた。

 アルベルトは一人、長机に向かい合っていた。
 父王の葬儀が終わり――国は、外交関係を除けば、平時よりも仕事を控える傾向にある。
 服喪期間中はこれが続くだろう。

 アルベルトはその間に、「厄災の烙印」のことを調べることにしていた。
 あの時自分がルーチェの瞳に感じたものを、よく知りたかった。

 積み上げられた古文書は、いずれも王家にのみ伝えられてきた伝承の記録だった。
 紙は黄ばみ、綴じ糸は弱り、ところどころ文字が掠れている。
 それでも、読み取れないわけではない。――むしろ、意図的に「読めなくされた」箇所が目についた。

「……ここも、か」
 低く呟き、アルベルトは頁をめくる。
 ある巻では、途中から文章の調子が変わっていた。
 筆跡が異なる。用語も簡略化され、説明が急に雑になる。
 無理に塗り潰された跡がある。 

 「厄災」についての正確な記述も、ほとんどない。
 記録では、年代によって言っていることが違い、地域によって扱いも違う。
 大方は、神殿に訪れた平民の中から印を持つ者が発見されたと記録されていた。

 そしてある時代には「災厄を引き寄せる者」とされる。
 また別の時代には「災いと引き換えに変革を呼ぶ器」と呼ばれる。
 また別の時には、「厄災そのもの」と呼ばれ、討伐の対象となっていたこともあった。
 ――確かに、「厄災の烙印」持ちの周りでは、不自然な体調不良者や、偶然の不運、あるいは……国を傾かせるような出来事が起こっている。

 一方では、烙印持ちを管理することで「厄災」を防いだとする記録もあった。
 それが残っている中では最も古い記録だ。

 アルベルトは、神殿の説明を思う。
 ――烙印は、神の啓示により災厄を周囲に呼び寄せる可能性のある者に与えられるもの。
 ――烙印持ちが現れたのは、神からこの国への警告。
 ――近くこの国に厄災が降る。
 ――烙印持ちを傷つけることは、神の意志に背く行為となり、かえって大きな災いを呼ぶ。

 伝承の言葉。噂話。
 ――触れただけで不運が移る。
 ――烙印持ちと長く目を合わせると、足元がふらついて討たれる。

 古の時代、賢王たちが定めた国法を読み解く。
 ――印持ちは保護しなければならない。距離を取りつつ安全を確保してやらねばならない。

(つまり……「厄災を呼ぶ者」でありながら、古の王家はそれをわざわざ保護せよと命じたわけだ)
(おかしくはないだろうか。厄災を呼ぶのなら、国のために、発見した段階で始末する道もあったはずだ)
(実際、勝手に動いた者たちが討伐を行った記録もあった。討伐すると報復のように更に大きな厄災が降る、そういう記録も見える。そのせいか?だが……)

(少なくとも僕なら、どれだけ迷おうとその道を考える……それこそ、人のいない地を選び、王として、人殺しの責を負うことも)
(それに、よく見れば国法の原文には「印」としかない。「烙印」と呼ぶのは、神殿だけだ……)

 アルベルトはじっと考え込む。

 仮に自分が王であったとして。そんな存在を保護して生かすと決める、その理由はどこにある。

 つまり……王家にとって、「厄災の烙印」持ちは、利する者だったから。
 多少の危険を措いても、保護すべき存在だったから。

「……」
 書物に目を凝らすと、かろうじて残された言葉がある。

「国に厄災の兆しある時、印は現れる……」

 それ以上は、ぼかされている。
 「印」が何を指すのか。
 どう作用するのか。
 肝心な部分だけが、削られ、沈黙していた。
 アルベルトは、指先で頁の端をなぞる。
 ――しかし。

(……僕が、彼女に感じたもの)
(それが答えなのではないだろうか)
 
 思い浮かぶのは、ルーチェの瞳だった。
 初めて彼女をしっかりと見たときから、胸の奥がざわついた理由。
 見つめあうと、落ち着かず、どきどきして、ふらつくような気がして。
 けれど、自分の奥底に押し込めてきた想いが勇気と共に湧いてきた。
 少しでも正しい、より善い自分であらなければと思わされた。

 視線を逸らせなかった理由。
 自分が彼女に恋焦がれているのではないかと心配もした。けれど。

 ――あれが、「印」なのだとしたら。

「あやまち……」

 アルベルトは呟く。
(王はあやまちを見過ごしてはならぬ、と)
(僕はあの時、確かにそう告げられた……)

 あやまちが厄災を招きかけた時。
 それを正すために、現れるもの。――それこそが、彼女の「印」なのではないか。

 つまりは因果が逆なのではないか、とアルベルトは推測した。

 「厄災の烙印」が厄災を呼び寄せるのではない。
 そもそも、厄災が起こりうる場に、修正の力として「印」が現れるのではないか。
 そして厄災を招く存在は不幸の中に倒れる。
 印持ちを殺すことは神の怒りにふれる。

 神から人間への、ほんの少しの手助け。
 悪しき者たちには――とても都合の悪い、「印」だ。
 だとすれば。

「……神殿は、知っていたのか?」
 声に出した瞬間、重みが増した。
 知っていたからこそ、恐れ、歪めたのではないか。
 記録を消し、意味を薄め、やがて「忌むべき烙印」へとすり替えた。
 本来であれば、「印」による警告に従わなかった時に訪れる厄災を。あやまつ者のみが感じる不快感を。
 すべて「厄災の烙印」ゆえの不幸であると――

(……いや、確証はない。すべて僕の推測でしかない)
(神殿が記録を歪めたかどうかも、証明できない)

 それに、王家の所有する記録にすら及ぶ改竄。下手に追求すれば、逆に王家の力で神殿の記録が歪められたと刺されかねない。
 もし改竄したのが神殿であるのなら、いざという時には、王家が都合の悪い存在を抹消するために記録を書き換えたのだ、と騒ぐ用意はしていそうだ。

 アルベルトは、文机に手を置き、深く息を吐く。

(けれどもし、この推測が当たっているとしたら)
(彼女に何かの力があるのだとしたら)
(僕が彼女の前で強い勇気をもらうと同時に、今までの無為な自分を思ってふらついたのも……)

 胸の奥に、静かな痛みが広がる。
 しかし同時に、他人の妻に邪な目を向ける自分がいなかったことに、ひどく安堵してもいた。
 よかった、と思う。少し寂しいような、ほろ苦い気持ちはあるけれど――
 余計な負担は、彼女にかけたくなかった。


「……」
 アルベルトは文書を閉じ、静かに立ち上がった。
  書庫の前で待っていた従者に声をかける。
「リヒト卿を呼んできてくれ」
「承知しました。……しかし、まだいらっしゃるでしょうか。官舎の寮にお呼び出しに行くべきでしょうか」
「……いや。多分まだ、仕事場にいるよ」


 ――果たして。
 アルベルトの予期した通り、リヒトはまだ仕事中だった。
 夜分に急なお呼び出しですね、と少々不満げに眉間に皺を寄せつつも、すぐさま足を運んでくれた。
 リヒトは一人、部下を連れてきていた。
 物騒だから目撃者を連れない状態では歩かないようにしている、と妙に用心深いことを言って。
 部屋の前で待っているように指示し、アルベルトの許可のもと、書庫へ入ってくる。

「すまない。相談したいことがあって……」

 机の上には、いくつもの古文書が開かれている。
 リヒトはそれを見て、何かを察したように目を細めた。
 アルベルトは指先をその表紙に置いたまま、ゆっくりと口を開いた。

「……リヒ。君の妹君の、「厄災の烙印」についてだ」
 声は低く抑えている。
「神殿の記述では、あれは災いを呼ぶ印として扱われている。だが、王家の伝承や記録、それに僕自身が彼女に感じるものを比べてみると……どうにも、そうは思えないんだ」
「……」
「曖昧な表現ばかりだが、少なくとも――烙印そのものが災厄だとは書かれていない」
 言葉を選びながら、アルベルトは続ける。
「むしろ、王家が誤った選択をした時。あるいは、正しさから遠ざかった時に――それを示し、正すために現れる存在なのではないか、と僕は思う」

 そこでアルベルトは言葉を切り、無意識に唇を引き結んだ。
 これは推測に過ぎない。だが、推測だからこそ、口にするのは怖かった。
 リヒトは、机の向こう側で黙って話を聞いていた。
 わずかに眉を寄せ、時折、開かれた文書へと視線を落とす。

 沈黙が落ちる。
 リヒトはしばらくのあいだ、目を伏せたまま動かなかった。
 指先で机の縁をなぞり、思考を整理しているのが分かる。

 やがて、静かに息を吐く。

「……なるほど」
 短い言葉だったが、軽くはなかった。
 リヒトは顔を上げ、アルベルトを見る。
「……アル。今の話、俺以外にはしたか」
「いや。ただの推測に過ぎないから……」
「なら良い。お前の推測が真実にせよ、ただの妄言で終わるにせよ、いずれにしても神殿は良い顔をしないだろう。まだ、腹の中に仕舞っておいた方がいい」
「ああ、そうだろうね」
「あとは俺のほうで考える」

 断定でも否定でもない。
 だが、その声音には、引き受けるという意思がはっきりと滲んでいた。
 そして、少し間を置いてから続ける。
「近く、ヴァルト辺境伯領へ足を運ぶつもりでいる……お前の考えを、妹に伝えてもいいか」
「勿論だ、リヒ。むしろ頼みたい」
 リヒトは小さく頷いた。

 重い話を吐き出すことができて、アルベルトは少々すっきりした気持ちで笑う。
「それにしても、ヴァルト辺境伯領か。妹君の顔を見に行くのかな。本当は僕も、辺境伯の見舞いに行くべきなのだが。どうかよろしく伝えてほしい」
「了解した」

 そして――リヒトは、ふと周囲を一瞥した。
 人の気配はない。確かめるように視線を戻すと、声を落とす。
 顔を寄せ、低く耳元に囁くように。
「……アル」
「なんだ、リヒ。改まって」
「王宮に蔓延る不正を、まとめて片付ける目処が立った」
 その言葉はひどく静かで、まるで事務的な定例の報告のようだった。
 だが、アルベルトは思わず眉を上げる。
「……何をするんだ?」
 問いは短い。
 冗談では済まされない響きを、無意識に含んでいた。

 リヒトは即答しなかった。
 わずかな間を置いてから、淡々と言う。
「王立裁判所へ、正式な審議の申立てを行うつもりだ」
 それだけだった。
 アルベルトは一瞬、言葉を失った。
 拍子抜けするほど、正攻法の選択だったからだ。
「裁判所……」
 反射的に繰り返してから、胸の奥の緊張が、ゆっくりとほどけていくのを感じる。
 その方法は、夜陰に紛れた摘発でもなく、突然の吊し上げでもない。
 武力や陰謀ではなく、正当な手続きで法の光の下に事を持ち込む――それは、少なくともアルベルトの知るリヒトのやり方だった。

「っ、そうか。いや……また僕は、そんな風に改まって言うものだから、リヒが何か危ないことをするつもりかと」
「……お前や妹に累が及ぶような真似はしない」
 覚悟を決めた声に、アルベルトも自然と背筋が伸びる。
 リヒトは静かに続けた。
「お前はその時、南方国との親善のため、王宮を離れている筈だ。だから、その間にこちらですべてを済ませておく。お前が全貴族会議で王位継承の天秤にかけられる時、余計な雑音が入らないように」
 事実を並べる口調は、どこまでも冷静だった。
「せいぜい、使節とのやりとりも上手く進めてくれ。……俺はその時、助けてやれない」
「分かったよ。本当は君を連れて行きたいし、不安はあるけれど……」

 アルベルトは、思わず視線を落とした。
 胸の奥に、苦い感覚が残る。
 幼い頃からそうだった。
 自分が迷う前に、悩む前に、リヒトはいつも一歩先を考えていた。
 王子という立場に生まれ、何かと守られてきた自分と違い、彼は常に現実を見ている。
 それでも、表に立って光を受けるのは自分で、後始末を引き受けるのは彼だった。

(……僕は、リヒに頼ってばかりだ)
 自嘲に近い思いが胸をよぎる。
 それでも、止める言葉は浮かばなかった。
 リヒトが決めた以上、それはすでに、熟考の末の結論なのだと知っているからだ。

「王都ではそれなりの騒ぎが起こるだろうが、お前は気にせず自分の仕事をしろ。と言うより、王位継承のために、少しでも成果を稼げ。こうして予告はしてやったんだから、焦って迂闊に王宮に戻ったりすることはしないように。一通り静かになってから、悠々と戻れ」
「……ああ。了解した」
 アルベルトはそう答え、顔を上げる。
「僕は誰より君を信じてる。任せるよ。でも、無茶はしないでほしい」
 言葉としてはありきたりだったが、そこには幼馴染としての本心が滲んでいた。
「心得ています、殿下」
「……」
「…………わかったよ、アル」
 リヒトは肩をすくめ、ふっと溜め息をついた。
「お前もどうか気をつけて、行ってきてくれ。…………俺の助けがなくとも、もう大丈夫だろう。今のお前なら」
「む……そうだね、好い加減、リヒに迷惑ばかりかけてはいられないからね」

 アルベルトの言葉に、リヒトは低く笑った。
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